第一章第十二話「前進」
「ねぇ、お嬢様。どうするの? ほら、杖持たないと。あの子にやったことを自分にやればいいだけじゃん」
男は腰を曲げてアリスを楽しそうに見つめている。アリスは、手放した杖をそっと拾い上げた。
「……やけに詳しいんですのね。私たちのことについて」
「そりゃそうだよ。あの子にお母様を殺させたのって僕だし。可哀想にね。僕たちに選ばれちゃって。お嬢様の後に、公爵も殺さなきゃだから時間がないんだ。早くみんなのところに行こう。お母様もあの子も、お嬢様を待ってるよ」
こんないかれた男に人生を狂わされただなんて、笑える話だ。いつもであれば、目の前に座っているこの男を原型がなくなるまでぐちゃぐちゃにしているところだろう。しかし、そんな戦意も不思議と湧いてこなかった。
また、お母様に会いたい。ニナに謝りたい。許してもらえなくても、一目その姿を見たい。そんな気持ちだけが、心の中を支配していた。
杖先を自分の首に突きつけた瞬間、暗闇がとてつもない速度でアリスの眼前を駆け抜けた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
目の前に、二つの人影があった。
途端に、身体が軽くなる。気が付いた時には、暗殺者だと思われる男を箒で思いっ切り殴りつけていた。
ローズの屋敷であの人を助けた時の感覚を思い起こしていく。あれは、イメージだ。ずっと考えていたが、暗闇はイリアのイメージに呼応してくれるらしい。記憶にはないが、暗闇が覚えているイメージがあった。
魔力を武器に込めて戦う。
そんなイメージを膨らませる。
すると、どう身体を動かせばいいのか。どこへ踏み込めばいいのか。まるで誰かに教えられているかのように、身体が勝手に動いた。暗闇が、イリアを導いているのだ。勢いよく殴ったせいで箒の穂先が折れ曲がる。イリアは折れた箇所を引きちぎり、残った柄を強く握りしめた。アリスの杖が衝撃で弾け飛び、笑顔を消した男が面倒臭そうに頭を掻いた。
「痛ったいなぁ。僕の記憶と色々違うんだけど。何、三人の秘密の場所じゃなかったっけ? なんか残念だなぁ。お嬢様って、強気なところが魅力的なのにさ。そうやって代わりを作って寂しさを埋めようとしたんだ? そういうの、虚しくならない?」
イリアは、彼の言葉に耳を貸さずにアリスの様子を確認した。怪我はしていない。しかし、その表情は痛々しく見える。
「……私のせいで。私なんて、生まれてこなければ良かったのに」
「アリス様。僕は奥様のことは存じ上げませんが、そんなことを言ったらダメです。奥様は、アリス様を大切にしていらっしゃったんじゃないんですか?あなたが、奥様を否定したらダメです。アリス様はここでお待ちください」
所詮は付け焼き刃だ。それでも、今まで何も持っていなかったイリアにとってはずっと心強かった。
「何なのお前。加護を頂いておきながら正義ぶってるんだ?いや、分からないのかなぁ。ねぇ、僕と一緒に来てよ。ギーべラント家を潰して、新しい仲間も連れてきたら僕を馬鹿にしてた奴らも文句言えないよね」
構わずに柄を打ち込むと、男は顔を歪めてイリアを睨みつけた。
「ちょっとした話もできないとかお嬢様以下なんだけど。どんな教育受けたらそんな人間になれるわけ?お嬢様、良かったね。忠実なナイトができて。男に媚びを売って得た忠誠は嬉しい?」
「僕が勝手にやってるだけですよ。僕は、屋敷の人とは違って忠実でも何でもない。見知った人間が死ぬのはもう見たくないから、約束しただけです」
男は頭を掻きながらぶつぶつと何かを呟いている。無闇矢鱈に足を動かしている様子からは、彼の焦りのようなものが垣間見えた。
「もういいや、どっちも殺しちゃおう。僕ってほとんど戦えないからさ。本当は頼りたくなかったんだけどなぁ。美食家とおんなじみたいで最悪だよ、ほんと」
