第9章 : いろはの呪いの手紙事件 III
◆◇◆
翌日。
「答えは……箱の中の猫、です」
「イエス!!」
「西尾くん、また勝ったんですか」
私が学校に着いたとき、最初はもう、ものすごく張り詰めた空気になっていて、とても言葉にできないくらいだろうと思っていた。でも何なのこれ、着いてすぐに暗号解読ゲームを始めていて、しかも私はもう三時間も、この人たちが遊んでいるのを眺めている。もうすぐお昼休みになりそうな時間だった。
正直、言葉が出てこない。被害者という立場としては、腹が立つ気持ちもあるけれど、もう一方では「え、何これ」という気持ちも強かった。
「委員長」
「ん?」
「昨日、病院坂さんって人と、何を話してたんですか?」
昨夜、あの二人が密かに何を話していたのか、私はずっと気になっていた。何かの作戦とか、秘密の情報とか、そういうものかと思っていたのに。
でもまあ、この人は本当に予測不能な人だ。昨日はすごく真剣だったのに、今日はごく普通の子どもみたいに振る舞っている。
「ああ、寝るときに、おやすみって言ってくれただけだよ」
「バカなんですか!!!! なんでそんな真剣な顔で言うんですか!!!」
はあ……本当にくだらない。呆れてものが言えないとはこのことだ。
「私のこと、忘れてないですよね……今日は犯人を捕まえないと」
「不幸な子のことを忘れるはずないだろ」
「じゃあどうして……」
「ちょっと問題が起きてね。とりあえず後で対処しようと思ってさ」
すぐに対処するどころか、逆に先延ばしにするってこと?
まあいいや。私だって、それほど犯人を追い詰めたいわけじゃない。委員長は自分の意志で犯人を探したがってるだけだし。でも私自身も、犯人の目的は知りたいから、委員長に合わせて調子を合わせていた。
「じゃあ……先に何か食べてくるね」
昼のチャイムが鳴ると、私はすぐにその場を離れた。
「行ってらっしゃい」
私はみんなに軽く手を振って、教室を出た。私のグループの子たちは、チャイムが鳴る前にとっくに出て行っていた。
教室に残っていたのは、お弁当を自分で持ってきた何人かだけだった。
昨日の資料は、結局犯人を見つける役には立たなかった。みんなの証言はほとんど同じで、それは既に分かっていたことだ。
でも待って。全員が同じことを言っているからといって、全部が真実とは限らない。
なぜなら、それらはあくまで推測にすぎないから。
そもそも、昨日みんなが出した推測にも、それなりに筋が通っているものはあった。
でも、犯行の手段については分かっても、動機についてはまだ謎のままだった。
誰も名乗り出ないし、犯人も見つからないなら、動機から犯人を絞り込むというのも、もう一つの有効な方法だ。
でも、いったいどんな動機だろう。嫉妬みたいな、ありふれたものだろうか。でも私は彼氏なんていないし、それに自分が密かに好きな相手を呪う人なんているだろうか。よほどの変質者でもない限り。まさか小学生にそんな異常な子がいるとは思えないけど。
うーん……それとも個人的な恨みとか。他のクラスの人が私のことをどう思ってるかは分からないけど、私だって、衣乃ちゃんほど有名なわけじゃない。世界レベルで例えるなら、せいぜい村レベルの有名さだと思う。
それに、私は誰かに迷惑をかけたこともない。告白されたことは何度かあるけれど、相手が嫌な気持ちになったことは一度もなかったはずだ。
テレビドラマでよく見るような、ありきたりの動機は、今回の犯人には当てはまらなそうだ。もう自分で考えるしかなさそうだ。
でも私、想像力があまり得意じゃないんだよね。もう一度、委員長と話し合わなきゃ。
ああ……証拠がどうしても噛み合わない。何か抜け穴みたいなものはないのかな。
「どうしたんですか? 顔色がよくないですね」
「きゃあああああ」
突然、後ろに女の子が現れて、私は死ぬほど驚いて、思わず全力で相手の顔を平手打ちしてしまった。まるでドラマの悪役がヒロインを叩くみたいな勢いで。
「あぐっ!」
「ご……ごめんなさい!!! 大丈夫ですか!!!」
私は慌てて相手を支えて、必死になって謝った。
「あはは、すみません。ちょっとからかいたかっただけなんですけど、こんなことになるなんて……」
