天秤にかけた罪悪感
――――遭難二十四日目。
地面は柔らかく、踏みしめると雨の匂いが広がったが久々の快晴だった。
遠くで鳥が短く鳴き、虫の声は絶え間なく、湿った空気を震わせていく。
朝露が落ちて頬を伝うなか、シロロンは茂みに身を隠し、深く竹弓を構えた。
指を沿え、深く息を吐いて――射貫く。
一斉に鳥が飛び立っていくなか、一羽の影がぽとりと、矢とともに地面に落ちた。
シロロンは自分が射抜いたにもかかわらずしばし呆然と捕らえた獲物を見つめて、それから、ふんと鼻で笑いながら誇らしげにユミフネのほうへ振り返った。
「……見てたかね? ワタシの……華麗な矢の軌道を。見てたかね? ワタシが、まるまると太った……名前はしらんが」
極彩色の、鮮やかな赤と青の羽の鳥を拾い上げる。
「ああ、かなり上手くなったな。たった数日だぞ。お前は才能があるな」
「へへ……褒めてほしいとは思ったがね? そうまっすぐに褒められるのもなんだか気が気じゃないんだがね?」
シロロンは気難しい様子で俯いたが、尻尾はバタバタと揺れていた。
「火種」
ユミフネは指先に意識を向けると、シロロンから教わった簡単な熱の魔法で火種を起こした。そして手慣れた様子で羽根と内臓を取り除いて竹串に刺して焼き上げていく。
「遠征するにはいい朝食だな。久々に獣の肉を食べた気がする」
「怖いならやめてもいいがね?」
シロロンはそう言いながらも、もう止めようとはしなかった。布に食料、そして鎮痛剤を葉で編んだ籠に詰め込んで、立ち上がった。
ユミフネも背負い籠を肩に担ぐ。
燻製にしたエイ肉。乾燥させた果実。竹筒に詰めた水。削り溜めていた竹矢。そして予備の弦……でかい魚の化け物から切り取った髭だが。必要なものを数えれば案外多い。
拠点を振り返る。屋根があり、竈があり、川には竹柵が立っている。遭難直後のことを思えば立派な住処だった。
「捨てるには惜しくなったかね?」
「最低限あれよりいいものを見つけないと帰れないと思ったんだ」
煽るような問いかけに、ユミフネはむしろ決然として答えた。
「当然だな。でないと無駄骨が過ぎる。最低限……何があるか浮かばないな。いいものがあるといいのだがね?」
二人は川沿いの獣道に沿って移動し始めた。
長いスコールが過ぎ去った朝の森は明るい。樹冠の隙間から差し込む光が濡れた葉を照らし、踏み荒らされていない下草には露が残っている。
遠くで猿に似た鳴き声が響き、どこかで羽音の大きな虫が飛び立った。だが進むにつれて日差しは鬱蒼とした緑に呑まれ、すがすがしかった朝の空気も晴れることのない湿気へと変わっていく。
深い緑のなかには鮮やかな色彩が点在していた。肌を切るサンゴシダ。風に揺れるヤシ。太いスチールウッドの群生が空を覆い隠し、その下ではじめじめとした苔が地面を埋め尽くしている。
やがて獣道さえ判別できなくなったが、ユミフネは迷うことなく進んだ。
拠点周辺の木々の特徴はすでに覚えている。そして廃村までの道のりは、嫌というほど脳裏に刻み込まれていた。
数時間ほど歩き続けると、森の景色が様変わりしていく。
太い樹木は減り、代わりに林立する巨大なキノコ。灰白色の幹は人が抱えきれないほど太く、傘は幾重にも重なって頭上を覆っていた。
甘く発酵したような匂いが湿った空気に混じっている。
「このキノコは食べられないのかね?」
「試してみるといい。きっとそこの蟹みたいになるぞ」
足元を蠢くヤシの実ほどの大きさをした甲殻類は、節の隙間からこれでもかとキノコを生やし、瞳は白濁していた。
「それは良くないな。せっかく君が綺麗だと言ってくれたワタシのお目目が台無しではないかね?」
「俺はそんなキザな褒め方をした記憶はないが……」
「実際のところ――ワタシのことはどう思っているかね?」
不意にシロロンは立ち止った。ジトリと物言いたげな瞳が向かう。歩み寄ってきて、胸が無遠慮に押し当った。
「……どうとは?」
「どう思っているかを聞いているのだから、それを答えては意味はないと思わないかね?」
――彼女が何を考えているのかわからない。
ただ何かを期待するように、はたまた嘲るようにゆらゆらと尻尾を揺らしていた。
「……信頼できると思っている」
――男は美少女に惹かれるものだからね。
夢のなかでそんな甘いささやきと共に言い寄られたことをなぜか思い出して、ユミフネはだいぶ言葉を濁した。
「…………もっとこう……ないのかね?」
「例えば?」
「そこを考えるのが君だろう? ワタシが欲しい言葉を言ってどうするんだ。……むなしいだろ」
シロロンもシロロンで欲しい言葉を濁して、微妙な沈黙が訪れると、鳥のさえずりばかりが響いていく。
空気に耐えかねてか、モフンと尻尾で顔を叩かれる。そこから何事もなかったかのように移動を再開したが、旅路は拍子抜けするほど何事もなかった。
モンスターの痕跡があれば迂回し、茂みが揺れれば弓へ手を掛ける。上空を大型の飛行生物が横切れば身を伏せたが、それだけだ。
矢を削り、弓を教え、魔法まで覚えたというのに、結局やったことは森を歩くことだけだった。……もちろん、何事もないのが一番なのだが。
そして日差しが西へ傾いてきた頃、ユミフネは不意に足を止めた。
森の匂いが変わっていた。樹液と湿度の匂いではない。木材と煤の匂いだった。
風に揺れる茸樹の向こうに、緑へ埋もれた影が見えてくる。
崩れた木柵……夜襲の際に打ち壊したものだ。
朽ちた屋根。爆撃と放火によって倒壊したものだ。
半ば森に飲み込まれた井戸が目に入る。
――あのとき。軍が来るから逃げろと伝えるため、この村へ走った。敵地だった。魔族の村だった。
それなのに村人たちは槍を向けることもなく、水を差し出した。疲れているのだろうと。腹が減っているのだろうと。そう言って食事まで出してきた。
廃村にたどり着いた。静まり返った光景、そして家屋がいまだ残っていることにシロロンは歓喜の声をこぼしそうになったのに、気遣うようにそっと目を瞑った。
ユミフネは無意識に拳を強く握った。……忘れられるはずもなかった。まして、自分のせいで滅んだ村から、また物資を得ようとしている。
最低だと思う。だが生きるためならそうするしかないし、結局のところ……自分はそういう人間だった。
「ワタシのためにこの選択をしたのだろう? 君は本当は見たくもなかったはずだ」
「……いや、俺がこうしたかったんだ。お前ともっと旨い飯も食いたい。もっといい生活がしたい。できれば風呂にも入りたい。そのために死体漁りみたいな真似が必要なら、喜んで嫌なものぐらい見るつもりだった」
自嘲気味に笑う。シロロンはしばらく黙っていたが、やがて小さく鼻を鳴らした。
「…………ワタシも君を信頼できる。いいやつだと思っているとも。……聞こえなかったか? 言い直さないが……。さて、めぼしいものでも探してみようか」
シロロンは大げさに腕を回すと、半壊した家屋に入っていった。




