第二章第六話「手のひらに花を」
上位貴族のみを集めたパーティとは、なかなか攻めた選択をしたものだ。少数の方が護衛しやすいというのは分かるのだが、上位貴族のみとなるとより狙われる可能性は高まる。
リズからの手紙によると、このパーティの詳細は下位の貴族には一切知らされていないらしい。第三王子が次期国王となることを支持してもらうための場らしいが、どうにもそれだけにしてはリスクが高すぎるように思える。
もしかすると、上位貴族の中にネームレスにつながる人間がいると踏んでいるのだろうか。いくらなんでも、あの襲撃はできすぎていた。情報を横流しにしている者がいてもおかしくはない。
イリアとしては、ギーべラント公爵家には出席しないでもらえた方が良かったが、第三王子を支持している公爵家が出席しないわけにもいかないのだろう。
「それで、卿はアリス様からありがたく二度もエスコートを賜ったことを私に自慢しにきたということか?」
足を組んで椅子に腰掛けているリリメルは、鋭い視線をイリアに向けた。
「ちっ、違います! マナーとか、色々教えていただきたくて……リリメルさんみたいな雰囲気が出せれば、護衛としても申し分ないと思うんです」
「冗談だ。卿がアリス様の品格を落とすようなことは絶対にあってはならない。言われなくとも、しごきあげるつもりだった。しかし、アリス様自らとは……卿には、覚悟はあるのか?」
「……? 何のですか?」
リリメルは自分の手をぎゅっと握りしめると、しばらくして口を開いた。
「まぁ、今はいい。私から言うべきことではないからな。稽古は引き続きやるつもりだ。全てをこなせ。アリス様のために」
「はい!」
リリメルの提案で、体力作りに特化することになった。さっそく屋敷の周りを走る。この時に腰に錘を結びつけることにしたのだが、重みが増えただけでも削られる体力が全く違う。
まるで強風が吹いている日のように、前に進めないのだ。いつもの倍は時間をかけて走り込みを終わらせると、昼過ぎを回っていた。
時間がない。素振りを千回した後にリリメルにサンドバッグにされ、身体はぼろぼろだ。
ここから騎士道やマナーを学ぶと考えただけでも、地獄のスケジュールだった。
「まず、その姿勢を直せ。卿はそこまで姿勢が悪いわけではないが、アリス様の横に立つのであれば背筋を真っ直ぐ伸ばし、堂々と歩く必要がある」
「あの、これで歩くとか可能なんですか……?」
「人間にできないことをやらせるわけがないだろう」
頭の上に数冊の本を乗せて、イリアはちまちま歩き始めた。慎重に歩かなければ落としてしまいそうだ。アリスは椅子に腰掛けて、じっとイリアとリリメルの様子を見つめている。
「アリス様はできるんですか?」
軽い質問のつもりだったのだが、リリメルにものすごい形相で睨みつけられた。
「……まぁ、それくらいなら」
アリスが立ち上がって自分の頭に本を乗せると、まるで何も乗っていないかのような軽い足取りで歩き始めた。凄い。きっと、もっと幼い頃からやっていたのだろう。
イリアがアリスの歳の頃なんて、自分の好きなことばっかりに熱中して他のことは何にもやっていなかった。
貴族と平民では、幼い頃から積み重ねてきたものが違うのだと思い知らされる。
「初めてなのですから、できないのも無理はありませんわ。毎日やっていれば自然と身についていくものですので」
「凄いですね……。頑張ります!」
アリスに負けてはいられない。イリアは、気合いを入れ直した。
「あとは騎士道で教えたことと同じようなものだ。アリス様が馬車から降りられる際や入場される際にサポートをすれば良い。アリス様。そういえば、ダンスはされないのですか? 王城の催事はそういう意図のものではないことは存じておりますが、来週は……」
「しませんわ」
「背丈をお気にされているのであれば、旦那様にヒールの高い靴を……」
「しませんわ」
アリスがきっぱり言い切ると、リリメルも食い下がった。ダンスまでやるとなるとさすがにイリアの負担が大きすぎることもあって、その言葉を聞いて内心ではほっとする。
今更だが、何かプレゼントを準備した方がいいのではないだろうか。しかし、アリスの好きなものが全く分からない。こういう時、本人に聞いていいものなのかもイリアには分からなかった。
「では、今日はこのくらいにしておこう。先ほどからぼーっとしているようだが、どうかしたか?」
「い、いえ。何でもないです……」
結局聞けなかった。途中からずっとプレゼントのことに頭を働かせていて話半分になってしまったし、早いところ決めなくては。
部屋に戻ってから、イリアはアリスに何を贈るか本格的に考え始めた。公爵家はかなり給料を出してくれているため、何かを買うのには全く困らないだろう。