「ごめんなさああああい」
◆◇◆
「今後はもう、こういういたずらはしないでくださいね、北原さん」
「あはは、はい」
そう、さっき私が叩いてしまったのは、女子学級委員長の、あの白いショートボブに眼鏡をかけた、可愛らしい子――北原さんだった。
今、私たちが何をしているかというと、そう、保健室にいる。
たまたま私が驚きやすい性格で(?)、思わず相手の眼鏡が割れそうになるほど強く叩いてしまい、彼女は倒れそうになった。それで、私はこの怪我人を保健室に連れてきたのだけれど、保健室の先生は用事で席を外していた。
「痛たたた!」
「動かないでください。手当てが大変なんですよ」
幸い、私はある程度の応急処置のスキルを持っていたので、大きなことにはならずに済んだ。
かなり強く叩いてしまったみたいで、頬には大きく赤い跡が残っていた。
「ねえ、なんで私についてきたの?」
気まずい沈黙のまま手当てをしたくなかったので、私は北原さんに話しかけた。
「お腹が空いたので」
「聞かなきゃよかった」
確かに率直な答えではあるけれど、もう少し深い理由があるものだと勝手に思っていた。
「それで、北原さんはこの事件、どう思う?」
「さあ……私たち、この手のタイプの事件は今までも何回か解決してきましたから」
え……証拠や状況証拠が一致しすぎていて、犯人が見つからないような事件も過去にあったっていうこと?
「今回の事件は?」
「正直に言いますね。手詰まりです」
「え、手詰まり?」
どういうことなんだろう。
「うーん、手詰まりです」
相手は、まるでそれが当たり前のことのように、淡々とした口調で言った。
「どういう意味ですか?」
「今回の事件は、簡単そうに見えて、実は難しい、そんな感じがするんです」
簡単そうに見えて実は難しい? つまり、犯人を見つけること自体は簡単そうなのに、方法や状況がそれを許してくれない、ということなのかな。
「そうです、そんな感じです。クラスの誰も犯人だと認めない以上、大人の助けなしにこの事件を解決するのは、特に難しいんです」
なるほど。だから委員長は病院坂さんに連絡を取ったのか。
「先輩たちについてはどう? 昨日の資料には、そのあたりの聞き込みはなかったよね」
「先輩たちなら、絶対に犯人じゃないですよ」
彼女は携帯電話を取り出しながらそう言った。
「かつて勉強でかなり名が知れていた身として、知り合いのコネなら何百人といますから」
ちょっと大げさじゃないだろうか。でも、彼女が学級委員長になってから性格が変わって以来、成績優秀な先輩たちが特に注目するようになったのは事実だった。
「北原さんって、意外と顔が広いんだね。予想外だったよ」
正直、勉強にしか興味がないような、知識に飢えたようなこの子が、ここまで変われるなんて。
「西尾くんのおかげです。彼みたいな人が私をあらゆる面で打ち負かしてくれなかったら、私はこんな風に、みんなを助けるようなことをしていなかったと思います」
そうだ、委員長こそが、クラスの何人もの人生を変えてきた人だ。特に分かりやすいのは、委員長の周りに集まっている友達のグループだ。
「でも昔のあなたは、勉強以外何にも興味がない人みたいだったよね」
「わあ……それは言わないでください。すごく恥ずかしいです」
どこがだろう。表情は変わらないのに。
「まあいいです、とにかく、犯人探しはまだ続けないといけませんね」
私は、また元の話題に戻した。
「西尾くんが急に、犯人探しは後回しにしようって言ってきたんです」
あら、彼女も同じことを言われたんだ。てっきり何か裏で示し合わせてるのかと思った。
「私たちのグループ全員に、そう言ってました」
いつそんなこと言ったんだろう。私、全然知らなかったのに。
「一体どんな展開になるのかな」
相手はぼんやりとつぶやいた。
「どんな展開って?」
「あ、普段私たちは、どんな事件でも大抵解決できるんです。でも、種明かしや事件の仕組みを知る瞬間って、いつもびっくりするくらい意外なことばかりで」
意外すぎる、か。一見簡単そうな事件なのに、解き明かしてみると全然予想と違って、想像を超えてる、そういうこと?
