第5章: 解決不可能な小説の中の殺人事件 II
◆◇◆
シリーズ第四作目。
作品順で言えば第四作目。
四月四日に出版された。
四回、増刷された。
流通している書店は、四百四十四店舗。
『空しき事件コードと、糸の上の殺人』
主人公は、とある祭りの祝賀行事に出かける。だが、その祭りの最中に、一人の人物が死亡してしまう。捜査を進めていくうちに、逮捕された犯人は実は身代わりであり、しかも被害者の死に方は、殺人のようでいて殺人ではない、という真実にたどり着く。
その事件は結局、主人公が間違った人間を逮捕してしまったという、主人公自身の過ちということになった。
本の内容はだいたいこんな感じだ。それで、いわゆる「あの伝説」というのは一体何なのか。これから答えを探っていこうと思う。
◆◇◆
「僕たちが読んだこの本の謎解きって、僕は謎解きとは呼べないと思うんですよ」
もう何分も経っていた。僕と病院坂さんは、この本について話し合っていたが、まだ、僕たち読者の間で伝説となっているものが一体何なのか、はっきりとした結論には至っていなかった。
「それはそうだけど、あんたって本を読んだあとに、あとから分析することってある? それともないの?」
「普段は分析することもあれば、しないこともありますね。物語のジャンル次第です」
「じゃあこの本は? 考えなかったの?」
「推理小説って、二回目に読むと面白くないんですよね」
「私は、あんたみたいには考えないなあ。たまたま私は、いつでも暇な人間だから、一冊の本を十回……いや、二十回くらい読み返すこともあるかな?」
二十回。本が生まれ変わるまで読むつもりなのか。
「飽きないんですか?」
「本当に面白い本ならね、世界が滅びるまで読み続けたって、面白さは変わらないものよ。違う?」
褒めすぎだって、先輩。
「それで、その『伝説』っていうのは、一体何なんですか?」
「はぁ……あんた、西尾先生のファンじゃなかったっけ。もう分かってるでしょ、それが何か……それとも本当に知らないの?」
「僕は知ってますけど、読者が知らないんですよ。台本通りなら、説明するのは先輩の役目でしょう」
「そう……それもそうね」
「伝説っていうのが何かって言うとね、要するに、この本の中や物語の状況からして、この作品には殺人がある、実際に人が死んでいる、っていうことがはっきり示されているのに、そこから一転、殺人でも自殺でもない、っていう結末になる。しかも先生は、被害者がどうやって死んだのか、答えを明かさないの。だから、先生がなぜ読者に何のヒントも与えず、自分で考えさせることを選んだのか、その理由が何なのかっていうのが、伝説になってるってわけ……それとも別の解釈があるのかな?」
「そういうことですか、分かりました。問題は出ましたね。じゃあ要素は?」
「うーん……被害者には、はっきりした死因がない……それとも違う?」
「……殺人ではない。でも生存者もいない」
おかしい……どう考えても、これはあり得ない。何と言えばいいのか。持病があったと結論づけることもできない。被害者について健康状態が悪かったという説明はどこにもないし、しかも小説では、被害者はトレーナーだと書かれている。だから健康問題は除外できるはずだ。
「それとも事故……あるいは巻き添えを食ったとか?」
「それも考えられますね。被害者の状態は、殺人に似ているのに殺人ではなく、自殺に似ているのに自殺でもない……メモしておいたほうがよさそうですね」
小説が現実と違うのは、作者が描写していないことは、僕たちには絶対に分からないという点だ。
トレーナー(この呼び方にしておこう)の死体は、仰向けに倒れて気絶したような状態だった。体には殴られたような傷があったが、死に至るほど深刻なものではなく、まるで男の子同士がボクシングごっこでもしたような打撲傷だった。
「ねえねえ、これ見て。首、あるいは肩のあたりに、赤い打撲の痕があるって描写されてるんだけど」
「どこですか?」
僕は椅子から立ち上がり、病院坂さんが指さしている一文を急いで確認しに行った。
(彼の首の周りには赤い打撲痕があった。おそらくロープを使って、自ら命を絶とうとしたものと思われる)
「本当ですね。予想通りぴったり合ってます」
「ちょっとちょっと、坊や……まさか、奥さんに逃げられた酔っ払い探偵のおじさんみたいに、自殺だって結論づけるつもりじゃないでしょうね、違う?」
この人、また僕の考えを読んだのか。ほんの一瞬思いついただけの結論だったのに、すごすぎる。
「すみません……でも、あの探偵のおじさんは、離婚しただけですよ」