男が舌を出すと、変わった紋様のようなものが刻まれていた。それを目にした瞬間、背筋に寒気が走る。
視界を埋め尽くすほど巨大な暗闇が、二人を呑み込もうと迫ってきた。避けようにもあまりにも大きすぎれば、止められそうにもない。
それは、イリアの暗闇と似たような雰囲気を放っている。
イリアは、頭を巡らせた。自分たちを守ってくれる何かのイメージを膨らませようとしたが、その見た目も構造も全く思い浮かばない。アリスに魔法を使ってもらうか。しかし、杖がなければ制御は難しくなる。心身ともに不安定なアリスにそれを頼むのは得策とは言えない。それに、どちらにせよ防御魔法ではきっとこの暗闇は防げないだろう。
眼前に迫る暗闇に思わず目を瞑ったが、しばらく経っても暗闇がイリアに触れることはなかった。
ゆっくりと目を開くと、茨が闇を抉るように渦巻いている。ローズからもらったネックレスが、やたらと強く輝いていた。どこにいても、守られている。その事実に胸が熱くなった。二人に迫る闇を茨が切り裂いていくと、しだいに闇は晴れた。
「……ありがとうございます」
「何なんだよこれ。僕が、ここまでやってこれって。もう、面倒くさい! ここから僕にどうしろって言うんだよ。ふざけるにも程があるだろ」
地団駄を踏む男を前に、イリアは言葉を失った。先ほども思ったが、まるで子供のような人だ。彼が使っていた暗闇は確かにイリアのものとそっくりだった。彼を捕まえることができれば、大きな進展になるに違いない。
イリアが柄を構えて男に向かおうとしたその瞬間、柄が粉々に粉砕された。肩に触れないくらいの黄赤の髪が印象的な女性が、男のそばに立つ。
「失礼。客観的見解に基づき、撤退すべきだと判断します。スミはゲートの中へ入ってください」
「お前、僕の手柄を横取りしようとしてるんだろ?許せない許せない許せない……! ここまであいつらを追い込んだのは僕なのにっ……! ふざけるなよ、助けるふりなんてしやがって」
女性はため息をつくと、スミと呼ばれていた男の胸ぐらを掴んで言い放った。
「よくも手柄などと言えましたね。スミが彼を殺していたら、あなたと行動していた私諸共殺処分になっていますよ。どこまで阿呆なのですか?」
「……だとしても、お嬢様を殺して持って帰ることはできるじゃないか」
「いえ、あの青年と友好的な関係を築くためにそれは得策とは言えません。ティークの爆殺も失敗し、あなたも失敗したのですから今回は諦めるべきです。私もすぐに撤退する予定ですよ」
彼女が設置した転移ゲートだと思われる場所に、スミが大人しく入っていくのを見ていることしかできなかった。女性はこちらを振り向いたその一瞬で、イリアの目の前に移動する。殺意はない。しかし、暗殺者の仲間であることは間違いなかった。
「失礼。私の連れがご迷惑をおかけいたしました。あなたはまだ卵。孵化した際には、仲間として顔を合わせられることを楽しみにしております」
「……あなたたちは、何のためにこんなこと」
女性は考えるような仕草を見せた後、イリアをじっと見つめた。
「ちょうど現在、国内全域にてある魔法放送が行われています。地下には聞こえないようなので、私からご紹介させていただきましょう」
彼女は呼吸を整え、厳しい瞳を見せた。
「私たちは、ネームレス。国家の崩壊と魔法使いの殲滅を目的とした組織です。
私たちが目指す世界は、魔法がなくとも誰もが認め合い、共存することのできる社会。そのために、手段は選びません。
私たちは、本気で世界を変えるつもりでいます。以後、お見知り置きを」
迫力ある声に圧倒されて呆然としていると、背後からアリスがイリアの手をぎゅっと握った。その手はとても冷たい。イリアが手を握り返すと、女性は続けて口を開いた。