「例えば、誰も気づかず、誰も覚えていない、黒板の名前の謎とか。あるいは、示し合わせもしていないのにクラスの女の子全員が同じ日に髪を切った事件とか。あるいは、カフェインが入っているはずなのに、人を眠らせてしまう謎のコーヒーの事件とか」
女の子は、興奮した口調で、何かを思い出しているような表情でそう話した。
挙げられた事件は、確かに実際にやろうとするとどれも難しそうだったけれど、私にとってはコーヒーの事件くらいなら解けそうな気がした。
「よし、これで終わり」
ようやく応急処置が終わった。でも実際やってみると意外と難しいものだった。打撲の跡は、冷やしたり温めたりしても彼女は一言も痛がらず、右頬(彼女側)にはガーゼをきれいに貼り終えた。
改めて見てみると、この子は顔に変なガーゼを貼っていても、それでも可愛さを保っていた。
「さあ、食堂に行きましょう。お腹すいてきました」
「今頃、もう食堂の食事は売り切れてると思うよ。手当てに時間かけすぎたしね」
「あら……そうですか」
しょんぼりした顔になってしまった。まるで飼い主に叱られた子犬みたいな雰囲気だ。委員長が毎日口説いてくるのも無理はない気がしてきた。
そのとき、保健室のドアがスライドして開いた。
「あら、あなたたち……どこのクラス?」
保健室の担当の先生、志島先生。とても綺麗な保健室の先生だ。
「あ、私たち三年生です。友達が頬にちょっとした事故があったので、手当てをしに来たんです」
すみません、先生、少し嘘をつきます。ねえあなた、笑いをこらえなくていいから。私だって自分の面子は保たなきゃいけないんです。
「頬に打撲があるってことは、一体何をやったの、それ」
先生は疑わしげな様子を見せ始めた。
「あ、転んだんだと思います。私は見てなかったので」
「どうやって転んだらそうなるのよ」
これ、バレてないと思う? ちょっと! あなた、笑いをこらえるのはやめて!! 一緒に助けてよ!!!
「そうだ! 北原さん、食堂もう食べ物なくなっちゃうから、急いで戻ろう!!」
かなわないなら、逃げるしかない。
「あら、もう午後の授業が始まるわね。教室に戻りなさい」
「え、早すぎない!!!」
「はは……」
女の子は結局、我慢しきれずに大笑いしてしまった。
拗ねてもいいですか。
「それで……お昼ご飯、まだ食べてないってことね?」
「はい、友達の手当てに夢中になってしまって」
「打撲の手当てなら、十分もあれば終わるでしょう」
「話に夢中になりすぎたみたいです」
そう、ちゃんと私の代わりに答えてよね! だってあなたが後ろから急に出てきたせいなんだから! あなたのせいなんだからね!!
「はあ……ほら、これ、一緒に食べなさい」
志島先生は、手にいっぱいに持っていたビニール袋を掲げた。どこかの飲食店のロゴが付いている。先生のお昼ご飯だったのだろう。
「え、私たちも食べていいんですか」
「あなたたち、まだ子どもなんだから。一日三食ちゃんと食べないと、体に必要な栄養が足りなくなるわよ」
さすが保健室の先生、私たち生徒の健康にもよく気を配ってくれる。
「ほら、急いで食べて、急いで戻りなさい。じゃないと担任の先生が困るでしょうから」
先生は袋から次々と食べ物を取り出していった。中にはオムライスから、韓国風の高級焼肉まで入っていて、しかもフライドポテトのようなおやつに加えて、タピオカミルクティーまで三杯も入っていた。
待って、分け合って食べればちょうどいい量かもしれないけど、先生は私たちがこの部屋にいることなんて知らなかったはずだし、そもそもこの量って……。
「先生?」
「ん?」
「先生の楽しみを邪魔するつもりはないんですけど、食べ物のこと、ほどほどにしたほうがいいと思います。いただきますね」
「別にダイエットしてるわけじゃないし。それに私、どれだけ食べても太らない体質なのよ。いただきまーす」
「いただきまーす」
この子、食べることしか頭にないの!?
