4 カラスの変異体
ぱっちり目を覚ました時、部屋のデカいアナログ時計の針は、ちょうど五時を指し示していた。俺という人間は、引っ越してすぐに起床のタイミングを変えられる奴ではないらしい。昨晩の就寝時刻は午後十時半で、これまでより一時間半遅かったけど、寝不足の感覚はほとんどない。京都までの車中でぐっすり寝たからだろうなと、努めて安全運転を心がけてくれた中葉さんに感謝する。
軽い掛け布団を剥がす。その表面は動物アップリケだらけ。入寮前の装飾希望欄で選んだ柄だった。調べてみると、男はこういうのが好きらしい。世界が変われば趣味嗜好も変わる。候補に無地もあったけども、せっかくなので一番性に合った動物柄を選択した。ゴリラが好きなんだよな、強くて美しいから。家庭科でお世話になったドラゴン的なのもいたらもっと良かったのになぁ。
着替えなどを済ませた俺は、50階分の移動が十秒もかからないエレベータに乗って、男子寮の外に出る。
「おはようございます! お疲れ様です!」
二人の警備員さんに挨拶した。途端、彼女たちは目をかっ開いて驚き、互いに顔を見合わせる。ただ、止められはしなかった。
朝は、飯を食う前に軽くランニングしないと始まらない。ああ、朝飯について、俺が自分で作ってもいいのか、あるいは、小鳥遊真白さんたちメイド四人衆の仕事だから勝手にやっちゃいけないのか、聞くの忘れてた。男が500人に1人しかいない世界で、自分の果たせる役割とは何なのか、つい考え込んでしまったせいだ。
その辺り含めた生活ルールは、帰ったら話し合えばいいか。
早朝だから、人通りは疎らだ。もちろん、都市中心部まで行けば話は変わってくるだろうけど、小等部、中等部に高等部まで擁する花央院学園を中心に形成されたこの区画は、ビジネス街的な忙しなさとはあまり縁がない。
男子寮の位置を常に確認しながら、道を縫うように走って、土地勘を身につけていく。ただし、人とエンカウントしそうになったら、進行方向を変えるか息を殺して隠れるかする。昨日、車中から目を合わせただけで、興奮して俺に迫ろうとしてきた女性がいたからだ。俺としちゃあ別に悪い気分じゃないし、あの反応が普遍的であるとも限らないけど、朝から変に刺激して予定を狂わせてしまったらいい迷惑だろう。
「森の中より緊張したかも」
六時になって寮に戻ると、警備員さん二人に敬礼された。俺も返しとく。
建物に入り、入場ゲートを視認した瞬間に、俺は自分のポカに気づいた。
「入場許可証、部屋に忘れた……っ」
どうしよう。生体認証登録がすでに済んでいると期待して、ゲートを堂々と越えようとしたら、残念ながら登録未完了でアラートがカンカン鳴って、ひと騒動起きるかもしれない。寮の管理側に余計な負担をかけてしまう。
ゲート横の窓口はまだ閉まっている。踵を返して外に出た。警備員のお姉さん方に頼る。
「すみません」
「ひゃ、はい!?」「何でしょうか、鳳つくし様!?」
おっ、名前を呼ばれた。俺の情報は、人にはすでに共有されているようだ。
「昨日の夕方に入寮したばかりなのですが、入場カードを置いてきてしまって」
「ご懸念は理解いたしました。セキュリティシステムの更新は朝の七時になっております。なので、あと一時間ほどは、生体認証によるご入場が……」
「なるほど、了解です。そのくらいなら待ちます」
「我々どちらかのIDで入場させてあげられたら良いのですが、生体情報とのリンクが厳しく見られておりまして」
「それだけ守りが堅いってことでしょう? むしろ安心ってもんです」
ホント、前世の男子寮と比べたら、あり得ないレベルの防犯体制だ。対して、女子寮の方はどうなってるんだろう。今世の日本では紫徳五家など少数の特権階級に権力が集中する体制、いわゆる貴族制に基づく政治・軍事運営が行われていて、花央院学園は女性に限って貴族あるいは準貴族の係累のみに門戸が開かれている、らしい。だから、体裁を守れるぐらいのセキュリティはあるはずだけど、まあこのタワマンには到底及ばないだろうな。学園は国立組織だ。公共組織は基本的にどこも見た目以上にカツカツなので、男子寮にリソースを集中させるべく、探られない部分は極限まで削られていても不思議じゃない。
「では、ゲート前のラウンジで待たせてもらいます」
