第二章第四話「純粋」
「後ろには戻れるのに前には進めないなんて、ちょっと変じゃない? 目的が全く分からないんだけど」
試しに後ろに戻ってみたところ、何の障害もなくループから抜け出すことができた。しかし、前に進もうとすると話が変わってくる。いくら歩いても絶対に前進できないのだ。
これがネームレスの仕業だった場合、閉じ込めるのではなく帰れるようになっている理由が分からない。一体、何のための障害なのだろうか。
「……多分だけれど、私たちを拒絶しているんじゃないかしら。色々あった後だし、特に知らない人と顔を合わせたくないんだと思うわ……」
「第二王子殿下がやってるってこと?ちょっと情報が少なすぎない?」
「……そうね。でも、この魔法には見覚えがあったし何となくそう思ったの……」
ローズはこの現象に見覚えがあるという点が気になったが、今はそれを置いておくことにした。安全が完全に確保されたわけではない。これ以上先に進めないからといって、諦めるわけにもいかなかった。
断定するにはまだ早い。けれど、少なくとも閉じ込めたり傷つけたりする意思は感じられなかった。殺すことが目的なら、わざわざ帰れる道を残す意味が分からない。そのことを踏まえると、第二王子が関わっている可能性は十分にある。
「じゃあ、どうすれば前に進めるのかも分かるの?」
「……分かるけれど、無理やり突破するのは可哀想だわ……お願いして、通してもらいましょう……」
ローズは、どこを起点にループが起きているのかを探り始めた。しばらくして歪みが起こっている場所を見つけ出すと、ちょこんとその場に腰掛ける。
「……私たちは、あなたに危害を加えるつもりはないわ。顔を合わせたくないなら、それで構わない……部屋に入ろうなんて、思ってないもの。……通してくれないかしら?」
「……」
返事がない。しかし、ローズはその場でずっと座って待つ気のようだ。リズもゆっくりと腰掛けた。
「ねえ、ローズ。流石に長くない?」
「……もう少しだけ、待ってみましょう」
うたた寝から目を覚ますと、ローズの肩に寄りかかっている。眠気も覚めて、急いで顔を上げた。
胸元のポケットから懐中時計を取り出して時間を確認する。どのくらいが経ったのだろうか。
「え」
驚いたことに、待ち始めてからすでに三時間も経っていた。
「ねえ、ロー……」
リズが口を開いた瞬間、ローズが静かにするように促した。
「……本当に、通すだけでいいの?」
「……約束するわ」
そんな約束をしたら、後から後悔するに決まっている。ローズは第二王子の護衛を任されているのだから、顔も合わせずに護衛なんてできるわけがない。
ここは彼と向き合って説得するのが最善だろう。しかし、口を挟めそうな雰囲気でもなかった。
「……分かった」
その声が聞こえると、ローズが立ち上がった。何が変わったのか分からないまま廊下を歩くと、先ほどとは違う景色が目に入る。
おそらく第二王子の部屋だと思われる一際立派な扉の前をローズは通り過ぎて前に進んだ。
「このままでいいの? それに、護衛をしなきゃいけないのにあんな約束」
「……無理強いする必要はないわ。今は城内の見回りに集中しましょう……」
それからは、何の邪魔もなくスムーズに見回ることができた。前日まで厳重な警戒体制が敷かれていたこともあり、怪しいものが仕掛けられている様子もない。
少なくとも、今のところは安全だと言えるだろう。自分の部屋に戻ってから、リズは椅子に腰掛けて深いため息をついた。
ずっと動き続けていたからか、疲労感がとてつもない。今日は少しうたた寝してしまったが、それでも身体は全く楽にならなかった。
重い身体を引きずるようにして寝る準備を済ませると、あっという間に泥のような眠りについた。
「お兄様と話し合って、僕が次期国王として立つことには合意を得たよ。しかし、やはり反対する勢力がいることは変わらないだろう。そこで、多数の貴族を招待したパーティを開こうと思っている。この状況だからこそ、国はまだ健在であるということを示す必要がある」
眠い目で聞いていたが、後半になかなかとんでもない話が聞こえてきてリズは目を見開いた。ゾラは相変わらず笑顔を浮かべているが、その笑みはいつもと違う。
明らかに、イラついている時のそれだ。
「無事にお話がまとまったようで幸いです。ですが、パーティというのはまた急すぎるような気がするのですが。私たち十一魔賢を信頼してくださっているということであれば、これ以上にない光栄にございます。ただ、そのような機会は格好の的。未知の敵に絶好のチャンスを渡すようなものでしょう」
「その懸念については、僕も分かっている。しかし、まずは貴族をまとめ上げる必要があるだろう。現国王陛下のように皆からの信頼を得なければ、王国は建たない」
第三王子の言い分も分からなくはない。だが、現実的な案ではない。安全面でもそうだし、何よりまだ王城は復旧作業の途中だ。半分ほどが崩壊したばかりで、パーティを開けるような状況ではない。
「……失礼を承知で申し上げますが、私たちからは賛成いたしかねます。よくお考えください。それと、殿下にはリズを護衛として付けさせていただきます」
「早急にことを進めるつもりは僕にもないよ。ゾラの言う通り、もう少し考えよう。では行こうか。たまには口うるさいゾラよりも友人と語りたくなるものだね」
第三王子はリズに目を向けると、にこやかな笑みを見せた。
「リオ殿下、ゾラとローズの前であんな風に言わないでください。ゾラの恨みを買うのは私なんですけど……」
