ゾンビを追って屋敷を駆けたドリジャール。クロコスミアの剣が魔術師を穿つ
目を離していたのはほんのわずかな時間である。というのに、すでにセルジュゲイル館の内部では、睡眠剤入りの煙霧の侵入をさらに受けていた。一階は完全に霧の中に没しており、二階も半ば埋もれていた。
重く垂れ込めているガスの中で、ゾンビが這い回っているのが、うごめく陰で窺える。どうやら、ある程度の密度のガスを放出すると、そうしてガスの中に潜むように仕込まれているらしい。あるいは、ガスを作る原料たる体組織の崩壊が進んで、立って歩いていられないのかもしれない。
どちらにしろ、素早く動く事はなさそうだが、見つけるのはちと、面倒にはなった。そしてゾンビ達が獲物を見つけて殺すにはそれでも十分な能力をまだ備えていることは明白だ。霧の中で、獲物を眠りに落とし、静かに近づいて、命を奪う。スリーピングマーダーとは巧い名付けかもしれない。
既に使用人たちは三階まで避難させてあるから、二階にいたゾンビたちは問題なく破壊できた。こいつらはパッチワークとちがい、ガス製造機能以外は基本的なゾンビと遜色はない。容易く鎖刃剣のエッジが切り裂き、脳髄と心臓を砕くことができた。
だが、床に溜まるガスが三階へ至る階段から流れてきていた。つまりまだガス発生源のゾンビが三階に残っているのだ。
俺は階段を三段飛ばしに駆け上がる。まったく、これでも貴族の端くれとして知られた身だがそんなことは言ってられない。
と、その時、踊り場の窓から外の閃光を捉えた。あの肥満の魔術師が、またもやガス発火を放っているのは明らかだ。
俺はそれを意識から閉め出した。今の彼女なら全く遅れは取らない、そういう確信があったからだ。
三階に漂うガスは圧倒的に少なかった。残っているゾンビは一体かニ体のはずだ。
俺はマスクを外した。これくらいの濃度なら一気に吸わなければ平気なはずだ。浅く呼吸をとりながら、ゾンビの姿を探す。いた! あろうことか、ゾンビはエメロッテの眠る部屋の、わずか数メートルというところまで迫っていた。
俺は全速力でゾンビに向かった。渾身の力を込めて鎖刃剣を振り、過去最速の早さで突き出された切っ先が矢のように飛んだ。
ゾンビの手が、その汚れにまみれた爪が、エメロッテの眠る部屋の戸口に届く一瞬前に、俺の剣の切っ先は奴の胴腹に突き刺さり、反対側へ突き抜けた。
すかさず手首を捻り、貫通した鎖の目を絡ませる。そして一気に剣を引き戻した。すでに多量のガスを製造して体内がスカスカになっているらしいゾンビは抵抗らしい抵抗も出来ずに廊下の上で宙に浮いた。
そのままこちらに飛んでくるゾンビを、俺は剣の戻る勢いを利用して窓に向かって投げつけた。残念ながら三階の窓は、開放したままの一階の窓とは別の機構で施錠されていたから、あえなくガラスを叩き破ってゾンビは屋敷の外へと落ちた。
高所の風が、破れた窓から屋敷の中へ流れ込んだ。冷たい、心地よい風だった。足下に溜まる煙霧を吹き流してくれるだろう。
「これで掃討はできたはずだ」
耳を澄ませても、ゾンビのうごめく気配は感じられない。俺は一瞬、眠れるエメロッテの様子を見ようと思ったが、既にそれなりに騒がしいことになっている。この上戸口を開けてみたりなどしたら、本当に起こしてしまうかもしれない。
妙齢の娘の部屋へ、屋敷の主人といえどみだりに踏み込むことは控えるべきだな。
俺はゾンビを投げつけて破ってしまった窓に近づいた。地上では、前庭を舞台に二人の人影が対峙していた。
この距離では顔色は窺いきれない。しかし、辺りにくすぶるガス引火の炎を背景に、地面に累々と転がっているゾンビ達を踏み越えて、クロコスミアが魔術師の迫っているのが見える。一方で、肥満体の魔術師は後退りをはじめていた。どうやら、手持ちのゾンビはすべてクロコスミアが破壊してしまったらしい。
俺は窓の縁に足をかけ、外へと跳躍した。三階から地上までおよそ十数メートルはあるが、これくらいの高さなら問題ない。
着地と同時に膝、腰、肘、肩の順に地面へ落ちて衝撃を分散する。落ちた場所が芝地だったのも合わせて、羽毛のマットみたいに柔らかな着地になった。
「片づきましたか」
クロコスミアが振り返りもせず聞いた。
「ああ。そっちは、もうすぐといったところか」