「……泣きそうな顔で『男だぞ』って言わないね」
「権威を笠に着てくれないと、こっちも男の子用の特別裏口に案内出来ないぜ」
ん? 仕事を邪魔したくなかったのと、チラホラ増え始めた通行人たちの熱すぎる視線が怖くて建物に入ってしまったので、警備員さんたちの相談を聞き取れなかった。
「おお」
玄関と繋がる自動ドアがそれほど大きくなかったのと、観葉植物に視界を邪魔されて分かりにくかったものの、ラウンジは広く、奥行きがあった。百人規模のダンスパーティを開いても空間に余裕がありそう。可動式というか、遠隔操作で移動出来るタイプの自販機を見つけた。邪魔になる時を想定しているのだと思う。
クレカでいちごミルクを買った(自販機の音声案内はイケボ男性風だった)。このカードは、狩猟師報酬受け取り用の口座と連結したヤツだ。学園に通う間はずっと京都だろうから、この前の変異グマみたいな大型討伐はしばらく期待出来ない。鳳家から小遣いもらえねーかな。
チマチマした小遣い稼ぎなら、京都でも一応出来なくはない。都会にも変異体は現れる。ネズミの変異体でも、税を引かれた上で一匹2000円弱はもらえるはず。討伐証明は、スマホが倒された変異体から昇る黒いモヤを感知して、電波のある時に勝手にやってくれる。便利。
「噂をすれば」
男子寮に面する歩道の対岸、電柱の上に、妙にデカいカラスが飛び乗ってきた。あいつは多分変異体だ。スマホから狩猟師アプリ経由で周辺地図を開く。うん、赤い点が出てる。
物理攻撃手段しかない俺には、窓をぶち破らない限り、この場所からカラスを仕留めることは不可能だ。でも、見てしまって放置はプライドに反する。
寮の外に出た。警備員さんが尋ねてくる。
「つくし様、どうされました?」
「あそこ、デカいカラスが羽休めしてるのが見えますか?」
二人とも、人差し指の方向に目を凝らしてくれた。
「あの鳥が気になったのですか?」
「カラスにしては随分大きいので、迷い込んだタカではないでしょうか」
呑気な答え。狩猟師が都市から脅威を排除出来ている証だ。
「あのカラス、変異体です。ヤってきますね」
変異グマと違って、あちらの攻撃がこちらの致命傷になることはない。心配なのは反撃ではなく逃亡だ。
跳躍した。飛んで逃げる隙を与えない速さで近づき、首を粉砕してシメる。
悪いな。こっちも守らなきゃいけない人々の生活があるんだ。瘴気に付け込まれた自分を恨んでくれよ。
電柱から飛び降りた。着地した頃には黒いモヤが散り切り、絶命したカラスは本来の大きさに戻っていた。両手に持ち直す。
固まってしまった道行く女性たちに「お騒がせしてすみませんねぇ」と平謝りした。青信号の横断歩道を渡ればすぐに、寮の正面出入り口に辿り着く。
戸惑った様子の警備員さんたちにも、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。いきなり狩猟行動を取った理由について、説明する義務がありそうだ。
「カラスは変異しても滅多に人を襲いませんが、度の過ぎた悪戯をやらかすようになるので退治推奨なんです。あと、普通に変異をばら撒きますし」
再び、伽藍堂で淋しいラウンジに行く。他の寮生に会えないかと期待したけど、都会の子供にとっては早い時間だからだろう、誰も来なかった。
七時になる。ゲートに向かったら、シャッターの開いた窓口に、受付のお姉さんが座っていた。ニコニコしながら話しかけてくる。
「鳳つくし様ですね。たった今、警備員からのメッセージを拝見しました。対応が遅れて申し訳ありません。もうすでに、パスなしでのご入寮が……っ!?」
カラスの死体にギョッとされる。「こっちで解体して処分するんで」、そう言おうとした矢先、窓口からすごい身のこなしで飛び出してきた彼女に死体をぶん捕られた。
「病気になったらどうするんですか!?」
取り付くシマもなかった。手を念入りに洗わされたのち、アルコールの匂いに慣れるくらい消毒させられた。男子寮自慢のメディカル集団による一時間のヘルスチェックを経て、健康すぎるくらい健康だというお墨付きを得られた俺は、ようやくエレベータに乗ることが出来た。
◇◇◇
「京都のカラスがやられた」
「へ? どーせ、見習い狩猟師に運悪く出会したんでしょうよ」
「……ふん」




