第8章 : いろはの呪いの手紙事件 II
◆◇◆
小学三年生の私たちの教室では、今日は本来なら、クラスの友達と一緒に遊んだり、来週に迫った期末試験に向けて復習したりする日のはずだった。
でも今、教室にいる生徒たちはみんな、まるで親に何か問い詰められている子どものような、緊張した表情を浮かべている。
この教室は今、私自身でさえ耐えられないほどの、過酷なプレッシャーに包まれていた。
私、彩葉は、いわゆる「学校でのいじめ」と呼ばれるものの被害者になってしまった。
およそ二時間前、私と衣乃ちゃんと委員長は、私宛てに書かれたラブレターを見つけた。ただの普通の手紙のように見えたけれど、中身は――
『死ね、ブスのくせに』
憎しみに満ちた言葉。いいえ、あれは明らかに呪いの言葉だった。
今は少し気持ちが落ち着いてきたとはいえ、周りの空気が再び私を、あの息苦しく苦しい谷底へと引きずり込んでいく。
あの人――いつもは陽気で、女の子好きで、ちょっと軽薄な性格の男の子。でも今この瞬間だけは、まるで全てを破壊し尽くしたいような、ただならぬ気配をまとっていた。虚ろなのに、どこか恐ろしい目つき。
彼、委員長の西尾。
委員長は、教室の真ん中にある教壇の前に、しばらく立ったままでいた。一言も発しない。彼のすぐ隣には、女子学級委員長の女の子がいた。白いショートボブに眼鏡をかけ、いかにも礼儀正しく、優しそうな雰囲気の子だ。
委員長は、まるで生きた死体のような目つきで、私たち全員を見回した。それから私たちに背を向けて、黒板消しの脇にあったチョークを手に取り、何かを書き始めた。そして、その二つの言葉を丸で囲むように、傘のような絵を描いた。
『彩葉ちゃん × 頭の悪い化け物』
気のせいかもしれないけれど、教室全体が一斉に息を呑んだように感じた。
信じがたいことだけれど、私たち小学三年生の間では、汚い言葉を使うことなんて、ほとんど縁のない話だった。今の情報化社会とは裏腹に、私たちはほとんど、委員長が今書いたような言葉を、口にしたことも文字にしたこともなかった。
いや、そもそも手紙に書かれていた「呪いの言葉」自体、いつも明るく前向きでいようとしている私でさえ、気持ちが沈んでしまうほど、強烈な言葉だった。
あの手紙の文面は、明らかに意図的で、悪意を持って書かれたものだった。言葉の使い方から見ても、遠回しの悪口と、相手を「化け物」呼ばわりするような極端な差別的表現とでは、想像もつかないほどの過激さの差がある。
……いや待って、今は委員長の悪口のセンスを褒めてる場合じゃない。
「……………」
そして、ようやく委員長が口を開いた。
「せっかく思いっきり遊べるはずだったのに、こんな問題を起こしてくれるなんて。どうやら、少し荒っぽいやり方をとる必要がありそうだ」
委員長は、のんびりとした口調でそう言った。
「お前たち……なんで僕がこうやって皆を集めたのか、分かってるか?」
「被害者……彩葉ちゃん、前に出て」
彼は、まるでどこかの番組で一位の賞を発表するかのように、私の名前を呼んだ。
「北原さん、続けて説明して」
「数時間前の出来事です。衣乃さんが、靴箱の中に大量のラブレターを見つけました。その中の一通が、彩葉さん宛てに書かれていたのですが、その内容は、短くこう書かれていました……」
北原さんの言葉が終わらないうちに、委員長が割って入ってきた。
「『死ね、ブスのくせに』」
委員長に注目していた全員の表情が、一瞬にして凍りついた。
「これを書いたクソ野郎はどこのどいつだ? 今この場で正直に手を挙げれば、彩葉ちゃんも少しは気が楽になるだろうし、無駄に時間をかけて犯人捜しをしなくて済む」
いつもは優しくて、お調子者な男子学級委員長からは決して出てこないような、脅しめいた言葉だった。教室にいる全員が、じっと黙り込んで、誰も委員長に反応を返せなかった。いや、返せなかったのではなく――返す勇気がなかったのだ。
「先週の金曜日、放課後の後に残っていた人はいますか?」
北原さんが、柔らかい口調で尋ねた。誰も名乗り出ない以上、こうして調べていくしかない。
十二人が手を挙げた。ほとんどは、夕方に部活動をしていた生徒たちだった。
そのうち三人は練習が必要な運動部員。
六人は文化部の生徒。
この九人は、長期休み中に開催される地区大会の代表選手たちだ。
残りの三人は、学校には残っていたが、特に用事があったわけではない生徒たちだった。
