#5 ほう、なぜそう思う?てか、そんなやつおるん?
「ほう、なぜそう思う?てか、そんなやつおるん?」
「キミ」
「だからなんでそう思うんだよ…」
「キミ、メガネ免疫なさすぎなんだよね、ある一つの特徴を通して全体の認識にまで判断を広げてしまう”ハロー効果”っていうのがあって、自分にメガネを掛ける習慣がなさ過ぎて、自分以外の誰かがメガネを掛けているのを見ると必要以上にそのメガネの影響を受けた印象で対象の人を認識してしまう、ある種のメガネ属性の一種の症状がキミから見受けられるんだよね」
「なにそのメガネ免疫にかかわる診断結果みたいな言い方、まるでオレがメガネしてる人に悉く反応しちゃうメガネ属性症状に悩んでる人みたいじゃん…」
「だから、キミ、メガネ体験したことないでしょ?」
「無い、のかもしれん…だから何だって言うんだよ、よく考えてみたらメガネなんて自分で掛けたことなんてほぼないよ、思い当たらないよ、ていうかたまたま視力に不自由したことがないだけのメガネ未体験ってだけで、それで何か不味いことってある!?」
「あー、そうなんだ、もったいなぁ、それだと、このメガネを上手く使えないかもなんだなー」
「どういうこと?」
「あー、これね、なんでも見えないものが見えちゃう特別なメガネなんだよね」
「なにそれ!!つまり、骨まで見えちゃうスケスケメガネってことですか?」
「バカね、レントゲンのエックス線でも放射しない限りそんなの無理だし、そんなの身に着けてたら被爆者になっちゃって危ないでしょ」
「じゃあ、何か?あの荻原一至先生の『バスタード』に出てくるガラの服だけ溶かすスライム的なスケスケ機能がさっきのメガネにはあるとでも?」
「だからスケスケから離れなさい」
「いや、もう見えないものが何でも見えちゃうとか凄すぎて妄想がはかどるねー、なんかワクワクするねー」
「でも、さっきのメガネはちょっと特別で普段からメガネを掛けてるか、掛けてないのかでメガネを通して見える解像度みたいなのが人によって変わってくるんだ、だから今日までメガネを知らないキミはウチのメガネの特性をほとんど引き出すことができそうにないから残念だなぁって言ったのさ、フフフ」
「はーーーーー?なにそれ、オレのワクワクの感動を今すぐ返せよ」
「ウソ」
「は?」
「だから、ウ・ソ」
「どこの、何が」
「全部、ウ・ソ」
「え?どこから、どこまでのこと?ちょっとーオオカミ少年ならぬ、オオカミ女がここにいますよー、お巡りさーん、拉致に、虚言に、詐欺まで働いている悪い女がいるんで捕まえて、刑務所に封印しといてくださーい」
「ごめん、ごめんて、思ったよりリアクションが面白過ぎて、ふざけすぎたの謝るから、ちゃんと話をしよう」
「だから、何の話をするのにオレはこの車で誘拐されて、監禁されてるの?ホントちゃんとして…頼むから」
「大丈夫、もう家に着いたから」
「家!?」
誰の?
なんで?
嫌だよ、同級生女子の家に着いたってオレはどんな顔して家の人に会えって言うんだよ!
嫌すぎる!
一八歳からロードスターを乗り回してるような教育をしている家に行きたいと思うか?
それも二人きりの意味をいろいろと何もかも勘違いされてること前提にしていることを打開するのも、妥協するのも、黙認するのもとにかく全部が嫌すぎる。
正す襟がないのが何より怖いんだよ。
オレはまだ何者にもなれていない。
そんな男を自分の家にいきなり連れてくるとかどういうつもりなんだこの女は!
「勘違いしないで、家って言っても連れてくのはほぼ研究所みたいなところだから」
「なんだよ、研究所かよ、早く言えよな、ってなんの研究所だよ」
「あー、ウチはメガネに関する”ある”技術を開発するための研究をしてるんだー」
「へー、メガネに関する技術かぁ、コンタクトレンズとか、サングラス的なもののことか?」
「まぁ、そんなとこかな…」
「でも、どこにもそういう研究所的な建物も家らしきものは見当たらないけどな」
「あー、そうだよね、ここからじゃ何も見えないからわからないよね」と彼女はそこから車をゆっくりと徐行しながら、やがて山の斜面を人が歩くための石畳が段々に並べられている先の脇に車を停めて「さ、着いたから降りて」と言われるが、それでも家らしい家が見当たらないままキョロキョロと辺りの山の緑の森を見上げながら緩やかに曲がてのびる石の階段の先にそれはあった。
「この山にめり込んで見えるのがウチの家」
「マジか、山と一体化してるじゃん」と見たまんま彼女の言う家は山の斜面の中にあった。
「そうなの、でも結構ちゃんと快適に暮らせるようになってるんだー」
まるでゲームの世界にしかないような洗練された建築スタイルに驚いた。
シェルターのようでありながら、遺跡のようにファンタジックな建造物だった。
山の斜面を丸く刳り貫くようにして設計されている建物の入り口は上の白い石膏が凹凸となっているせいなのか、ギリシアの神殿を思わせるようなグレイな外壁とモダンな企業エントランスにあるようなガラス大きな張りの奥行きの黒とのアンバランスなコントラストがまるで次元の裂け目のようになっていて、周囲の緑の中に突如として現れた異世界への入り口をこちらから覗いているみたいな気分だった。
石の階段を昇り終えて、丸く刳り貫かれて見えたスペースに下ったフラットなエントランスには、いつでもバーベキューでもできそうなテーブルと家の外壁のカーブに沿ってせり出た腰かけに、閉じた白いパラソルとビーチのあるようなリクライニングできそうな長い木製の椅子があって、その時点でもうすでにここが普通の家であることを疑わせるのに十分な設備だった。
