第三章第十話「警告」
ようやく王城に通してもらえたはいいものの、そこにミラの姿はなかった。リズの焦りがそばにいるだけでも伝わってくる。
正門を通らずに出ていく。聖女として呼ばれているミラが、こそこそと動くのは難しいはずだ。何より今は、これほどまでに警備が強化されている。そうなると、王城内から転移魔法で移動した可能性が高い。
以前、転移魔法をわざわざローズに頼んだあたり、ミラ本人は使うことができないのだと考えるのが妥当だ。
「王城に転移魔法陣ってある?」
「使ったことはないけど、何ヶ所かに飛べるようになってるやつがあった気がする」
「じゃあ、とりあえずそこまで行こう」
イリアがリズの手を取ると、リズはこくりと頷いてその手を引っ張った。手袋越しでもその温かさが伝わってくる。
転移魔法陣がずらーっと並んでいる部屋に入ったはいいものの、あまりに数が多い。
「一応言っておくけど、ここにある転移魔法陣はあくまでこっちから移動する目的のものだから」
つまり、一方通行というわけだ。そうなると、とりあえず入ってみるということができない。こんなところで手詰まりになっている場合ではないのに。
「これにしよう。終わらせるなら、教会を選ぶと思う」
イリアが頭を悩ませている間に、リズは一つの魔法陣の前で足を止めた。
「……」
「大丈夫だよ。ミラは聖女だから」
◇◇◇
「ひどい顔ですね」
床に座って、のんびりと身体を伸ばしているミラは、なんていうこともないような表情を浮かべてこちらを見つめてきた。
「……ミラだよね?」
「ええ。そうですよ」
ミラの藍色の髪には、銀色のメッシュが入っていた。憂いを帯びた表情と相まって、その姿はやけに美しく見える。
「怒っていますか? 騙すつもりはなかったのですが」
「……心配した。もちろん怒ってるけど、そんなことどうでもいいくらい心配したよ……なんで、私に優しくしたの……私を、こんな気持ちにさせるの……」
リズがミラを抱きしめた。ミラは目を見開くと、柔らかな笑みを浮かべてリズの背中を優しく摩る。
「あなたへの配慮が足りていませんでしたね。よりにもよって、リズさんにこんなことを頼んでしまいすみませんでした」
イリアは壁際で二人の姿をじっと見ていた。入りにくい雰囲気であることもあり、少し距離のあるところから様子を伺うことしかできない。
「……いっぱいなのに、胸の奥深くが空っぽなんです。これから見つけていかないといけませんね。シリウスがいない人生を」
小さく呟いたミラの言葉は、重みを帯びている。脆くて、自暴自棄で、強く見せようと意地を張っている人間。少なくともイリアには、ミラ・グレイスの本質がそんなふうに見えた。
「少しばかり血をいただいてもいいですか? 味覚を確認したいので」
「痛いのは嫌なんだけど」
「すぐ治しますよ」
嫌がるリズを嗜めるように、ミラは柔らかな笑みを浮かべた。リズがローブを脱いでブラウスのボタンをいくつか開ける。真っ白な左肩を出して、ミラの方に差し出した。
「積極的ですね。腕でも構わないのですが」
「……腕はあんまり綺麗じゃないから。早くして」
爪を立てると、真っ白な肌から鮮烈な赤い血が姿を現す。ミラがリズの首筋に優しく唇を運んだ。舌で一滴残らずその血を舐めとると、愛おしそうに白い肌に接吻する。
「んっ、ちょっと。変なことしないでよ」
「ああ、失礼しました。少し盛り上がってしまって」
ミラが顔を離すと、リズは不機嫌そうに唇を尖らせる。そんなリズの顔を見て、ミラはいたずらな笑みを見せた。
「それで、どうだったの?」
「不味かったです。リズさんの血であれば、毎日飲むこともやぶさかではありませんが」
「……そういう冗談はいいから」
リズはシャツのボタンを閉じて、イリアの方に視線を向けた。頬を赤らめて少しだけ目を逸らすと、こちらまで恥ずかしい気持ちになってくる。
そんな二人の様子を窺っていたミラは、イリアの方に一歩ずつ歩いてきた。
「ほとんど解けていますか。一応言っておきますが、私はイリアさんにそういった感情は全くありませんので。一方的に好きにならないでくださいね」
「……はい」
言われなくとも、ミラを好きになることだけはないだろう。リズとは違って、ミラには悪意を持って弄ばれた感覚がある。彼女のようなタイプの人間は、正直苦手だ。