うーん……食べても太らないなんて。羨ましすぎる。
「あー……そういえばさ」
先生が急に話し始めた。
「あなたたちの世代って、もう恋人がいたりするの?」
なんて質問なんだろう。今どき小学生に彼氏彼女がいるのはごく普通のことなのに。
「まあ、そんな感じです」女子学級委員長の子が答えた。
「なによそれ、今どきの子は本当に早熟なのねえ」
「私は普通だと思います」私は答えた。
「普通なわけないでしょ。先生が高校生の頃なんて、まだ男の子と話すだけで照れてたものよ」
そこまでだったのか。うーん……私の知ってる人たちって、みんな結構大人びてる気がする。委員長みたいに。
今どきの時代って、ちょっと怖いなあ。
「あんまり驚かないでくださいね。うちの学級委員長さんなんて、あちこちの女の子を口説いて回ってますから」
私はそう言いながら、疲れた顔をした。同時に、あの信用ならない顔が自動的に頭に浮かんできた。
「ああ、あの子ね。あの子があなたたちの学級委員長だったの? 先日、私にも話しかけてきたわよ」
そんなところにまで手を出してるの!?
「すみません」
「別にいいわよ。子どもだもんね。でも、あの子の口説き文句はなかなか大したものだったわよ」
「先生、変なこと言わないでください」
さっきまで小学生に彼氏彼女がいる話をしていたのに、いつの間にか話が委員長の話になってる。
「あの子、将来絶対に彼女を裏切るタイプね」
そのとき、隣で黙々とご飯を食べていた女の子が、なぜか体をぴくっと震わせた。
「どうしたの、北原さん」
「いいえ、何でもありません」
ふふ……私が気づいてないと思ったら大間違い。せっかくのチャンスだし、少しやり返させてもらおうかな。
「そうなんですよ。あっ! そういえば私、委員長のことを好きな人がたくさんいるって聞いたことあります」
「別に驚くことじゃないわよ。あなたたちの世代って、今の時代、こういうことにすごく戸惑うものだから。同年代の子に直接好きって言われたら、混乱するのも仕方ないわよね」
隣の女の子が、さっきよりもさらに固まった。
「そうなんです。何ヶ月か前、うちのクラスにいるハーフの子、シャルちゃんっていうんですけど、委員長がその子に、外国語のスキルと口説き文句を駆使して迫ってたんです。それ以来、彼女、毎日私に『この胸のドキドキって何なの』って聞いてくるようになっちゃって(完全な作り話です)」
「なかなかやるじゃない。ちょっとあの子のことを見くびりすぎてたかもね」
ここで皆さんにお伝えしておきますね。委員長の口説き文句に本気で騙される女の子なんて、この世に一人もいません。私の隣に座っているこの子を除いては。
考えてもみてください、いきなり誰かから「もう好きな人いる?」なんて聞かれたら普通どうします? 相手を一発ぶん殴りたくもなるはずです。
というわけで、さっき話した内容は、全部作り話です。
ただ、このオタクくんを少しやり返してやりたかっただけです。
「あら……北原さん、北原さん、どうしたの、なんで先生に返事しないの?」
そう、この学年で二番目に成績が良い女の子は、私の思いっきり盛った作り話を、まんまと丸ごと信じ込んでしまった。
「彼女、体が固まっちゃいました……」
私は少し気まずい表情で、白髪頭の女の子を自分の教室に引きずって帰らなければならないことに、うんざりしながらも先生にそう答えた。
「え……それ、何なの?」
先生はどうやら、この症状を初めて見たようだった。でも私にとっては、これが二回目だ。
「普通、人ってすごく照れると、どうしていいか分からなくなりますよね?」
「でも、なぜか北原さんは、すごく照れたとき、こんな風に石みたいに固まっちゃうんです」
◆◇◆
放課後、午後三時。
はあ……
「どうしたの、ため息ばっかりついて」
「委員長のことです……あんなに偉そうに、今日中に事件を解決するって言っておいて」
「そんなこと言ってないだろ。病院坂さんが言ったんだよ。僕は『後で対処する』って言っただけ、だよね?」
夕方、みんなが帰ったあと、僕たちのグループ(昨日決めたメンバー)は、委員長が持ってきたゲームで遊びまくっていたせいで、教室が他のグループよりもかなり散らかってしまった。今日の掃除当番にそのまま押し付けるのはさすがに気が引けたので、僕たちが代わりに掃除をすることにした。
「西尾、ゴミ捨てに行ってきてくれない」
「分かった、九依奈ちゃん。掃除終わってからね」
「まあいいです。私も犯人をそんなに追い詰めたいわけじゃないですから。ただ理由が知りたいだけです」
「彩葉ちゃんって、本当に優しいよね。もし私だったら、あんな呪いの言葉を見つけたら絶対に放っておかないと思う」
「シャルちゃんが自分でそう言うと、なんだか妙に怖いですね」
「彩葉、意地悪」
「あああ、泣かないでよ……」
そういえば、この子、すごく涙もろい子だったっけ。知り合ったばかりの頃は、まだ日本語もあまり流暢に話せなかったっけ。
「大丈夫だよ、よしよし。彩葉ちゃんが何か君にしたの?」
いや、お前、今の見てなかったのかよ?
