第二章第八話「美食家」
「アリス様、お手を」
「はい」
イリアが差し伸べた手を取って、アリスは馬車を降りた。ついに、この日が来たのだ。
王城は未だ修復途中ではあるものの、大広間には被害がなかったらしい。上位貴族のみの集まり。それも、楽しいパーティというわけではないのだから、緊張で額に汗が滲む。
やるべきことをやればいい。アリスの護衛として、その命を最優先に守ることを改めて胸に刻んだ。
「表情が硬いですわよ。私が認めた護衛なのですから、余裕を持ちなさいな」
「アリス様こそ、大丈夫ですか?公的な場は二年ぶりだと聞きましたが……」
「……問題ありませんわ」
本当に大丈夫なのだろうか。それに、アリスが婚約破棄された相手がまさにこのパーティの主役である第三王子殿下なのだから、尚更心配だ。
公爵家と王家が交流を続けていたとしても、アリスからすれば顔を合わせるのも気まずいだろう。
しかし、心配している余裕もない。扉の前でイリアは深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。扉が開いた瞬間、会場にいる全員の視線が一斉に向けられた。見知った顔を見つけると、少しばかり気持ちも落ち着く。
煌びやかな金髪に海のように青い瞳が印象的な少年と、立派な杖を片手に深くフードを被っているリズがこちらに向かって歩いてきた。
「久しぶりだね、アリス。先ほど公爵ともお話したよ。元気そうで本当に良かった。少し遅くなってしまったけど、十三歳の誕生日おめでとう。ずっと会いたかったよ」
「……お久しぶりですわ。殿下も、お元気そうで何よりですの。プレゼントまで贈ってくださり、ありがとうございます」
アリスは居心地が悪そうにしているが、第三王子はそんなこともなさそうだ。むしろ、嬉しそうに見える。てっきり第三王子がアリスを避けているのかと思っていたのだが……一体どういった関係性なのだろうか。
できればリズと話したいが、なかなかそんな暇はなさそうだ。諦めていると、リズが第三王子に何かを耳打ちした。彼が頷くと、リズがイリアの袖を引っ張って顔を近づける。
「色々話したいことはあるんだけど、とりあえず一個だけ。イリア君は、基本的にギーべラント公爵家との契約内容に従って動いてくれればいいよ。ローズは第二王子殿下と一緒にいるから、この場にいる十一魔賢は私とゾラとミラっていう子の三人。分かった?」
「うん、分かった」
「ちょっとしか経ってないのに、なんか男の子っぽくなったね。かっこいいじゃん」
「……そうかな」
上着の裾を強く引っ張られる感覚に振り向くと、アリスが鋭い視線を向けてきた。アリスがリズの顔を覗き込もうとしたため、咄嗟にイリアが前に出る。
「では、僕たちは他の方々に挨拶しに行くから。またね、アリス」
「……はい」
タイミングよく第三王子がリズを引き連れて行ってくれたおかげで、アリスにリズの顔を見られずにすんだ。ほっとしていると、不機嫌そうな顔を浮かべたアリスが端の方に歩いていく。
「アリス様、怒っていらっしゃいますか?」
「別に」
「その、遮るようなことをしてしまいすみません。彼女は、顔を見られることが苦手なんです」
取ってつけたような理由だが、だんまりよりかはマシだろう。
しかし、アリスは顔を歪めてイリアから視線を逸らした。本格的に怒っているらしい。
理由が分からないのだから仕方ない。一旦、イリアはアリスの機嫌取りをやめて周囲の様子を確認することにした。
リズ以外にも二人の十一魔賢がいるとのことだが、姿を隠しているらしくそれらしい風貌の人物は見当たらない。
今のところ怪しい行動を取っている人もいない。その場でじっとしていると、付近にいた二人組の男性がこそこそと何かを話していた。
「第三王子殿下ははっきりとした物言いができる方ではあるが、王に相応しいかはまだ分からないな。今回のこの会だって、私たちを危険に晒そうとしているようにも思える」
「ずっと王位を狙っていたのだから、早くその座を手にしたいんじゃないか? なんなら、あの放送をしていたネームレスとかいう組織と殿下が繋がっている噂まである。私は第二王子殿下を推すよ」
「私もそのつもりだ。第三王子殿下は何を考えているか分かったものじゃない」
なるほど。やはり、第三王子を否定的に見る貴族も少なくはないようだ。しかし、人前に出ることを好まない第二王子を推すほどの理由にそれが繋がるとは思えない。
