第一章第九話「狂人」
早朝、リズは立派な杖を片手に玄関でイリアを待っていた。杖には角度によって様々な光り方を見せる白い魔法石が取り付けられており、周りを囲む金色の線が幻想的な雰囲気を放っている。腕には、昨日イリアがプレゼントしたブレスレットが輝いていた。
一方イリアはというと、普段とは変わらない質素な服装に、ローズから貰ったネックレスをつけているくらいだ。危険な任務なら何かしら準備をしていた方がいいのかもしれないが、何があればいいのかもよく分からない。
「うーん、ちょっとそれだと頼りないかな。えっと、試しにこれ羽織ってみて?」
リズは大きなトランクからシンプルなローブを取り出すと、イリアに手渡した。言われるがままに着てみると、まるで新人魔法使いのような装いになった。
何か考えるような仕草を見せたリズは、襟をいじってみたり、フードの被る深さを調整したり試行錯誤していた。
「うーん、難しいなー。まぁこれでもいっか。胸張っておけば強そうに見えるよね!」
リズがイリアに大きなトランクを手渡して家を出ると、路地裏を抜けたところに立派な馬車が停められていた。
リズが中に乗り込むのを見て、イリアも駆け足でついて行く。
リズと向かい合って座ると、初めての任務という実感が胸を締めつけた。
「あの、仕事って何するの?」
「そういえば言ってなかったね。ギーべラント家って分かる?公爵家の。ここ最近で、何度か暗殺未遂に遭ってて……まだ犯人が捕まってないから護衛してほしいって頼まれたの」
公爵家の護衛。ローズのところで体験した町の見回りや結界補強とは、やはり違った世界だ。
「でも、十一魔賢の名を背負って出るからにはすぐ捕まえるから大丈夫だよ。何も直接手を出してくるとは限らないから、イリア君も協力してね」
「うん、分かった」
今のうちに休息を取っておいた方がいいとのことで、リズは馬車で眠りについた。銀髪が顔にかかると、くすぐったそうに顔の向きを変える。
イリアも寝た方がいいのかもしれないが、馬車の揺れに慣れていないからか完全に目が覚めてしまった。
窓から外の景色を見ていると、少し離れたところに大きなお屋敷が見えてくる。
馬車が停まると、リズがゆっくりと目を覚ました。ドアが開かれた瞬間、温厚そうな中年の執事がぺこりと頭を下げる。
「リズ様、お久しぶりですね。お連れ様も、本日からよろしくお願いいたします。旦那様がお待ちですので、ご案内します」
どうやら、リズは公爵家と何かしらの縁があるらしい。執事の声には、親しみがこもっていた。
「久しぶり。小父様と会うのは一年ぶりだけど、あれから元気にしてる?」
「ずっとリズ様のことを気にかけていらっしゃいましたよ。その、アリスお嬢様なのですが……」
執事が気まずそうに口籠もると、リズは晴れやかな笑顔を見せた。
「分かってるよ。ちゃんと会わないように動くから安心して。あの子の護衛は彼に一任するつもり」
「お気遣いありがとうございます」
リズがイリアに視線を向けた。勝手に任されてしまったが、大丈夫なのだろうか。イリアは魔法も使えなければ、腕っぷしも弱い。正直、自分を守れるかも怪しいのだが……。
「……大丈夫だよ。何かあったら私も手助けするから」
リズが耳元で囁くと、イリアは驚きで飛び跳ねた。執事が、不思議そうな顔でこちらを見つめる。恥ずかしさでリズに不信な視線を送ると、悪びれもなくウィンクを返してきた。
応接間に案内されると、なかなかダンディな栗毛の男性が待ち構えていた。先に座るように促され、質の良いふかふかなソファに腰掛ける。メイドが紅茶を淹れると、男性はゆっくりと口を開いた。
「リズ、久しぶりだね。一年ぶりの再会が、こんな形になってしまって申し訳ない。情けないことに、我が家で対処出来そうにないんだ……」
「小父様が謝ることではないですよ。ギーべラント家の護衛でも太刀打ちできないとなれば、国家魔法使い以上を頼らざるを得ないのも当然のことです。私たちが必ず暗殺者を捕らえて見せます」
「それは心強い。君は、初めて見る顔だね。よろしく頼むよ」
ギーべラント公爵は、イリアに愛想の良い笑顔を向けた。付き添い感が強めのイリアにまでしっかりと目を向けてくれたことに、少し胸が温かくなる。
公爵家ともなれば、貴族主義が強く根付いているのではと思ったが、どうやらここはそうではないらしい。
「では、私は公務に戻るとしよう。二人を部屋に案内して差し上げなさい」
「かしこまりました」
執事に連れられて客室に案内されると、荘厳で華やかな飾り付けが施されている。ローズの屋敷での生活が蘇ってくるような気がした。
荷物をある程度広げ終わると、部屋のドアがこんこんと叩かれた。開けてみると、杖を片手に持ったリズが和やかな笑みを浮かべる。
「さっそくだけど、ちょっと見回りしよっか。事前に何かが仕掛けてある可能性もあるし……」
「そうだね」
リズとイリアは、広い屋敷の中を二手に分かれて探索することになった。しかし、公爵家というだけあって、広いというレベルでは済まされない広さだ。肖像画が並ぶ長い通路をやっと抜けたかと思えば、次は彫刻が並ぶエリアに入る。
