5 小鳥遊真白-2
通常、男性付きメイドは、主人となる男との初顔合わせの前に、それまで彼の世話をしてきた人物から人となりや生活習慣について綿密なヒアリングを行い、調査結果に基づいて業務スケジュールを定める(無論、実際に業務が始まった後に適宜修正を加えていく)。しかし、鳳つくしの京都移住は急遽決まったものだったこと、保護者だった彼の祖母が廃村申請の手続きで多忙なことにより、小鳥遊真白ら四人の新米メイドは、つくしのライフスタイルをほとんど把握しないまま、使用人生活に臨む羽目になった。
まずは、教科書の模範例に沿って動いてみよう。インストラクションキャラクターのメイさんと同じく、けたたましく鳴り響くアラーム音を止めながら、真白は朝の5時50分に目を覚ました。彼女は寝起きが良い方ではなく、早くに起きると神経質になるきらいがある。しかし今日は違う。男の子のお世話をするために起きたと考えると、お腹の下の方が熱くなって、どんなキラーパスでも拾えそうな全能感がムラムラ湧いてくる。インストラクションキャラクター、メイさんの目が妙にギラついていた理由を、真白は悟った気がした。
個室から出て共有更衣室に入る。自分が一番乗りかと真白は思った。気持ちゆっくりめにメイド服へと着替える。他の三人は現れない。
真白は首を傾げた。おかしいな、メイさんみたくやってみると、四人で合意したはずなんだけど。彼女はまず、最も親しく最も頼りにしている先輩、葉鳥美羅の部屋を訪れた。ノックしても返事はない。ドアノブを回してみる。鍵は掛かっていなかった。
強烈なメス臭がした。
不快になってすぐさま扉を閉じる。残り香だというにこの濃度。他二人、飛鳥桂亜と小茂鳥ろこの部屋も同様の惨状だった。こいつら、かなり遅くまでナニを捗って、目覚ましセットしないまま寝落ちしたんだ。真白の心に、自身の髪色と同じくらい白い吹雪が舞う。背景の富士山が噴火した。
ボクよりお前たちの方が、よっぽどムッツリでエロザルのヘンタイじゃないか!
無理に叩き起こして、寝不足が原因でミスされたら困る。もしかすると、男の子に奉仕する喜びで普通に覚醒するかもしれないが、寝不足なのに昂る女は荒ぶるリスクも大きい。真白は三人を放置し、一人で職場に向かった。
扇型のだだっ広いリビングに、つくしの気配はなかった。男の子用の個室、バスルーム、プレイルーム、コレクションルームに繋がる通路口の前で屈み、しばらく耳をすませる。ただ静寂があった。時間的に、つくしはまだ起きていないのだろうと真白は判断した。
彼女はこう考えている。学校が始まるのは二週間後。メイドの自分たちと違って、しばらくの間、つくし様に起きなければいけない時刻など存在しない。自然に目を覚まされるまで待つ。起きてからの雑事すべてを他に任せる男の子なら起床時刻をかなり厳密に把握する必要があるものの、つくし様はほぼ確実にそういうタイプではない。
厨房に入った真白は、いつでも炊き立ての味が楽しめる高い炊飯器を稼働し、次に肉と野菜を煮込んで、男性に好まれやすいコンソメスープを作った。オムレツも食べさせてあげたいが、調理から時間が経つと風味が落ちる。彼が身支度を行う間に一気に仕上げたい。
朝食の準備が終わった。続いて、つくしが使ったバスルームを綺麗にする。真白はちょっと興奮した。自分だけ早起きして良かったと感じた。他の場所も掃除を試みる。しかし、入居から一日も経っていない以上、手応えはほとんどない。汚れが溜まりそうなポイントのチェックに重点を移す。
待ち望んでいたご主人様が現れたのは、八時過ぎになってからだった。真白は、ありもしない尻尾の代わりにお尻を振って、つくしにじゃれつきたい気持ちに駆られるも、頑張って我慢した。欲望全開の下品な女を受け入れてくれる、海のように懐の深い男性は、神話における始原の父ぐらいなものだ。
下半身の支配から、理性の領域を死守した、真白脳残り1%の真面目な部分が、一つの不審点を指摘する。それはつくしが、彼の個室に繋がる通路口からではなく、エレベータに直通の道からリビングに入ってきたことだった。とはいえ、つくしの生活区画ルートとエレベータルートは隣り合っていて、個室の側には二つを繋ぐ小道もある。そこを通ってみる程度の軽い冒険心なら、教科書で習った典型的な男の子ならいざ知らず、つくし様は持ってそうだ。
「つくし様、おはようございます」
「あっ、おはようございます。小鳥遊さん」
「美羅も言及しましたが、ボクたちに敬語は不要です。また、名前も呼び捨てにしていただけたら」
「……その方が嬉しい?」
「はい!」
勢いよく肯定した。
「逆に、君たちが俺に気安く接するのは?」
「ダメです! 我々は使用人、あなたはご主人様! 対等なんてあり得ません! 一生の絶対服従を誓わせてください!」
今度は語気強く否定した。短く「そっか」と返したつくしの顔は、どこかシュンとした空気が漂っているように見える。
違和感のある態度だった。メイドは主人の意思になるべく寄り添わなければならない。性欲から解放された1%の脳細胞をフル回転させて、賢い真白は仮説を立てた。
つくし様は、もしかして、ボクたちと友達になりたいの……?
