14: 出航!~クールな脇役の船
最も獰猛で危険な海、陸、雲の上、氷山、そして今は砂の上を進む巨大な木製の船。その内部にはわずかな乗組員がいて、船の最前部には二本足で立つ一人の人物がいた。
肩まで垂れる灰色の巻き毛のかつらをかぶり、赤くなった鼻先、腰の左側の鞘に納められた剣を右手で空に向かって掲げていた。
船の前方には、両側よりも大きく船体に埋め込まれた二門の大砲が備え付けられていた。キャプテン・カリナはググ虫を見つけるや否や、喉を裂くように叫んだ。
「撃てぇぇぇっ!!」
二門の大砲が連続して発射され、巨大な弾丸が動いていたググ虫の右前脚と後脚に命中した。
脚を吹き飛ばされた怪物は腹を地面に打ち付け、そのまま勢いよく滑っていった。
ネクロンはググ虫の硬く鋭い毛にしがみついて揺れを耐えた。クロサワも同じようにした。
怪物が止まると、ネクロンはすぐに吹き飛ばされた脚の再生を始めた。
だが、クロサワよりも先にヴァナがネクロンの胸元へ手を差し込んだ。
ネクロンは血を吐いた。
力が明らかに身体から抜け落ちていた。
両手は力なく垂れ、瞳の光は消え、頭は垂れてヴァナの肩にぶつかった。
ヴァナが手を引き抜くと、ネクロンの体は仰向けに倒れた。
ググ虫の古傷も再び開いた。
クロサワが立ち上がろうとする中、視線はヴァナの血に染まった手から離せなかった。
ヴァナはクロサワの方を向いた。
キャプテン・カリナの船が勢いよくググ虫の死体へと迫る中、ヴァナはジャケットの左内ポケットに妙な動きを感じた。
すぐにその中身を取り出した。
それは宿の女将を壁に手ごと縫い留めたナイフだった。
今やそれは光を放ち、震えていた。
カリナは眉をひそめ、死体の上に立つ二人を睨みつけた。
「撃てぇぇぇっ!!」
ヴァナはクロサワに近づいた。
半歩の距離まで来てしゃがみ、片膝をついた。
片膝でようやく立つクロサワの瞳を見つめた。
その顔には微かな幸福が滲んでいた。
唇だけではなく、瞳の奥にも喜びがあった。
ヴァナは言った。
「クロサワ…」
クロサワは思わずえずき、顔を伏せ、一口分の血を吐いた。
「くそっ…… こんなに傷ついてるなんて思わなかった…」
「アドレナリンのせいでどれだけ傷ついたか気づかないこともある。でも、もう関係ないんでしょ?」
クロサワは顔を上げていなかった。
だが、その顔に不敵な笑みがあることをヴァナは確信していた。
彼女が顎を持ち上げると、彼の目には涙があふれていた。
「なんで……?」
クロサワは震える声で答えた。
「ごめん…」
ヴァナは声を強めた。
「どういう意味よ、それは?」
二人は砲弾の音を聞いた。クロサワは目の端で近づく弾を確認した。
そして、左手の人差し指にはめた指輪が赤い光を放ち始めた。砲弾は空中で粉々に砕けたが、破片は方向を変え、ヴァナだけに向かって飛んだ。
「このクズ野郎!!」
クロサワの胸にヴァナが手を突き刺した。そのまま貫通させた。指輪の力は失われたが、弾の破片には依然として勢いがあった。
逃げようとしたが、すべての破片がヴァナの身体に直撃した。骨が砕け、内臓が裂かれ、手足がもぎ取られた。
クロサワは、ググ虫から投げ出されたヴァナの、破片にまみれた顔を見つめた。
少女の口からは血が溢れ、目の光が失われつつあった。ネクロンの遺体へと向かおうとしたが、自身も再び血を吐いた。
今回は胸の傷からも大量の出血があった。
力が抜けていくのを感じた。腹の傷口からも血がじわじわと流れていた。
キャプテン・カリナは左手でしっかりと握っていた投げナイフを、突然の激痛とともに手放した。
「なっ…?」
自分の手を見ると、四本の指が無くなっていた。そしてナイフは、持ち主の元へと戻っていた。
痛みに耐えながら左手首を押さえた。
「このナイフの行く先へ向かうぞ! すぐに発射準備!」
双子は同時に言った。
「でも、キャプテン。もうかなり接近してます。再装填する前に、もう到着してしまいます。」
「船の側面の大砲はどうしたんだっ!?」
