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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一七話 青柳恋慕
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三 赤い椿の女

 夜の御中町(みなかまち)には橙色の火の魂がぽつぽつと浮かんでいて、幻想的な明りを灯している。

「うわあ、綺麗ですねえ」

 青花(あおか)はそう歓声を上げて、宙に浮かぶ炎を見る。その少し後ろを、小町と恒が並んで歩いていた。

「触ったら危ないからね、青花ちゃん」

「分かってますよぉ。植物だって火が危ないことくらい知ってます。でも、綺麗なものは綺麗なのです!」

 青花は楽しそうに笑う。彼女にとっては火を見ることも、この妖の町を見ることも初めてだろう。それで気分が高揚しているのは何だか、幼い子供を見守るような可愛らしさがある。

「僕もあの火を初めてみた時はびっくりした」

「そうやろねぇ。あんなの人間界では絶対見られないから」

 青花がいるせいなのか、今の小町は恒と自然に話すことができた。恒が思っていた通り青花に特別な反応を見せなかったせいかもしれない。

 石畳の伸びる町の中央通りを真っ直ぐに歩いて行くと、巨大な建物が見えて来る。それがこの町で一番大きな湯屋であり、「御中(みなか)の湯」と呼ばれる銭湯だった。

「大きな建物ですねえ」

 青花がまた感嘆の声を上げる。自分で造ったわけではないが、自分が普段使っている店が誉められると、小町は何だか誇らしい気分になる。

 暖簾(のれん)を潜ると、正面に番台が、そのすぐ横には二階に上がるための階段がり、そして右が男湯、左が女湯に続く脱衣所の入り口が設置されている。壁も床も木で造られていて、湯と木の匂いが混ざり、心地よい香りが漂っている。

 番台には灰色の皮膚に赤い目をした巻き髪の女妖(じょよう)が座っていて、小町らの姿を見つけると手を振った。

 小町の住む平屋には風呂がないから、いつもこの店を利用しているため、店主のお(びょう)とは良く知った仲だった。恒も確か、何度かこの店を利用しているはずだ。

 お屏は垢嘗(あかな)めという種族の妖怪で、かなり昔からこの黄泉国に住んでいる。昔は美琴と一緒に戦ったこともあったと小町は聞いていたが、今ではそんな面影はどこにも見られず、夫ともにこの銭湯で平和に働いていて、この御中の湯の顔になっている。

「小町ちゃんいらっしゃい。それに恒ちゃんも久し振りね。あと、その子は?」

「青花ちゃんと言いますの。黄泉国に住んでるわけやないから、お客さん」

 お屏は「よろしくね~」と青花に手を振る。青花はここでも礼儀正しく頭を下げた。

「では大人三人でお願いします」

「はいは~い」

 恒と小町が金を出すと、お屏は軽くそう言って小銭を受け取った。

「じゃあ恒ちゃん、ここでしばしのお別れね」

「うん。先に上がったら二階で待ってるから」

 そう言って青い暖簾を潜って見えなくなる恒の背中を、小町はぼんやりと見つめた。「待ってるから」という何気ない言葉が、何だか嬉しかった。

「若いっていいわねぇ」

 その声にはっとして小町が横を見ると、お屏が赤い目を細めて笑っていた。

「なんどすか、もう」

「いいから早くお風呂入ってきなさいな。恒ちゃんのこと待たせることになるよ?」

「……分かりました」

 小町は気恥ずかしさを覚えながら青花とともに赤い暖簾を潜った。当たり前だが風呂は初めてだと言う青花にそれがどういうものなのかを説明しながら、考える。

 お屏には自分が恒をどう思っているかなんて伝えてはいないのに、分かってしまったようだった。美琴や朱音らが言うとは思えないし、自分の態度はそんなに分かりやすいものだろうか。

 小町は青花を連れて、浴場に向かう。広い洗い場と湯船はどちらも石で造られていて、白い湯気が上に昇っている。

 お湯にびくついている青花をゆっくりと慣れさせながら湯船に入れて、小町は息を吐いた。

「気持ちいいですね~小町さん」

 湯に慣れたのか、ほんのりと顔を上気させて青花は言った。意外と適応が早い。

「ねえ青花ちゃん、青花ちゃんは恒ちゃんのことどう思う?」

 小町はお屏の反応が気になって、青花にそう尋ねた。

「恒さんのことですか?いい人そうに見えましたけど……」

 青花はそれ以上の感想はないようだった。今日初めて会ったばかりなのだから当たり前かもしれない。やっぱり、お屏が鋭いだけなのか。

「何ですか?小町さんは恒さんのことが気になるのですか?」

 青花は好奇心で顔に笑顔を作って、小町にそう尋ねる。

「な、なによ急に」

「だって小町さん、恒さんのことになると不安そうな、でも嬉しそうな顔をするんですよ。私が友章(ともあき)さんのことを考えている時と同じです」

 青花にまで指摘されるなんて、やっぱり分かりやすいのか。小町は口元を湯船に鎮める。なら、恒も気付いているのだろうか。でも彼に限ってはそうではないような気がする。恒が自分に嘘をついたことはなかったから。