エントランスからガラス越しに眺めることのできる向こう側には快適そうなインテリアの数々が詰め込まれていて、山の中の住まいがどんな洞窟生活をしているのかと思いきや、その内部は中に入るまでもなく完全に高級ホテルのように綿密なもてなしを想定した内装が容易に見ることのできるVIPな空間がうかがえた。
こいつ…もしかしなくても、とんでもない家柄の出だぞ、ということも同時に知ることとなった瞬間からオレは彼女のことを「ラグビー女」などと心の中で呼び捨ててきた自分に言葉を失うしかなくなりながら「こっちよ」という彼女の言葉だけに理性を従わせながら動いている操り人形のような放心のままに、オレは彼女の家の中に通されたのだった。
床や壁の天井までに至る内装空間は主に白寄りのグレイの石やコンクリートで各部屋が仕切られていた。
まるで洞窟感はないが、自分が今、山の内部から円形のガラスから外の森を見渡しているのだ、というこれまで感じたのことのないラグジュアリーな高級感というか、これがセレブか!という気持ちがオレの中に込み上げてくるのにはあまりに充分すぎるインテリアがそこかしこに散りばめられているのに目を回さざるを得なかった。
価値がわからないくらいの価値のありそうなものに囲まれたら誰だって目が回る。
何に触っても、何かを動かそうものなら、常にそれが間違って壊れてしまうかのような余計な心配が価値のわからない価値によって混乱する仕様がたぶんオレたちに人間には備わっていて、ロードスターを運転する女子の助手席の居心地の悪さをさらに肥大化させたかのような分不相応な空気がオレの中に流れ込んできては充満していた。
ダイニングにいるだけでわかる。
今オレが腰かけている白い背もたれの一見普通に見えるステンレス製の椅子も見たことがないデザインだし、長く広い大きなテーブルはたぶん無垢材で拵えたもので、システムキッチンはもちろん最新っぽくて、その周囲の調理器具もきれいに整っていて、部屋を暖めるストーブは謎にシステム化されているであろう暖炉だし、照明も家電も全部オレという人間の価値とは分不相応に相応しくこの空間に溶け込むようにマッチしていて、息が詰まりそうなくらい落ち着いた雰囲気の中にいるオレの前でラグビーボールはこんなことを切り出したのだった。
「安心して、今はこの家に誰もいないから」と彼女は冷蔵庫から取り出した水のペットボトルをグラスに注いでいる。
オレはそんな彼女の背中をぼんやりと見つめながら「ああ、そうなんだ」と彼女に言われるがままホッと安心している自分がいた。
信じがたかった。
野球部の人たらしと呼ばれて久しいこのオレが女子と二人きりだとわかって安堵しているだと!?
オレは自分が自分でなくなってしまったかのような虚脱状態にあることを確信した。
本来であればおいしいシチュエーションとばかりに、女の子のテンションが上がるよう歯の浮くような誉め言葉を連呼して、適当にお酒を飲ましたり、最近の話題やゲームや漫画の引用とかでクソ笑いを誘ってからの勢いを利用してパンツを脱がすところまで一気に行くのがこれまでのオレのセオリーだったはずなのに今日のオレはどうしようもなかった。
ていうか前からずっとそうだった.
”やってみなければわからない”といつもそこはかとなく不純な動機も無きにしも非ずな気持ちで、コイツとは絡まれた数だけ相応なつき合いをして来たんだけど、なぜかそれなりに可愛いはずのこいつとはまったくその気になれないのが自分でもよくわからないまま今日まで関係してきたが今日ようやくわかった。
住む世界が違ったのだ。
貴族と平民、サラブレッドと犬、宇宙とゴキブリくらい育った環境が違いすぎによる変人奇人的な振る舞いに翻弄されることが逆に良かったこともあって、つまりオレたちは同じ人間だが性別以上の生活面での格の違いから、一緒にいて美味しいと感じるものの違いをすでに天然で女子ハンターとしての嗅覚は察知していたものにオレはこれまでずっと感じたことのなかったよくわからない関係性の一端に変種の尊さのようなものを垣間見ていた。
むしろ、女子と男子とでは端から下半身の作りも頭の構造も違うから面白いわけだが、このラグビーボールの変わり方は常に何か違和感のある近さというか遠さみたいなのが同居しているような、その関係を説明するのにふさわしい言葉を見つけることができないまま、今日まで会うたびその距離感を調整しながら彼女の方に向かって振り返ってきたことを思っていたところだった。
「はい、水」とグラスを差し出した彼女は再びあの不可解なメガネをしていた。
「おま、そのメガネはやめろってさっき言っただろうが!」
「だって、キミは典型的な健康優良児だからそれなりの自衛は当然でしょ?」
「思い上がるなよ、なんか知らんがオレは昔からお前とは友情が成立してしまうみたいなんだ、残念だったな」
「それなんだよ、ウチもキミの目の奥でパンツを脱いでるキモさというか大胆さみたいなのを感じたことがないから妙な信頼感がずっと不思議だったんだけど、それでも何が起こるかは誰にもわからないからゴムの代わりにキミの恐れるスケスケメガネを装備してみたのだよ」
「お前ら女子って、オレたち男子の目の中にパンツ見てたってこと!?」
「そだよ、ウチらはそうやって遺伝子を残してきたんだから何をいまさら言ってんだか…」
こうしてお団子頭の変わらない彼女を目の前にしているとやっぱりラグビーボールの二つ名がコイツにはふさわしいな、とオレが思っていると無垢な机に置かれたグラスの水が水では何かに変わっていくのを眺めていた。




