25日目
――――遭難二十五日目。
遠征の甲斐あってきちんとした屋根と壁のある場所で寝泊まりできたが、心地よい朝ではなかった。
まだ空も藍色に染まる頃、劈くような泣き声が響いたかと思うと、昨日見つけてしまった赤子の声だった。
見殺しにするわけにもいかず沸かした水を与え、粗相を拭いて、そして再度バナナのペーストを食べさせようとしてみるが拒否される。
ユミフネは、まだ眠たそうにしていたシロロンと顔を見合わせた。
「旋角獣を探すしかねえな。嗚呼、別に乳が出る動物ならほかでもいいんだが。闘魔牛でも」
「悪い冗談だね。そんなモンスターがいたら村は村として成立しないと常識的な考えがあれば理解できると思うのだがね?」
二人は慣れた様子で朝食を済ませた。茹でバナナの団子に村で見つけた蜂蜜をかけるだけでも、慣れない強烈な甘味で意識が昂っていく。
気力を整えて、いつものように目を瞑り、数秒の間祈った。
「……君は、時々そうしているね。ずっと気になっていたのだがね? なんの神を信じているのかね?」
「いや、神というよりは俺に祈っているんだ。あとは俺自身にはどうしようもないことをな」
今日の天気を祈った。モンスターとの不運な遭遇がないことを祈った。家畜の群れが野生化していることを祈っていく。
「…………」
気づけばシロロンも隣で数秒目を瞑っていた。すんと澄ました相貌がすぐ隣にあって、惹かれるように覗き込む。
彼女は目を開くと、少し小馬鹿にするように笑った。
「これでなにか変わるのかね?」
「変わったら俺のおかげだな」
シロロンは肩を竦めると、泣き続ける赤子をあやすように軽く揺すった。
「とりあえず、旋角獣の痕跡を探す。村の近くで家畜を放していたなら、水場も餌場もそう遠くはないはずだ」
「わかった。……それしかないね」
集会所に残していくわけにもいかず、赤子は布でシロロンの胸元へ抱え込んだ。
泣き疲れたのか、小さな嗚咽だけを漏らして目を閉じている。
村外れへ出ると、かつて放牧地は腰丈ほどの草に覆われていた。柵は朽ち、ほとんどが倒れているか、存在しないか、ツタとキノコに覆われているか。
それでも地面には踏み荒らされた筋が残っていて、ユミフネはしゃがみ込んで泥へ触れた。
「わかるか?」
「なにがだね?」
ユミフネは無言で土の塊を指差すと、シロロンは拾い上げたが、理解できずに再び首を傾げた。
「それが旋角獣の糞だ」
「なぜ説明せずに! 黙って! ワタシが触るのを待っていたのかね!?」
「犬みたいにそんななんでも拾うとは……」
「グルル……! いつもは雌犬だとか言うくせに」
ともあれ、家畜は全滅せずに野生化しているらしい。探索し始めて早々、祈りなんてものが作用してくれているのかもしれない。
気を引き締めるように痕跡を負った。僅かに落ち葉の少ない獣道が密林のなかに確かにある。途中途中で途切れ、茂みに飛び移ることで追跡者を撒くような習性もあるようだが。
狩人として生きてきたユミフネにとっては、寝床の蟲の対処よりも楽なものだった。美味しい朝食を作るよりも慣れたことだ。
後を追い続けると昼前には沢も見つけられた。順調だ。長くここで暮らしてきた甲斐もあって、シロロンも森での移動はこなれたものだ。
――それよりも問題なのは。
「おぎゃあああああ! ぅぇあああああああああああああああああ!」
「っ……また泣き始めてしまった。ああ、ママにワタシをどうあやしてたのか一度でも聞くべきだったと思っているよ……」
劈くような泣き声が密林中に響き渡っていく。シロロンがあやすように背を擦っても効果は薄い。腹が減ったと主張しているのかもしれないが、結局は何も食べてはくれない。
できることといえば、水を少しばかり口に含ませてやる程度だった。
……旋角獣を見つけても泣きだされたら全ておしまいだ。そもそも、こんな泣き声をあげていれば、そんなことも言ってられなくなる。
「……シロロン、両手を使えるようにしろ」
「そうしたいのはやまやまなのだがね」
そう命じて弓を構えた。目くばせをしたが今のシロロンは戦えない。彼女は赤子を庇うように、大事そうに抱えていた。
最悪、それを置き去りにして逃げてほしいぐらいだったが。きっとそんなことをすれば良い生活とやらは一生訪れてはこないだろう。
暗い緑の闇の奥から、臆することもなく巨大な狼が群れで、じりじりと距離を詰めてくる。
――ダイノスウルフ。他大陸にも生息するモンスターだ。
馬車を襲うこともあるが、対モンスター用の装備に、そして人数がいれば問題なく駆除もできる部類だ。罠でもいい。奴らは狼にしてはオツムが弱い。
……だが、そんなものは何一つない。
「はは……。ここから先は祈ってもどうしようもねえな」
ユミフネは強がるように乾いた笑みをこぼした。




