第一章第一話「毒花」
喉が焼けるように痛む。イリアは涙を流しながら、這いつくばって川へ近づいていった。川に顔をつけて水を飲むと、幾分か痛みが引いていく。
「よかった……大丈夫?」
声がした方向に視線を向けると、イリアの隣にいつの間にか女性が座っていた。
黒縁の眼鏡の奥から、透き通った瞳がイリアをじっと見つめている。身につけている服は、この村で見かけるものより明らかに上等で、胸元のブローチが煌びやかに輝いていた。
彼女はイリアの縄の跡や泥だらけの服に目を向けたが、表情ひとつ変えずに口を開く。
「オルレ村に、魔法に詳しい子がいるって聞いて来たんだけど……」
「……人違いです」
「そう?じゃあ、質問を変えようかな。君、魔法は好き?」
首を傾げ、彼女は興味深そうにイリアを見つめる。
「……」
何が目的でイリアを探していたのかは分からないが、勝手に期待されて、勝手に失望されることにはもううんざりだった。
イリアは、この村にいる誰よりも魔法を理解し、センスにも恵まれていた。魔力量さえ人並みにあれば、王国屈指の魔法使いになれていたかもしれない。しかし、魔力に恵まれなかったイリアはその土俵にすら立てなかった。
村の人々から見捨てられた今、思い出すことでさえ嫌になるほど魔法を憎んでいる。それなのに、嫌いにはなれないのだから皮肉なものだ。
「私はね、正直あんまり好きじゃないかな」
「……どうしてですか?」
「ん?気になる?」
片目をつむり、いたずらな笑みを浮かべた彼女は顔にかかった長い銀髪を耳にかけた。
指を穏やかに流れる川に通すと、イリアの顔にぴゅんっと水をかける。間抜けな顔でイリアが彼女を見つめると、彼女はしてやったりと笑った。
「秘密。君だって言いたくないんでしょ?誰にだって言いたくないこと、言えないことはたくさんあるよ。それでも仲良くなれるんだから、人間って不思議だよね」
「仲良く……」
水面に映る自分の顔を見つめながら、今までに誰かと仲良くできたことがあっただろうかとイリアは記憶を手繰り寄せる。
昔はそれなりに村の人とも打ち解けていたはずだ。いつからか、あの失望と呆れが混じり合った目を向けられるようになった。
彼らが元はいい人であったとしても、その瞳をイリアはどうしても忘れることができない。
「人が怖い?」
「……自分でも、よく分かりません」
「そっか」
彼女の瞳は、どこまでも遠くを見ているようだった。
「多分僕は、人と話すのが向いてないんです」
「そんなことないよ。現に、私とはこうしてお話ししてるわけだし……。
君には、ちょっとしたきっかけが必要だっただけなんじゃないかな」
水の流れる音だけが、二人の間に残っていた。
彼女の表情は、たった少しの会話の中でころころと変化していく。人とまともに話すのは数年ぶりだったが、イリアは不思議と彼女に嫌悪感を抱かなかった。
心を許すまではいかなくとも、彼女の瞳には「イリア」が映っている。久しぶりに一人の人間として扱われたような気分は、イリアの心を穏やかにした。
「そういえば、自己紹介が遅れたね」
彼女は姿勢を正すと、イリアに晴れやかな笑顔を見せる。
「私はリズ。君は?」
「……イリアです」
「イリア君ね。ちょっと失礼」
リズは、くっきりと残ったロープの跡へ指を伸ばした。指先から、温かい魔力がイリアの身体を伝い始める。魔力がゆっくりと全身に巡り、首の傷が少しずつ薄くなっていった。
──回復魔法だ。
扱える者は少なく、制御も難しい非常に貴重な魔法だと、魔法史の本で読んだことがある。
リズに視線を向けると、よほど集中していたのか汗が頬を伝っていた。
「ごめんね。回復魔法は得意じゃないから、完全には治してあげられないんだけど」
「……ロープを焼き切ったのも、あなたですよね。なんで、そんな余計なこと……僕は、死にたかったのに」
「んー、なんでだろう。そういうの、なんか放っておけないんだよ」
回復魔法は、消費魔力も相当多いと聞く。見ず知らずのイリアのために、リズがそこまでしてくれる理由がイリアには全く分からない。
