26話「記憶喪失の少女と旅の会話」
「さぁ!朝だよ!行こう!」
ホシノが元気良く声を上げる。
朝の空気は冷たく、けれど澄んでいた。テントの外にはまだ夜の名残が少しだけ残っていて、草の先には朝露がきらりと光っている。マナはゆっくりと身体を起こし、寝袋から出た。昨夜の疲れはまだ少し残っていたが、不思議と足取りは重くない。胸の奥には、昨日ララから受け取ったネックレスの感触が静かに残っていた。
「おはようなのです」
ミクがすでに火の準備を終えている。小さな鍋からは、湯気がふわりと立ちのぼっていた。
「おはよう、ミク」
「おはようございます、師匠! 今日はレグナード王国に向かうんですよね!」
「うん。光が西を指してたから、たぶんそっちだと思う」
マナはそう言いながら、そっとネックレスを指先で持ち上げた。球体の部分は朝日を受けて淡く輝いている。昨夜、ララが示してくれた方角は、確かに西だった。あの光が何を意味するのか、まだはっきりとは分からない。それでも、進むべき場所が少しだけ見えた気がしていた。
「レグナード王国か~。奴隷制度を消した国なんだよね」
ホシノがテントを畳みながら言う。
「はいなのです。今まで聞いた国とは少し違う気がします」
ミクも小さくうなずく。
「うん、でも、知らない国ってちょっと楽しみかも」
ホシノはライドスターに飛び乗ると、くるりと一回転して見せた。朝の光を受けた円盤は、まるで昨日よりも少しだけ軽やかに見える。
「ホシノ、朝から元気だね」
「だって、旅は朝から元気じゃないと!」
「……そうかも」
マナは少しだけ笑った。自分が笑ったことに気づいて、ほんの少しだけ照れくさくなる。
三人は荷物をまとめ、キャンプ地を出発した。ステラバブル高原の朝は、昼間とはまた違う表情をしていた。あちこちに漂う泡はまだ少なく、代わりに草の葉先が朝露を抱えている。足元には小さな泡草が生え、時折ぽつりと透明な泡を生み出していた。
「昨日のキークライ族のこと、まだ不思議な感じがする」
マナが歩きながら言う。
「そうですね。見えない相手と話すみたいで、すごく優しい魔法でした」
ミクが答える。
「うん、でも、ちゃんと気持ちが伝わるのっていいよね。しゃべらなくても分かるなんて、ちょっと憧れるかも」
ホシノはライドスターの上で頷いた。
「……ララさんは、きっと最初から何かを知ってたんだよね」
マナはネックレスを見下ろす。
「師匠、記憶のことですか?」
「うん。私が持っていたものを見せたら、何か分かるかもしれないって思ってたみたいだった。もしかしたら、前の私が残した手がかりだったのかなって」
「そうかもしれませんね」
ミクは静かに答える。
「でも、ひとつずつ集めていけばいいのです。ララさんもそう言っていたじゃないですか」
「……うん」
マナは小さくうなずく。記憶の手がかりは、まだひとつ見つかっただけだ。けれど、昨日よりは少しだけ進んだ気がした。
道の先には、緩やかな丘が続いている。遠くの空には、まだ風車の町が小さく見えた。そこからさらに西へ向かえば、やがてレグナード王国に着くのだろう。地図を思い浮かべながら歩いていると、自然と足取りがそろってくる。
「ねぇ、師匠」
ホシノが前を見たまま声をかける。
「なに?」
「昨日の、あの声……やっぱり気になる?」
「……うん。気になる」
マナは素直に答えた。
あの時、ララと記憶の中の自分が見せたもの。聖教国ルミナス。大魔道族。亜人の集落。自分でも知らないうちに、いろいろな言葉が繋がり始めている気がする。けれど、まだ全体像は見えない。
「でも、怖いっていうより、先に知りたいって思う」
「それなら大丈夫です!」
ミクが明るく言う。
「知りたいことがあるなら、私たちで探せばいいのです。旅って、そういうものですよね」
「そうだね。私は案内するのも、探すのも好き!」
ホシノが胸を張る。
「ふたりとも、ありがとう」
マナがそう言うと、ホシノは少しだけ照れたように笑った。
「えへへ、どういたしまして!」
「師匠がいなければ、私もここまで来られませんでしたから」
ミクも微笑む。
三人はそのまま、ゆっくりと高原を進んだ。道の脇では、泡草が風に揺れ、小さな泡を空へ飛ばしている。朝の光に溶けるようなその泡は、昨日よりもずっと静かで、どこか柔らかかった。
「そういえば、朝ごはんはどうするの?」
ホシノが思い出したように聞く。
「ここで簡単に食べてから行きましょう。途中でお腹が空くと大変ですから」
ミクが答える。
「うん、そうしよう」
マナたちは道端で少しだけ休み、温かい食事を口にした。昨夜の残りを温めただけの簡単なものだったが、外の空気の中で食べるとそれだけでおいしく感じられる。風が頬を撫で、遠くでは風車がゆっくりと回っていた。
「おいしい……」
マナがつぶやく。
「でしょう?」
ホシノが得意そうに笑う。
「旅の朝ごはんは、だいたいおいしいんだよ!」
「それ、気分の問題では?」
「気分も大事なのです!」
ミクの言葉に、ホシノはふふんと胸を張る。
食事を終え、再び歩き出す。ネックレスは静かに揺れ、今はまだ何も示していない。ただ、確かにそこにある。それだけで少し安心できた。
「レグナード王国に着いたら、何が待ってるんだろうね」
ホシノが空を見上げながら言う。
「新しい人、かな」
ミクが答える。
「それとも、新しい手がかりでしょうか」
「どっちもかも」
マナはそう言って、前を見た。
まだ朝の光が高原を照らしている。だが、三人の旅はもう次の場所へ向かっていた。知らない国、知らない人、そして記憶の中に眠る何か。進めば進むほど、世界は少しずつ広がっていく。
「行こう」
マナが静かに言う。
「はいなのです!」
「うん!」
「おー!」
こうして三人は、レグナード王国へ向かって歩きだした。三人の旅は続く。新しい会話と、新しい出会いを連れて。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