「少々手こずりました。やはり腕が鈍っているのを痛感します」
忌々しげにこちらをにらみつける、肥満体の魔術師は、手に燧石のついた短い杖を持ち、辺りに倒れる自分のゾンビたちに目をやった。
「見たところ手持ちのゾンビを使い切ったな? 杖を捨てて降参しろ、そうすれば悪いようにはしない」
「ふざけるな! 手塩にかけて製造したゾンビを全滅させよって。だいたいなぜ、目を覆っている癖にこちらの動きを読めるんだ?」
「匂いと音がしますから。意識を集中すればそれだけで十分気配はつかめるものです。そして貴方は今、追いつめられて心拍が上がり、呼吸も浅く早くなっている。不安を感じている証です」
「だまれだまれ! メイド程度に後れを取ったなど、魔術師の名折れ。貴様等を道連れにしてでも殺してくれるわ! かぁぁ!」
言うなり、魔術師の膨れた腹が波打ち、奴の口から濃緑色のガスが多量に吐き出された。俺は口を覆って下がった。マスクを外したのは失敗だったか。
「その手品は既に何度も拝見しました」
「手品ではない! 体内に施した術式と改造によって自在にガスを製造できる、私独自の魔術なのだ! かぁ、かぁ、く、ふふ、このガスでお前たち諸共、この場を爆破して」
魔術師の口はそれ以上喋ることはなかった。
クロコスミアの手から延びた鎖刃剣が奴の舌を切り取ったのだ。
「もういい。黙りなさい」
辺りに漂うガスの固まりをすり抜けるように、クロコスミアは跳躍する。引き戻した剣と手元の剣、二つの刃が二重の螺旋を描きながら、彼女の手から突き出された。
それは極太の槍の穂先めいて、火明かりの中で煌めき、ガスで膨れているであろう魔術師の土手っ腹を貫いた。
「ぱぁ!?」
素っ頓狂な声を上げて、花火を飛ばすように魔術師は弾け飛ぶ。そのままセルジュゲイル館の敷地を隔てている垣根を越えて、冷たい石敷きの路面に叩きつけられた。
「お見事だ。『デヴォラ・ボストン・セルジュゲイル』」
「お粗末様でございます。・・・・・・ふふ、久しぶりにそう呼んでくれましたね、ドリジャ」
「お前がそう呼んでくれるな、と言ったんじゃないか」
「ええ、言いましたとも」
剣を納めた彼女は目を塞いでいたリボンを説いた。どうやら、閃光による一時的失明から回復出来ているらしい。
彼女の目が俺を見た。俺と同じ目だ。激しく燃える眼、しかしそれは徐々に抑制された眼差しに変わっていく。
「私はメイドです。母が亡くなり、行く宛がなくなった私はセルジュゲイル家の人間であることを止め、代わりに家人として勤めることを決めたのですから。例えそれまで、姉弟同然と思っていた間柄であっても、そこに一線を引かねば使用人足り得ません。だからドリジャ、私に気兼ねはしなくてもいいのですよ」
「・・・・・・気兼ねなんてしないさ。だからたまには剣を取って、稽古に励め。目の前で技の冴えが腐っていくのを見るのは惜しい」
「そうね、そうするわ・・・・・・む」
クロコスミアの目が外に向いた。そこでは腹に大穴をあけた魔術師が、体を起こしてこちらへ手を伸ばそうとしていた。
「ぐふっ、ぐふっ、そうか、貴様も、セルジュゲイルの人間、だったか。不覚、不覚。ぐあっ!」
魔術師の満身創痍の身体が軋みをあげて、透明な何かによって締め上げられていく。魔術師は血反吐を吐きながら喘いだ。
「はぁ、はぁ、墓場の友、万歳。我がマスターよ永遠なれ・・・・・・はぅ!」
透明な何かによる締め上げが限界に達したその時、魔術師の身体は閃光と共に爆散した。昼間の、パッチワークの死体魔術師と一緒だ。ただ、今回は距離が離れていたお陰でいらぬ怪我をしなくて済んだ。
光が褪めた頃には、既に魔術師の痕跡は跡形も残っていなかった。爆心地に焦げ跡さえ残さない、瞬間的、そして強烈な爆発だった。残っているのは無惨に切り裂かれて機能停止する、奴が放ったゾンビの残骸くらいなものだった。
「終わったな」
「ええ」
「後かたづけは頼めるか、といっても、最低限でいい。適当に隠して、後で使用人たちに始末させてもいいしな」
「了解しました。避難させてる者達を開放しておきますので、貴方はもう眠りなさい。後のことは任せて」
「ああ、そうする。おやすみ、クロコスミア」
「ええ、おやすみなさい、ドリジャール」
こうして俺の、長い、本当に長い一日が、漸く終わった。