前に王都でリズが見ていたワンピースさえも買えるほどの大金が、手元にあった。
しかし、公爵家からいただいたお金でアリスに何かを買うのも何だか違うような気がする。それに、護衛の仕事をしながらどこかに出かけるのは難しいだろう。
ずっと頭を悩ませている間に、瞼が重くなってきた。時計の針は、深夜三時を指している。
何度も扉を叩くような音が聞こえてきた気がした。起きなければという意識とは裏腹に、意識は深い深い夢の中に沈んでいく。
その瞬間、扉が勢いよく開かれた。鍵の壊れる音に目を覚ますと、アリスが焦ったような表情を浮かべてイリアの胸に飛び込んでくる。
「……もう。何度も、何度も呼んでいるのに反応がないから。何かあったんじゃないかって……」
「……すみません。寝坊しちゃって」
いつの間にか、朝の七時になっていた。いつもは早朝にアリスを迎えに行っているから、かなりの遅刻だ。
イリアを心から心配してくれているアリスには申し訳ないが、ここまで純粋な気持ちを向けられることに少し喜びを感じていた。
安心させようとアリスの頭を優しく撫でる。柔らかい紫髪が手に馴染む。まだ幼いからか、元々の髪質なのか、さらさらで艶のある髪にイリアは驚いた。
「……子供扱いしないでください」
アリスは小さくそう呟くと、イリアの胸元からゆっくりと顔を離した。
「……アリス様は、何か欲しいものとかありますか? 本当は、昨日聞けたら良かったんですけど。何がいいかと色々悩んでいたら、いつの間にか夜中になってて……寝坊しちゃったんです」
「別に、欲しいものは特に……。では、私の誕生日にお願い事を三つ聞いてください。それで十分ですわ」
そんなことでいいのかと思ったが、アリスは満足そうにしている。色々な物を貰い慣れていることもあって、今更物欲もないのだろうか。
「リリメルさんになんて言えば……」
「何も言う必要はない。全て見聞きしていたからな」
壊れた扉の向こうから、リリメルが入ってきた。イリアが目を丸くしていると、何を驚いているのかとでも言いたげな表情を浮かべて、アリスのそばに腰掛ける。
「私がアリス様を一人にするわけがないだろう。それに、アリス様ではあの扉をこじ開けられない。それにしても、アリス様をここまで心配させるとは。随分とでかい男になったものだな」
「……リリメル」
アリスがリリメルを睨みつけると、リリメルはそれはそれは嬉しそうに頬を緩ませた。アリスと二人きりでいる時間を作れたからか、機嫌が良いようだ。
それが良かったのか悪かったのかよく分からないが、ひとまず怒ってはいないようで安心した。
「本日はマナーのみに絞ることにしよう。アリス様のお誕生日も近いからな。とりあえず、卿は準備を済ませろ。アリス様、一旦部屋を出ましょう」
「あ、あの!扉はどうすれば……?」
イリアが壊れた部屋の扉に視線を向けると、アリスがリリメルに目配せした。
「では、私は先に部屋にて待っております。アリス様は彼と共にいらっしゃってください」
リリメルが大人しく部屋を後にする。何か始まるのだろうか。アリスが扉にそっと触れると、地面に散らばっていた破片がみるみる戻って行き、やがて何事もなかったかのように元に戻った。まるで、時間を巻き戻したかのように。
「……アリス様、それって」
「見ての通り、時間を少しばかり戻しましたの」
アリスは淡々とした口調で、とんでもないことを言い出した。
「……そんな魔法があるんですか?初めて見ました」
「回復魔法と性質は少し似ていますわね。干渉が少ないものであれば、簡単に戻せますわ」
回復魔法もそのような原理だったのか。エリザに今度ぜひ聞いてみたいほど興味深い話だ。
しかし、時間を巻き戻すとは。仮に世界中に大規模魔法陣を作ったとすれば、その空間の時間を丸ごと巻き戻せるのだろうか。
「それって、過去に戻ることも可能ってことですか?」
「『干渉が少ないものは』と言ったでしょう。魔力が全く、またはほとんどない物体しか戻せませんの。仮にできる人がいたとしても、全体の時間を戻せば過去に戻ったことすら忘れてしまうと思いますわ。どちらにせよ、私には使えませんけれど」
そう都合よく使えるものではないということは分かった。
しかし、仮にそれが実現できた場合、魔法を使った本人はどうなるのだろうか。まだまだ謎は多そうだが、そこまで深掘りして欲しくもなさそうな雰囲気なので、やめておくことにした。
一週間の訓練を経て、少しだけ様になってきた。小さな催事であるから緊張する必要はないとアリスに言われたが、初めてのことにはやはり緊張する。
