第159話 約束の靴屋
「帰り道が分からない。」
陽太を家まで送り届けた夜。
優斗はふと、あの日のことを思い出す。
ホームレスの男性と一緒に訪れた、小さな靴屋。
あの時は断られた場所へ、もう一度足を運ぶことにした。
翌朝。
優斗はロードバイクへ空気を入れていた。
シュッ、シュッ。
「久しぶりだな。」
ハンドルを撫でる。
「あの日から、また走れる。」
拓海が玄関から顔を出した。
「どこか行くのか?」
「一か所だけ。」
優斗は少し笑う。
「行きたい場所がある。」
国道を走る。
風が気持ちいい。
景色は変わっていない。
でも、同じ道なのに、今日は世界が違って見えた。
十分ほど走ると、一軒の古びた店が見えてきた。
「ここだ。」
『ミナミ靴店』
色褪せた看板。
少し曲がったシャッター。
優斗はロードバイクを止めた。
「覚えてる。」
あの日。
ホームレスの男性と一緒に来た店。
「履かなくなった靴、ありませんか。」
そう頼んだ。
返ってきたのは冷たい言葉だった。
『うちは寄付屋じゃない。』
あの時は何も言えず帰った。
でも今日は違う。
カラン。
扉を開ける。
店の奥から声がした。
「いらっしゃい。」
顔を上げた店主は、一瞬固まった。
「……君。」
優斗も気づく。
同じ人だった。
店主は黙ったまま立ち上がる。
「久しぶりです。」
優斗は頭を下げた。
店主は複雑そうな顔をしていた。
「今日は。」
「靴を買いに来たのか。」
「違います。」
優斗は店内を見渡す。
壁一面に並ぶ靴。
その中には、少し古い型も混ざっていた。
「お礼を言いに来ました。」
店主が眉をひそめる。
「お礼?」
「はい。」
「ここで断られた日。」
優斗は笑った。
「人生が変わりました。」
店主は言葉を失う。
優斗は続ける。
「あの日。」
「一緒にいたホームレスの人が。」
「俺の人生を変えてくれた。」
店主は静かに椅子へ腰掛けた。
長い沈黙。
やがて、小さく口を開く。
「……知ってる。」
「え?」
「後で聞いた。」
「大富豪の話も。」
「テレビでも見た。」
優斗は驚いた。
「見てたんですか。」
店主は苦笑する。
「見ないわけない。」
少し俯く。
「あの日。」
「俺は最低だった。」
優斗は首を横へ振る。
「違います。」
「え?」
「俺も。」
少し笑う。
「余裕がなかった。」
「だから。」
「今なら分かります。」
店主の目が潤む。
「ずっと。」
「謝りたかった。」
その一言だった。
優斗は店内を見回した。
その時。
店の隅に、小さな子ども用の靴が積まれていることに気づく。
「これ。」
店主が振り返る。
「ああ。」
少し照れくさそうに笑う。
「去年から始めた。」
「何を?」
「履けなくなった靴。」
「無料で預かって。」
「必要な子へ渡してる。」
優斗は目を見開いた。
「あの日の。」
店主は頷く。
「君が帰った後。」
「ずっと考えた。」
「靴って。」
一足を手に取る。
「歩くためのものだろ。」
「だったら。」
「歩けない人へ渡した方がいい。」
優斗の胸が熱くなる。
「変わったんですね。」
店主は笑った。
「君のせいだ。」
「違います。」
優斗も笑う。
「俺じゃない。」
少し空を見る。
「あの日、一緒にいた人です。」
店主は静かに頷いた。
「会ってみたかった。」
優斗は少しだけ寂しそうに笑う。
「あの人なら。」
「きっと。」
「もう笑ってます。」
その時。
店の扉が開いた。
カラン。
小さな男の子と母親だった。
「すみません。」
母親が遠慮がちに言う。
「学校の靴が。」
「買えなくて。」
店主は迷わなかった。
棚から一足取り出す。
「これ。」
「ちょうどいい。」
母親が慌てる。
「お金。」
店主は首を横へ振る。
「もう払ってある。」
男の子は靴を履く。
立ち上がる。
「走れる!」
その笑顔を見た瞬間。
優斗の目に涙が浮かんだ。
あの日。
履けなかった靴。
歩けなかった人生。
全部が。
誰かの笑顔へ繋がっていた。
帰ろうとした時。
店主が呼び止めた。
「待って。」
奥から、一足の靴箱を持ってくる。
「これ。」
優斗は首を傾げる。
「俺に?」
店主は笑う。
「あの日。」
「渡せなかった靴だ。」
箱を開ける。
シンプルなスニーカー。
優斗は両手で受け取る。
「ありがとうございます。」
店主は少し照れながら言った。
「今度は。」
「ちゃんと送り出せた。」
店を出る。
ロードバイクへ跨る。
新しい靴。
古い自転車。
そして。
変わった人たち。
優斗は空を見上げた。
「母さん。」
「優しさって。」
少し笑う。
「ちゃんと巡るんだね。」
風が吹く。
国道は今日も。
誰かを次の一歩へ送り出していた。
第159話、ありがとうございました。
今回は、第1話の靴屋の出来事を回収しました。
あの日、断られた靴屋。
しかし店主もまた、あの日を忘れず、自分なりの形で変わっていました。
この作品で描きたいのは、「誰かの優しさは、受け取った人だけを変えるんじゃない」ということです。
黒糖飴も靴も、誰かが次の一歩を踏み出すための小さなきっかけ。
その連鎖が、この国道の物語そのものになっていきます。