「ねえ青花ちゃん。あなたは友章はんと会って、何がしたいと思うとるの?」

「そうですね……」

 小町の問いに、青花は数秒間考えてから答えを出した。

「まずは、お礼を言いたいのです。(わたくし)を助けてくださったお礼を」

「お礼を?」

「はい。それが私の、長年の夢でしたから」

 自身の()かる湯に視線を向けて、青花はそう言った。

「告白するのは、その後?」

「それは……、迷っているのです」

 青花は湯を(すく)って、再びそれを落とす。

(わたくし)は人ではありません。そんな私を、あの方が受け入れてくれるのかが恐ろしいのです」

「やっぱりそうよねえ」

 小町は湯船に寄り掛かった。

「種族の違いって、大きいものね」

「小町さんもそう思いますか?」

「まあね。私と恒ちゃんも違うから。私は狐で、あの子は鬼と人の半妖怪。全然違う種族」

 小町は短く息を吐いた。何だか今日はこんなことばかり話している気がする。

「そうなのですか……。でも、小町さんと恒さんは仲が良いではないですか。それは羨ましいです」

「まあ、小さいころから知ってるからねぇ」

「私たちだって、小さいころからの知り合いです。でも、あの方は(わたくし)のことを柳の木だとしか思っていないはずなのです」

 小町は青花の顔を見た。この子も悩んでいるのか。真剣に相手のことを考え、そして自分が相手にとってどういう存在なのか悩んでいる。自分と同じだ。そう思うと、ますます小町は青花に親近感を覚えた。

「うん、でもここで悩んでいても仕方があらへんよ。まずは会ってみないとね。私も応援するから、一緒に頑張ろう?」

「そうですね。私、同じ悩みを持つ小町さんと出会えて勇気をもらいました!」

 青花はぐっと拳を握る。その様子がおかしくて、小町は思わず笑ってしまった。

「そうやねえ」

 勇気をもらったのは、自分の方も同じだ。そう小町は思う。同じ境遇の女の子がいることが、こんなに心強いものとは思わなかった。

 小町は明るい気持ちになって、湯から手を出して上に伸ばした。

 とにかく明日は青花が友章に会うことを、全力で手伝ってあげよう。




 椿(つばき)は朝焼けの中、再び町を闊歩していた。朝方であるため人の姿は少ないが、全くない訳ではない。むしろ人が少ない分、獲物を襲う所を見られる心配が少なく、好都合でもあった。

 椿は自動販売機に小銭を入れている一人の若い男に近付いて行った。目の下に隈を作った、眠そうな男は椿の姿に気が付いて、驚いたような顔をした。

 それはそうだろう、こんな時間に一人で町を歩いている女など珍しい。だが、相手に訝しがられようと今は関係なかった。周りには他に人の姿はない。

 椿はハイヒールを鳴らして男に近付いて行って、何か言おうと口を開いた彼の顔に息を吹きかけた。

 男の体が見る見る内に縮み、服を残して見えなくなる。椿は満足そうに微笑んで、「一三人目」と呟く。

 その時、椿は背後に悲鳴を聞いて振り返った。派手な色のスーツを着た女が椿の方を見て腰を抜かしている。椿はその女を睨むと、彼女に向かって人差し指を向けた。

 その人差し指の先端が針のように鋭く変化し、弾丸のような速度で女に向かって伸びる。腰を抜かした女は逃げることもできず、額を刺し貫かれて地面に倒れた。

 女に妖術を使ったところで意味はない。必要なのは男だ。椿は再び獲物を探すために歩きだ出す。そして、前方から自分意外の妖気が近付いて来ていることに気が付いた。

「面倒……」

 そうつまらなそうに言いながら、椿は相手を睨みつける。そこには、長い髪を結んで、足元まで伸ばした女の姿がある。




 朱音は目の前の女妖を見ながら、髪を縛る紐をといた。相手は赤い帽子、赤いコート、赤いヒールと赤で統一された格好をした、妖艶な女だった。

 美琴の話では、この町に強い(けが)れを(まと)ったものがいる、ということだった。恐らくその相手は目の前の女だろう。彼女のすぐ側には、今まで誰かが着ていたであろう衣服が落ちている。