双子の肩が落ちた。
「すみません…。でも、長い間放置していたので、前方の大砲しか整備が終わっていません…」
「くっ…わかった。他のクルーに伝えろ。白兵戦に入るぞ!」
「了解、キャプテン!」
ヴァナが声を荒げた。
「どういう意味よ、それ……?」
二人とも砲撃音を耳にした。クロサワは視線の端で自分たちに向かってくる砲弾を捉えた。そして、左手の人差し指にはめた指輪が赤く光を放った。砲弾は空中で砕け散ったが、その破片は方向を変え、ヴァナにのみ当たるように飛来した。
「クソ野郎がっ!」
ヴァナはクロサワの胸に手を突き刺した。その手は背中を突き抜けた。指輪の力が解除されても、破片は勢いを保ったまま彼女の体に命中した。骨は砕け、臓器は裂け、四肢が飛んだ。
クロサワはググ虫の上に転がったヴァナの顔を見つめた。彼女の口元から血が流れ、視線は虚ろだった。ネクロンの遺体に向かおうとしたが、自分も再び血を吐いた。しかも今度は胸の傷からも出血が激しくなっていた。
力が抜けていく。腹部の傷からもじわじわと血がにじみ出ていた。
キャプテン・カリナは左手でしっかりと握っていた投げナイフを突然の激痛で手放した。
「な、何だって……?」
彼女が手を見下ろすと、四本の指が消えており、ナイフは元の持ち主の元へと戻っていた。痛みに耐えきれず、手首を押さえた。
「このナイフの行き先に向かうぞ! すぐに撃て!」
双子の乗組員が同時に叫んだ。
「でも、キャプテン、もう近すぎます。再装填している間にもう到着してしまいます」
「だったら、側面の砲は何のためにあるんだよ!?」
双子は肩を落とした。
「すみません……長らく停泊していた船なので、前方の砲しか整備が済んでいませんでした」
「チッ……じゃあ他の連中に伝えろ。白兵戦に入るぞ!」
「了解、キャプテン!」
船はあと数分で到着する。だが、そのときヴァナの上に散らばった破片のひとつにナイフが当たった瞬間、青い魔力が走った。息絶える寸前だったヴァナの体が魔力で満たされた。
クロサワのすぐ横で爆発が起き、鼓膜が破れそうな音が響いた。視界が完全に遮られ、周囲の音もほとんど聞こえなくなっていた。感覚がすべて失われていく。意識も、もう限界だった。
「ん……?」
破片のひとつが頭に当たり、頭蓋骨が割れた。クロサワの意識は、完全に途切れた。
「ガブッ! ガブッ! ガブッ! ガブッ!」
歯の音、骨の砕ける音、血と臓器が撒き散らされる音。
どこからともなく聞こえるその音に、クロサワの中で不安が膨れ上がっていく。
どうやって目を覚ましたのか分からないが、本能的に目を開けた。
「なにしてるんだ、お前ら……!」
全身が真っ黒な目に染まった彼の両目から、血の涙が流れていた。
そして自分の体を喰らっている多数のピラニアを、指先から確認した。
起き上がろうとしても体は動かない。
手足を動かそうとしても、やはり動かない。
周囲は果てしない闇。
立っているのか、仰向けなのか、うつ伏せなのか、自分の姿勢すら分からなかった。
「やめろ! やめろったら! お前たち、なんなんだよ!!」
ピラニアたちは喰らい続ける。
その存在を認識してからは、痛みが何倍にも増していた。
骨はまるで包丁のような鋭い歯で砕かれ、内臓が齧られ、いくつかは体内に頭を突っ込んで内側から食べていた。
「ひっ! やだ! いやぁぁぁああ!」
数分が経ち、クロサワは運命を受け入れ、理由も分からない苦痛に慣れてしまっていた。
「……もう何も感じない。多分、もう手足がないからだろう。
っていうか……俺、どこまで喰われたんだ?」
目を鼻先に向けると、頭しか残っていないことに気づいた。
瞳孔が見開かれたが、今度は叫ばなかった。
ただ、涙が頬を伝って流れていった。
「なんで……?」
ピラニアの一匹が顔に飛びかかり、最後に残った前髪の一束を残して、何もかも喰われて消えた。
クロサワは、見慣れた場所にいた。
周囲は真っ白で、戸惑いの表情からも状況が把握できていないことが明らかだった。