「真司くん、彩葉が私に酷いこと言うの」
え……真司の背中に顔をうずめてる。何なんだそれ。
さっきの発言、まだ撤回間に合うかな。
でも、しっかり彼の背中にしがみついてるなあ。羨ましくて、褒めていいのか貶していいのか分からない。シャルちゃんの演技力、大したもんだ。
「よしよし、彩葉ちゃん、ちょっとからかっただけだよ。怒らないであげて」
友達じゃなければ、頬を張ってやりたいところだ。
「うん、怒ってないよぉ」
「ちょっと……頬つねらないで……痛いよぉ」
本当に殴られても仕方ないタイプの子だ、この子は。
「百合(女の子同士の関係)っていいよね、九依奈ちゃん」
「お前みたいな変質者が、よくもまだ口が利けるもんだな。ほら、ゴミ捨ててこい、そしたら帰れるから」
「ひどいなあ、もう少し優しくしてくれてもいいのに。甘えさせてくれるとか、そういう……何でもないです」
「学級委員長のくせに、いつも遊んでばかり。しかもあそこの股間だって小さいくせに」
「小さくないですけど」
「出て行け!!!!」
これもまた一組の名コンビだ。委員長と九依奈ちゃん。何と言えばいいのか、あれはあれで、テレビドラマに出てくるようなケンカばかりしているコンビみたいな感じだ。
「ハックション!!!! 誰か私の陰口叩いてる?」
やっぱり撤回する。この人、思ってたほど可愛くない。
「ハックション!!!! またっ」
「風邪でも引いたんですか?」
「別に」
ごめんなさああい!!!! 私が悪いです、許してください。
◆◇◆
「そういえば、私たちの町に、最近コーヒーの移動販売車が来たんです」
わあ、移動カフェってことか。女の子たちは楽しそうにあれこれ言い合っていた。
驚かないでください。語り手が彩葉ちゃんから、僕、西尾に戻っただけです。
「確か、『夢のコーヒー店』とかいう名前で、朝六時に開店して、夜十時に閉店するらしいですよ」
「なんだか名前がちぐはぐな感じだね」
もう随分仲良くなったなあ。
「そうだ西尾くん、君、西尾先生の小説を読んでるんだよね」
そのとき、真司くんが話しかけてきた。
「うん、熱心なファンだよ」
「姉さんから聞いたんだけど、来月の十六日に、西尾先生の展示会が開催されるらしいよ。うちの姉、出版社で働いてるから、その話を教えてくれたんだ。友達が興味あるなら連れて行っていいって言ってたよ」
「おお、関係者からの情報かよ。行く行く、その日はちょうど母さんも家にいないし」
「洋くんも行く?」
真司くんが、かなり離れた靴箱の前に立っている相手に声をかけた。
でも聞こえなかったのか、何なのか、洋くんはロッカーの前でしばらく手間取っていた。
「洋くん……どうしたの」
「あっ……ちょっと教室に忘れ物したから。あとで追いかけるよ」
そう言い終えると、洋くんはすぐに校舎の階段を上って戻って行った。
「あら……委員長、洋くん、どうして校舎に戻っていったんですか?」
「忘れ物したんだって」
.
.
