第2話 予言者に名を
「この娘を陛下の御前に出せるよう、何とかしてくれ」
「はい、閣下!」
アルファ付きの見習い侍女であるアリスは、クリーム色の三つ編みを揺らしながら、銀髪の少女を私室に備えられた浴室へ連れていった。
二人を見送ったアルファは、騎士礼装へ着替えながら深いため息をつく。
昨夜の出来事を思い出すと、頭の奥がわずかに痛んだ。
◆◆◆
『逢いたかったよ。ぼくの聖騎士様』
少女の指がアルファの頬に触れた。
目の前にいるはずのアルファを見てはいない。焦点の合わない赤い瞳は、それでも彼の存在を正確に捉えていた。
『僕は、皇帝の敵を殺すために来た』
『知っているよ』
少女は楽しそうに目を細めた。
『だから教えてあげる。明日、君の皇帝は死ぬ。そして帝国を救うのは、人間ではない』
アルファは反射的に少女から距離を取った。
その拍子に、認識疎外のためのキセルがポケットから滑り落ちる。
『ああ、ようやく顔を見せてくれたね』
少女の瞳が、初めてアルファの顔へ向けられた。
『“視えていた”とおりの顔だ。ぼくは好きだぞ、君の顔』
『何を言って……ちっ』
アルファは慌ててキセルを拾い上げた。
だが、一度途切れた術が再び身体へなじむまでには、わずかな時間がかかる。
牢屋へ近づいてくる複数の足音が聞こえた。
『さあ、連れていってくれ』
少女は鉄格子の残骸を越え、アルファの胸元へ倒れ込むように身を寄せた。
『見たいんだ。もう一度、外の世界を』
『勝手なことを……!』
アルファは舌打ちすると、少女を抱え上げた。
敵に見つかる前に牢獄を抜け、認識疎外の術をかけ直して教団の敷地から脱出する。
少女を連れ出してしまった。
そう、してしまったのだ。
ならば、最善の手を打つしかない。
アルファは、非常時のために用意していた隠れ家へ向かおうとした。
『そちらではないよ』
腕の中で、少女が告げた。
『宮殿へ向かえ。ぼくは皇帝と会うことになる』
『陛下だ』
『どちらでも同じだろう?』
『同じではない』
少女の不敬な物言いに苛立ちながらも、アルファは足を止めた。
彼女を宮殿へ直接連れていくのは危険すぎる。
アルファは懐から小さな通信魔石を取り出した。魔力を流し込み、ローゼスの側近だけが使える回線を開く。
予言者を確保したこと。
彼女がローゼスの死を予言したこと。
そして、宮殿へ連れてくるべきだと主張していることを簡潔に報告した。
ほどなくして、魔石からローゼスの声が返ってきた。
『すぐ連れてこい。余が直接話を聞く』
『陛下、危険です』
『だからお前が連れてくるのであろう?』
『……承知しました』
予想どおりの返答だった。
ローゼスならば、アルファと予言者が一夜にして姿を消したと知れば、自ら隠れ家まで探しに来かねない。
それよりは、警備と結界の整った宮殿内で会わせる方がまだ安全だった。
アルファは少女の両手に簡易的な魔力封じの腕輪をはめた。
未来を視る以外の力がないとは限らない。
もし彼女がローゼスへ危害を加えようとすれば、自分が斬る。
そう決意したうえで、アルファは進路を宮殿へ変えた。
◆◆◆
とはいえ、ぼろ布同然の服を着たまま皇帝の前へ出すわけにもいかない。
アルファは少女を人目につかない通路から自分の屋敷へ連れ込み、唯一の専属侍女であるアリスへ預けた。
十三歳のアリスは、アルファがまだ一介の騎士だった頃から仕えている見習い侍女だ。
宮廷の侍女長から正式な配置換えを何度も勧められているが、本人は頑としてアルファ付きの立場を譲ろうとしなかった。
アルファが窓の外へ目を向ける。
朝の日差しを浴びた庭園には、色とりどりの薔薇が咲いていた。
ローゼスという名にちなんで諸侯から献上された苗が増え続け、今では庭の大半を埋め尽くしている。
「閣下」
呼び声に、アルファは振り返った。
そこには、見違えるような姿となった銀髪の少女が立っていた。
「このような、わたくしにはもったいないドレスをお貸しいただき、ありがとうございます。閣下」
この猫かぶりめ。
アルファは真っ先にそう思った。
少女は白いフリル付きのドレスに身を包み、乱れていた銀髪も丁寧に整えられている。頬には薄く化粧が施され、その姿はどこかの姫君のようだった。
珍しい銀髪と、この国で不吉とされる赤い瞳は、人々から警戒されるだろう。