「今は納得していただけなくても結構です。いずれ、あなたが関わった魔法使いは皆その命を狩られることになるのですから。何も知らない今を大切に過ごしてください。知らないことに勝る幸せはありません」
不謹慎な言葉を残して、彼女はゲートに消えていった。
──ネームレス。聞いたことのない名前だ。
彼らが危険な存在であることには間違いない。ギーべラント家暗殺の脅威がなくなったのではなく、それが世界に肥大化しただけだ。しかし、何よりもあの女性が言っていた予見が気になってしまう。
悪者の言葉だ。
気にする必要はない。
分かっている。
けれど、嫌な胸騒ぎがイリアの中に確かに残っていた。
ふと、アリスのことを思い出した。彼女に目を向けると、心配そうな表情を浮かべてイリアを見つめている。
「アリス様、お怪我はございませんか?」
「……ええ。ごめんなさい、私のせいで。怪我も、他にもご迷惑を」
アリスは、イリアの怪我を見てきまりが悪そうに俯いた。
「お気になさらないでください。僕、アリス様がご無事で本当に嬉しいんです」
「そう」
「上に戻りましょう。歩けますか?」
アリスはイリアをじっと見つめると、珍しく首を横に振る。イリアはそっと彼女を抱き抱え、階段を上がっていった。広間には全員が集まっており、アリスの無事な姿を見た公爵がすぐさま駆け寄ってきた。
「──アリス!良かった……本当に良かった。長いこと顔を合わせられず、すまなかった。私は、父親失格だね。でも、いざ二度と会えなくなるかもしれないと思ったら、気が気じゃなかったんだ」
「……別に、気にしていませんわ」
どうやら、公爵とアリスの間には大きな溝があったらしい。
それでも、二人の距離はほんの少しだけ縮まったように見えた。
「君のおかげだよ、ありがとう。アリスを見ていてくれて、この子を助けてくれて」
公爵がイリアの目を見てそう言った。
初めて、人の命を助けた。そう言えるほど大したことをしたわけじゃない。ローズのネックレスがなければ、二人とも助からなかっただろう。
それでも、その温かい言葉が身に沁みた。
「いえ。こちらこそ、ありがとうございました」
きっと、アリスだからここまで必死に助けたいと思えた。彼女のあの笑顔を守りたいと思えた。そんな気がしたのだ。
執事に場所を聞き、イリアは屋敷のバルコニーへ向かった。銀髪を靡かせたリズが、黒縁眼鏡の奥からじっとこちらを覗いている。ぼーっと彼女の透き通った瞳を見つめていると、おでこに突発的な痛みが走った。
「イリア君、無茶しすぎ。本当に心配したんだから」
頬を膨らませてそっぽを向いてしまったリズは、イリアが慌てているとすぐさまこちらに向き直った。
「ちゃんと反省してる?」
「……うん。ごめんなさい」
「じゃあ、ちょっとこっち来て」
手招きに従うと、リズがイリアの胸元に耳をくっつけた。
「うん、ちゃんと生きてる。あっ、なんか速くなった?」
「リズさん」
「ん、何?」
顔を上げたリズの頭を何となく撫でてみた。ローズの真似だ。初めて彼女に会った時は、まさかこんなことになるなんて全く思っていなかった。
「ありがとう。あの時、僕を助けてくれて」
リズは目を丸くした後、はにかむような笑顔を見せた。
「どういたしまして!」
──ここからが、スタートだ。
これにて第一章は完結となります。ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます!
これから彼らをどんな困難が待ち受けているのか、そしてイリアたちがどのように前へ進んでいくのか。引き続き見守っていただけたら嬉しいです。
第二章からもよろしくお願いいたします!
(第二章前に番外編を挟む予定です。ローズ回にする予定なので、そちらもぜひ!)