まるで迷宮のような建物内を丁寧に確認していくと、噴水の前にあるベンチに少女が腰掛けていた。ラベンダーのような紫髪を三つ編みにしており、何かの本を読んでいるらしい。
しばらく様子を伺っていると、少女がイリアに気づいたようだ。ベンチから降りてこちらに向かってくると、猫目を吊り上げてイリアに軽蔑の視線を向けた。
「あなたが派遣された十一魔賢ですの?冴えない男ですこと。十一魔賢もこのレベルなら、護衛なんていない方がマシですわ」
いきなり悪態をつかれてイリアが呆気に取られていると、少女はそそくさと歩いて行ってしまった。イリアが追いかけると、少女は何の躊躇いもなく近くにあった扉を開けて中に入って行く。失礼を承知で扉を開けてみると、物置きらしい部屋が広がっている。
しかし、先ほどの彼女がいない。周りを見渡そうとすると、背中に強烈な蹴りを入れられた。
「あなた……本当に護衛で来てますの?そう見せる策略なのかと思えば、弱すぎてお話にならないのですけれど。まさか暗殺者ではありませんわよね?」
「……すみません、暗殺者ではないです」
「そんなの見れば分かりますわ。こんな弱そうな暗殺者がいるわけないですから」
「……すみません」
少女はあまりにも情けなさすぎるイリアを見て顔を歪めると、部屋の隅っこに座った。背骨をやられて変な姿勢で痛みを堪えるイリアをじっと見つめている。
「……ごめんなさい。避けると思っていたので、本気で蹴り飛ばしてしまって」
「お気になさらず。僕が悪いので……」
「その消極的な態度はどうにかなりませんの?私が悪いと言っているのですから、その通りですと言えばいいでしょう」
少女は猫目を吊り上げた。おそらく彼女が、公爵令嬢なのだろう。そんな高貴な相手に、無礼を働けるわけがない。いや、このような情けない姿を見せていることが、既に十分無礼に当たるのかもしれないが。
「……すみません」
少女はため息を吐くと、しばらく膝に顔を伏せていた。背中の痛みがようやく引いてきたイリアが起き上がると、彼女は顔を上げる。
「あなた、少しついてきなさい。特別に、私直々にあなたの相手をしてあげましてよ」
「えっ、見回りの続きがまだ……」
「は? 」
「なんでもないです」
押し切られる形で、イリアは彼女に連れられてティーガーデンに来ていた。メイドの女性がアップルティーを淹れると、アリスは口をつける前に銀製のスプーンを浸した。しばらく様子を見て、何も異常がないことを確認すると、ゆっくりこちらに視線を向ける。
「自己紹介が遅れましたわね。私、アリス・ギーべラントと申しますの。あなたは?」
「アリス」といえば、屋敷に到着したばかりの頃にリズが執事と話していた子ではないだろうか。やはり、彼女は公爵令嬢だった。
しかし、リズが顔を合わせないようにとわざわざ言われていたほどだから、仲が悪いのかもしれない。下手なことは言わないようにしよう。
「イリア・ソルフリートと申します。本日より護衛に預かります十一魔賢の派閥メンバーです」
「随分と物好きな十一魔賢もいますのね。ぜひお会いしたいものですわ」
「……」
さっそく興味を持たれてしまい、イリアは口を閉ざした。アリスは不思議そうな顔を浮かべたが、そこまで興味を持ったわけではなかったのか咳払いをする。
「とりあえず、少しあなたのことを話してみなさいな。好意を寄せている女性はいますの?」
──いきなり無茶振りがきた
年頃の少女は恋愛話に興味があるのか、アリスは目をきらきらと輝かせている。
しかし、イリアには正直恋だとか愛といったものがよく分からない。アリスには悪いが、そういうネタは持ち合わせていなかった。
「……すみません。僕、まだそういうの分からなくて」
彼女はぽかりと口を開くと、あり得ない生き物を見るような視線を向けた。
「いや、赤ん坊じゃあるまいですし……。私の年齢ですら、婚約者が決まっているのは当たり前で、中にはキスまで進んでいる子もいますのに……何というか、そういう方もいますのね」
哀れみの視線を向けられている気がした。
「アリス様の婚約者様はどんな方なんですか?」
とにかく、イリアは気持ちを切り替えて話題をアリスへ向けようとした。
「……私は、いませんわ。数年前に婚約破棄されてからずっと」
どうやら、タブーに触れてしまったらしい。気まずい空気感にイリアが申し訳ない気持ちを募らせていると、彼女は続けて口を開いた。
「……あなた、私が世間でなんて呼ばれているかご存知ですの?」
「……いえ、知りません」
「だと思いましたわ。知っていれば、あんなに呆けた顔で私の様子を伺いだしたりするわけがありませんものね」
アリスはイリアをじっと見つめると、ティーカップを口に運んだ。
「例えば──ここに、人殺しがいるとしましょう」
「罪も受けず、平然と紅茶を口にしている。そんな人間を前にしたら、あなたはどうしますの?」
──その瞳には、一切の冗談がなかった。