だが、同じくこの国では珍しい黒髪と黒い瞳を持つアルファにとって、気にするほどのことではなかった。
「いかがでしょう、閣下! わたし、頑張りました!」
胸を張るアリスに、アルファは小さくうなずいた。
「よくやった」
頭を軽く撫でると、アリスは「えへへ」と頬を緩めた。
「……ぼくには、褒め言葉はないのかい?」
銀髪の少女が、不満そうに口を尖らせる。
「どうせ、それも“視えて”いたんだろう」
「未来視は、何でも分かる力ではないよ」
少女は少しだけ肩をすくめた。
「強く結びついた未来の断片が視えるだけだ。君がぼくを褒めるかどうかなんて、そんな細かなことまでは分からない」
「なら、似合っている」
「本当かい?」
「アリスの仕事がな」
「むう」
少女の機嫌は、かえって悪くなったようだった。
アルファは面倒になり、それ以上相手にしないことにした。
「これから陛下に謁見する。会いたかったのだろう?」
「うん」
「アリス、謁見の準備が整ったか確認してくれ。くれぐれも内密に」
「はい、お任せください!」
アリスは元気よく返事をすると、部屋から駆け出していった。
しばらくして戻ってきた彼女は、胸の前で両手を握りしめる。
「許可が下りました! 小謁見室でお待ちとのことです!」
「分かった」
アルファは少女へ向き直った。
「行くぞ。陛下がお召しだ」
「……うん」
二人が部屋を出ていく。
残されたアリスは、どこか不安そうに主と少女の背中を見送った。
◆◆◆
「面を上げよ」
防御結界の張られた小謁見室。
ローゼスは玉座に座り、目の前の少女を興味深そうに眺めていた。
部屋からは通常の警護を外してある。
代わりにアルファがローゼスの斜め前へ立ち、いつでも少女との間へ割って入れるよう警戒していた。
好奇心に負けて立ち上がりそうになるローゼスを、アルファが軽くにらんで制止する。
少女は優雅な所作で頭を上げた。
「ふむ。銀の髪に、不吉とされる赤い瞳か。それがお主が表へ出なかった理由か?」
「それも理由の一つでございます、陛下」
「名は何という?」
「わたくしに名はございません。ご随意にお呼びくださいませ」
「名がないのか」
ローゼスは顎へ手を当て、少し考え込んだ。
やがてアルファへ視線を向ける。
「アルファ。お前が決めろ」
「なぜ僕が?」
「お前が連れてきたからだ」
好きにすればよいではないか。
アルファは視線だけでそう訴えたが、ローゼスは楽しそうに黙殺した。
少女も横目でアルファを見ている。
赤い瞳は、どこか期待に満ちていた。
「……マリアでよいのでは?」
「マリア、か」
ローゼスがその名を口の中で転がす。
「ずいぶんありふれた名を選んだものだな」
「だからこそです」
アルファは少女を見た。
「予言者でも、教団の道具でもない。まずは普通の人間として呼べる名が必要でしょう」
少女は驚いたように目を見開いた。
未来視にも、この瞬間ははっきりとは映っていなかったらしい。
「マリア」
少女は、自分の名を確かめるように呟いた。
「うん。悪くない」
「では、マリアよ」
ローゼスの表情から笑みが薄れた。
「余の未来は視えておるのか?」
「はい、陛下」
初めて与えられた名を呼ばれ、マリアは丁寧に頭を下げる。
そして、まっすぐにローゼスの碧眼を見つめた。
「陛下は、今日死にます」
アルファの表情が険しくなる。
「そして、このローズ帝国も、間もなく滅びます」
ローゼスはしばらく黙っていた。
やがて、声を上げて笑う。
「フハハハハ! 余の前でも予言を変えぬとは、良い度胸だ!」
だが、その碧眼だけは笑っていなかった。
「千年に一度の大洪水だったか。それが帝国へ襲いかかるのだろう?」
「はい」
「アルファ、そう顔をこわばらせるな。この程度の話なら、箱舟教団の連中が毎日のように触れ回っておる」
ローゼスは再びマリアへ視線を戻す。
「それで、教団が造っている箱舟は間に合うのか?」
「いいえ」
マリアは静かに首を振った。
「あれは、人を救うための箱舟ではありません」
「では、誰が箱舟を造る?」
マリアは右手を上げた。
その指先が、ローゼスを守るように立つ黒騎士へ向けられる。
「箱舟を造るのは……彼です」
アルファは、無言で自分を指さした。
「僕が?」
マリアは赤い瞳を細め、確信に満ちた笑みを浮かべた。
「そうだよ。ぼくの聖騎士様」