「あなたは、妖怪ですね?」

「ええ。私は椿。妖怪よ。それで?」

 朱音のことになど興味が無さそうに、こちらを見ることもなく椿は言った。

「何の目的で、人間の男性をさらっているのですか?」

「理由?別に。食べるためのもいるし、ただのコレクションもいる。それ以外に理由なんてないけど?」

「そうですか。なら」

 朱音は髪に妖力を通した。朱音の頭髪一本一本が、意志を持ったように自在に動き始める。

「止めさせなければなりませんね」

 朱音が髪の先を鈎針状に変化させ、椿に向かって一斉に伸ばす。だが、椿はその場から動かず、目の前に木の根が絡み合ってできた壁を出現させて朱音の攻撃を防いだ。

 朱音はその壁に髪を突き刺して、一気に横に向かって力を加えることでそれを引き裂いた。だが、すでにそこには椿の姿はない。

「逃がしましたか……」

 朱音は苦々しげに言った。あの妖は、自分と戦う気はなかったようだ。逃げに撤しられると非常にやりずらい。

 朱音は再び髪を縛り、また歩き出す。このまま放置して帰る訳にはいかなかった。相手は人間の男を(たぶら)かし、(さら)う妖怪。そして女ならば容赦なくその命を奪う妖。早く対処しなければ。この町には、青花の想い人である友章もいるはずだった。




 小町は青花を一晩自宅に泊めた翌朝、美琴の屋敷に行くことにした。青花が美琴らに挨拶しておきたいと言ったのと、小町も美琴に自分が責任を持って青花を人間界に連れて行くということを報告しておきたかった。

 だが、屋敷には美琴と朱音の姿はなく、居間に行って見ると良介と恒の二人しかいなかった。

「美琴様たちはどこへ?」

 そう小町が問うと、良介が説明してくれた。

「それがなあ、また木久里町(きくりちょう)に妖怪が出たらしいんだ。何でも人間の男が何人も行方不明になってみたいでね、どうやら妖怪のせいらしい。美琴様と朱音は調査に向かっているんだが、俺たちは男だから、ここで待っていろとのご命令でさ」

 良介の言葉に、恒も頷いた。そんなことが起きていたのか。

 だが話を聞いて、顔を蒼白にしたのは青花だった。口に手を当て、青花は消え入るような声を出す。

「その、今人里では男の人が何者かによってさらわれているのですか?」

「ああ、そうみたいだ」

 良介が頷くと、青花は泣きそうな顔で小町を見た。彼女の言いたいことは分かる。友章という人間のことが心配なのだ。

「分かりました。失礼します」

 小町はそう言って、居間を出た。自分が何をすべきかは、もう決まっていた。

「小町さん、友章さんがもしさらわれてしまっていたら

「きっとまだ大丈夫よ、でも私たちで早く見つけないと」

 そう言いながら、小町は青花の手を引いて歩き出す。屋敷の裏口を出て少し歩くと、黄泉国の北にある人間界への境界がある。

 小町は躊躇(ためら)わずにその境界の門を開けた。




 美琴は目の前に現れた赤い衣服の女を見た。彼女のすぐ側には、着るもののなくなった男性用の衣服と、口から血を流す人間の女性の姿がある。

 男を攫おうとして、邪魔な女を殺したのか。美琴は刀を抜いて、女を睨んだ。

 確かに穢れを纏っている妖はこの妖で間違いはない。だが、この妖には霊体がない。

「あなた、本体ではないわね?」

 女は美琴の問いには答えずに、妖力を地面に向かって通わせた。相手の属性は地。地面から太い木の根が現れて、それ自体が生き物であるかのように(うごめ)いて襲って来る。

 だが、美琴はそれを一撃の元に切り払うと、女に向かって妖力の弾を放った。女はそれを根で防ごうとするが、紫の弾丸はそれを容易く突き破り、女の胸を貫通した。

 女の体から力が抜け、地面に倒れる。やがてその姿は縮み、一つの赤い花に変わった。そしてその花を持ち上げると、下から蜂の死骸が現れた。

「椿の花……」

 美琴はそれを持ち上げて、呟いた。椿の妖、それには覚えがある。

 「古椿(ふるつばき)」、年を経た椿の木が化す妖怪。青花と同じ樹木の妖だ。

 古椿は自身の養分とするために、人の男をさらう妖怪。男の顔に妖力の籠った息を吹きかけることでその姿を蜂に変え、操って本体まで持って行く。それが古椿という妖の特性。

 美琴は刀を収めた。この女は古椿が作り出した分身か何かだろう。だが、これで相手の妖気は分かった。この妖気が最も強い場所を探し出せば、本体に辿り着けるはずだ。



異形紹介

木霊(こだま)

 他に木魂、木魅、谺、古多万など、様々な表記がある。樹木に宿る精霊であり、普段は他の木々と変わらないが、木霊が宿った木を切り倒そうとすると祟りが起こったり、血を流したりするとされる。また木から遊離して怪音や怪火を発したり、また獣や人の姿を取ることもあるようだ。

 日本では古来より木を精霊として崇めることが多く、日本神話には既に木の神とされる久久能智神(くくのちのかみ)が現れており、また神社にある神木は神の憑代(よいしろ)だったり、神が天から降りるために通り道とされ、神聖視されていた。

 木の精と人との異類婚の例としては小泉八雲の書いた『怪談』の中の一編、「青柳(あおやぎ)のはなし」があり、その物語には人間の若い女や年老いた夫婦の姿をした木霊が登場した。

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