第二章第一話「勘違い」
ネームレスと名乗る組織による襲撃の後も、イリアはギーべラント公爵家に待機することになった。
というのも、彼らがまたいつ動き出すか分からないからだ。何かが起きてからでは遅いため、即時警備を強化する必要がある。本来であればリズが残る予定だったのだが、王城で起こった大爆発のために彼女は駆り出されてしまった。
先日の襲撃と同時刻、王城でも何者かによる攻撃があり、甚大な被害が出ていたのだ。
ネームレスはこの日のために、念入りに準備を進めていたらしい。複数の貴族家が襲撃を受け、さらには王族にまで被害が及んでいた。
それに加えて戦いが終わって以来、暗闇が全く出なくなってしまったのだ。そんなこともあって、イリアは自分が残ることへの不安があった。
「……聞いていますの?」
紫髪をおさげにした少女──アリスが、イリアの顔をじっと見つめて頬を膨らませた。実のところ、イリアが残ることになった最大の要因は彼女にある。
「すみません、アリス様。もう一度言っていただけますか?」
「別に、大した話ではないので二度も言う必要はありませんわ」
明らかに拗ねてしまったアリスを前に、イリアは彼女と関わることの難しさを痛感していた。
アリスが公爵にイリアのことをペラペラと話してしまったことから、ギーべラント家内でイリアはとんでもなく強い奴として見られることになってしまったのだ。
そのこと自体には若干嬉しい気持ちもあったのだが、その期待は今のイリアにはあまりに重すぎた。
どんよりとした気持ちに押し潰されそうになっていると、アリスがイリアの裾を引っ張る。両手をあげて、幼い子供のように抱っこをおねだりしてきた。
襲撃の後から、アリスはずっとこんな調子だ。
不安な気持ちが残っているのかもしれないが、流石にそう何度も抱き上げているとイリアの疲労も跳ね上がる。
「……その、アリス様。今日だけでもう五回は……」
「……そうですわよね」
寂しそうな表情を浮かべられてしまっては、イリアも断れない。アリスを抱き上げると、彼女は満足そうにイリアの首に腕を回した。
心を開いてくれたのはいいが、少しくっつきすぎな気がする。リズもローズも距離感はわりと近めなタイプであるけれど、エリザはそんなことはない。エリザが普通なはずなのだが、普通ではない人が多すぎてイリア自身もよく分からなくなっていた。
「……何か不安なことでもありますの?」
「分かるんですか?」
「それなりには」
アリスはイリアの胸元に顔を寄せると、小さく呼吸をした。またもや顔に表れていたのかもしれないが、そこをアリスが触れてくるのは少し意外だ。以前のアリスなら、こんな内面に触れるようなことを聞いてくることはなかっただろう。
「僕があの時に使った力が、上手く出せなくなってしまったんです。護衛として残っていて、屋敷の方々にも評価をいただいているのに、何にもできない自分が嫌で」
「そう」
「……あの、本当に分かってますか?僕、戦えないんです」
「別に構いませんわ。そんなことを言ったって、あの時私のそばにいたのがあなたであることは変わらないでしょう。まだ起きてもいないことよりも、起こったことに目を向けなさいな」
アリスの妙に大人びた言葉は、イリアの心を不思議と軽くした。彼女なりに気を遣ってくれている……というわけでもなさそうだ。素直な言葉だということが分かるからこそ、胸が温かくなる。
「アリス様はお優しいんですね」
「……そんなことありませんわ」
何かを考えるように、アリスはそっと目を閉じた。
「……あの部屋は、無くすことにしましたの」
あの部屋。きっと、書斎の隠し部屋のことだろう。大切な場所だったのではないだろうか。
「……アリス様は、それでいいんですか?」
「ええ。残していても、いいことはありませんから」
イリアにはアリスの気持ちはよく分からない。しかし、それは彼女なりのケジメの付け方なのかもしれない。それなら、これ以上他人が口を挟む必要はないだろう。
「先ほどの話ですけれど、あなたがどうしても実力不足が気になると言うなら力をお貸しすることはできますの」
「……どういうことですか?」
アリスに連れられて、イリアは公爵の執務室の前に来ていた。嫌な予感がする。アリスが自信満々そうにしているからかもしれない。彼女が扉をノックすると、公爵の「入りなさい」という重みのある声が聞こえてきた。
「アリスか。すまないが、今はまだ王都の収拾で忙しくてね。手短に頼むよ」
「我が家で一番優秀な騎士を、彼の講師として就けていただきたいのです」
何を言い出すのかと思えば、あまりにも突飛なお願いだ。イリアのためであっても、流石に今の状況でそれは聞き入れてもらえないだろう。公爵はこちらに視線を向けると、少しの間黙り込んだ。
