第158話 手を繋ぐ帰り道
「帰り道が分からない。」
家の門の前に立っていた一人の男の子。
黒糖飴はもうない。
それでも優斗は迷わず手を差し出した。
母が遺した優しさは、形を変えて誰かの人生へ繋がっていく。
「大丈夫。」
優斗は男の子へ手を差し出した。
男の子は戸惑ったように手を見つめる。
「知らない人と。」
小さく呟く。
「手を繋いじゃダメって。」
優斗は思わず笑った。
「それは正しい。」
男の子も少しだけ笑う。
その表情を見て、拓海が一歩前へ出た。
「じゃあ。」
しゃがみ込んで目線を合わせる。
「一緒に歩くか。」
男の子は少し考えてから頷いた。
「……うん。」
「名前は?」
「陽太。」
優斗は驚いた。
「ようた。」
陽。
どこか懐かしい響きだった。
「俺は優斗。」
「こっちは父さん。」
拓海が軽く手を振る。
「よろしく。」
陽太は照れくさそうに頭を下げた。
三人で歩き始める。
夕方の住宅街。
犬の散歩をする人。
洗濯物を取り込む人。
カレーの匂い。
当たり前の日常だった。
「家はどこ?」
優斗が聞く。
陽太は前を指差した。
「青い屋根。」
「近いじゃん。」
「でも。」
陽太は俯く。
「ケンカした。」
優斗は歩幅を合わせた。
「お母さんと?」
首を横に振る。
「お父さん。」
拓海と優斗は顔を見合わせる。
「何があった?」
陽太はランドセルの肩紐を握る。
「サッカー。」
「やめたいって言った。」
小さな声だった。
「お父さん。」
「怒った。」
優斗は返事を急がなかった。
少し歩いてから聞く。
「本当は。」
「何がやりたい?」
陽太は少しだけ笑った。
「絵。」
「描くの好き。」
優斗は第155話で出会った少女を思い出した。
夢ノート。
紙飛行機。
誰かの夢は、こんなにも小さな声で始まる。
その時。
拓海が道路脇の自販機で足を止めた。
「ちょっと待ってろ。」
缶ジュースを三本買う。
一本を陽太へ渡す。
「ありがとう。」
「乾杯。」
拓海が缶を掲げる。
「何に?」
陽太が首を傾げる。
拓海は笑った。
「ちゃんと帰れたことに。」
カチン。
三本の缶が小さく鳴った。
陽太は少し照れながら笑う。
「初めて。」
「何が?」
「お父さん以外の人と乾杯した。」
優斗は胸が温かくなった。
青い屋根の家へ着く。
玄関の前で陽太が止まる。
「怖い。」
正直な一言だった。
優斗は頷く。
「分かる。」
「でも。」
門へ手を掛ける。
「一人じゃない。」
ピンポーン。
チャイムが鳴る。
しばらくして。
勢いよく扉が開いた。
「陽太!」
お父さんだった。
顔は真っ青。
目は赤い。
「どこ行ってた!」
怒鳴ろうとした声が途中で止まる。
陽太は一歩前へ出た。
「ごめん。」
少し震えながら。
「ちゃんと。」
「帰ってきた。」
その一言だった。
父親の肩から力が抜ける。
しゃがみ込み。
陽太を抱き締めた。
「ごめんな。」
「怒りすぎた。」
陽太も泣いていた。
「俺も。」
「ごめん。」
優斗は静かにその場を離れようとする。
「待ってください。」
父親が呼び止めた。
「送ってくれたんですか。」
「たまたま。」
優斗は笑う。
「帰り道が一緒だっただけです。」
父親は深く頭を下げた。
「ありがとうございました。」
その姿を見て。
拓海が小さく呟く。
「いい帰り道だったな。」
優斗は頷いた。
「ああ。」
帰り道。
夕焼けが街を赤く染める。
家まであと少し。
その時。
ポケットに何か当たる。
「あれ。」
黒糖飴はもうないはずだった。
取り出す。
そこには。
白い包装紙に包まれた飴が一粒。
見覚えのない包みだった。
裏を見る。
母の字ではない。
灯の字でもない。
たどたどしい子どもの字。
『ありがとう』
優斗は思わず笑った。
「父さん。」
「ん?」
「優しさって。」
飴を握る。
「ちゃんと帰ってくるんだな。」
拓海は空を見上げた。
「だから。」
少し笑う。
「分け合うんだ。」
二人は家へ向かって歩き続けた。
夕焼けの国道は。
今日も、誰かの帰り道になっていた。
第158話、ありがとうございました。
今回は、優斗が初めて「帰り道が分からない」と言った子どもを家まで送り届ける回でした。
特別な力も、道標も、黒糖飴の奇跡もありません。
それでも、人と一緒に歩くことが誰かを救う——それが、この物語の原点です。
そして最後に現れた白い包装紙の飴。
優しさは、一方通行ではありません。
渡した優しさは、形を変えて、また誰かから返ってくる。
第5章はいよいよ終盤。
次回、第159話では、優斗自身の「これからの人生」を決める新たな出会いが待っています。