「夏美ちゃん、加倉くん、松本くん、立ってくれる?」
「夏美ちゃん、陸上部だよね? 先週の金曜日、放課後の詳しい様子を話してもらえる?」
「金曜日は、ホームルームが終わってすぐに練習場に行きました。じゃないと顧問の先生に怒られちゃうので。練習が終わったら着替えて、教室に荷物を取りに行って、それから帰りました」
彼女の靴箱は、かなり離れた場所にあったはずだ。
三年生の靴箱は廊下のホールの前にあって、そこを通れば、誰がどこの箱に何を入れているか、通りすがりの人でも全部分かってしまう。
夏美さんではないと思う。彼女は部活動一筋のタイプで、しかも今まで私と揉めたことなんて一度もなかったから。
「次、加倉くん。サッカー部だよね」
「僕も練習に行ったよ。でも自分の荷物、靴も含めて全部持って行ったから、靴箱には近づいてないよ」
「同じ部活の松本くんは?」
「僕も靴だけ靴箱に取りに来た。あとは加倉と一緒に練習してた」
不審な点なし。
「座っていいよ……それじゃ、次は……」
「なんだよこれ!」
突然、一人の男子生徒が立ち上がり、不満げな様子で机を叩いた。
「一人ずつ聞いていって、それで何が分かるっていうんだよ! どうせ犯人は認めないだろ。たかがメッセージ一つで、そんなに気にすることないだろ。早く僕を解放しろよ」
一人が口を開けば、それに続く者も出てくる。
「そうだそうだ」
「確かに。口を割らない犯人を探すのに時間をかけるくらいなら、この件を先生に話したほうがよくないか?」
みんなそれぞれ違う意見を持っているのは当然のことだし、直接聞くというやり方に反対する人がいてもおかしくない。どうせ犯人は素直に認めないだろうから。
「先生は試験問題を作るのに忙しいんだ。生徒の問題を解決する時間なんてどこにあるんだよ」
委員長は、相手の言葉をそのまま言い返した。
相手は、その一言で黙り込んでしまった。
「どのみち、犯人探しなんて無駄なことだと思うよ。僕はもう失礼させてもらう」
「まだ行かせられない」
「はあ……もう一回言ってくれる?」
え……待って、この空気、この人たち、喧嘩になるんじゃ……
「犯人が罪を認めないと決めつけるのはまだ早い。それに……お前たちが犯人である可能性だってあるんじゃないか」
「犯人?」
「逃げようとするなんて、感心しないな……座ってくれないか?」
委員長は、反抗的な態度を取っている生徒たちの机に向かって、あごをしゃくった。
「お前な……」
耳が破れそうなほど大きな、ぶつかるような音が響いた。
その生徒たちが教室から出て行こうとした、その瞬間――
委員長は、黒板消しを手に取り、それを教室後方の壁に向かって投げつけた。
的には当たらなかったものの、その勢いはかなり強く、もしあの生徒たちの頭に当たっていたら、保健室で済む話ではなかったはずだ。
「おい……マジで殺す気か?」
相手はすぐさま詰め寄って、委員長の襟元をつかんだ。
「落ち着いてください! 喧嘩をしに来たわけじゃないんですから」
「………」
「ねえ……女の子がこうやってお願いしてるんですよ……まさか、相手を泣かせてまで彼を止めようとしてるつもりですか? もしそうだとしたら、あなた、今すぐメス犬にでも生まれ変わったほうがいいんじゃないですか」
「ちっ! くそっ!!!」
「西尾くん……今のはやりすぎです。今回だけは許しますが、次はもう許しませんからね。分かりましたか?」
「でも……」
「本当に怒ってますよ。男子学級委員長なら、その役目をちゃんと果たしてください。ヤクザみたいな振る舞いをするんじゃなくて」
「そういうの、嫌いです」
初めて……本当に初めて、北原さんがここまで怒っているのを見た。
「今、状況はただでさえ緊迫してるんです。これ以上悪くしないでください」
「……ごめん。ごめんな、武」
◆◇◆
「これから、一人ずつ個別に事情を聞いていくよ」
証拠について話し合い、残りの生徒たちにも聞き込みをしたが、結局、どうやって手紙が届けられたのか、誰も答えられなかった。
そこで委員長は、クラスの皆に、まるで警察の取り調べのように、一人ずつ個別に聞き込みをすることを提案した。
「まず、今回の調査を手伝ってくれる、信頼できる人が必要だ。質問がある人は?」
一人、手を挙げた。
「質問があります」
真司くんが手を挙げた。
「言ってみて」
「あなたが選んだ人が本当に信頼できるかどうか、どうやって確かめるんですか? 誰もが犯人になり得るこの状況で、それって、あなたが自分で犯人を庇ってるみたいに見えるんですけど」
