一 東京氷河期
その日、東京は一夜にして銀色の世界に覆われることとなった。突如大都会を襲った大寒波は、人々をパニックに陥れた。
一万年に一度、地球には異常な低温の年が巡ってくると言われている。もし、冬でもないのに水が凍りつき、雪が降り始めたら、それは地球にその周期が回ってきたということだろうか。それとも……。
第一八話「冷凍凶獣現る」
美琴はその日、いつもより厚手の着物を選んだ。まだ秋に入ったばかりだというのに、急に冷えて来た。
「寒いですね~今日」
居間に入ると、羽織を着た朱音が美琴を見てそう言った。
「そうねぇ。まだ初秋だって言うのに」
黄泉国は人間界と比べて気温が低いとはいえ、今までこの時期にここまで気温が下がったことはほとんどない。雪でも振りそうな寒さだ。
「恒はまだ起きてこない?」
「そうですね。寒いから目が覚めないんじゃないですか?」
美琴が卓袱台の前に座りながら問うと、朱音はそう答えた。
「でもあの子今日は学校でしょう?そろそろ起こしてあげないと」
「大丈夫です。今良介さんが起こしに行きましたから」
「そうなの」
黄泉国のものたちは大丈夫だろうか。この急な寒冷化で体を悪くしているものがいなければ良いが。
美琴は卓袱台の上にあるリモコンを手にとって、テレビの電源を点ける。そして何気なくチャンネルを変えて行って、ある映像で手が止まった。
そこに映し出されていたのは、銀色の雪に覆われた東京の姿だった。
東京が雪と氷に覆われるつい一日前のこと。都内のとある工事現場で、あるひとつの奇妙な物体が発見された。
「なんだこりゃあ」
工事に従事していた男は、その物体を見てまずそんな声を上げた。それに反応して、近くにいた同僚たちが集まって来る。
「こんなの見たことあるか?」
「いや、ないな。何だこれ?」
男たちはその物体を観察しながら、そんなことを口々に言い合った。
それは一見岩石のようなものだったが、どうやらそれは表面だけらしく、一部が剥がれ落ちて赤黒い色をした物体を覗かせていた。楕円形の一メートルほどのその物体で、何より奇妙だった点はまるで氷のように冷たく、それ自体が冷気を発しているのか、白い煙を出してるところだった。その中の一人がつるはしで叩いてみると、表面を覆った薄い岩は簡単に剥がれ落ち、ぶよぶよとした赤黒い肉塊のようなものが姿を現した。
そんな奇妙な物体を勝手に破棄する訳にもいかず、それは専門家によって回収され、一時的に近くの水族館の冷凍庫で保存されることになった。
そしてその一部を切り取り、調査したところどうやらそれがかなり古い時代に生きていた生物の組織であり、しかも仮死状態にあることが判明した。研究者たちは大喜びだった。それは世紀の大発見だったから。
だが、彼らはこれから起きる事態を、誰も予想していなかった。
「本当にすごい組織だな」
白衣を着たその男、遠山はそう呟いた。彼はあの凍った組織から切り出した細胞の一部を観察していた。顕微鏡の中で、その細胞は活発に動き回り、さらに驚くべきことに急激な勢いで再生、成長を行っていた。
これは世紀の大発見だ。遠山は確信した。こんな細胞は見たことがない。冷凍されていた状態から、解凍されたことで細胞が働きだしたのか。
だが、彼は知らなかった。その細胞が、レプティリカスと呼ばれる太古の異形の細胞であることを。そして、その異形が持つ能力を。
もっと専門的な施設のある場所で研究したい、そう考えていた時だった。
細胞が異常な変化を起こした。まるで泡立つようにして細胞が分裂、成長を繰り返し、巨大化し始めた。
それは既にプレパラートのスライドガラス、カバーガラスを破壊し、目に見えるほどに巨大になっていた。
遠山は一瞬、突然の減少にその対処の仕方を迷った。それが彼の命取りとなった。
十センチほどまで成長し、赤黒い肉片のような外見となったそれは、突如として蠢き、穴のような器官を作って、そこから白色の何かを放出した。
それは遠山の顔面に当たったかと思うと、白煙を上げてその顔を凍結させた。遠山は声を上げることができないまま床でのた打ち回り、やがて動かなくなった。
その間にも肉片は成長を続けた。それは知っていた。この近くに、自分と同じ細胞を持つ肉体があることを。
肉片は床を這って進み、やがて元々自分と同じものだった大きな肉片が保存されている巨大な冷凍室の前まで辿り着いた。
物影に隠れ、しばらく待っているとその扉を開く人間がいた。肉片はその人間の後に続いて、内部に侵入した。
探していた物は、確かにそこにあった。肉片は巨大な肉片に飛びつくと、再びひとつになった。そして、その肉片は表面が泡立つようにして蠢き始めた。