人見知りというのは悪いことではない。だが、人前に出ることすら好まない彼が、果たして王として国を導けるのだろうか。ここで第二王子を推す人たちの本当の理由なんて、裏で自分たちが国政を支配したいがためなのかもしれない。
そんなことを進めてしまえば、それこそ王国の崩壊だ。外傷なく、内側からじわじわと崩壊させられてしまう。
「アリス様、お飲み物を貰ってきましょうか?」
「……ええ」
果実水を受け取って、アリスの前に持って行く。銀製のマドラーがあれば良かったのだが、そんなものは用意されていなかった。渡すか躊躇っていると、アリスがゆっくりと口を開く。
「あなたが一口飲んでください。それで大丈夫でしたら、私もいただきますので」
「ですが、時間経過で効いてくる毒だったら……」
「それを言ったら、銀製のものでも反応しない毒はありますわ」
確かにそれもそうだ。果実水を一口飲むと、甘い風味が口いっぱいに広がった。問題がないことを確認してアリスにグラスを差し出すと、彼女も果実水を口にする。
「……結構甘いんですのね」
「お口に合いませんでしたか?」
「いえ、そんなことは」
アリスが果実水を飲み干すと、ちょうど第三王子が話し始める準備をしていた。
「本日は、忙しい中集まってくれて感謝する。皆も知っていると思うが、国王陛下並びに第一王子、第四王子の所在が現在分かっていない。そこで、僕がお父様の……国王陛下の意思を継ぎ、次期国王となりたいと思っている。僕が王となるためには、皆の力が必要だ。頼む、力を貸して欲しい」
第三王子が頭を下げると、貴族たちはざわつき始めた。王族が貴族に頭を下げるなど、あってはならないことだ。
しかし、第三王子の誠実な気持ちはイリアにも伝わってきた。第三王子を支持するか悩んでいた勢力も、少しばかりは考えを改めたのではないだろうか。
ただ、一つ不可思議な点がある。第二王子を支持している人が思いの外多いということだ。
第三王子は第一王子に匹敵するほどの支持率を獲得していた。それほど貴族から多大な信頼を得ていた彼が、今までほとんどスポットライトを浴びることがなかった第二王子と半々の立ち位置にいるなんておかしい。
ふと、一人のメイドが変にふらついて歩いているのが目に入った。そばにいる気さくそうな男性が声をかけた瞬間、近くにいた藍色の髪の女性が勢いよく風魔法を放つ。
爆風の圧力から身を守るように、イリアはアリスに覆い被さって身を屈めた。何が起きたのだろうか。状況が全く把握できない。
「……っ、アリス様! ご無事ですか?」
「はい! あなたは?」
「僕も大丈夫です!」
前に視線を向けると、ふらついていたメイドが思いっきり壁に叩きつけられてだらんとしていた。
藍色の髪の女性にはどことなく見覚えがある。
あれだ。
魔賢会談にいた修道女があんな顔だった気がする。そうなると、彼女は十一魔賢。リズが言っていたミラという女性なのだろう。
かなりの強風に煽られたはずのメイドが、ゆっくりと立ち上がった。
「……あぁ、あと少しだったのに。あと少し、あと少しで満たされていたのに。まぁ、いいわ。久しぶりに、聖女を食べてみるのも悪くないかしら」
「あなたがそのようなことをおっしゃるとは。一体、何がそこまであなたを変えてしまったのですか?」
ミラの質問を聞いて、メイドはじっと固まった。何か思い悩むような様子を見せたあと、ミラに視線を向ける。
「……やっと思い出したわ。見習いから聖女になれたのね。あぁ、おめでとう。頑張って、頑張って、頑張ったのね」
「質問に答えていただきたいのですが。仕方ありません。無理やりは好みませんが、聖女として、道を外れたあなたを裁くことも私の仕事です」
会話の間に、会場内にいた貴族はほとんどいなくなっていた。どうやら、元から避難用の転移ゲートを設置していたらしい。
現在残っているのは、アリスと第三王子だけだ。
ミラが続けて魔法を放とうとすると、メイドはこちらに視線を向けた。目を見開いて、じっとイリアを見つめる。
彼女が踏み込んだ瞬間、イリアは即座に剣を構えた。目の前まで迫った一撃を、やっとの思いで受け流す。やはり真剣は重たくてまだ扱いにくい。
そこでできた隙をついてミラとリズが魔法攻撃を放った。メイドが後退すると、面倒くさそうに面々を見つめる。
「……最初から第三王子にしておけば良かった。王族の血って、澄んでいて、綺麗で、とっても美しいの。それに、美味しい。あぁ、殿下はどんな味がするのかしら」
この人は、先ほどから一体何を言っているんだ。食べる。味。人間を、食べると言ったのか。イリアの震える手を、そっとアリスが握りしめた。
