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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一七話 青柳恋慕
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四 青柳恋慕

 友章(ともあき)の住んでいる場所は正確には分からなかったが、青花は彼の通っている大学の名前を辛うじて覚えていた。彼はそこで植物についての勉強をしているようで、友章の家は、その大学から歩いて通える場所にあるという。

 小町と青花はその大学に向かってから、その周辺を青花の知っている友章の微弱な霊気を頼りに探すことにした。

 他の人間の男が妖に襲われてもいいとは思わないが、まずは友章の安全を確保することが先決だった。小町には、全てのものを守る力はない。それは美琴と朱音に頼るしかなかった。

「青花ちゃん、友章はんの気配はある?」

「う~ん……」

 大学の近くと言っても、方角も距離も分からない。ほとんどしらみつぶしに町を歩いているような状態だった。それに今日は週末。彼が家にいるかどうかも定かではなかった。

「あ、微かに友章さんの霊気を感じます!」

 だが、運が良かったのか、それとも青花の想いが彼女の感覚を研ぎ澄まさせたのか、青花は友章の気配を見つけた。

 青花が急ぎ足でその霊気を辿って行くのを、小町は追った。これで一安心だと思う。とにかく人間の男を狙う妖がこの辺りをうろついている以上、彼を守らなければならない。

「いました!」

 青花は胸を撫で下ろしてそう言った。彼女の言う通り、確かに二十歳ほどの年齢の人間の男性の姿がある。優しげな顔をした男性で、丁度家を出て玄関の扉を閉めているところだった。小町は微笑んで、固まっている青花の背中をそっと押す。

「青花ちゃん、行ってきなさい」

「は、はい!」

 青花はぎこちない動きで友章に近付いて行く。小町は自分も緊張しながら見送った。狐の耳があればこの距離からでも声は聞こえる。小町は密かに青花を応援しながら、二人を見守る。

「あ、あの」

「うん?君は……?」

 友章は青花の姿を見つけ、不思議そうに首を傾げた。

「あの、私、(やなぎ)青花(あおか)と申します。ええと、その、畠山(はたやま)友章(ともあき)さん、ですよね」

「うん、そうだよ」

 しどろもどろになりながら話す青花の言葉を、友章は笑顔で聞いていた。

「ええと、私、昔からあなたのことを知ってるんです。なんて言えばいいのかな、あの、私」

 青花は頭を掻く。自分の正体をどう伝えるべきか、迷っているようだった。

「昔から知ってる?う~ん、ごめん。僕は柳さんという名前に覚えがないな……。忘れてしまっていたらごめんね」

「いえ、違うんです。私が名乗るのは初めてなので。だから、ええと、ごめんなさい、今から、もしかしたら信じられないことを言うかもしれません。それでも聞いてくれますか?」

 そう問う青花に、友章は穏やかな笑みを浮かべたまま頷いた。青花は顔を輝かせて、言葉を続ける。

「その……、私、実は……」

 その時、青花ははっとして友章の後ろに視線を向けた。小町も自分と青花以外の妖気が現れたことに気が付いて、慌てて駆け出す。友章の背後に赤いコートを纏った女が近付いていた。

「つまらない恋愛ごっこをしているところ悪いんだけど」

 冷たい女の声に、友章も振りかえる。その顔に、真っ赤な唇の女の顔が近付いていた。

「友章さん、逃げて!」

 青花が友章を突き飛ばした。それによって女の吐息は彼に当たることなく空中に四散する。女は苛立ちを隠そうともせず、舌打ちをして青花を見た。

「邪魔しないでよ」

 赤い女、椿はその言葉に薄い怒りを滲ませて、青花を見た。その冷たい視線に青花は体をびくりと震わせる。

「貴方、あたしと同じ木の妖怪なのね。まあ、だからと言って容赦はしないけど」

 赤い女は青花を片手で突き飛ばし、その腹に踵の先をめり込ませた。青花は体の中の息を吐き出して、うずくまる。

「柳さん!あんた、なんてことをするんだ!」

 友章が青花の前に立つ。だが、女はそれを面倒臭そうに一瞥すると、地面からアスファルトを突き破って現れた木の根によって近くの家の塀に縛り付けた。全身の自由を木の根によって奪われ、友章は為す術なく椿と青花を見ている。

「貴方は後で。今はこの小娘よ」

 青花は上目で女を睨むが、力の差は歴然だった。

 小町は懐から葉を取り出し、それを薙刀へと変えた。このままでは青花も友章もやられてしまう。自分が勝てる相手かは分からなかったが、黙って見ている訳にはいかなかった。

 小町の振った薙刀は、青花の首に巻きつこうとしていた根を切り払った。

「ああ、邪魔くさい」

 椿はそう言って小町の背後から根を生じさせるが、小町は跳躍してそれを避けた。そして、薙刀を振り下ろす。

 薙刀の刃は椿の右腕を切り落としたが、椿はそれを意に介さずに左手を小町に向かって伸ばした。左手が木の枝のように変化し、小町の首を締め付ける。

「そんな攻撃はあたしには効かないの。残念だったわね」

 その言葉を証明するように、椿は切られた右腕を上げて見せた。血の流れていないその断面から芽のように細い(つる)が伸びて、やがて手の形を作り出し、元通りになる。これでは斬っても意味がない。