今回の物語の結論。
教室にて。
洋は教室の中に入り、教室中を歩き回っていた。何かを落としたわけではない。
彼はただ、不安を抱えていただけだった。
「さっきのは……一体何だったんだ」
彼はズボンのポケットに手を入れた。中には一枚の紙が入っていた。どうやら手紙のようだ。
でも、上がってくる途中でつい握りしめてしまい、紙はぐしゃぐしゃになって、もう読めなくなっていた。
でも彼は、その中に書かれていた文をはっきりと覚えていた。本当に、一字一句、しっかりと。
そして、そのとき――
ドアをノックする音が、どこか楽しげなリズムで響いた。
「来たんだね……脅迫状を送った張本人が」
そして彼は、この上ないほどのショックを受けることになった。なぜなら、彼が手に握っていた手紙を書いたのは、僕だったからだ。
「に……西尾くん……」
さあ、そろそろこの事件にケリをつけよう。
「な……なんでお前が」
「ヒントだよ」
「え……」
「近すぎて手が届かない、でも遠すぎて触れられない――それはつまり、一番信頼している相手のことだ」
「……」
「だから僕は、君のロッカーに脅迫状を入れておいたんだ。ゴミ捨てのついでに、君が僕のところに来るようにね」
「彩葉ちゃんに脅迫状を送りつけた犯人は、お前だったんだよ、洋くん」
「な……なんでお前が気づいたんだよ」
「簡単だよ……しかも、誰かと共謀してたみたいだね」
「………」
相手は、僕が突きつけた証拠に、身動きが取れなくなった。
「さあ……話を聞かせてもらえるかな」
「僕は……誰かに脅されてたんだ」
また脅迫か。
「脅された?」
「うん……この前、僕に宛てた手紙が届いたんだ。机の下に置いてあって。そこには『彩葉ちゃんのこと、お前が密かに好きなのは知ってるぞ』って書いてあった」
うわ、これは予想外だ。
「それで、実際に好きなの?」
相手はこくりとうなずいた。
「それがどうしたんだよ。ただ君の気持ちを知ってるってだけで、どこが脅しになるんだ」
「手紙には、もし言われた通りに手紙を送らなかったら、僕が彩葉ちゃんを好きだって、みんなにバラすって書いてあったんだ」
そんなことか。そこまで悩むほどのことでもないと思うけど、まあ確かに、クラス中に知れ渡ってからかわれたら、誰か一人くらいは転校を考えるほど追い詰められるかもしれない。
「それで、誰が送ってきたか分かるの?」
相手は首を横に振った。
つまり、こいつは「本当の」犯人じゃない、ってことか。
でも、だとしても――
「なんで、その手紙の言う通りにしたんだよ?」
どう言えばいいのか、この事件、なんだかおかしい気がする。
「だって……怖かったんだ……バラされるのが怖くて、からかわれるのが怖かったんだ」
僕は一分以上、無言になった。さっき自分の中で軽い冗談のつもりで立てた仮説が、まさか本当にそうだったなんて。
からかわれるのが怖い? バラされるのが怖い? おい、待てよ。
「みんなに笑われるのが怖かったってこと? 馬鹿げてるにも程があるだろ」
「な……何だって?」
「お前さ……あの呪いの言葉が、いじめほどひどいものじゃないとしても、もし彩葉ちゃんの心がそこまで強くなかったらどうするつもりだったんだよ」
「そ……それは」
からかわれることがどれだけ辛いか、僕にはよく分かる。でも、だからってなんで、こいつは何の関係もない人を、その痛みの渦の中に巻き込んで、自分だけ安全な場所にいようとしたんだ。
このことだけは、絶対にこいつを許すことができなかった。
「お前な! 自分一人じゃ背負いきれない重すぎる気持ちを、何も知らない人に押し付けたってことだろ!! そんなこと、どうやったらできるんだよ!!」
「お前は僕と同じ立場に立ったことがないから、そんなこと言えるんだ!!!」
何かがぶつかるような音が、僕たちの間に響いた。それが何なのか、僕はすぐに分かった。
洋くんが、僕の顔を殴ってきたのだ。
気合を入れるためのパンチだったのかは分からないけれど、それからすぐ――
「うぐっ!!」
僕も、相手の顔を殴り返した。
「うわあああ!!!」
でも相手は止まるどころか、右のストレートパンチで突っ込んできた。
僕はその攻撃をかわしたが、代わりに脇腹に強烈な蹴りを食らってしまった。
「!!!!!」
息が詰まって声も出せなかった。相手は僕に体勢を立て直す隙を与えなかった。
洋くんは今度は、僕の顎めがけて蹴りを繰り出してきたが、それはなんとかかわすことができた。
「お前には絶対に分からないんだよ、西尾くん!!!!」