「彼には感謝しているけど、今はそんなことをしている余裕は……」
「それは分かっていますわ。きちんと先生をしていただかなくても結構です。彼を、騎士団の稽古に混ぜていただけないでしょうか?」
公爵はしばらく考え込んだ後、ため息をついてアリスをじっと見つめた。
「騎士団長のリリメルに聞いてみなさい。彼女が許可するなら構わない。でもね、アリス。彼を気に入ったのは分かるけど、あまり迷惑をかけちゃいけないよ」
「迷惑なんて、かけておりませんわ」
「そうかい?執事とメイドから色々話は聞いているよ。四六時中彼に付き纏っているらしいじゃないか」
アリスは顔を歪めて、そばにいた執事を睨みつけた。八つ当たりにもほどがある。しかし、執事は温厚な笑顔でアリスの小さな攻撃を受け流していた。
「……分かりましたわ」
全く分かっていなそうな表情で、アリスは渋々そう口にする。流れるように色々と決まってしまったこともあり、イリアは完全に話に取り残されていた。
棒のように立っていると、公爵はイリアに目を向けた。
「アリスが色々とすまないね。迷惑をかけることも多々あるだろうに」
「いえ、全然そんなことは……」
アリスの顔色を伺いながらそう答えると、室内の雰囲気が急に一変した。公爵の厳しい視線に、腰が抜けそうになる。
「ところで、君はアリスをどう思っているんだい?」
「お父様!」
「アリスは黙っていたまえ」
色々と勘違いされていそうな雰囲気に、イリアは言葉が上手く出てこなかった。弁明とかではなく、正直に言えばいいだけだ。変に頬に汗が伝う感覚を抑えて、自分を落ち着かせる。
「……アリス様は、きちんと皆さんに目を向けていらっしゃる優しい方だと思います。一人で抱え込みすぎてしまうところは、少し心配ですが」
「なるほど。容姿はどう思う?我が娘ながらなかなか可愛らしいと思うのだが」
「……そうですね。とても、愛らしいと思います」
アリスは、気恥ずかしいのかそっぽを向いた。公爵は満足したらしく、こくりと頷く。執事に促されて部屋を退出すると、緊張感からどっと解放された。
「アリス様。その、騎士団って……」
「気安く話しかけないでください」
ツンツンとしたアリスの態度に、イリアはため息をついた。やはり難しい。ここまで態度がころころと変わる人間に、今まで会ったことがなかった。
仕方がないので一人で歩き始めたアリスの背中について行くと、騎士団だと思われるメンツが稽古に励んでいる。空色の髪をポニーテールに結び、騎士服を身に纏ったキリッとした顔立ちの女性がこちらに目を向けた。
「アリス様。何かご用でしょうか?」
「リリメル。彼を稽古に混ぜてくれませんか?十一魔賢の派閥メンバーの方なのですが、剣技を身に付けたいそうですので」
リリメルはイリアに目を向けると、上から下へとその身体をじっと見つめた。
「なるほど、彼が例の……。アリス様。失礼ですが、いきなり稽古に参加したところで彼ではついて来れないと思います」
「それは……」
率直な意見が、地味に心に刺さった。確かにその通りだ。細身で筋肉なんてほとんどないイリアが、いきなり騎士団と一緒に稽古をするなんて無理な話だろう。
「しかし、我が主人のご命令。アリス様の騎士として、このままお断りするわけにもいきません。アリス様の願いは私の願い。この私にお任せくださいませ」
リリメルは凛々しい笑顔を浮かべると、イリアについてくるように促した。一旦アリスと別れて彼女の背中を追う。真っ直ぐな声と爽やかな雰囲気は、まさに騎士という感じだ。歩き姿ですら様になっており、その姿勢の良さに素直に感服する。彼女が足を止めたところでイリアが立ち止まると、鋭い剣先を鼻頭に向けられた。
「まだ年端もいかないアリス様を弄ぶとは、良い度胸だ。私の前にその醜態を晒すということがどういうことか、分かっているのだろうな」
あと一ミリでも動けば、鼻先から血が垂れそうなほど正確な一振り。風圧でイリアの髪が少し靡き、思わず息を呑んだ。額に冷や汗が滲み出る。憎悪の視線を向けられているが、イリアには全く覚えがない。
「……えっと、何の話ですか。僕はそんなことしてな」
「たわけ! アリス様が卿に抱き上げられて乙女のような表情を浮かべていたところはどう説明するのだ。アリス様は、あんな卑劣なおねだりをするお方では無かったのに……!」
何か誇張が入っている気がする。そんなことを言われても、イリアにはどうしようもない。何も言い返せずに押し黙っていると、リリメルは剣を鞘に戻して一呼吸ついた。
「運のいいことに、アリス様より卿を任された。これからしばらくは退屈せずに済みそうだ。卿もそう思わないか?」
リリメルはまるで玩具を見つけたかのように、不敵な笑みを浮かべた。




