第二章第十一話「清算」
「そんな、そんなこといきなり言われても……意味分からないですよ。そんなの……」
「落ち着いてください。あくまで、可能性の話です。そして、あなたがそうならないように私がいるんです」
ミラがじっとイリアを見つめると、優しく背中を撫でた。聖女の能力なのか、しだいに心が落ち着いてくる。
「大丈夫です。意識していただきたかったので忠告させていただいた迄。あなたはそうはなりません。ただ、できる限り人との接触は限定した方がよろしいかと。ギーべラント公爵家には、リズさんから伝えてもらいます。あのご令嬢にはあなたがお話してあげてください。その方が、良さそうですから」
「ミラさんは、聖女だから僕を助けようとするんですか? あなたは、リズさんとは違う。魔賢会談で言ってくれなかったことを、どうして今になって教えてくれるのか。その意味が分かりません」
ミラの言葉を信じるにせよ、その判断材料が少なすぎる。聖女であるから、十一魔賢であるからといって、彼女が嘘をつかないとは限らない。
それが何のための嘘になるのかは分からないが、改めて考えてみると妙に惹き込まれるその話し方から色々と怪しく思えた。
「聖女だから……でもありますが、私はあなたに美食家の討伐を手伝っていただきたいと思っています。彼女を終わらせるのは、私でなければなりません。本当のところは、自分のためなんです。お力をお貸ししていただけませんか?」
「……討伐なんですか?その、捕獲とかではなくて」
「彼女は、ネームレスを名乗る前から何人もの人の命を弄んできました。喰らわれた人は、骨すら残らないんです。捕獲では、また被害者が増えるだけ……絶対に手を抜いてはいけません」
美食家のことを随分前から知っているのか、聖女とは思えない憎しみに満ち溢れた声がイリアの胸に刺さった。
事情は分からないが、美食家が危険な人物であることは彼女と至近距離で対峙したイリアにも分かる。
「……手助けだけなら。僕も、もうアリス様にあんな目に遭って欲しくないので」
「ありがとうございます。あなたが今抱いている不安は、美食家の言葉によるものでしょう。あの人の言葉は、人の内面をぐちゃぐちゃにしますから。それに抵抗することと、ご令嬢とお話することはつながると思うのです。それに、ご令嬢もあなたと話したいと思いますよ」
そうだろうか。アリスはよく分からないところで怒るし、すぐ機嫌が悪くなる。イリアは気を遣ってばかりだから正直疲れる。
でも、イリアのために色々と考えてくれるし、たまに妙に大人っぽい言葉をかけてくる。子供のように甘えてくるのに、子供扱いすると怒るところは可愛らしい。
ローズの屋敷で出会った弟たちとはまた何かが違うような、どこか危なっかしくて目が離せない存在だ。離れるのはイリアだって少し怖い。いつの間にか、ギーべラント公爵家の人たちのアリス好きがうつってしまったようだった。
ミラに背中を押されて、イリアはアリスを探し始めた。集まっていた人たちの中を掻い潜って、壁際の椅子に一人で腰掛けていたアリスを見つける。あとちょっとの勇気があれば良いだけだ。それなのに、再びあの気持ち悪さが蘇ってきた。声をかける勇気が出ず、イリアは彼女から少し離れたところでうずくまった。
「大丈夫?」
恐る恐る顔を上げると、フードを深く被ったリズが顔を覗いてきた。フードの隙間から銀髪が垂れている。
「ごめんね。さっきは、声かけてあげられなくて……もう吐き気はない?」
「うん、ありがとう。ちょっとはマシになったよ」
リズは横にしゃがみ込むと、イリアの前髪をそっとめくった。勢いよく人差し指が飛んできて、額にぴりっとした痛みが走る。
「嘘つき。まだ気持ち悪いんでしょ? もっとそばで見てあげないとなのに、別行動ばっかりでごめんね。私も、ちゃんとしなきゃな」
「……リズさんのせいじゃないよ。ただ、色々あって混乱してるだけだと思う。それでちょっと気分が悪いというか」
リズが気に病む必要はない。イリアが勝手に美食家の言葉で思い悩んでいるだけなのだから。確かに、一緒にいる時間は少なめではあるが、やはりリズが一番話しやすいのは変わらない。
向こうが気楽だからか、不思議とこちらも気楽でいられるのだ。
「ネームレスも、すぐに仕掛けてくることはないと思う。今回の件で、警備もより厳しくなるだろうしね。上位貴族には、各騎士団が正式に護衛に就くんだって。だから、このお仕事は今日で終わり。荷物は後日送ってくれるらしいよ。お別れの挨拶、しなくていいの?」
「……分からない。あんなこと言わなければ、きっと気持ちよく終われたのに。どうせ終わるなら、もう少し我慢すればよかった」
リズは手に顎を乗せて、しばらく押し黙った。何かを考えているようだ。