ミラと普通に関わるには、少し怖い部分が多すぎる。
「さて。のんびりした話はここまでにしましょうか」
ミラは二回手を叩くと、気を取り直したような様子で二人に厳しげな視線を向けた。
「現在の私の身体の状態を一言で表すならば、未知です。今のところ五感に違和感はありませんが、私の中には確かに美食家がいます。そこで、今から一つ実験をしようと思います」
そう口にしたミラは、小ぶりな杖を自身の腕に向けて小さな声で呟いた。
「スピアレーゼ」
途端に、ミラの腕に一本の光の矢が勢いよく突き刺さる。生々しい音と腕からだらだらと垂れる血に、思わずイリアは目を瞑ってしまった。
「ちょっと!何やって……」
リズがミラに駆け寄ると、ミラの腕が暗闇の膜に包まれる。その現象は、王城で見た美食家の力と瓜二つだ。暗闇が消えると、傷一つない綺麗な腕に元通りになっている。
「なるほど。痛覚がありませんね。少なくとも、美食家は痛覚を持ち合わせていたはずですが」
表情一つ変えずにそんなことを口にするミラを見て、イリアは言葉を失った。狂っている。自分に対する思いやりが壊滅的に欠如している感じだ。
元からそうだった。しかし、それがさらに加速しているような気さえする。
リズがミラの前に立つと、思いっきり頬を叩いた。なかなか痛そうな音だ。しかし、ミラは呆然と頬を摩りながらリズの顔を見つめる。
「痛くないんだっけ? そういうの、本当にやめてほしいんだけど。気持ち悪いから」
「……心が痛くなる言葉ですね」
「そうだと思ったから言ったの。分かったら、二度とこういうことはしちゃダメ。いい?」
「肝に銘じておきます」
悪いことをして叱られた子供のように、ミラは視線を落とした。しかし、その顔は全く反省していないように見える。イリアが怪しんでいると、ミラはじっとこちらを見つめてきた。
「リズさん。少し彼と二人で話す時間をいただいてもよろしいですか?」
「……何で私に聞くの。勝手にすればいいじゃん」
「……? リズさんが機嫌を悪くしないように聞いたのですが」
おとぼけてミラが首を傾げると、リズは視線をあちらこちらに泳がせて不機嫌そうな表情を浮かべた。
「お好きにどうぞ。私は離れておけばいい?」
「はい。ありがとうございます」
リズが声の聞こえなくなる距離まで離れると、ミラはイリアの顔を覗いてくる。
「この力に関することですが、私の方でも新たな情報を手に入れたので、動いてみることにします」
「それは……ありがとうございます。僕にできることはありますか?」
「いえ。イリアさんが動けるような場ではありません。あなたはいつも通りでいてください。これからの日々を健やかに、穏やかに過ごせますようお祈りしております」
そう言うということは、ミラは今後一人で動くつもりなのだろう。手を貸したい気持ちは山々だが、今のミラと行動を共にしたところでお荷物になる未来しか見えない。
迷惑をかけるくらいなら、彼女を信じた方がいいのだろうが……。
「大丈夫ですよ。命をかけてまで何かを成し遂げようとはしません。背中を押してくれた人がいるので」
ミラが嘘をついているようには見えない。信じる。結局のところ、今のイリアにできることなんてそれしかないのだ。
「それと……」
再びミラに注目すると、その冷たい瞳に気圧されそうになった。彼女の機嫌を損ねた途端に首を刎ねられるのではないかと思えてしまうほどの殺気に、身体がこわばる。
「安易に他者を信用してはいけません。私たちは既に、敵に包囲されているのやもしれませんから」
奇妙な笑みは、イリアに何かを警告しているように見えた。他者と言われても、誰を指しているのか分からない。
イリアは、ただその煌びやかに輝く褐色の瞳を見つめた。
これにて第三章完結となります!
ミラ・グレイスというキャラクターがメインではありましたが、その中でイリアやリズも成長しています。
これから物語はどう動き出すのか、お楽しみに!
またまた番外編等書こうかなと思っていたりします。九月末から更新頻度が落ちますが、完結までゆったり走って参りますので応援していただけたら嬉しいです✨
四章からもよろしくお願いいたします!