最初に異変に気が付いたのは、先程冷凍室の扉を開けた男だった。イルカ用の餌を取りに来ていた彼は、背後で液体が落ちるような音を聞いて、振り返った。
そこにあったのは、凄まじい勢いで成長していく赤黒い塊。
「なんだこれ……?」
男は言葉を失って、その塊を見ていた。それは次第にただの肉の塊ではなく形を成して行った。まず切れ目ができ、前に突き出て牙のようなものが生え、そして黄色い眼球が現れた。
眼球が動き、その細長い瞳が男を捉えた。既にそれは肉片と言えるものではなく、恐竜の頭部のようなものが出来上がっていた。
男は悲鳴を上げる。同時に、その頭部が彼に躍り掛かった。
男の肉を飲み込み、吸収することでその異形のもの、レプティリカスはさらに成長、再生を遂げた。冷凍室の中という寒冷な状況がその再生を手助けした。先ほど出来上がった頭部から首が生え、体ができ、やがてそれは小さな竜のような姿になった。
レプティリカスは産声を上げると、冷凍庫にある餌を食い始めた。それを栄養として吸収し、怪竜は異様な成長を始める。
見る見る内に筋肉と骨格が発達し、体が大きくなって行く。レプティリカスは辺りに餌がなくなると、冷凍庫の扉を突き破って外に出た。
水族館の内部は真っ暗だった。既に閉館時間を過ぎ、客の姿は無かったが、水槽には泳ぎ回る新鮮な魚が大量にいた。
レプティリカスが口から白い妖力を放つと、水槽の表面が凍りついた。レプティリカスがそれに体当たりを喰らわせると、水槽が破壊されて水があふれ出した。
海水とともに中にいた魚が流れてきて、レプティリカスはそれを貪り始めた。
何万年もの間何も腹に入れていなかったレプティリカスは底無しの食欲を見せ、ほぼ全ての魚を食い尽くし、さらに成長を始めた。
体長はさらに増幅し、小さかった足と腕とが発達する。そして、背中を破って一対の巨大な翼が現れる。
騒ぎを聞きつけて、警備員たちが走って来る。その気配を嗅ぎつけて、レプティリカスはそちらを向いた。懐中電灯の光がレプティリカスの姿を照らす。そして、夜の水族館に人間の悲鳴が響き渡った。
レプティリカスは翼を畳むと、四足歩行で走り出し、警備員の体に食らい付いて行った。
肉を切り裂き、噛み千切りながら、レプティリカスはその肉を自身の栄養へと変換する。
ほぼ完全に太古の自身の姿へと再生を果たしたレプティリカスは、水族館を破壊しながら外への道を探した。
何枚もの壁と、いくつかの水槽を崩壊させてレプティリカスは夜空の下へと躍り出た。そして翼を広げ、月光を浴びながら咆哮を上げた。
その真夜中、東京は凍りに覆われることになった。夜に飛翔したレプティリカスは上空から氷の妖力をばらまいた。それはあらゆる水分を凍らせ、気温を急激に低下させた。そして、東京中を異常気象で包みこんだ。
それで満足したのか、レプティリカスは一度海の中へと潜って行った。そして、その後には氷河に覆われた都会の姿だけが残った。
東京を襲った大寒波は、多くの事故や災害を呼び、自衛隊までも出動する騒ぎとなった。
異常な積雪によって屋根を潰される建物が相次ぎ、また吹雪は人の視界と命を奪った。
そんな白に染まる世界を、窓越しに眺める少年がいた。
「母さん……」
少年、安田宗助は手に持った写真を見て、そう言った。
「母さん、また今日も父さんが帰ってこないよ」
宗助は口を曲げて、そう言った。
宗助の父親は、警察官だった。小さいころは、悪い犯罪者と戦う父が憧れだった。強くてたくましくて、自慢の父だった。だけど、今はそんな気持ちは薄くなってしまった。
宗助は小学三年生になっていた。もう十歳になろうとしているのに、宗助は父との思い出があまりない。
宗助の父は、仕事一筋な男だった。あまり家にいることもなく、たまに帰って来ても、事件があると聞けば家を出て行った。宗助がどんなに一緒にいて欲しいと願っても駄目だった。
二年前に母が交通事故で死んでしまってからも、それは変わらなかった。
もっと皆と同じように、父と一緒に外で遊んだり、休日には好きなところに連れて行ったりして欲しかった。だけど、そんな思い出は宗助にはない。もしかしたら小さなころには行ったことがあるのかもしれないけれど、記憶には残っていなかった。
宗助は窓の外を見る。吹雪はますます激しくなり、テレビはその危険性をひっきりなしに訴えている。怖くて、寂しかった。
それなのに、この家には、自分しかいない。こんなに心細い時にも、父はいてくれない。
宗助は溜息をついた。もう何もかもが、凍ってしまえばいい。
「どう考えても、これは自然現象ではないわよね」
美琴は白色の雪を踏みつけて、そう言った。境界を一歩出たところから人間界は吹雪に閉ざされ、肉眼ではほとんど前も見えない状態と化していた。
恐らく、この冷気が黄泉国にも影響を及ぼし、気温の低下を引き起こしたのだろう。
