第三章第三話「聖女の秘密」
「想定外だったってわりには嬉しそうに見えるけどね。ミラってば、そんなに私のこと好きだったの?」
リズは、砂糖とミルクをたっぷり入れた紅茶をかき混ぜた。しだいに美しい褐色が柔らかな色に変わっていく。
「イリアさんが話すと思っていなかったもので。ダメですよ。乙女の秘密を他人に共有するのは」
ミラが、イリアを射抜くような鋭い視線を向けてきた。しかし、その表情は柔らかい。
「さて、冗談はこの辺にしましょう。お二人が知りたいことは何ですか? 聖女としての仕事に支障をきたさない限りはお答えします」
甘ったるそうなミルクティーを口にしたリズは、やけに献身的なミラの態度に眉を顰めた。何とも言えない居心地だが、イリアにはミラに聞きたいことが山ほどある。
「暗闇について、もっと教えてくれませんか?」
ミラはティーカップを口に運び、姿勢を正してイリアに茶菓子を勧めてきた。バスケットに入った質素なクッキーを一枚取ると、ミラは一呼吸置いてじっとそのクッキーを見つめる。
「今後のためにお伝えしておきますが、まず、その力を使える人間は複数人います。現在は私も全てを把握できているわけではありませんが」
「……その、何でこんな力を使える人が何人もいるんですか?」
「元を辿れば、帝国の聖戦に行き着きます。有力な聖女候補だった人間を貶めるために使われた力。それが、現在では王国にも流れ出ているということですね」
聖戦。帝国で起きたことの余波でこんな目に遭っているなんて、酷い話だ。
それ以前に、他者を貶めるために、ここまでするなんて。人間というものは恐ろしいのだと、心底思った。
「私の知り合いは、人も、動物も、植物も、この世にある全ての命を尊ぶ優しい方でした。困っている人には手を差し伸べ、責任を持って真摯に向き合う。聖戦なんてものがなければ……」
自身の爪が食い込むほど、ミラは拳を力強く握った。少しすると、思い直したかのようにイリアに視線を向ける。
「話が脱線してしまいましたね。失礼しました」
「……そんなことは」
ミラが言っていた、暗闇が人の感情を悪い方向に増幅させるという話は、知り合いの経験から得たものなのだろう。
暗闇のことに関して、ミラがイリアを騙すための嘘をつくことはないような気がした。
彼女は、この暗闇に対して並々ならない恨みを抱いている。それだけは間違いなさそうだ。
「その力をいくら嫌っていても、暗闇は待ってくれません。感情が、おそらく進行の原因です。ですから、強烈な喜怒哀楽は避けていただきたく思っています」
「感情を抑えるって言っても、なかなか難しくない? 私だったらそんなの無理って言われてるようなものなんだけど」
ずっと聴く側に回っていたリズが口を開くと、ミラはその質問を待っていましたと言わんばかりの笑みを浮かべた。
「そうですね。常人であれば、不可能でしょう。しかし、イリアさんは忍耐力のある方ですよ。私があのお話を伝えても尚、このように普通に外に出かけられるほどには」
しかしながら、あの話を聞いた時には相当焦ったし、不安な気持ちに陥った。悪夢を見るほどには、心身の負担になっているのだ。今は呑まれていないにしても、いずれ……その可能性がなくなるわけではない。
「それに、私がいますから。聖女の力ほど心を穏やかにするものはありません」
「はいはい、どうせそう言うと思った。でも、重要な時にミラが近くにいるか分からないじゃん」
「ですから、リズさんが一緒にいらっしゃったことを喜ばしく思っているのです。私が手取り足取り教えて差し上げましょう」
ミラが満足そうな笑みを浮かべてリズの手に指を絡めた。バスケットからクッキーをつまみ食いしていた彼女の口元を白いハンカチで拭い、紅茶とそっくりな透き通る褐色の瞳を向ける。
