20話「記憶喪失の少女とステラバブル高原」
ステラエルムウッドを出た三人は、ゆるやかに続く坂道を登っていた。街を抜けたばかりの道はまだ整えられていて歩きやすかったが、少しずつ土の匂いが濃くなり、風の音も変わっていく。木々の間を抜けるたび、どこか遠くで小さな泡のはじけるような音が聞こえた気がして、マナは何度か足を止めそうになった。
ホシノはライドスターの上で楽しそうに揺れながら、前を指さして進む。ミクは周囲を見回しながら、道の脇に生える草や、背の低い花々を観察していた。マナはその二人の後ろを歩きながら、胸の奥に少しだけ残る不思議な違和感を確かめるように、何度も空を見上げた。
高原へ向かう道は、ただ高い場所へ行くだけではない。登るほどに景色が変わり、空が広くなり、風も強くなっていく。さっきまで見えていた街並みはすでに遠く、背後にはステラエルムウッドの屋根が小さく並んでいるのが見えるだけだった。そこからさらに進むたび、丘の向こうへ何か別の世界が広がっていくような感覚があった。
「もうすぐです! この坂をこえたら、ステラバブル高原ですよ!」
ホシノが元気よく声を上げる。
「ステラバブル高原……泡草がいっぱいあるところだよね」
ミクが言うと、ホシノは勢いよくうなずいた。
「そう! 夕方になるとすっごくきれいなんだよ! 泡が光を受けると、空に小さな星が浮かんでるみたいになるの!」
「へぇ……見てみたい」
マナがそう言うと、ホシノは嬉しそうに振り向いた。
「でしょでしょ? マナちゃんも気に入ると思うよ!」
坂をさらに登っていくと、道の先にようやく開けた景色が見えてきた。背の低い草が風に揺れ、ところどころに丸い泡のようなものがふわりと漂っている。地面に生えた泡草が、風に合わせて透明な泡をいくつも生み出していたのだ。光を受けた泡は淡く色づき、空へ昇っては静かに消えていく。
「わぁ……!」
ミクが思わず声を漏らす。
「きれい……」
マナも目を細めた。森とはまた違う静けさがそこにはあった。木々のざわめきよりも、風と泡の音が先に耳へ届く。高原一面に広がる淡い輝きは、確かに幻想的だった。
「ここがステラバブル高原です!」
ホシノが胸を張る。
「泡草がたくさん生えてて、風が強いから、すぐに泡が飛んでいくんだよ。夕方はもっときれいなんだけど、今の時間でも十分すごいでしょ?」
「うん、すごい……」
ミクがうっとりとしながら答える。
マナはしゃがみこみ、足元の草を見つめた。見たことのない葉の形をしている。そっと指先を近づけると、小さな泡がぽつんと生まれて、すぐ目の前をふわりと横切っていった。
「触るとどうなるんだろう」
「だめだよ、師匠。泡草はそっと見るだけの方がいいかも。強く揺らすと、いっきに泡が出ちゃうこともあるんだって」
ミクがそう言うと、ホシノも笑ってうなずいた。
「そうそう! この辺は、泡が多すぎると足元が見えにくくなるから、慣れてない人は気をつけないといけないんだよ。だから集落に行くときは、ちゃんと道を通るんだ」
その言葉にマナは周囲を見回した。高原の奥には、風車らしき影がいくつも見える。白い柱のようなものが立ち、その上で大きな羽根がゆっくりと回っていた。
「あれは?」
「見えた? あそこが風車の町、『エアロバブル』だよ!」
ホシノが指差す。
風車の町。名前だけで、もう少し風が強そうだとわかる。だが、実際の景色は思っていた以上ににぎやかだった。高原の斜面に沿って並ぶ家々の屋根の上には、風を受けるための羽根や布が張られていて、遠目にも動きがある。町全体が風と一緒に暮らしているようだった。
「エアロバブル……」
ミクが小さく繰り返す。
「すごい名前ですね」
「うん! 風車をたくさん使う町だから、そう呼ばれてるんだって。泡草も多いし、風も強いから、ちょっと不思議な町なんだよ」
マナは町を見つめたまま、しばらく言葉を失っていた。風に揺れる羽根、空へ昇る泡、緩やかな丘の曲線。すべてがやわらかく、けれど確かにそこにある。初めて見る景色なのに、なぜか懐かしさのようなものも少しだけあった。
「行きましょう!」
ホシノが先に駆け出す。
「この先に、キークライ族の人たちと会えるかもしれないよ!」
「うん!」
ミクもそれに続く。
マナは少し遅れて立ち上がった。胸の奥に残っていた違和感は、まだ消えていない。けれど、こうして一歩ずつ景色が変わっていくたび、自分の知らない世界が確かに広がっていることは分かる。
風車の町エアロバブルへ向かう道は、ゆるやかな坂を下る形になっていた。白い羽根が回るたび、風がふわりと流れてくる。その風に乗って、泡草の泡がいくつも空へ舞い上がっていく。
「きれい……」
マナがつぶやくと、ホシノが振り返って笑った。
「でしょ? ここ、昼より夕方の方がもっとすごいんだよ」
「夕方までに町へ入れれば、もっと見られそうですね」
ミクが言う。
「じゃあ、急ごう!」
三人は再び歩き出した。
ステラバブル高原を抜け、風車の町エアロバブルへ。まだ知らない人たち、まだ知らない文化、そしてまだ見えない記憶の手がかり。泡がはじける音を聞きながら、マナはそっと前を見た。
この先に、何が待っているのだろう。
けれど今は、その答えを急ぐ必要はない気がした。風が吹き、泡が舞い、町の風車がゆっくりと回る。その景色の中へ、三人は迷わず進んでいった。
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次回もお楽しみに