「大丈夫。私がそばにいますわ」
「……はい」
情けない。守るべき対象であるアリスに励まされるほど、イリアはあのメイドを怖がっていたらしい。
気合いを入れ直してそっと立ち上がる。十一魔賢が二人とイリアを含めて三対一だ。少なくとも、逃げられる前に押さえ込めるはずだ。
「……あぁ、やっぱり撤退しようかしら。もう無理そうだし、第三王子を潰すのには失敗しちゃったから。別に私は食を求めているだけで、対象が誰であろうと構わないのよね。もちろん、こだわりはあるけれど」
「逃すわけがないでしょう。あなたにはまだ聞きたいことが山ほどあるのですから。大人しく降伏してください」
「あなたあなたって、しつこいのね。美食家って呼んで欲しいのだけれど。あぁ、でもきちんとこの目で彼を見ることができてよかった」
美食家がイリアを見つめて不気味な笑みを浮かべた。腰まで伸びた癖のある黒髪と彼女のちょっとした仕草には何故かどことなく見覚えがあるように思える。
「あなたたちも、私に構わずに他を助けに行った方がいいと思うわ。あぁ、もう一人の王子様の方に関しては、まだ生きているのかも分からないけれど」
「スピアレーゼ」
ミラがそう唱えた瞬間、数百本にも上る光の槍が美食家に向かって全方向から放たれた。捕えることは不可能だと判断したのか、本気の物量だ。
あまりの眩しさに光が収まるまで目を細める。流石に軽傷では済まないだろう。
再び目を開くと、真っ黒な膜が蚕のように美食家を覆っていた。
ミラの攻撃を喰らってはいるようだが、怪我をしていた箇所がみるみる治っていく。回復魔法ではない。まるで、そういった生態であるかのように見える。
「……あぁ、痛い。痛くて、苦しくて、とっても新鮮な気持ちだわ。なんだか、お腹が空いてきちゃった」
美食家は辺りをぐるっと見渡した。
「あぁ、可愛いのね。まるでお姫様みたい。恋をしている乙女の顔だわ」
いつの間にか、美食家がアリスの艶のある紫髪を愛おしげに触っている。鋭い爪がアリスの頬を撫でるように切った。流れ出る血を舌で舐めとると、恍惚な笑みを浮かべてイリアをじっと見つめる。
煽られているようなその瞳には全く目がいかなかった。ただ、顔面蒼白でこちらに視線を向けるアリスの顔と、頬を伝う血だけが目に映った。
「私を怒って、憎んで、殺したいと思っているのね。分かるわ。あぁ、やっぱり私の目に狂いはなかった」
イリアは考えるよりも先に、剣を振りおろした。片腕で受け止められてしまったが、美食家の腕からは鮮烈な赤い血が流れ出ている。
これだけでは足りない。こんなものでは、彼女を止められない。彼女を殺せるほどの力がなくてはダメなのだ。
出ろ。
出ろ、出ろ。
出ろ、出ろ、出ろ。
出てくれないと、殺せない。
暗闇の力があれば、勝てるはずなんだ。
「あなたは今、何に怒っているの?大切なお姫様の頬を私が切ったから?私が彼女の血を口にしたから?あなたはお姫様を守るんじゃなくて、私を殺したくて仕方がないのよ。何故か教えてあげる。あなたは、お姫様を自分の獲物だと思っているから。だから、怒っているの」
ミラとリズの光魔法が、同時に美食家の頭部に打ち込まれる。美食家が後退したところで、イリアは正気を取り戻した。アリスに駆け寄って、他に怪我がないか調べる。
「可哀想なお姫様。彼があなたを守るのは、優しさでも愛情でもないのに。現に今さっき、お姫様のことなんて忘れて、私を殺すことしか考えていなかったのよ」
「美食家の言葉に耳を貸す必要はありません。あのような人間の話ほど、愚かなものはありませんから。すみません、私が見誤っていました。あなたがこの場を去る気があるならお好きになさってください。ですが、王城内の誰かに手を出すつもりなのであれば、全力を投じてでもあなたを止めさせていただきます」
美食家はじっとミラの顔を見つめて考えるような仕草を見せた。しばらくして、満足したかのように口を開く。
「じゃあ、お言葉に甘えて私は撤退させてもらうわ。本当は骨の髄まで食べ尽くしたかったけれど、人の獲物を横取りするのは趣味じゃないもの」
どこからか仲間が様子を伺っていたのか、美食家の目の前に転移ゲートが現れた。
何が目的だったのかは分からない。あまりにもあっという間の時間で、彼女は場を乱すだけ乱して帰ってしまったのだから。
美食家が転移してしばらく経ってからも、イリアはその場所から目が離せない。
美食家のその後ろ姿には、やはり見覚えがあるような気がした。