「さて、このまま絞め殺してあげようかしら」

 楽しそうな口調で椿が言った。小町の体に、次第に力が入らなくなる。もう限界だった。

「そうはさせません」

 意識を失いかけた小町の耳に、その言葉がかろうじて届いた。同時に黒い何本もの髪が椿の体を貫き、引き裂く。

 解放された小町は咳をしながら、涙の(にじ)んだ目でこちらに掛けて来る朱音を見た。

「朱音はん……、まだその妖怪……、死んでない」

 朱音の背後で、木の根が生えてきて人の形を作った。憤怒の形相で椿は両腕にあたる部分を複数の木の枝に変化させ、朱音に向かって振り下ろす。

 しかし、朱音は振り返らずに髪を束ねて後ろに振った。それは巨大な鞭のように椿の体にぶつかり、近くの電柱に叩きつけた。だが、椿もその攻撃で倒れるはずもなく、振り返った朱音と対峙した。

「そんなことをしてもあたしは死なない」

 椿は両手を広げると、地面に種のようなものをばらまいた。そこから、大量に椿と同じ姿をした女たちが現れる。

「霊体のない分身。古椿(ふるつばき)、樹木の妖らしい妖術ですね」

 朱音は一気に空中に髪を拡散させた。そして、襲ってくる古椿たちに向けて鈎針(かぎばり)状の先端を向け、一度に放つ。

 妖力を纏った朱音の髪によって多くの古椿が一度に弾け飛んだ。だが、古椿の数は椿を中心に増えるばかりだった。

「きりがありませんね……」

 朱音は忌々しげに言って、黒髪を束ね、横に振った。体を分断され、多くの古椿の分身が地面に転がる。

「いつまでこの不毛な戦いを続ける気?」

 椿は苛立たしげに言う。

「もちろん、あなたが倒れるまで」

 それに対し、朱音は不敵に笑って答えた。




 美琴はとある巨大な椿の木の前にいた。一見すれば何の変哲もない大きな古い椿。だが、この大木は禍々しい霊気と強大な妖気を放っている。

「あなたが古椿の本体ね」

 美琴は十六夜(いざよい)を抜いた。その死神の妖気に気付いたのか、古椿にも変化が起きる。

 地割れのような轟音とともに、太さの直径が数十センチはある根が大量に土を引き剥がして現れる。

(けが)れに塗れたその姿。許す訳にはいかないわね」

 美琴は空を覆うようにして振り下ろされる巨大な椿の根を、一太刀の元に切り捨てた。そして、地面を蹴って走り出す。

 地響きを立てながら古椿の根が大蛇のごとく暴れ回るが、美琴はそれを太刀によって切り捨てるか避けるかで防ぎながら、一気に古椿の元に近付いた。

 古椿の幹に目玉のようなものが現れ、美琴を捉える。そして、今度は上部の葉を揺らした。無数の葉が空中に散り、それは妖力が込められた鋭い(やいば)と化し、美琴に向かって無数に飛び掛かって来る。

「なんて数よ……」

 美琴は刀を薙ぐが、それで全てが打ち落とせた訳ではなかった。小さな葉は美琴の体を切り裂き、突き刺さる。だが、美琴は一歩も退かずに立ち向かって行く。ここで退いても意味はない。

 美琴が根元まで辿り着くと、古椿が甲高い声を上げた。反撃の隙を与えず、美琴はその大樹に向かって太刀の刃を突き立てる。

 少しの間があった。そして、根は地面に沈み、葉は空から落ちる。古椿の霊気と妖気は消え去った。やがて大木は萎れるようにして枯れて行った。

「長生きしたのなら、もう少しまともなことに妖力を使いなさいよ」

 椿の花が赤い雪のように降り注ぐ中、美琴は全身に刺さった葉を妖力によって消滅させてから、そう呟くように言った。




「な……!」

 椿の動きが鈍った。そして、信じられないという顔で自分の手を見た。白い肌が色を失い、灰色に変わって、やがて崩れ落ちて行く。

「確かにあなたを何度倒そうが、あなたは再生するでしょう。それは本体が別にあるから。でも、その本体が私とは別の誰かによって倒されれば、あなたも立っていることはできなくなる」