彼女の考え方は、非合理的だ。それは献身的とも言えるが、人からの優しさに不慣れなイリアには少し怖かった。
「……リズさんは、何者なんですか?」
「十一魔賢が一人、リズ・ベルベット。イリア君に力を貸して欲しくてやってきた魔法使いだよ。
って言っても、あんまり畏まらないでね?今の私は、ただのリズとして君と話してるわけだからさ」
十一魔賢。
その名を知らない者は、この国にはほとんどいない。国王直属の魔法使いであり、彼らが扱う一際洗練された魔法は、イリアを含め多くの人を魅了している。
イリアは、先ほどまでの穏やかな気持ちが灰になっていくのを感じた。リズから見れば、自分など取るに足らない存在なのだろう。イリアが何に苦しんでいるのかを知らないからこそ、彼女は何の悪意もなく正体を明かした。
それでも、不安な気持ちはどんどん膨らんでいく。彼女も、心のどこかでイリアを馬鹿にしているに違いない。それか、哀れみだ。頼んでもいない哀れみの目を向けられていたとしたら、たまったものじゃない。
「十一魔賢……」
イリアはリズから目を逸らすと、彼女から数歩距離を置いた。
「傷を治してくれたことは感謝してます。でも、他を当たってください」
「……えっと、なんか怒ってる?ごめんね。私気が利かないからさ。ただ、イリア君と友達になりたくて」
「友達どころか──僕はもう、あなたに関わりたくない」
イリアは、自分でも驚くほどの怒気を声に滲ませた。
「さっきまで、楽しくお話してたのに。どうしてそこまで……」
リズの顔に困惑と悲しみが浮かぶのを見て、胸が苦しくなった。リズは何も悪くない。イリアは、全く関係のない彼女にやるせない気持ちをぶつけることで、楽になろうとしていた。そんな自分の愚かさに気づくと、罪悪感でどうしようもなくなってしまう。
イリアの心は、常に揺れていた。
あまりにも不安定すぎて、自分でも何がしたいのかよく分からなくなることがある。
「……すみません。リズさんが悪いわけじゃないんです」
イリアは、リズから目を逸らして続けた。
「ただ、僕はあなたが羨ましい。才能があって、認めてもらえて、余裕もあって。それは、僕が一番欲しかったものなのに……」
「私が、羨ましい。そっか。そうだよね……」
リズは寂しそうに笑うと、空を見上げて何かを呟いた。光の蝶が空を舞い上がり、淡い光が二人を温かく包み込む。
「私以外もそうだけど、魔法に愛されすぎるっていうのも辛いことなの。まぁ、そんなの言われたところで分からないと思うけどさ。十一魔賢も、いいことばっかじゃないんだよ」
揺れる瞳が、イリアを厳しく見つめる。白い手が、イリアの頬を優しく触った。リズの顔が近づき、思わず目を瞑ると互いの額がこつんとぶつかる。
彼女が触れた頬が、額が、ひどく熱を帯びていった。
「ごめんね、変なこと言っちゃって。でも、羨ましいなんて言わないで。お願い」
体温が、額を通して伝わってくる。
心臓が、破裂しそうなほど激しく脈打っていた。
リズが触れた頬から全身に熱が伝っていくような感覚に、イリアは彼女から目が離せない。
「……本当に、何なんですか」
「仲直りするためのおまじない。私と友達になってくれる?」
リズの瞳は、真剣だった。
魔法の知識を通してではなく、その瞳はイリアという一人の人間を見つめている。そのことに胸が熱くなっていく。
「……知り合いくらいなら」
可愛げもなくイリアがそう答えると、リズははにかむような笑顔を見せた。彼女を知りたいと思う気持ちが募るのを感じながら、高鳴る胸を強く強く抑える。
太陽のような彼女との出会いは、間違いなくイリアに呪いをかけた。
初めまして、海倉レノと申します。
人生初の小説投稿ということで、とても緊張しています……!まだまだ至らぬ点も多いかと思いますが、ぜひ次話からも継続して読んでいただけたら嬉しいです。
普段は学業に励んでいるため、更新が不定期になることもあるかもしれませんが、夏休み期間にはたくさん更新していきたいと思っています。
これからイリアたちの物語を、どうぞよろしくお願いいたします!