この怪現象を引き起こしたのは、氷属性の妖力を持った異形のものだろう。吹雪の中にも微かに妖気が混じっている。しかし、環境をここまで帰るほどの妖力を持った異形が突然現れたのだろうか。
「もう、何もしないでも死にますよこれ」
朱音は防寒着で口元まで隠した格好で、そう言った。
「死にはしないわよ」
「でも良介さんは死にそうです」
美琴は良介を振り返った。火属性の彼は寒さには強くない。彼はほとんど動かずに、目まで閉じていた。
「……死にそうじゃない」
「無理せずに妖術使った方がいいですよ」
朱音の言葉に、良介は小さく頷いて手を少し動かした。一瞬彼の体が青い光を発し、そして熱を生成し始める。火の妖力を使って体温を上昇させる妖術だ。
「行くわよ。このままだと東京が全滅するわ」
美琴は白い息を吐きながら、そう言った。
安田元は、警察署から窓の外を見た。忌々しい吹雪だ。もう既に多くの人がこの雪で亡くなっている。
「ほんと、まだ十月だぞ?」
同僚の大木が言った。安田は頷く。36年東京で生きてきて、こんな気象は冬でも見たことがなかった。
「一体どうしちまったんだろうなあ」
安田は溜息とともにそう言った。つい最近まで地球温暖化と騒がれていたのに、これだ。
安田の家族も東京に住んでいた。彼の家族は息子一人だけ。妻は数年前に他界してしまった。安田は息子が心配だった。唯一の家族である自分がいなくて、さぞ不安だろう。だが、警察官として安田は仕事から離れる訳にはいかなかった。
安田には、家族だけでなく市民全てを守る義務がある。安田は煙草に火を点けた。
レプティリカスは海中での眠りから目を覚ました。昨夜強大な妖力を使ったため、睡眠によってそれを回復していたのだ。そして、目覚めたその異形がまず覚えたものは、空腹だった。
眠りによってある程度の妖力は蓄えることができた。だが、それだけでは足りない。レプティリカスは翼と両足、両腕を巧みに動かし、細長い体をくねらせて海中を進んだ。
レプティリカスが活動をするにつれ、冷気が海水を凍らせ、白く濁った軌跡を残した。そして海面を覆った薄い氷を突き破ると、レプティリカスは巨大な翼を広げ、人のいる町へと向かって羽ばたき始めた。
その強大な妖力に、美琴、良介、朱音の三人は同時に気がついた。
「凄い妖気ですね、美琴様」
朱音が言い、美琴は頷いた。
「ええ、これほどのものは珍しい」
だがその分、妖気の主は特定しやすい。美琴たちは吹雪の中を走り出す。そして、白い視界の向こうに空を翔ける巨大な竜を見た。
「あれは……」
美琴は目を凝らし、それを見た。細長い体に、巨大な翼。二本の脚と腕に、黄土色の体色。
「レプティリカス」
美琴は呟いた。聞いたことがあった。かつて冷凍凶獣とも呼ばれた、太古の氷の竜。その強大な能力で多くの人間や異形を襲った怪物。
それ故その多くは討伐され、遥か昔に全滅させられたと聞いていたが、その生き残りがいたのか。美琴は空を飛び回るその凶獣を睨みつけた。
このままでは東京どころか、日本中が氷土に包まれてしまう。美琴は無意識に右手を太刀に当てた。
「良介、朱音、行くわよ!」
「はい!」
二人が同時に返事をした。もう、相手を観察している時間はなかった。
人々は吹雪の中で、その怪物の咆哮を聞いた。何人もの人間が窓の外に目を凝らしたが、吹雪で凍りついた窓は役に立たず、窓を開けることができても雪と風に染まった視界では、それを見ることができた人間はほとんどいなかった。
だが、その異形のものを見た人々は残らず悲鳴を上げた。
そこに見えるのは、空を自在に飛び回る、体長二十メートル以上はある竜の姿だった。
レプティリカスは高層ビルの上に降り立ち、眼下を眺めた。真っ白に染まった、氷の世界。レプティリカスの目は、その中から熱を発しているものを探し出す。それが、レプティリカスの食糧となるものだった。
レプティリカスは近くのマンションの側面まで翼を羽ばたかせると、腕でその壁を破壊した。そして長い首を突っ込むと、中にいた人間を根こそぎその口内に収め、咀嚼する。
まだ足りない。レプティリカスの口から滴った鮮血は、すぐに評決して赤い氷柱と化す。次の獲物を求めて、レプティリカスは再び翼を広げる。
レプティリカスは地面に降り立ち、外を歩いていた人間を見つければ食い、見つからなければ建物を破壊して中にいた人間に牙を向けた。
それである程度の妖力は回復できた。後は自身が作り出したこの氷と雪が妖力を生んでくれる。
だが、レプティリカスはその冷気の中で自分以外にも強いエネルギーを発する生物がいることに気がついた。それは凶獣にとっては、またとない栄養源だった。レプティリカスは吹雪の中、その獲物に向かって侵攻を始めた。