 次々と崩れて行く古椿たちの分身の中で、朱音は伸びた髪を縮ませながらそう言った。

「あたしの、木が……」

「残念でしたね」

 朱音は髪の束を槍のように一つの束にして、椿にその先を向けた。椿は朱音を睨む。だが、その胸の中心を黒い槍が貫いた。

 椿の体はその一撃に耐えられず、崩壊した。その後には、赤い椿の花がひとつ残った。




「さて、小町さん、青花さん、終わりましたよ」

 朱音は振り向いて、髪を縛りながらそう言った。

 小町は安堵の息を吐いて、青花と友章を見る。友章は青花を守るようにして、その前に立っていた。この妖の戦いの中でよくそんなことができたものだと小町は感心する。青花のこの姿を見るのも、今日が初めてのはずなのに。

「友章さん、あの、大丈夫でしたか?」

 青花の問いに、友章は頷いて答えた。

「大丈夫だけど……、今のは一体?」

「それは、私からお話しします」

 小町らの所に歩いてきた朱音がそう言った。




 朱音は友章に、妖怪、そして異形のものの存在を語った。友章は黙ってそれを聞いていたが、やがて納得したように頷いた。

「言葉だけでは信じられなかったでしょうが、実際にこの目で見てしまいましたから」

 そう友章は苦笑した。確かに、あれほどの戦いを見せられれば信じない訳にはいかないだろうと、小町は思う。

 朱音と古椿との戦いは終わった。でも、まだひとつしなければならない戦いが残っている。

「ほら、青花ちゃん」

「え、はい」

 それは青花の戦い。小町に促され、青花は緊張した面持ちで友章の方に向かう。古椿の乱入で止められてしまったが、まだ青花の話は終わっていない。

「あの……」

「ああ、柳さん。ごめん。話の続きをしようか」

 友章はそう穏やかに笑い、青花も嬉しそうに目を細めた。

「ええと、私、信じられない話をするかもしれない、と言いましたね。私の正体は、あなたがよく来てくださっている柳の木なのです」

 友章はきょとんとした顔で、青花を見た。

「柳の……?」

「はい!えと、もちろん信じられないことは分かっています!だから、私とあなたしか知らないことを、今から話します!」

 青花は必死な様子で、自分たちの過去の思い出を語っているようだった。友章が子供のころから、現在に至るまでのことを。

 友章はかなり驚いた表情をしていたが、青花が語り終えると、また温かな笑顔を見せた。

「本当に、君があの柳の精なのかい?」

「はい。私、友章さんに会いたくて、お礼を言いたくて、こうして歩くことができる体を手に入れたんです。あの、ご迷惑ではありませんでしたか?」

「いや、迷惑なんかじゃないよ。嬉しかった」

 その言葉に、青花は顔を真っ赤にして、だがとても嬉しそうに笑った。

 友章も先程朱音と古椿の戦闘を見たばかりだ。そして、朱音に異形のものの存在について教えられた。だからこそ、すぐに青花の言うことを信じてくれたのかもしれないと、小町は思う。それに友章と青花が一緒になるためには、友章が妖という存在を受け入れることが必要だ。

「ありがとうございます……。私、本当に友章さんに自分で会いに行きたかったのです。今日、その夢が叶いました。そして、あの、これからも友章さんに会いに来ても良いですか?」

「うん、僕も会いたいな」

 そう言って、二人は照れたように笑う。微笑ましいけれど、羨ましい光景だと、小町は思った。

「こちらも終わったみたいね」

 不意に美琴の声がして、小町は振り返った。朱音がその声の主に答える。

「はい。あの椿の妖怪のことも、青花ちゃんのことも、終わりましたよ」

「どちらもいい結果が出たみたいで、良かったわ」

 美琴はそう微笑する。青花と友章は、楽しそうに会話している。小町はその光景を見て、思わず呟く。

「ええ、羨ましいどす」

「そうねぇ、私が口出しできることではないけれど、あなたも頑張って、小町」

「分かってますよ~」

 気恥ずかしくりながらそう言って、小町ははぁ、と秋の空に向かって息を吐いた。

 異類婚姻譚は、物語の中ではいつも別れという悲劇で終わる。でも、少しくらいは、幸せな結末の話があってもいい。

 この青花と友章がそうなって欲しいと願うとともに、小町は自分の未来にもそんな結末が訪れることを、秋の風に思うのだった。



異形紹介

古椿(ふるつばき)

 鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に見られる樹木の妖怪。それによれば表記は「古山茶(ふるつばき)の霊」であり、年を経た椿の木の精は人をたぶらかすと書かれている。

 また椿に関する怪異譚は古来より日本に多く、山形県の怪談「椿女」では息を吹きかけることで男を蜂に変え、その蜂は椿の花に吸い込まれて行き、やがて落ちた花の中には死んだ蜂の姿があったという。

 岐阜県では円墳の上に植えられた「化け椿」と呼ばれる椿の木があり、夜その側を通ると椿が美女に化けて路上で光っていると言う。また「牛鬼」という妖の正体が椿の根という説もある。

 椿は神霊が宿る木という伝承もあり、怪しい木という認識の他にも聖域に生える特別な木という認識もあった。

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