くすぶっていく本能
◆ ◆ ◆
……見られるのを恥ずかしがるような仲でもない?
まぁ確かに言われてみればそうかもしれない。
出会って初日で裸になった仲だ。それ以外も彼女の水浴びに鉢合わせたりだとかでその傷だらけの柔肌を何度も見てきた。揺れるような胸を、白銀の尾の付け根を。
刻まれた記憶を鮮明に思い出して、ユミフネは口元を抑えた。
いや、おかしいだろう。
それでも普通は恥ずかしがって隠すはずだ。隠していたはずだ。……遭難してこんな日数一緒にいたら普通とは言えないかもしれないが。どういう心境の変化だ?
――――シロロンは俺のことを好いてくれているのか?
耐え切れないぐらい顔が赤くなる自覚があった。
おかしくなったのは自分もだろう? 前なら綺麗な女の体を見れて得だったとしか思えなかったはずだ。
茶化して、少しだけ恥ずかしいのを誤魔化せたはずだ。
さっきの醜態はなんだ? 何も言葉が出なかった。
――俺はシロロンのことをどう思ってるんだ?
「――? ――――?」
考えると、ふつふつと罪悪感が湧き上がる。
もう会うこともできないヨミの顔が脳裏に過ぎった。一緒に夢を叶えてくれるはずだった人。無茶が多くて、強気で、可愛げがあって……。
思い出すほど胸が痛んだ。今度はシロロンへの罪悪感だった。
「――!? ――フネ!!」
そういえば、さっき狼に追い詰められたとき自分はとんでもないことを口走った気がする。
(俺の女に近づくんじゃねえよ……!)
そうだ。そう言った。シロロンはしっかりと聞いてしまっただろうか。死と隣り合わせになって、つい感情的になって変なことを言ってしまった。
「ユミフネ! 何をボケっとしてるのかね……!?」
我に返ると覗き込むようにシロロンの顔が目と鼻の距離にあった。開ける視界。考え事のあまり視野が狭くなりすぎていた。
「っ……お前のことをかんがえてたんだよ。それで、なんだ?」
「へゃ? わ、ワタシのことかね。それなら……ってよくない。しっかりしたまえ。旋角獣がいたぞ」
シロロンは尻尾をぶんぶんと振りながらも息を潜め、静かに視線の先を指さした。
茶の体毛。鹿のような体躯に巨大な角。間違いなく探し求めた家畜の群れだった。小規模な群れだが子供もいる。乳は期待できるだろう。
「さて、……どうやって捕まえるか。崖に追い込んで、【岩弾】か【火炎】で逃げ道をふさぐか? いや、餌とか塩で誘導するべきか?」
準備自体は可能だ。その間は赤ん坊は無理やりバナナを押し込むしかないが。だがシロロンは首を横に振った。含み笑いを浮かべ、何か奥の手があるかのように瞳をキラリと輝かせる。
「実を言うとだね。奥の手があるのだよ」
――本当にその通りだとは。
「しかしだね。ワタシの固有の魔法は実に使い勝手が悪い。便利ではあるのだがね? まず、対象は無差別的になるし、ワタシも君も必然的に効果範囲内となるだろう」
――固有の魔法。皇国と帝国の戦争を泥沼化させた要因だ。単純な技術力、軍事力において皇国は圧倒的に優位だったはずが、一部の兵士が文字通り一騎当千になりうる。瞬間移動に認識阻害、治療に解毒。
まぁ今まで使わなかったことを踏まえるとシロロンのはそんな便利なものではないのだろう。
「それで、どういう力なんだ?」
「知りたいかねぇ?」
「もったいぶるな」
ぐにぐにと頬を引っ張る。シロロンはもちもちとされるがままだったが、やがてキリっと澄ました面構えになって鋭い視線がこちらを見上げた。