「だめよ、ワトソン君。本物の探偵は、適当に結論を出したりしないものでしょ、違う?」
なんで僕がワトソンだって分かったんだ。
僕は席に戻った。
「うーん……どうかしらね。自殺するつもりの人が、わざわざ人混みの中を馬鹿みたいに歩き回るなんて、普通ないでしょ。それとも私の考えすぎ?」
「そうですよね……病院坂さんはどう思いますか?」
「私に聞いても答えないわよ。結末のネタバレになっちゃうもの……それとも違うかしら?」
「もうこれだけで十分ネタバレされてますよ。今さら気にする必要もないでしょう」
「違うわよ、この『伝説』自体の結末のことを言ってるの……それとも違うかしら?」
もう伝説の正体が分かってるっていうのか。
「もう分かってるんですか!」
「そうよ……でも教えない。自分で答えを見つけなさい……それとも見つけなくてもいいのかしらね?」
一体どこまでケチなんだ。
「はぁ……今何て言った? ケチって言った? それとも私の悪口でも言ってるのかしら?」
「悪口なんて言ってませんよ。先輩の考えすぎです」
この人、まるで祟り神みたいだ。すごく不気味だ。
「まあいいわ。証拠とか、そういうことなら答えてあげる……それとも要らない?」
「わあ……ありがとうございます。お礼にマッサージしてあげますよ」
「それなら死んだほうがマシね。それに、私は考えすぎてもいないわよ」
◆◇◆
「じゃあさっきの続きですけど、トレーナーは首を吊って死んだわけじゃない。でも傷はある。もしかして犯人に殴られたけど、殺すまでには至らなくて、それで首を絞める方法に切り替えた。でもトレーナーは逃げることができた。ただ、傷のダメージには耐えきれず、加えてショック状態も重なって死んでしまった……こういう筋書きなら、成立しそうですか?」
「それだと、さっきの証拠と矛盾しない? トレーナーの傷が、友達とボクシングごっこでもしたみたいな打撲傷だけで、首にあんな赤い痕があるだけだったとしたら、それで本当に死ぬと思う?……それとも、あんたはそう思うの?」
そうだ……病院坂さんの言う通りだと考えると、トレーナーがどうやって死んだのか、まったく説明がつかなくなる。
僕たちの世界にも、永遠に解決しない謎の事件というものがある。この本の中の事件も、そういう類のものなのだろうか。
「そういえば……主人公たちが行った祭りって、どんな祭りだったんですか?」
「町のお祭りよ。お寺の縁日っぽい感じかしらね……それとも違うかしら?」
「だったら、犯人が武器を持ち込んでいた可能性はかなり高いですね」
「祭りの描写にパレードがあるって書いてあったにしても、人混みの中で、トレーナーを殺害するなんて絶対に不可能でしょ。動くのだって大変だし、立ってるだけでも人に踏まれかねないんだから。それなら、彼が一人で家にいるときにこっそり片付けたほうがよっぽど手っ取り早いんじゃない?……それとも違うって言うの?」
「確かにそうですね……で、彼、誰かとトラブルになったことはあったんですか?」
「本にはこう書いてあるわ……何もない。トレーナー君は人付き合いがよくて、友達も多くて、周りの人からも好かれていた。しかも重要なのは、彼は男性同士、女性同士、どちらの平等な結婚も支持してたってこと」
「トレーナーの過去を描いた回想シーンとかは、なかったんですか?」
「ない?」
こんな風にとどめを刺されてしまうのか。いや、それでもまだ何か道があるはずだ。病院坂さんだって、それは分かっているはずだ。
「それとも、本当にただの事故だったとか」
「どんな?」
「どんなって……」
「どんな事故なのよ?」
まずいな。言われてみれば、人混みの中で倒れたトレーナーに、人混みに踏まれる以外に何が起こるというのだろう。しかし作中の推測では、傷はボクシングごっこのようなものからできたと書かれていた。
「答えは沈黙、ってこと? 何よそれ、まさか行き詰まったなんて言わないでしょうね?」
どう考えても、トレーナーが死ぬはずはない。それなのに、彼は死んでしまった。あらゆる推測も証拠も、この本の事件の解決の糸口を何一つ示してくれなかった。
「降参します」
自分の無知に屈したのは、これが初めてだった。僕はいつも、たとえ不可能に思えることでも答えを見つけようとするタイプの人間だ。だが、今回は違った。現実のように、周囲の物事を思い通りに掘り下げていくことができない小説の中で、証拠を集めたり事件を捜査したりすること自体、自分の力だけで答えを見つけるのは不可能だった。
だが……
パン!!
