第三話 殺人犯を葬儀に誘ったら、変態が釣れました
扉を叩く。
しばらくして、ラスコーリニコフが顔を出した。
私を見るなり、固まった。
「こんにちは」
「…………」
扉が、少しだけ閉まった。
「待ってください」
ラスコーリニコフの視線が、私の顔から右手へ移る。
パラソル。
それから、廊下の奥を見る。
逃げ道を確認しているらしい。
「どうして、ここが……」
「昨日、住所を聞きました」
「誰に」
「警察署の人に」
ラスコーリニコフが一歩下がった。
殺人犯が、被害者みたいな顔をしている。
「何の用だ」
「少しお話が」
「ここで聞く」
「中に入れていただけませんか?」
「ここで聞く」
頑なだった。
部屋の奥から、女性の声がする。
「ロージャ、お客様?」
「違う」
「違いません」
「帰ってくれ」
「まだ何も言ってませんけど」
「君がわざわざ訪ねてくるような話なら、聞きたくない」
ずいぶん失礼である。
私はパラソルを持ち替えた。
ラスコーリニコフの肩が跳ねた。
「何もしませんよ」
「信じられると思うか?」
「昨日は、あなたが余計なことを言ったからです」
「今日は言わない」
聞き分けがよくなっている。
「ロージャ、いつまで玄関で話しているの?」
「母さん、来ちゃだめだ」
遅かった。
上品な婦人と、若い女性が部屋の奥から現れた。
「あら、きれいなパラソルね」
「ありがとうございます」
「母さん、それには触らないでくれ」
「どうして?」
「危険なんだ」
◇
「あら、こちらが昨日の?」
上品な婦人と、若い女性がこちらを見ていた。
「ロージャが二十ルーブル差し上げた方でしょう?」
「母さん」
ラスコーリニコフが低い声を出した。
妹の婚約者から、〈あなたの息子がいかがわしい女に二十ルーブルも渡した〉という手紙が届いているらしい。
なるほど。
私、疑われている。
「明日の朝、父の葬儀がありまして。そのあと、ささやかですが追善の席を設けます。母が、ぜひラスコーリニコフさんにも来ていただきたいと」
「ああ。伺おう」
よし。
一人確保。
用件は済んだ。
「突然お邪魔して、申し訳ありませんでした」
私は母親と妹にも頭を下げた。
「父が亡くなったとき、ラスコーリニコフさんの優しさに、本当に救われました。最後までとても慈悲深くしてくださって……」
「ロージャが?」
プルヘーリヤさんの顔が、ぱっと明るくなった。
「はい。母も、真に高潔な方だと、感謝しております」
それどころか、母の中では、二年もすれば教授になり、いずれ政府からも重く用いられる人物くらいまで盛られている。
本人には言わないでおこう。
少し話しているうちに、我が家の事情まで伝わってしまった。
病気の継母。
まだ幼い三人の子供。
頼れる親類はいない。
父の葬儀に来てくれる人さえ、ほとんどいない。
そして、私がいるせいで来たがらない人もいることまで。
ドゥーニャさんが私を見た。
「それなら、私も伺うわ」
「え?」
「人が来ないのなら、なおさらでしょう」
「でも――」
「私が行きたいの」
強い。
さすが、あのスヴィドリガイロフに狙われるだけある。
「ロージャがお世話になった方なのでしょう? それなら、私からもご挨拶しなくては」
プルヘーリヤさんまで続いた。
「では、僕もご一緒しましょう」
奥から大柄な若い男。
ラズミーヒン。
来た。
作中でもトップクラスにいいやつ。
働く。
人を気遣う。
友人を助ける。
人を殺していない。
すごい。
まともだ。
ただし、ラズミーヒンの視線は、ちらりとドゥーニャさんへ向いていた。
たぶん、この人と一緒にいたいだけだ。
まあいい。
まともな人間、三人追加。
大戦果である。
◇
翌日の追悼宴に向けて、準備を始めた。
まず招待客。
原作ではアパートの住人を片っ端から呼んでいた。
やめた。
父の昔の同僚。
実際に付き合いのあった人。
体面上、声をかけておくべき人。
以上。
ただ酒を飲みに来る知らないおっさんは要らない。
次に会場。
豪華にする金はない。
だから窓を磨き、不揃いの食器も目立つものだけ外した。
椅子には布をかけ、花とテーブルクロスの色も合わせる。
「……意外といける」
小学生のころ雑誌の付録で読んだ、『お誕生日会をかわいく飾ろう!』の知識がこんなところで役に立つとは。
そして最後に、子供たち。
ポーレチカたちの服は新調できない。
そこで同じ下宿の仕立屋さんに頼んで、白い襟だけ作ってもらった。
安い布でいい。
襟が整うだけで、ずいぶん違って見える
「まあ……こんなもんでしょ」
私は完成した部屋を見回した。
豪華ではない。
でも、みすぼらしくもない。
少なくとも、
金がないのに酒だけ大量に並べて、知らない酔っぱらいが暴れる会場よりは百倍いい。
よし。
今日は寝よう。
◇
夜。
私はベッドに横になった。
疲れた。
転生してから、ろくに休んでいない。
目を閉じる。
そのとき。
――カサ。
「……?」
隣から音がした。
壁の向こう。
人の気配。
なんだろう。
妙に静かだ。
静かなのに、こちらを探るような気配がする。
「…………」
覗き?
いや。
待て。
この部屋。
隣室。
盗み聞き。
「あ」
私は起き上がった。
もしかして。
いや。
まだ確証はない。
でも、もし原作通りなら――。
私はベッドを降りた。
壁際へ座る。
そして、少し大きめの声で独り言を始めた。
「はぁー……」
沈黙。
「今日、ラスコーリニコフさんから、すっごいこと聞いちゃったなー」
…………。
何も聞こえない。
「人には絶対言えないようなことだったなー」
…………。
「特に、ラスコーリニコフさんの妹さんに関係ある人には、絶対聞かせられないなー」
…………。
カタン。
壁の向こうで。
何かが動いた。
「…………」
私は笑った。
よし。
変態が釣れた。