相手はすぐに体を回転させて、いわゆるワニの尻尾のような回し蹴りを繰り出そうとしたが、僕はそのタイミングを見切って、相手の足をつかみ、足払いで倒した。
でも相手は諦めず、つかまれていた足を勢いよく床に叩きつけてきた。
「うわあああああああ!!!!」
その勢いに、僕は思わず手を離してしまった。
そして……
僕は顔に思いっきり蹴りを食らい、教室の机に吹き飛ばされた。机の下にあったものが、あたり一面に散らばった。
「消えろ!!! もう僕に関わるな!!」
洋は教室から急いで逃げようとした。
でも、誰がそんなの許すかよ。
「!!!! バカ野郎、それは危ないだろ!!」
僕は五百ページもある雑誌を、ドアに向かって投げつけて、相手が逃げられないようにした。
僕は走り出して、体ごとぶつかるようにして、あいつをドアに叩きつけた。
「今度はこっちの番だ!」
僕は洋の襟をつかんで、机の山に向かって投げ飛ばした。
僕はその机の山に飛び込んで、体重をかけて相手の骨を折るくらいの勢いで押さえつけ、動きを完全に封じようとした。
でも相手は転がりながら僕の攻撃をかわし、僕は逆に椅子と机の脚に足を引っ掛けてバランスを崩し、頭を机に思いっきりぶつけてしまった。
でも、大したことはなかった。
僕はすぐに机を蹴って自分から離し、相手に向かって走った。
だが洋くんは椅子をつかんで僕の顔に振り下ろし、僕はまた吹き飛ばされた。
背中が椅子の背もたれに叩きつけられて、背骨が折れたんじゃないかと思うほどの衝撃だった。
それでも僕は、相手が逃げないように椅子を蹴り飛ばし、机を投げたり蹴ったりして教室の出入り口を塞いだ。もう本気の勝負だ。
僕は相手の襟首をつかみ、遠慮なく顔面を殴り続けた。
頭を床に叩きつけ、顔を思いっきり踏みつけ、それからもう一度、椅子で顔を殴った。
「これが……お前が小さな女の子にしたことへの、報いだ」
僕は渾身の力で拳を握りしめ、思いっきり顔を殴った。
.
.
.
僕のパンチを受けたあと、洋くんはもう動かなくなった。気を失っているわけではなく、ただ静かに横たわっているだけだった。
「何が起きたの!!!」
そこに入ってきたのは、他でもない、北原清美さんだった。
やってしまった……とうとう彼女との約束を破ってしまった。僕は、普通の学級委員長がやらないようなことをしてしまった。
僕は……人を傷つけてしまった。
正当防衛だったとはいえ、これはさすがにやりすぎだった。
相手の顔は打撲だらけで、血まみれになっていて、もしかしたら頭蓋骨にもひびが入っているかもしれなかった。
そして、それは僕も同じだった。
「早くこっちに来て!!! すぐに手当てして!!!」
すると、グループのメンバーたちが、救急箱を持って駆けつけてきた。
「Aチームは洋くんのところへ! Bチームは私を手伝って!」
「「「「「了解!!!!」」」」」
僕はただ、その罪の重さを自分一人で背負うしかなかった……彼女に体を支えられれば支えられるほど、余計に罪悪感が募っていった……
僕が……ルールを破ってしまったことに対して。
「北原さん……僕のこと、怒ってないの?」
「何のことですか?」
「いや……その……いてて!!! 洋くんをボコボコにしたことだよ」
「ああ、そのことなら大丈夫ですよ。あなたは自分の身を守っただけですし、しかも先に手を出したのは向こうですから」
「それと……あの子……」
僕はふと、一人の女の子に目をやった。彼女はひどく申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
静香さん。物静かな性格の女の子だ。
「本当の犯人ですね」
九依奈ちゃんが答えた。
「え……なんで」
「静香さんみたいな物静かなタイプの子って、元々明るくて元気な子が苦手なんですよ。だから、怖がらせて言うことを聞かせようとしたんだと思います。でも、それが思った以上に大事になっちゃったんですね」
手当てが終わったあと、僕たちは協力して教室を元通りに片付けた。
そして、静香ちゃんと洋くんには、彩葉ちゃんときちんと話をしてもらうことにした。
時刻はちょうど夕方六時。今日はきっと、お母さんがカレーを作って待ってくれているだろう。
「まだ痛む? 西尾くん」
「少しね。支えてくれて本当にありがとう」
「あはは、たいしたことじゃないですよ」
そしてこうして、試験前の準備週間と、小学三年生の期末試験週間は、無事に幕を閉じたのだった……




