悪夢を見るドリジャール。起こされてゾンビの襲撃を迎え撃つ
極上の居心地を提供する寝椅子に横たわって、俺はガラス張りの小さな植物園の真ん中にある小さなテラスを眺めていた。きらきらと降り注ぐ光の下で、エメロッテがダンスの練習をしていた。
それは、そうするべきことだな、と俺はぼんやりと思った。エメロッテほどの器量ある娘なら、しかるべき人物が後見人として立って、社交界でしかるべき家の男を夫とするべきなんだろう。彼女の父の代で潰れたレーン家の再興は、それからでも遅くはない。
そのとき、舞い踊っていたエメロッテが振り向き、俺の元へ近づいてきた。その眼と表情は上気して、甘く蕩けていた。
「いつまでそうしているのかしら? おじさま」
どうやら、俺が眠っている振りをしていると思っているらしき彼女は、大胆に歩み寄って、寝椅子の端に腰掛けてそう言う。そうだ、俺は寝ている振りをしている。
「どうしてご自分のお気持ちに嘘をついていらっしゃるの? 私は、お会いした時からずっと、待っていたのに」
エメロッテの指が、眠る俺の胸に置かれる。払いのけてやろうかと思ったが、酷く腕が重く感じられた。
「このまま何事もなく過ぎ去るなんて、都合のいいことは起こらないのよ。貴方はお忘れなのかしら? 私にも、お父様から受け継いだセルジュゲイルの血が入っている・・・・・・」
蠱惑的に微笑むエメロッテの顔が、眠る俺の胸を滑るように近づいてくる。重さは全く感じない、まるで羽根のような軽さで。
「セルジュゲイルの人間は、苛烈な激情の意志で、目的を達成するのよ。私はゴーレムで成功するし、レーン家も復活させる。そして、貴方も手に入れる」
それは駄目だ、と思わず叫ぼうとした。できなかった。
「この唇に必ずキスしてもらうわ。でなければ、この首を切って持ってっちゃうんだから」
ドアを叩く音で俺は目を覚ました。寝て起きた割には、妙に肌の下が熱っぽいのが、なんとも不愉快な目覚めだった。それに、眠りについた時と同じように部屋は暗い。実際の所、眠っていたのはほんのわずかな時間であるに違いない。
そんな具合ですこぶる不機嫌なまま、ガウンをひっかけて俺はドアを細く開けた。開けるとまだお仕着せを着たままのクロコスミアがランタンを片手に現れた。
「お眠りの所、申し訳ありません」
「俺を起こすほどのことじゃなければ鼻先を削り落とすぞ」
「おや、そんなことがお出来に?」
人の居ない、差し向かいの時のクロコスミアは気安い言葉をかけた。この手に鎖刃剣があり、そして手で触れられる距離に立っていたとしても、俺の剣が彼女に届くかは疑わしかった。彼女はその事をよく知っている。
「外を見てください。そっと」
ドアを開けて彼女を入れ、俺は窓辺の陰に立ってカーテンの隙間から外を見た。分厚いカーテンの襞が俺の姿を外に晒すことはないだろう。
硝子越しの外は未だ深い夜の中だ。その中にゆらゆらと揺らめく無数の明かりが見える。明かりはセルジュゲイル館を囲む塀を乗り越え、敷地内に入ってきていた。耳を澄ませると、低い、唸り声を上げているのが解った。
ゾンビの群れが明かりを掲げながら押し寄せているのだ。
「寝ていた方がよかったですか」
「いいや」
カーテンを閉めた俺はガウンを脱ぎ捨ててシャツを着て、鎖刃剣を取る。
「現在の被害状況は」
「一階に降りて確認しようとしましたところ、異臭を感じました。どうやら、何らかのガスを使用していると思われます」
話を聞きながら、シャツの上からベストを着る。シャツの袖を入れるように薄地の籠手を填めて具合を確かめた。「その様子だと、致死性は低そうだな」
「たぶん睡眠導入薬をガス状にして噴射しているのでしょう。似たようなものを以前使われたことがあります」
「以前、ね」
「以前です」
クロコスミアとのつきあいは長いが、それでも知らない経歴というものはあるものだ。ただ、彼女とその母親が、セルジュゲイル家の財政状況をつぶさに知るが故に、一度ならず命の危機に遭っているのは聞いたことがある。
そして、そんな幼年期を過ごしているが故に、クロコスミアはこのような苦難に対して毅然たる態度で、俺に言った。
「ご指示をお願いします」
「一階を無人にして、連中を引き入れる。集めた方が始末しやすいからな。お前の手も借りるぞ。腕は鈍っていないだろうな?」