いつの間にか、漫画と小説が僕の目の前に山積みになっていた。
その山には、小説が一冊、漫画が十冊。
『干支戦争』――バトルロイヤル(最後の一人になるまで殺し合う)ジャンルの小説で、十二支それぞれの戦士たちを詰め込んで、たった一つしかない願いを賭けて戦わせるという話だ。
『生徒会の意見箱』
日常系の漫画だったが、途中から完全にバトルジャンルへと路線が変わり、学校内の特殊能力者たちが戦い合う話になっていく。
どちらも西尾先生の作品だ。だが、どうしてこれが僕の目の前に置かれているんだ?
「じゃあ、ヒントをあげようかしら……それとも要らない?」
ヒント?
一体どういうことだ?
「どういうことですか。この二つの作品、一体どこが似てるっていうんです……」
「似てるでしょ……そっくりそのままよ?」
「はあ?」
この二つの作品は、ジャンルからして全く違うじゃないか。
「とりあえず、ざっと読んでみたらどう?」
まだ待ち合わせの時間には早かったので、僕はこの二冊にざっと目を通した。
だが、この二作品から、トレーナーの死因の答えがどう導き出せるのか、やっぱり理解できなかった。
「無理です……本当に分かりません」
「分からない、と」
「はい……だから、教えてもらえませんか。結局、これはどういうことなんですか」
「もちろんいいわよ……でも、あとで私にお礼してもらうからね?」
「分かりました」
お礼だろうと何だろうと構わない。今の僕は、とにかくこのことの答えが知りたかった。
◆◇◆
今回の物語の結論。
「これは、カットされたシーン、ってことよ」
「カット?」
作品の中に、いわゆる「カットされた描写」というものが一切ない、と言えば嘘になる。
だが、シーンをカットしてしまうと、登場人物はあっという間に危機的な状況へと突き進んでしまうことがある。たとえば、強すぎる悪役を出してしまった場合だ。カットは、物語を先に進めるための手段としては便利に見えるが、辻褄が合わなくなることが多い。
西尾先生の作品にこういうことが全くない、とは言わない。むしろかなり多い。たとえば『十二剣征服』という作品では、主人公が第一位の剣士と戦わなければならないのに、先生はそのシーンをカットして、代わりに主人公の姉にスポットを当ててしまう。しかも皮肉なことに、その姉は他人の技を盗む能力を持っていて、結局その巻まるごと、主人公の出番そのものを「盗んで」しまうのだ。
あるいは『干支戦争』では、先生は自分自身の生まれ星座に基づいて、あらかじめ勝者を決めてしまっている――それは作者紹介ページにはっきり書かれている。あるいは、あらゆるものを消し去ることができる能力を持つキャラクターが、あっさり殴られて退場したり、『生徒会の意見箱』では、三千億通りものスキルを持つ女子生徒が、ラスボスに輪ゴムで弾かれただけで死んでしまったりする。
「つまり言ってしまえば……先生は、この作品が主人公の過ちだったということを伝えたかった。不可能なことを紛れ込ませて、それをカットする――それが、探偵という立場でありながら失敗する探偵を作り出す方法だった、ってことですか?」
「じゃあ……あの死の数字は?」
「ただの偶然」
「はあ……?」
「理由なんて、それだけよ」
それだけなのか。もう少し説明する気はないのか。
「予想外にあっさり終わりましたね。僕はあんなに頭を悩ませたのに」
「あんた、他人が書いたものに対して真実を証明しようとしてたのよ。笑っちゃうわよね。正直、あんたが『先生がそう書いたから』って言い出してたら、私たちはとっくに事件を解決できてたはずでしょ?」
「そんなの、僕に分かるわけないじゃないですか」
「はは、まあまあ。恥ずかしい結論かもしれないけど、それなりに筋は通ってるでしょ?」
一体どこが筋が通ってるっていうんだ。
そのとき、携帯電話が鳴った。
聞くまでもなく、電話をかけてくる相手は北原さん以外にありえなかった。
僕は外に出た。書店内での電話は禁止されているからだ。
「はい……西尾です」
(西尾くん、ちょっと変なこと聞いてもいいですか?)