ゾラからちくちくとした視線を受けながら部屋を後にし、リズはため息をついた。青い瞳をこちらに向けて、リオは煌びやかな金髪を揺らす。
「ああ、それはすまなかったね。そういえば、少し前までギーべラント家にいたらしいね。アリスはどうだった?」
「さすがに私は顔を合わせてませんよ。でも、私の派閥の子とは仲良くなれたみたいでした。少しずつ、前に進めていると思います」
リオは微笑むと、胸元から取り出した小さな箱を大切そうに撫でた。
「……これはね、昔、アリスから貰ったものなんだ。これがあれば、僕はずっと前を向ける。初めて会った時は、僕よりも幼い彼女を見て正直不安の方が大きかった。けれど、そんな不安はすぐに吹き飛んだよ。アリスは僕よりもずっと頼もしい」
彼が柔らかい笑みを見せるのを、リズは黙ってじっと見つめる。
「お父様たちに言われて一度婚約は破棄してしまったけれど、アリスが幸せでいられる国にできたら僕にもまたチャンスはあるかな……」
「……殿下って、本当に一途ですよね。その気持ちをもっと素直に伝えていれば、アリス様もここまでひねくれなかったんじゃないですか?」
失礼なことを言った自覚はあったのだが、リオは全く気にしていないような様子で笑った。
「アリスには僕がどう見えていたか分からないけど……彼女の前だと、恥ずかしくてそんな事言えなかったんだよ。リズには好きな子とかいないの?」
「好きな人……私は、みんな大好きですよ」
「なるほど。リズはまだまだお子さまだね」
どうやら馬鹿にされているらしく、リズは頬を膨らませた。十五歳で人生百年目のような風格を出しているリオの方がよほどおかしいと思うのだが、さすがにそれを口にするのは不敬にもほどがある。
ぐっと言葉を堪えて、リズは気持ちを切り替えた。
「もしかして、殿下が焦っていらっしゃるのはアリス様のためですか?」
「……確かに、僕は焦っているのかもしれないな。アリスを守るためなら、僕を嫌っている貴族に頭を下げることなど造作もないと思っているくらいには」
「大規模なパーティを開くとなれば、ギーべラント家は招待必須でしょう。アリス様を危険に晒したくないなら、尚更慎重に判断した方がいいですよ」
リズの意見を聞いて、リオは小さく頷いた。国王になるということは、誰かの恨みを買うということだ。関わってもいない大昔の歴史をも背負い、時には理不尽な運命を受け入れなければならない。
そんな危険な立場を志しながらも、幸せを願う彼の在り方はとても美しく思えた。
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ローズは、昨日訪れた廊下に来ていた。約束したからか、あのループにハマることなく前進することができる。
一際大きい扉の前にちょこんと座ると、ローズはこれからどうするべきなのかを考え始めた。
護衛をする上で、顔を合わせなければ危険が多いことは事実である。しかし、本人が嫌がっている中で無理に顔を合わせるのもどうかと思っていたのだ。
昔は人見知りで控えめだったからこそ、ローズには彼の気持ちがどことなく分かる気がした。
「……自分の身は自分で守るから、放っておいてください」
そんな声が聞こえてきた。
「……あれは、転移魔法の応用でしょ? 人の目で視認できないような微小なゲートを設置して、その道を通った瞬間に転移する……あんな子供騙しじゃ、自分の身なんて守れないわ……」
「それは、そうだけど……」
扉越しであるからか、第二王子の声には落ち着きがあった。第三王子は自分に自信がありそうな雰囲気を放っており、年齢よりも大人びて見える。第二王子はまだ分からないが、話し方や声のトーンからは子供らしさを感じた。
確か彼は十八歳とのことだった。しかし、人との接触を避けていたせいか、その言葉にはどこか拙さが残っている。
「……見覚えがあるって言ってたよね? 正直、こんな魔法の使い方をする人なんて僕ぐらいだと思ってた。どうして知ってたの?」
思いの外、こちらに興味を持ってくれているようだ。第二王子も、本当のところ人と話すことが嫌いなわけではなさそうに思える。
「……私がまだ十一魔賢になる前、誰にも会いたくなくて屋敷中に色々仕掛けていたの……結局、無理やり魔賢会談に連れていかれちゃったけど……」
「十一魔賢になったことを後悔してる?」
「……最初は、後悔していたかもしれないわ。私の場合、知らないうちに就任が決まっていたから……でも、今はそんなこともない。小さかった世界が、少しだけ大きく見えるようになったもの……」
第二王子はしばらく静かになった。眠ってしまったのか、話し疲れたのかは分からない。
正直なところ、第二王子の護衛を任されたことにローズはほっとしていた。もちろん不安もあるけれど、護衛をするなら第二王子がいいと思っていたのだ。
ローズも、昔から人と話すことが得意ではない。それは自分自身でも分かっていて、あのやけに眩しい次期国王を相手にしたら、気疲れしてしまいそうな気がした。
彼には悪いが、あの眩しすぎる笑顔を向けられ続けるのは、どうにも疲れてしまう。
「僕も、変われるかな。この部屋から出て、みんなと顔を合わせて話せるように……なりたい」
「……きっと、なれるわ」
第二王子が引きこもりだったのは随分前からだ。やろうと思ってすぐにできるようなことではないだろう。しかし、彼がそうなりたいと思うこと自体にはローズも少し嬉しくなるのだった。
「……そっか。じゃあ、その。僕に、人と上手く話す方法を教えて欲しいんだけど」
「……え」
内気で大して人と話すことが得意ではない。そんなローズが会話を教えるという、前代未聞の事態が発生した。