準備を済ませたアリスが部屋から出てくると、イリアはその場で呆然と突っ立った。
いつもよりもスタイリッシュな白いドレスで、袖周りは透け感のあるレース素材だ。それに今日はおさげでなく、髪を下ろしている。結局ヒールの高い靴を履いているようで、いつもよりも大人っぽく見えた。
「……何か言うことはありませんの?」
「その、とてもお綺麗です」
アリスは、はにかんだような笑みを浮かべた。
二人で大広間まで歩いていく。アリスの雰囲気が普段と違うからか、変に緊張してしまう。大きな扉の前で小さく深呼吸をした。左腕を曲げて空間を作ると、アリスがそっと手を添える。
扉が開かれると、公爵や使用人、騎士団の人がちらほら集まっていた。華やかな装飾に、綺麗な食事が並べられている。奥の方にはアリスへのプレゼントだと思われる大量の箱の山が置いてあった。
「アリス、お誕生日おめでとう。私からはアクセサリーを数十点贈るよ。既にアリスの部屋に運ばせてある。あそこにある箱は、全てリリメルからのものだ。少し多すぎるけど……後でお礼を言っておきなさい。それと、今年はリオ殿下からもいくつか……」
「ありがとうございます」
さすが公爵家だ。スケールが違う。それにしても、騎士爵がここまで大量のプレゼントを贈れるものなのだろうか。リリメルのことだから、アリスにはそれなりに良いものしか贈らないだろう。
純粋に、彼女であれば自分の生活を削ってプレゼントを購入していてもおかしくはないため、なんだか心配になる。
いつの間にかアリスはリリメルに声をかけに行っていたらしく、顔を歪めて戻ってきた。
「ちょっとお礼を言いに行っただけですのに、あんな小言まで……」
「何を言われたんですか?」
「別に、大したことではありませんわ」
アリスはイリアから目を逸らし、席についた。公爵が杯をあげると、皆がアリスに注目して祝いの言葉をかける。
恥ずかしげながらも嬉しそうなアリスの姿を見て、イリアは心が温かくなった。
歓談しながらの食事が終わると、メイドが食器類を片付け始める。
袖を引っ張られているような感覚に横をちらりと見つめると、アリスがこちらをじっと見つめていた。
「少し、付き合ってください」
アリスに連れられて外に出ると、人気の少ない裏庭にぽつりと置かれているベンチに腰掛けた。
「私が今から何を言っても、心の中に留めておくこと。それが、一つ目のお願いですの」
「はい、分かりました」
イリアが返事をすると、アリスが手を差し出してきた。どういう意味だろうか。何となくアリスの真似をして手を差し出してみると、手のひらに花で作られた小さな指輪が置かれた。
以前、アリスに花冠を作った時の花と全く同じだ。あの時にアリスが隠したのは、どうやらこれだったらしい。
「これ、あなたにあげますわ」
「え、ですが今日はアリス様の誕生日で……」
「二つ目のお願い。貰ってください」
イリアが素直に受け取らなかったせいで、二つ目のお願いを使わせてしまった。大人しく花の指輪を受け取ると、月にかざしてみる。白い花びらが優しい月のあかりに照らされて、きらきらと輝いた。
「あの暗殺者の男性と話していた時、本当に私のせいで何もかも失ってしまったんだって思い知らされましたの。今でも、やっぱりそう思っています。でも、死にたいとは思いません。楽な道に逃げてしまっては、罪は償えませんから」
「……罪だなんて」
それが、アリスの罪だと言い切れるものなのかはよく分からない。しかし、アリスがそれを自分の罪だと思っているのなら、何も知らないイリアが否定するのは無責任なような気がした。
「あなたはひ弱で気遣いもできないし。正直、どうしてこんな人が派遣されたのだろうと初めは思っていましたの。けれど、今はそんなことありませんわ。勇気があって、お節介で、その……王子様みたいで、かっこいいと思います」
あの時アリスを助けたのは暗闇であって、イリアではない。過大評価だ。だが、少なくともアリスにはイリアが救世主のように見えたらしい。
それは気恥ずかしくて、でも、今までに貰ってきた言葉の中で一番嬉しくてたまらないものであった。助けられたイリアが、人を助けられるようになったことを改めて実感する。
「そこまで真っ直ぐに言われると、何だか恥ずかしいですね。ありがとうございます」
頬を赤らめるアリスがイリアの肩に頭を寄せると、眠りに入る前のような穏やかな呼吸が聞こえてきた。
「……三つ目のお願い。今度からは、子供扱いしないでくださいね」
そう言って、アリスは柔らかい笑顔でイリアの頭をわしゃわしゃと撫でる。
イリアは、大人びたその笑顔をじっと見つめていた。月あかりに照らされた彼女は、やけに美しかった。