「過去のことを気にしても仕方ないよ。それに、変に綺麗な関係にしようとしなくていいと思う。終わりにしようとしても、人間関係って続いていくものだし」
綺麗じゃなくてもいい。そうなのかもしれないが、それはどうでもいい相手の時に限るのではないだろうか。イリアには分からない。
自分にとって大切な人なのだから、尚更そうだ。綺麗な関係を築けた方がいいに決まっている。しかし、なぜか顔を合わせられる自信がない。
簡単なことだったのに、どうしていきなり不安な気持ちに襲われるのか分からなかった。
「不服そうだね。それなら、やっぱりもう決まってるじゃん。ちゃんとお別れの挨拶しないと、ずっともやもやしたままだよ。私も一緒に行こっか?」
イリアは目を丸くした。いいように、話を運ばれていたらしい。リズは最初から、イリアに決めさせるように見せかけて、きちんと精算できるように誘導していたわけだ。
話したところでマシになるとは限らない。
「……一人で行くよ。そうじゃないと、意味ないと思うから」
その場から立ち上がって、イリアはアリスの前に立った。目を逸らして、ゆっくり口を開く。
「……先ほどはすみませんでした。少し、アリス様のお時間をいただいてもいいですか?」
「……好きになさい」
アリスを連れて、テラスに出た。木製の温かみのある椅子に腰掛けると、気まずそうにアリスも横に座る。目が合わないように、イリアはちらりとその儚げな顔に目を向けた。
頬の傷は跡形もなく消えている。
「美食家と話してから、怖いんです。護衛の仕事も全然できなくて、アリス様を危険に晒して。僕、公爵家の皆さんみたいにアリス様のことが好きです。目が離せないし、心配だし。それでも、僕の中にあるこの恐怖はなくならなくて。ごめんなさい」
「……そうですの。あなたがそう決めたなら、私が止めることはもうしません。仕方ないですもの。それに、どちらにせよ今日までだったのでしょう?それなら、私から言うことはありませんわ」
やけに聞き分けがいい。どうせなら、文句をぶつけて欲しかった。そうなればイリアは困るし、アリスを少し面倒だと思うかもしれない。それでも、あっさり了承されるのはそれはそれでもやもやする。
イリアも随分と面倒くさい人間になったものだ。アリスに手をこまねかないことに、寂しいと感じているのだから。
「では、私はもう戻りますので」
「待ってください」
「まだ話がありますの?」
「……ありません」
アリスは顔を歪めたが、再びベンチに腰掛けた。何か話したいことがあるわけではない。しかし、公爵令嬢であるアリスとこのように話せる機会なんて、もうなかなか来ないだろう。
そう思うと、少し名残惜しかったのだ。これは強がりなのかもしれない。今思えば、リズやローズだって関わりはそこまで長くはない。もちろん、アリスもそうだ。
それでも、ずっと村で孤独を貫いていたイリアにとっては本当に久しぶりに人並みの関係を築けた人たちである。
数少ない知り合い。その中でも、優しくて、たまに面倒で、分からなくて。アリスは、色々な経験をイリアにくれたうちの一人だった。
歳下ではあるけれど、頼り頼られるいい関係性を築けていたと思う。正直、助けられてばかりではあったが。
「……あなたは護衛の癖に弱くて、生意気で、頭の中がお花畑で。ですが、私の我儘に付き合ってずっとそばにいてくれました。あなたが護衛になってからは、楽しかったですわ。私も、あなたのことが好きです。あなたがその恐怖に打ち勝った時にはまた、お茶でもしましょう」
憂いを帯びた笑みを浮かべて、アリスはイリアの手をそっと握った。怖い気持ちで手がぴくぴく震えたが、アリスは優しくその手を包み込む。
「……何かあったら、我が家を頼っても構いません。弱いあなたが私を使ってみなさいな。ずっと、待っていますから」
「いや、さすがにそれは……」
イリアが焦っていると、アリスは満足そうに立ち上がった。
ドレスの裾を摘み、可憐なお辞儀を見せる。イリアも立ち上がって、深くお辞儀をした。アリスの姿が見えなくなるまで、ずっと、ずっと頭を下げ続けた。
美食家に会えば、この恐怖も薄まるかもしれない。正直、あんな人間にはもう二度と会いたくない。それでも、この不安をなくしたい。自分の存在が、きっと大丈夫なものだと信じたい。アリスを見て、気分が悪くなるようなことを二度と経験しなくていいように。そして、前を向いて歩けるように、戦うのだ。
月明かりがイリアを照らした。
胸の中で渦巻く恐怖はなくならない。
それでも、イリアは一歩を踏み出した。
これにて、第二章も完結となります。
読者の皆様、いつも本当にありがとうございます!
三章に入る前に、ぼちぼち修正や番外編を入れる予定です。今後とも、『赫灼のアマランサス』をよろしくお願いいたします!