「そんな顔をしないでください。私たち、お友達ではないですか」
「……何をすればいいの?」
ミラが立ち上がると、イリアたちについてくるよう手招きした。藍色の長髪が揺れ、落ち着いた足取りに自然とこちらの心持ちも穏やかなものになる。
石造りの道を抜けていくと、簡素な木製の扉の前でミラが足を止めた。首元に提げていた鍵を取り出し、扉を開ける。
「狭い部屋ですみません。リズさんはそちらに座ってください」
わざわざリズをぽつりと置かれた一つの椅子に座らせると、ミラは重厚な魔法書を取り出してきた。
それは鎖で結びつけられており、やけに危なげな雰囲気を放っている。
「あのさ、何するつもりなの?」
「リズさんと私の身体を入れ替えます。そうすれば、私がリズさんとして彼のそばにいられますから」
「何それ。絶対に嫌なんだけど」
リズが顔を歪めて椅子から立ち上がると、ミラが不思議に思っていそうな表情を浮かべて首を傾げた。
「そうなのですか? 変なことなんてしませんよ」
「イリア君のことは私がちゃんと見ておくって決めてるから嫌なの」
「我儘ですね」
ミラは魔法書を棚の奥に戻して、ため息をついた。彼女は残念がっているようだが、イリアとしても中身がミラになったリズと生活するなんて、考えただけで身体に悪寒が走る。
「イリアさんはどう思いますか? あなたがお願いしてくだされば、リズさんも耳を貸してくれる気がするのですが」
「……僕も、それは嫌です」
「お二人は仲がよろしいんですね」
つまらなそうに椅子に深く腰掛けたミラは、目を閉じてしばらくそのままじっとしていた。胸元から宝石のネックレスを取ると、心底面倒臭そうにそれをリズに手渡す。
「これ何?」
「聖女の秘密ですよ。私を聖女たらしめている力は、このネックレスからきているものです。これがあれば、誰でも聖女の力を扱えます」
聖女の力にそのような秘密があったとは。てっきり、何か特別な訓練を経て得た能力なのかと思っていた。
しかし、それをリズに渡してしまってはミラが聖女の力を使えなくなってしまうのではないだろうか。
「ミラは困らないの? ないと聖女の力は使えないってことだよね?」
「私が聖女であることには変わりません。神聖魔法は扱えますし、聖女としての務めに支障はきたさないと判断しました」
ゆっくりと目を開いたミラは、姿勢良く椅子に座り直した。シスター服の皺を丁寧に直し、リズの煌びやかな瞳をじっと見つめる。
「ですが……もし、リズさんに私を思いやる心があるのであれば、もう一つ提案があります」
「何? 変なことじゃなければちょっとは譲歩してあげられるけど」
◇◇◇
紺色の服に袖を通すと、心まで清らかな気持ちになるような気がした。所々に金色の糸で刺繍が施してあり、細やかなデザインが着た人を神聖に見せてくれる。
リズに目を向けると、ヴェールの隙間から溢れでる銀髪がやけにきらきらと輝いて見えた。修道服だからか、いつもより華奢な身体が際立っている。
「なんか、すごく動きにくいな。変じゃない?」
「えっ、うん。変ではないよ」
服をこちらに見せてくるリズにそう答えると、イリアは気恥ずかしさで少し目を逸らした。
「お二人ともお似合いですよ」
ミラが満足そうにこちらの顔を見つめ、柔らかな笑みを浮かべた。
まさか信仰心に欠けた二人が、信仰心が高い人間たちの中に入り込むことになるとは。
「改めまして。王国随一の教会、ダリエラへようこそ。聖女として、友人として、お二人を歓迎いたしますよ。くれぐれも、神の御心を汚すことのないよう、お願いいたします」
両手を広げて、奇妙な笑みを浮かべたミラを窓から差し込んだ光がきらきらと照らした。
神聖な存在であるはずなのに、その表情からは不穏を感じてしまう。とにかく、変な場所に足を踏み入れてしまったことだけは確かだった。