ゆっくりと顔を上げると、目の前にヘナリアが立っていた。
「まあまあ……その目を見てよ。ずいぶん痛かったんでしょ、クロサワ?」
数秒間黙っていたクロサワだったが、記憶が一気に頭を駆け巡ると、数歩後ずさった。
「俺……死んだんだな。」
ヘナリアはため息をついた。
「いいえ、でももうすぐ死ぬところだったわ。」
「は?」
女神ヘナリアは、長い赤い爪を持った左手をゆっくりと袖の中から出した。
その瞬間まで、クロサワは彼女がローブを着ていたことにも気づいていなかった。
彼女は人差し指をクロサワの額のすぐ近くに差し出したが、触れはしなかった。
「もし、私の使徒になるなら、君に戻る力を授けるわ。」
クロサワはその爪の先をじっと見つめた。
あと一歩踏み出せば、使徒になり、違う力を得て、より強くなれるという直感があった。
「……でも、お前、俺が死んだとは言ってないな。
ってことは、戻るのに使徒になる必要はないってことか?」
「そうよ。でも、言ってごらんなさい? 今の君に残された生命力で、あの英雄の死体にたどり着いて、心臓を取り出せる自信あるの?」
クロサワは肩をすくめた。
「さあな。けど、お前のその“お優しいご提案”に乗る気はないんだよ。
他にも神がいるってことは、お前一強じゃないってことだろ。つまり、お前は俺が必要なんだ。」
「哀れな凡人のくせに、よく気付いたわね。
そうよ。私は君が必要。だからこそ、使徒になる名誉を与えてあげているの。」
クロサワは一歩後ろへ下がり、顔を上げて、白いヴェールに隠された彼女の顔に目を向けた。
「いいや。お前が欲しいのは人形だ。
死にかけの俺と“直接”会話してる時点で、もういろいろバレバレだ。
この世界における支配力はないんだろ? お前、創造主でもなんでもない。」
やっぱりな。俺が死ぬ前に呼び出されたってのもそうだし、制約が多いってのもその証拠だ。
たぶんこいつ、強力な魔導士かコズミックな存在だ。けど、少なくとも俺を送った世界の神ではない。
女神はゆっくりと指を引っ込め、黙り込んだ。
そして突然、拳を振り下ろした。クロサワのすぐ傍らに地響きのように打ち付けられる。
クロサワはその拳の落ちた場所を横目で見て、肩をすくめた。
見えもしなかった……だが、ここで屈するわけにはいかない。
彼は女神に背を向け、真っ白な空間を歩き出した。
ヘナリアはその場から動けず、腰から上だけが見える状態で、地面を何度も拳で叩いた。
「クロサワァ! このクソガキ! 早く戻れってば!
戻って来いっての! 許さないからな、絶対に!
ぶっ殺してやるぅぅ! クロサワアアアアッ!」
彼女の罵声を気にすることなく、クロサワはただ静かに歩き続けた。
しばらくして、女神の声も完全に消えた。
もう誰もいない、彼はそれを確信した。
しかし、いくら歩いても前方には何も見えなかった。
もしかして、目に見えるもの以外に頼るべきなのかもしれない。
他の感覚を使えば……
彼は鼻から短く、繰り返し空気を吸い込んだ。
「焦げ臭い……」
そして、目を閉じて周囲の空気を感じ取ろうとする。
まるでストーブの前に立っているかのような、顔に伝わる熱を感じた。
「熱い……」
彼は目を開けて、上を見上げた。
「匂いと熱の元は……上か。けど、どうやって登る?」
どうしようもなく、彼は空に向かって手を伸ばした。
そして掴むように指を広げた瞬間、無限に広がる白の帳が、シーツのように彼の足元に引き下ろされた。
そのとき、目の前に現れたのは――
炎の河、骸骨の山、人間の形をした鋳型に黒い液体を注ぐ黒い亡霊たち。
すべてが彼の足元に敷かれていた。
そして彼自身は、玉座に座っていた。
自分の体に目をやると、視界が一気にぼやけた。
――そして、頭に直撃した砲弾の破片で意識を失っていたクロサワが、目を覚ました。
読んでくださってありがとうございます!
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