え……何だそれ。
「あ……いいよ」
(起きたまま、人に夢を見させるには、どうしたらいいんでしょうか?)
本当に変な質問だ。どう言えばいいんだろう。人間が普通に聞くような質問じゃない。
「え……えっと、まあ、ゆっくり話しかけて、その人を夢見心地にさせる、みたいな感じかな。バーテンダーの雰囲気に近いっていうか。僕もうまく説明できないけど」
僕はそう、適当に、開き直って答えた。そして、北原さんが僕とデートすることに緊張しているだけであってほしい(妄想)と願いながら。
(そうですか、ありがとうございます)
電話が切れた……。
あの子、一体どうしたんだろう。
◆◇◆
僕は店の中に戻り、本を棚に戻した。もちろん、欲しかった本はしっかり買って持ち帰ることにした。
今日の僕は、大きな失敗をした。謎解きが好きな人間として、それほど難しいことでもなかったはずなのに、その可能性にまったく気づけなかった。
「そろそろお別れね。きっとあんたのこと恋しくなるわ、絶対」
「寂しくなったら電話してくださいよ」
「あら……なかなか口が上手いじゃない、坊や」
病院坂さんは僕に紙を差し出した。電話番号とメールアドレスが書かれていた。
「じゃあ、毎晩電話しますね」
「本の話をするために渡してるだけなんだからね。本に関するニュースがあったときとか、何か相談したいことがあるときは、いつでも呼んでいいから」
「客寄せですか?」
「呼びつけろって言ってるのよ!! このガキ!」
そろそろ待ち合わせの時間が近づいていたので、僕は自転車に乗る準備をした。
「じゃあ、また、病院坂さん」
「またね……本当に?」
うーん……何か先輩、まだ僕に話したいことがあるようだった。
「あんたって、謎解きが好きよね?」
「まあ……好きですね」
「一応言っておくけど……ある種の謎には、絶対に首を突っ込んじゃいけないものがあるからね?」
「え」
「この街には……あんたが疑問に思っているような色々なことがあるでしょうけど、よく見て、しっかり自覚しておきなさい。じゃないと、謎の世界にあまりに深入りしすぎると、良くない結末を迎えることになるかもしれないから」
それは……一体どういう意味なんだ。首を突っ込んではいけない謎、ということなのか?
「それって……」
病院坂さんは、いつの間にかその場からいなくなっていた。
僕はただ、さっき彼女が言ったことについて考え続けるしかなかった。
だが結局、その答えを見つけることはできなかった。
自転車を漕ぎながら、僕はずっと彼女の言葉の意味について考え続けていた。
広場の時計台の前で足を止めると、北原さんがこちらへ歩いてくるのが見えた。僕はその考えを、いったん脇に置くことにした。
なぜなら今日は、僕の自転車の後ろに乗るこの子と、一緒に時間を過ごしたかったからだ。
僕は目的の場所へ向かうため、ペダルを踏み込んだ。
彼女は僕に抱きつき、僕の背中に顔をうずめた。なんだかロマンチックだな……うん。