「さて、どうでしょう。その眼でお確かめ下さい。それに既に一階は空にしました。他の使用人は3階に避難させてあります。エメロッテ様はどうしますか」
そう言われてしばし、考える。今日は酷く疲れただろう。明日からも忙しい。
「彼女は客人だ。客人に穏やかな眠りを授けて差し上げるのは、屋敷の主人の義務だと思わないか」
「翌朝になって事の真相を知ったら、酷く不機嫌になるのではないですか」
「それでもいいさ」
鎖刃剣を抜いて確かめる。既に今日はそれなりの数の肉を引き裂いているが、刃が欠けたり甘くなってはいない。
「天使をわざわざ起こすことはない」
二階から一階へ降りるエントランス階段の前に来ると、一階が空豆色の濃厚な煙霧に沈んでいるのが見えた。まだ中へ踏み込んでいないというのに、鼻につく甘ったるく薬臭い匂いに、頭が痛くなりそうだった。
「一吸いで気を失いそうなガスだな」
「適度な濃度で吸引すれば、憂鬱症からくる不眠から開放される良い薬ですよ」
「薬も度を過ぎれば毒だな」
薄明かりを背景に、一階の扉や窓いっぱいにゾンビ達が殺到し、圧迫されているのがここからでも見える。エントランスには省人力装置として自動で一階正面の窓を開放できるスイッチがあり、これを押せば裏で重りが落ちて窓が一斉に開く。屋内にゾンビ達がなだれ込んでくるだろう。
問題はこのガスをどうするかだ。地面を這っているガスは煙突の排煙機能では排除できないだろう。
「息を止めて突っ込む・・・・・・わけにはいかないな」
「あっという間に昏倒するのがオチですね。何かありませんか、大陸軍の隊長さん」
「そうは言ってもな、駐屯地ならともかく屋敷に置いてあるようなものでは・・・・・・いや、待て」
俺は話しながらセルジュゲイル館の武器庫に入っている武具類の一覧を思い出して、上階に引き返す。途中、エメロッテの部屋の前を横切る時にはそっと細心の注意を払い、音もなく通り過ぎた。
武器庫を開いて中をみた。この屋敷には上階と地階の二カ所に武器庫がある。上階のものは、俺が用意させた小さな物で、たまに軍の技術者やらが持ってくる試作武器なんかを突っ込んでおくのに使っていた。
そんなガラクタたちの中に、それはあった。革で出来たそれは、顔の全面を覆う形をしており、口のあたりに化粧品を入れるような小さな缶のような物がくっついている。
大小あるそれをひっつかんで下に戻ると、クロコスミアの方は既に準備が完了していた。お仕着せのメイド服の上から、上半身を交差するようにベルトを締め、両脇の下から小降りの鎖刃剣が二振り吊るしてある。
「こいつが使えるかもしれない。ちょうど二つあるしな」
「それはなんですか?」
「火山地帯の有毒な噴出物に対応するために作られたマスクだ。こっちの缶に毒物を吸着させて、きれいな空気が吸えるようになっている。この睡眠導入剤の煙にどれだけ効き目があるかわからないが、ないよりはずっとましだろう」
「単に鼻と口を覆うだけにならなくて良かったですよ」
俺たちはその防毒マスクを着けた。鼻から下は完全にマスクに覆われて、息苦しいシュウ、シュウという呼吸音が漏れるばかりだ。サイズの大きい俺のマスクは、目の回りがガラス製の窓になっていて、隙間無く顔を覆っている形だが、クロコスミアに着けさせたマスクは窓がない。だから彼女の、凛としたまなざしも、きつく纏め上げられてヘッドドレスで抑えられた髪も、崩れることなく見えている。
「下に降りて、正面扉を開ける。それにあわせて窓をあけろ」
「了解しました」
俺は鎖刃剣を抜き、恐る恐る、しかし速やかにエントランス階段を降りた。足先が煙の中に沈み、やがて全身が中に入った。・・・・・・鼻先にはより一層濃厚な薬品の匂いが嗅ぎとれたが、即座に昏倒することはなかった。
「マスクは機能してくれそうだな」
微かな勝機を掴んだ俺は、そのまま施錠されている正面扉に近づいた。接近すると、外の壁を鋭い爪でガリガリひっかく音、爛れた声帯を震わせて出される呻き声や吠え声がひっきりなしに聞こえてくる。なまじ、しっかりと正体をまだ捉えていないだけに不気味な物が感じられて肌が粟立つ。
「位置に着いた。タイミングを合わせろ」
「はい。3」
「2」
「「1」」