面白い。教室の後ろの席にいる真司くんが立てた理論にも、それなりの筋があった。
私は被害者だけれど、それでも、私が嫌いな人を陥れたくて自分で犯人だと言っている、と疑う人がいてもおかしくない。
委員長についても同じだ。飛躍した見方をすれば、委員長は自分の罪をごまかすために、実在しない犯人を探すふりをしているのかもしれない、なんてことだって考えられる。
でも本音を言えば、委員長が犯人だなんて、絶対にありえないと私は思う。
「えっと……委員長が犯人なわけないと思います。毎日誰かを口説いてるような人が、女の子を悲しませるようなことをするはずがないですから」
少なくとも、委員長を少しは擁護しないと。
「えっと……それはただの例え話です。西尾くんが本当にこんなことをするとは思っていません」
あら……そういうことか。ちょっと恥ずかしい。
「それで……西尾くん、グループはどう分けるの?」
「さっきの一斉の聞き込みで、僕がもう疑わしくないと確認した人を選ぶよ。心配しないで、真司くん、君もその一人だから」
「僕が?」
「そうだよ……よし、僕が犯人を探すのを手伝ってくれる人は、名前を呼んだら前に出てきて」
「分かりました」
生徒たちは、揃ってそう答えた。
「一人目は北原さん。よし、働いてもらうよ、ホームズさん」
そう言って、委員長は北原さんの腰のあたりを軽く叩いた。
彼女は思わず大きな声を上げて、それから照れくさそうな視線を彼に送った。
もう……口説くならよそでやってほしいな。羨ましい。
「言われなくても分かってます……」
生意気なんだから。彼女がそうつぶやいたのが、かすかに聞こえた気がした。
可愛いなあ、本当に。この人。
「次は……九依奈ちゃん」
「呼ぶの遅い」
「シャーロットちゃん」
「はい」
「真司くん……それから、洋くん」
洋くんか……うーん……眼鏡をかけた男の子のイメージからしても、確かに疑わしく見えないタイプではある。でも、どうして委員長は、むしろ疑われてもおかしくないはずの彼を選んだんだろう。
こうして、私たちは一人ずつ教室の外に呼び出され、委員長との個別聞き込みを受けることになった。順番は、出席簿のあいうえお順だった。
◆◇◆
出席番号一番、赤さん。
「私も、誰が靴箱に手紙を入れたか、少しは分かるかも」
「そうなの?」
「うん……あの中に女の子は一人もいなかったから、犯人は男の子なんじゃないかって思ってる」
出席番号二番、上原さん。
「先週の金曜日、私は一番早く帰った組です。衣乃さんの靴箱の周りで、誰かが何かしてるところなんて見てません。お役に立てなくてごめんなさい」
出席番号七番、榊くん。
「あの靴箱に手紙を入れてた奴らの中には、先輩たちもいたよ」
「女の人もいた?」
「いなかったよ」
出席番号二十番、宮本くん。
「僕自身も、手紙を入れた一人です。でも、西尾くんが見せてくれた封筒は、見た覚えがないです」
出席番号二十八番、安田さん。
「なんとなくは見た気がするけど、誰が入れたかまではっきりとは言えないな。とにかく混雑してたから」
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「何か分かったことはありますか、委員長」
夕方五時、放課後。街で一番大きい書店にて。
私たちは、三十五人中二十八人の生徒に事情を聞き、詳しく突っ込んで話を聞いたが、返ってきた答えの多くは、似たようなものばかりだった。
「まあ、だいたいこんな感じかな」
委員長は、コピーして七部にした資料を取り出した。それなりに厚みのある束だった。
これは、委員長が自分の手で書いた聞き取りの記録だった。
「すごく細かいですね……これ、西尾くんが自分で書いたんですか?」
「うん……録音しておいて、それを分かりやすいように書き起こしたんだ」
「全部似たり寄ったりだね……洋くん、何か気づいたことや、繋がりそうなことはある?」
「……何も見つかりませんでした。似たような回答が多いのは確かですが、犯人や、犯人につながる動機を示すような手がかりは、何一つありません」
「シャルちゃん……あなたのグループの中で、彩葉ちゃんのことを嫌ってそうな人、心当たりある?」
え……私たちのグループのこと? どうして九依奈さんは、そんな提案をしたんだろう。
つまり、陰口みたいなことを言えってこと?
