異性意識
狼共は背丈ほどまで伸びた茂みを押し分けながら散開し、牙を剥くでもなく咆哮をあげるわけでもなくジリジリと距離を詰めていく。
確実に、仕留め切れる距離にまで近づく過程で、奴らは隙を見せてくれたりはしない。
先んじてユミフネは深く弓を構えた。矢を携えると同時、シロロンから教わった魔法を行使していく。強く心臓が脈打つ。湿気た木々の臭いを深く吸い込んで、体で感じられるようになった魔力とやらを研ぎ澄ます。
「【流星】」
物体に掛かる力を増やす魔法。無から電気や熱を作り出すよりも、存在する作用を増やす魔法のほうがずっと単純で、すぐに構成することができた。
――射抜く。
矢は風を切ると、ただ弦を引くよりも強く、疾く、標的に着弾し、その目深く食い込んでみせる。
「ギャウ!」
鋭い痛みを前に狼は、蹴られた犬のような悲鳴をこぼした。
僅かに飛び散る鮮血。深く刺さった鏃から、すぐに毒が回りだしたのか、射貫いた一匹はのたうち回るだけになった。
だが、こちらからの攻撃を皮切りに、ダイノスウルフ共は一斉に牙を剥いた。大顎を開いて若い狼から一気に距離を詰めてくる。
「っ……!」
二射目は到底間に合わない。ユミフネはポーチに手を突っ込むと握りしめた果実の殻を目の前に投じた。
中に詰めた灰が【流星】の魔法を経由して一瞬にして煙幕のように広がっていく。
それでも構わずに突っ込んできた狼の一撃を、懐に潜り込んで回避してみせる。戦略なんてものはない。ただの土壇場だ。
喉首のすぐ隣を牙が横切った。生暖かくて生臭い死の臭いが全身に警鐘を鳴らしていく。死を目前にして知覚は増して、振るわれた爪を仕方なく腕で防ぐ。
服が裂け、熱感を帯びた痛みが腕を通り抜けた。腹を破かれるのは避けれたが、傷が化膿すれば結局は致命傷だ。薬なんてないのに。
だが今はそんなことどうだっていい!!
グルグルとめぐる思考をシャットアウトする。行動に迷いがないように眦を決した。ユミフネは地面を滑るように、背を向けず、むしろ果敢に懐へもぐりこんだ。その方がマシだと瞬間的に確信していた。
毒矢を握りしめ、直接突き刺す。頑強な肋骨に阻まれ、内臓を傷つけることは叶わないが、皮膚は裂いた。すぐに毒が回りだす。
死ぬにはそれなりに時間がかかるが、激痛はすぐに訪れる。狼は唸り声をあげて威嚇しながら、逃げるように飛びのいた。
そうだ。割りに合わないと思ってくれればいい。冒険者のように奴らを駆除しにきたわけじゃないのだから。
だが、面倒だと思われたのはユミフネだけだった。残った狼共がじっと、シロロンと赤ん坊の様子を伺い、距離をゆっくりと詰めなおしていく。
「俺の女に近づくんじゃねえよ……!」
苛立ちと焦りを誤魔化すように、怒鳴り声をあげた。
再度【流星】を行使し、灰の煙幕を再展開しながら、弓を使わずに持っている矢を撃ち放つ。
だが速度が足りない。シロロンのように巨大な岩石でも動かせればできることは多いのだが、今のユミフネにはこれが限界だった。
奴らは軽々と矢を避けて、一気に距離を詰めた。弓を捨て、拳銃に持ち帰ると同時に発砲。銃声は三度響いて、それ以降はカチャカチャと頼りない音を鳴らすだけだった。
残り少ない拳銃を全て撃ちきって僅かな猶予を作り出すと、シロロンを庇うように引き寄せた。
沢へ続く急斜面へ飛び込む。一歩踏み出したが最後、止まることはできなかった。
すぐ背後に狼共がいるから? 否、前へ、前へ踏み出さないと転がり落ちてしまうからだ。足を着くたびに泥が崩れ、枝葉が頬を打つ。小さな切り傷と打撲が全身を痛めつけていっても他に選択肢はない。
シロロンは赤ん坊を胸へ抱き締め、身体を盾にしながら必死に斜面を駆け下りた。心臓が肋骨を殴るように脈打っていた。
荒い呼吸に灰と湿った土の臭いが混じり、喉の奥に血の味が滲む。
背後で獣の咆哮と、枝をへし折る音が響いた。
行く先を睨む。水面はすぐそこにあるように思えたが、斜面の終端は沢に削られ、数メートルほど切り立っていた。
「飛び込め!!」
水に何がいるかもわからないし、高さはあったが考える猶予などなかった。ただ命の危機に急かされるように叫んで、強く地面を蹴り込む。
――ザブンと、勢いのまま水柱を立てた。
「っ、随分と無茶を、けほっ……させてくれるね。ワタシが赤ちゃんを抱えてることは……ごぼっ、覚えてるかね……?」
シロロンは必死に足をバタつかせていた。赤ちゃんが水に浸からないように必死に腕をあげているから、顔のほとんどが沈んでいる状態だった。
それでも生き残ったことを楽しむように飄々と笑みを向けてきて、ユミフネは釣られるように吹き出した。
「大丈夫だと信じてたんだ。とにかく向こう岸まであがろう」
幸い、水中で何かに襲われるようなこともなく、服はびしょ濡れになってしまったが対岸にまで上がることができた。
洪水のときにはここも川になるのだろうか。草木は少なく、ひらけていた。
ビチャビチャと水音を鳴らして、無様な自分たちを互いに見つめ合う。
「何かついてるかね?」
シロロンがブルブルと身震いをすると、尻尾の水が全部顔に掛かってくる。
「初日のことを思い出しただけだ。あのときも雨のせいでびしょ濡れだっただろ? そのせいで服を脱ぐことになったし」
「服を乾かさないといけないのは今も変わりないがね?」
シロロンはそう言って目の前で服を脱ぎだした。傷だらけでもきれいな肌が、たわわな胸が、体の曲線が、何のためらいもなく視界に飛び込んできて、ユミフネはあわてて目をそらした。
「ッ……!? 羞恥心をどこに捨てた? 逃げるときに落としたのか?」
「捨ててはないとも。恥ずかしいよ? だが別に、見られるのを嫌がるような仲でもないだろう?」
彼女は嘘は言ってない。シロロンの尻尾は不安定に横揺れしていて、耳は畳まれている。……なら何故???
動揺を隠せず、ユミフネは今までとは打って変わってたじろいだ。
「そういう君はこういうことがあっても今までは目を離さなかったのでは?
前はワタシの裸を見ても得だの。犬は本来服を着ないだの言ってたではないかね? 何故いまになって紳士ぶる?」
何故? 何故と言われてもそうするべきだと思っているからだ。
そんな想いは言葉にはできなかった。
「っ……休憩してから旋角獣探しを再開しよう」
「隣にいてもいいかね?」
「なぜだ」
「今の君は可愛いと思うのでね」
シロロンは蠱惑的に微笑んで、びしょ濡れの尻尾を押し付けてくる。冷たいのに、嫌に体は熱っぽく感じた。
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