読書/鈴木輝一郎『桶狭間の四人』 ノート20180621
読書/鈴木輝一郎『桶狭間の四人』
「〇〇の四人」という織田信長関係者四名が織りなすシリーズものの一つだ。織田信長、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)、明智光秀、徳川家康(松平元康)がスタメンになっている。
歴史上のハイライトである桶狭間の戦いの裏側で、浪人していた中年の明智光秀は、必死の再就職活動を行っていた。それで首尾よく京都の将軍・足利義輝に仕官できたと思いきや、当時の幕府の資金源は、京都で博打場のあがりでなんとか体面を保っていた。仕官はしたとはいってもボランティアである。
桶狭間の戦いの前夜、光秀は、草履とりの下端ながら「御庭番」のような仕事をしていた秀吉と接触。秀吉を介して、信長と会見した。しかし、まだ自分を売り込むには、魅力的なウリ材料がない。信長はそれを求めた。
今川義元は、「東海の弓取り」と呼ばれる名君だ。その義元が、天下平定の布石として、数万の大軍を率い、尾張を目指して進撃してきた。織田信長は尾張をほぼ平定したものの、ハチャメチャで、従う者は動員可能員数の半分にも満たない。数銭を集めるのがやった。内々で光秀や家康に接近していた秀吉だが、分が悪くなったら逃げる算段をしていた。
ところが、信長は半ばヤケクソで、あっさりと、義元を討ち取ってしまった。
明智光秀は足利家家臣とは名ばかりで浪人も同然だ。しかし、足利義輝は、三好家によって討たれた。そこで光秀は、出家していた弟の義昭を還俗させて奉じ、上洛の大義名分として、織田信長に高く売りこむことに成功。自身の有力大名家再就職がかなった。
松平元康は今川家の部将の一人に過ぎなかった。織田家と結ぶか、今川家に残るかさんざん葛藤した挙句、三河の浜松城を手中に収めて自立し、信長と盟約を結ぶことを選んだ。
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目次
序章
京都
今川三河守義元
決戦
終章 夜明け
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