「いないです。私たちのグループは、自分たちだけでいることが多くて、他の人に関わることなんてありません」
「じゃあ、他のクラスの子ってことかな」
「うーん……それも十分あり得ると思います。この資料を見る限り、このクラスの誰かがやったとは考えにくいですし」
「でも彩葉さんは誰かと揉めたことなんて一度もありません。個人的な恨みという動機は、ちょっと考えにくいと思います」
「洋くんが言った通り、これは個人的な嫌悪から来てる動機のほうが強いと思う」
なんでそんな、強い言い方をするんだろう。
「西尾……相手は、ただ暇つぶしに彩葉ちゃんをからかいたかっただけ、っていう可能性はあると思う?」
「真司くんの理論もあり得るとは思う。でも、遊ぶことと周りに流されることしか頭にないような連中に、こんなことができるとは思えないな」
そうだ。今まで集めた証拠からしても、手紙を入れたのは全員男子だったと分かっている。
「うーん……もしかしたら、本当の犯人は誰かに指示を出しただけかもしれないですね」
「大げさかもしれないけど、それも十分あり得ると思うよ」
もし本当に、混雑した中で誰か男の子に頼んで手紙を入れさせただけだとしたら、女の子たちから証拠が出てこないのにも、ちゃんと理屈が通る。
「そういえば、北原さん、外で見張ってたとき、何か不審な様子はありましたか?」
「いいえ、何も」
「子どもって、嘘をつくのがうまいものだからな。今回は今までで一番の大仕事になりそうだ。西尾、何か考えはある?」
「誰か他の人に相談してみたほうがいいかな」
「何言ってるんだよ、分かってるだろ。学校の外の人間に手伝ってもらうことはできないし、しかも集まった証拠は全部似たり寄ったりだ」
「そうですよね、西尾くん……それとも、外部の人を呼びますか?」
「うん、それしかないだろうね」
委員長は携帯電話を取り出し、誰かに電話をかけた。
(はいはい……お勉強熱心な皆さん、まだ帰ってなかったの? 真面目だねえ、それとも、最初から学校になんて行ってなかったのかな?)
高校生くらいの女の子の声で、皮肉っぽい口調だった。しかも、どこか否定的な言い回しばかり使う。
「僕たちがどこにいるか、分かってるんですか?」
(連絡先を渡したとき、本に関することしか連絡しないって言ったでしょ。だから、こうしてあんたから電話がかかってきたってわけよ)
「あの……あなたは誰なんですか?」
真司くんが口を挟んだ。
(病院坂……それが私の名前ってことになるのかな?)
なんで自己紹介が疑問形になるんだろう。
「手伝ってほしいことがあるんです」
「ああ……靴箱の手紙の件でしょ」
この人、どうして僕たちが助けを求めてる内容が手紙のことだって分かったんだろう。
(そうよ……ポニーテールのお嬢さん、私は最初から全部知ってたわ。あんたたちが私に連絡を取ろうとするだろうってことも、推理の内容も、西尾が資料に書いた捜査の情報も、それに――犯人が誰かってことも?)
待って、話についていけなくなってきた。それに、全部知ってるって、どういうことなんだ。しかも犯人まで分かってるなんて。
「それなら、あなた……」
(あーっ……先に言っておくけど、私のこと「あなた」なんて呼ばないでよね。「お姉さん」とか「先輩」って呼びなさい。「あなた」だと、なんか老けて聞こえるでしょ?)
「じゃあ……病院坂先輩、犯人は誰なんですか?」
「洋くん……」
(ちょっと待って……全部知ってるとは言ったけど、まだ手伝うとは言ってないでしょ?)
(本に関することなら喜んで手伝うけど、手紙のことは……ちょっと遠慮しておくわ)
だめなの……? どうして……冷たい。
(ちょっとちょっと、ポニーテールのお嬢さん、心の中の言葉でも、もう少し丁寧に言ったほうがいいんじゃない?)
そんなにきつい言い方はしていないと思うけど。
「病院坂先輩……」
「お願いします」
そのとき、洋くんが、病院坂先輩に話しかけようとしていた委員長を遮った。
「今回のことは、彩葉ちゃんの心をとても傷つけてるんです。あんな呪いの言葉みたいなもので。僕は一刻も早く犯人を見つけたいんです。だから、どうかお願いします」
洋くん……。
(あんたみたいな人にそこまで言われたら、こっちも顔を立てないわけにいかないわね。ヒントをあげるわ。西尾くん、今夜、ちょっと話をしないとね?)
「ヒント、ですか?」
(そう、ヒント。そういうことになるのかな?)
(近くにあるものほど、実は遠い。あんたたちが「探してる」犯人なんて、実在しないのよ。最初から、存在なんてしてなかった。でも犯人は……「存在」してる、これは確かなことよ?)
(そして、全部は明日には終わる……と思うわ?)