「……原始的欲求を肥大させるのだよ。ワタシの声を聞けば腹が減り、眠くなり……といった感じだね。畑の成長が早くなるし、子供の面倒を見る分には楽だから故郷では重宝されていた。ただワタシ自身も影響を受けるし、イェール共に聞かせるなら君も影響を受けるから少し離れたまえ。影響を受けすぎても責任はとれないものでね」
なんだか少し歯切れの悪い言葉だった。問い返すより先に、シロロンは赤子をユミフネへ預け、ゆっくりと息を吸った。
そして歌う。密林の濃い緑のざわめきに、澄んだ声音が重なっていく。
シロロンは玲瓏とした歌声を響かせた。歌詞は聞き取れない。帝国訛りがきついのか、意味を持たない旋律なのか。
低く穏やかな節が葉擦れの音へ溶け込み、そこから少しずつ、耳の奥ではなく身体の内側へ染み込んでくる。
旋角獣たちにも効果的だった。群れの大半があっという間に眠りについていく。狂気的なまでの効果だ。これを戦場で使われていたら致命的な被害を受けていただろう。
眠り込んだ群れへ慎重に近づく。その毛を撫でようとも、起きる気配はなかった。
「……こんなすごい魔法があるのにどうして隠してたんだ?」
乳房の張った母体と寄り添う幼体を選ぶ。持ち帰るために木の棒と蔓を組み合わせている最中――眩暈がした。シロロン自身も魔法の影響を受けているのか、茫然とした様子でこちらをただじっと見つめていた。
「知りたいかね? この魔法の欠陥を」
何気ない言葉がいやに蠱惑的で、思わず顔をあげると目と目が合った。
シロロンが歩み寄ってくる。頬は赤く、呼吸も浅い。いつもの余裕を取り繕うように笑っているのに、青い瞳だけがまっすぐユミフネを見つめていた。
――何だ、これは。
異変を感じたのは彼女だけではない。
シロロンが一歩近づくたび、胸の奥が妙に騒いだ。
汗ばんだ肌の匂いも、伏せられた耳も、僅かに開いた唇も、普段なら流せるものばかりが異様なほど鮮明に目へ焼き付く。川でのやり取りのせいか?
違う。そんな生ぬるいものじゃない。体の内側で熱を帯びた脈動が見苦しい本能を肥大化させていく。
「……お前、近いぞ」
言いながら、離れる気にはなれなかった。
むしろ伸びてきたシロロンの腕を掴み、気づけば自分から引き寄せていた。
……原始的な欲求を肥大化させる。
ものの数秒で眠るほどの力を、この状況で食欲にあてがうのは無理がある。自分らが寝てしまっては意味がない。
残った原始的な欲求は――――生殖本能。性欲。
原因を理解したのに距離もとれない。シロロンの匂いが甘ったるく感じる。触れる熱が途方もなくやわらかで熱い。
抱き寄せたくなった。押し倒してしまいたくなった。
嗚呼、こんなものを戦場で使えば敵も味方も崩壊する。だから彼女は奥の手だと言ったんだ。けど使った。
一線を越えてしまってもいいと考えているのか? 彼女は。
ユミフネは血走った瞳でシロロンを見つめる。泥に濡れた頬が艶やかに見えた。けれど理性が訴える。何か事が起きてしまうとして、魔法を言い訳にはしたくはなかった。自分の意思であるべきだ。
それにどうしてシロロンが魔法を使ってくれた思っている? もう後悔しないためだ。見つけてしまった赤ん坊を助けるためだ。本能に吞まれたりはしないと、信じているからだと。そう自分に言い聞かせる。
「っーーー……!」
ユミフネは冷静さを取り戻そうと、自らの頭を強く樹に叩きつけた。……正気じゃない。余計な怪我を増やせば病気のリスクが増えるだけだ。
「イェールを、運ぼう……」
「…………そうだね。それが正しい」
間違いを指摘するような声色で、シロロンはそう呟いた。