それは、常識に縛られない柔軟な思考の持ち主である真白だからこそ得られた発想だった(何せ、年齢詐称のための違法魔法を独力で開発し、成人向けゲームを買い求めようとする乙女だ)。しかし、普通ならあり得ない。男の子の方から女と親しくなろうとするなんて。500人に1人しか男性がいない世界の住民として、彼女は激しいショックを受けた。
つくし様と友達になる。甘美な響きだ。が、一生をつくし様に捧げる下女であるという自認の方が、濡れる。たかがメイド風情が主人と対等に接するなど烏滸がましい、そういう社会的通念よりはむしろ己の性癖に従って、真白は、つくしが発した「友達になろうよ」シグナルを無視した。
「じゃあ、真白。他の三人は?」
「え、えーっと、今朝の担当はボクです」
「なるほど、ちゃんと交代制なんだな。しっかり休憩取れそうで安心した」
真白は仲間を庇った。欲に負けて寝坊した三人に怒りはあれど、主人が彼女らに抱く印象を積極的に落とそうとは思わない。
自分の主人はメイド如きの福利厚生を注意してくださる方のようだ。真白のつくしに対する好感度が上がる。すでに上限が近い。
「ああ、そうだ。朝食、というか食事は、俺が勝手に作ってもいいのか? あるいは、君たちの業務だから避けた方が良かったり?」
「つくし様がどうしてもご自身でお食事をご用意したい場合、ボクたちにお止めする資格はありません。しかし、基本的にはこちらの業務の一環です」
「よし、聞き方変えるな。作りたい?」
「もちろんです! 手ずから用意した料理をご主人様に召し上がっていただけてこそ、メイド冥利に尽きるというもの。本日の朝食は、誠に勝手ながら、オーソドックスにライスと具材たっぷりのコンソメスープ、オムレツとさせていただきました。よろしいですか?」
「人に作ってもらって文句は言わない」
「ありがとうございます。では、少々お待ちを……」
つくしの人柄に感動しつつ、一礼して場を去ろうとした真白の目に、バツの悪そうな表情が映る。
「あー、オムレツはまだ手をつけられてないだろうな。多分、俺がまだ寝てると思ってて、起きたばっかの俺が色々支度してる間に準備しようと計画してたんだろ? 悪いな、五時に起きてた」
「そっ、そうなのですか!? 物音はなかったですよ。すなわち、お部屋にはいらっしゃいませんでしたよね? いったいどちらに……?」
「ジョギングしに外へ」
「ジョギングしに外へぇ!?」
素っ頓狂に叫ぶ真白。朝っぱらから一人で外出する男の子なんて、見たことも聞いたこともない。典型的な男子なら、そもそも自発的に外出しようとはしないと言われるし、仮に単独で外に出ようとすれば、周りが命を賭けて止める。
何故なら、
「男の子にとって外はめちゃくちゃ危険なんですよ!? 欲求不満の喪女ゾンビがウヨウヨいて、みんな、曲がり角の向こう側やら交差点の隅っこやらから交尾してくれる男の子が落ちてこないかと年柄年中妄想してばっかりなんですから! ボクだって、ぼんやり外を歩いてる時につくし様を見かけたら、ずっと夢見てきたシチュエーションにどんな奇行に走るか、自分で自分を信用出来ないんです! 不用意な外出はお控えください!」
「いやでも、誰かの視界に入らないよう努力したし……」
「お・ひ・か・え・く・だ・さ・い!!」
「……、イエッサー……」
渋々頷くつくしに、真白は安堵の溜息を漏らす。どちらかと言うとマゾ気質の彼女に主人を叱りつける趣味はない。しかし、譲れない一線はある。鳳家の使用人家系が一つ、小鳥遊の跡取り娘として、主家の御曹司が傷つく可能性は見過ごせない。
「つくし様。五時に起床してジョギングに赴き、八時過ぎにお帰りになったということは、人の往来が増える七時から八時含め、三時間近くも無防備に外でお姿を晒したということですか?」
「めちゃくちゃ怒ってらっしゃる?」
「めちゃくちゃは怒ってません」
「……信じてくれよ? ジョギング自体は一時間で切り上げたんだぞ。でも、入場カードを忘れたせいで、生体認証システムが更新される七時まで足止めを食らったんだ。七時から八時までは、急に健康診断受けさせられて」
「け、けけけけ、健康診断っ!?」
つくし様と健康診断。その文字列だけで、ムッツリエロザルヘンタイ真白の脳内に、悪い妄想が開幕する。つくしより早起き出来ず、彼の外出を止められなかった自分への苛立ちは霧散した。
「ゴホンゴホン! ど、どうして健康診断なんか」
「ホント、どうしてなんだろうな。カラスの死骸を持ってただけなのに」
「クヮァラスッのシグァあイ!?」
真白は今度こそ、卒倒しそうになった。
この世界では、曲がり角の向こう側やら交差点の隅っこやらから無防備に歩いてきた男を捕獲するシチュのえっちモノが定番人気です。




