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身に覚えはありませんか?  作者: 三嶋トウカ
冬:第7便~第9便

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第35話:【第7便】贅沢ミートローフ_5


 淹れた紅茶を飲み終えたあと、カップを両手で包み込んだ。指の間に、まだ温かさが残っている。紅茶の苦みが、口の中の余韻を洗い流していた。

 すっかり夜は更けて、街灯の光が細い線を引いている。雨は降っていないのに、空気がしっとりしていて不思議だ。


「今日も、いい日だったな」


 換気扇を切ってしばらく経ったが、まだ湯気の匂いと、肉を焼いたあとの甘い香りが、部屋に残っている。

 きっと、これを『幸福』と言うのだろう。

 懸賞に当選したから、私はこの幸福を享受できている。嬉しい。


 キッチンに、焼き跡の残った銀の型が伏せてある。

 すっかり冷めたはずなのに、まだぬくもりがあった。きっと、一度使ったからそう思うのだろう。


「本当に、美味しかったよ」


 独り言を落として、型をタオルで丁寧に拭く。縁を撫でるたび、反射した光が指先を撫で返す。

 洗い物を終えて、リビングに戻る。

 テレビをつけると、好きなニュースの時間はもう終わっていて、いつもは見ない情報番組が静かに流れている。

 お笑い芸人がワイプの中で笑っていて、客席の拍手が遠くで反響する。


「賑やかだなぁ」


 声に出すけれど、自分の部屋はまるで別世界みたいに静かだ。

 もう夜ご飯という一大イベントは終わってしまったし、残り香も順に消えつつある。

 明かりを少し落として、テーブルの上に白い用紙を置いた。もちろん、毎度お馴染みアンケートの時間だ。


 ペンを取る。インクの匂いが小さく立ち上がり、鼻の奥を刺激する。

 最初の項目には、いつもどおり『とても良い』と印刷されている。今まで、他を選んだことはない。


「迷わずこれだね」


 チェックを入れる。

 しゅっ、と小さな音。

 静かな部屋の中で、ペン先の音が不思議なくらい大きく響いた。


 文章欄に、丁寧に文字を並べていく。


「とても美味しかったです! 混ぜてオーブンで焼くだけなのに、まるでお店の味でした……と」


 書いている間にも、匂いが蘇る。デミグラスソースの酸味と、焼きたての肉の甘い香り。

 あのとき、オーブンを開けた瞬間の景色が脳裏に浮かぶ。


「ね、完璧だったよね」


 思わず声が漏れる。

 誰に話しかけているのか自分でもわからない。けれど、私以外いないのだから、返事を期待しているわけでもなかった。

 ただ言葉を出すことで、幸福の余韻をまた味わえる気がした。


「少し焦がしすぎたけど、香ばしさが逆に良かったです。中がすごく柔らかくて、噛むと甘い香りが広がりました」


 そう、ふちは思ったよりも焦げてしまった。これは仕方ないだろう。このまま、次の項目に進む。


 『おすすめの調理法やアレンジ』の欄では少し悩んだ。十分、今のままで美味しいのだ。


「あ、でも」


 ソースが足りなくなった。今日で、もうデミグラスソースを使い切ってしまったのだ。ついていた量が少ないとは、決して思わない。上手く食べたら問題ないはずだが、途中たっぷりつけた時が、本当にたっぷりだったのだろう。


「残りを食べる時に、ソースをケチャップとウスターで作りました。ご飯にもパンにも合いました!」


 まだ試していない、未来の話。正確には、明日の朝ご飯で試す予定の内容だ。絶対に合う自信がある。まだ食べてないが、言い切ってしまってもいいだろうと、そのままペンを走らせた。


「次回の配送で……うーん、寒くなるので、以前届いたポトフとか、スープ系が嬉しいです」


 書き終えて、満足げに頷く。

 前回のポトフは、これまた最高だった。何回でも食べたい。

 すっかり冬らしくなってきたから、心も身体も芯から温まるような、そして、ホッとできるような、そんな料理が食べたいと思った。


 最後に『ご意見・ご要望』の欄を埋める。

 

「今回も最高でした! オーブンを開けた瞬間に破裂するみたいに香りが広がって、調理中から楽しかったです。ありがとうございます」


 文字を並べながら、自分の生活が少しずつ形になっていくのを感じる。

 書き終えたペン先が紙を離れた瞬間、ほんの少しの寂しさがあった。


「終わっちゃった」


 回を追うにつれて、この瞬間が寂しくなる。

 紙をふたつ折りにして、封筒に滑り込ませる。いつもと同じ、保管用だ。


「この後、ちゃんとフォームに入力しますよ、と」


 ペンを片づけ、テーブルの上を軽く拭く。

 残っていた冷めた紅茶をカップに注ぎ、椅子に座り直した。遅い時間のカフェインは控えたいが、今日はミートローフの余韻を楽しむために、飲みたい気分なのだ。


 ――もうすぐ一日が終わる。

 窓の外に目を向けると、ガラスに自分の姿が映っている。頬が少し赤い。今日はお酒を飲んでいないのに、どうしてだろう。だが、そこに映る私は何だか楽しそうで、そんな自分の笑顔を見て、どこか安心できた。

 歓喜のために、僅かに窓を開ける。風は強くないが、入り込む空気はやはり冷たかった。


「毎日仕事も頑張ってるし。自動で届く毎月のご褒美だよね。幸せ!」


 その言葉が小さく空気を震わせて、部屋の奥へ消えていく。

 誰もいない部屋の空気は、思ったよりも張り詰めていて、無性に『誰かにいて欲しい』気持ちが膨れ上がる。急に寂しさがこみ上げてくるような、人肌が恋しくなったような。

 冬という季節が、そんな気持ちにさせるのかもしれない。


「来月も、美味しいものが届きますように」


 期待の言葉が、深い静寂の中に落ちていく。

 窓の外の風が、一度だけカーテンを揺らした。

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