#4 スカッシュはオレと彼女をつないだ最初のきっかけだった
スカッシュはオレと彼女をつないだ最初のきっかけだった。
大学に入ってすぐの何の講義だったかは忘れたが、何らかの自己紹介のようなことを終えてすぐに彼女はオレの目の前に現れて、「ねぇ、キミ野球部だったんでしょ?スカッシュやってみない?」とかいうとてつもなく強引で脈絡のない構文を意にも返さない勧誘に遭ったことが最初の邂逅だったのを覚えている。
そして、オレの頭の中の辞書にあったスカッシュには炭酸飲料のレモンスカッシュくらいしか見当たらなくて、オレには”スカッシュをする”という言葉の並びが本当に日本語なのかと疑いたくなるレベルで理解が遠かったから、オレはスカッシュの意訳を彼女に申し出たことが始まりだった。
したら、スカッシュとは壁あて式のテニスのようなラケットスポーツだった。
彼女はスカッシュの大まかなルールとその起源やら発祥国やら現在の世界的趨勢における日本でのスカッシュの立ち位置等の辛酸苦境の水平線的な現状を、まるでスカッシュ教の信徒がスカッシュ教を布教するがごとく決して穏やかではなかったが真摯な熱意をやや一方通行気味に一通りの説明をされながら、オレは街のスカッシュコートに即連行されることとなった。
つまり、中々の剣幕でそれなりに可愛いと思える同期の女子大生が迫ってきて、悪い気はしなかったし、まずはやってみなければわからないという見解には同意していたからその先にも何かあるかもしれないといろいろと期待しながらオレは彼女についていったわけだ。
ちなみに彼女に連れられたその時の足はもうすでにロードスターだった。
そんなん誰だってダジログに決まってる!
一八歳で大学に自家用車を乗り回して、スカッシュのアスリートで、おまけに自分の可愛さと有能さとか強さみたいなのを自覚した強い瞳でオレたち男子を子ども扱いしてくるだけの自信にギラギラした女子とか無敵にも程がある。
どう考えても彼女はオレと同い年とは思えないスペックが詰まっていた。
だからなのか、少なくともオレは彼女を前にして思ったことは、キレのあるダンスを踊れる芸術的に華麗な女子よりも、ある程度隙のあるのんびりとした女の子がオレの好みの一要素であることをなんとなく感じさせてきた存在でもあった。
それでもノコノコとついていったのは”そうとも限らない”という可能性を求めてだった。
要は、”好きかどうかはやってみなければわからない”、ということだ。
たぶんだけど、オレたちはそのために生まれてきたのだと思ってると言っても過言ではなかった。
オレはいわゆる県内の総合私立大学の一学部である人文学部の教育関係を専攻しようと進学してわけだが、その大学には独自の仕組みや建物が醸し出す学びのためというより、人間の心の居心地の良さみたいなのを引き出すべく設計されたその環境の雰囲気等に自分を委ねることでそれまでの自分が想像することもできなかったような自分になることを夢見て、オレはこの大学を選んだのだ。
もちろんそこにはこの大学キャンパスに所属している学生たちの大人びた開放的な感じの良さへの憧れも含まれていた。
だからオレは来るものを拒まない理念でその大学を選択した甲斐というものを堪能すべく、彼女の推奨してくるスカッシュとやらに様々な可能性に妄想の目を向けながらその意気に乗ることに躊躇はなかったから決して後悔はしていない。
後悔はしていないけれど、彼女とのスカッシュで全治2か月の肉離れを喰らったのは事実だった。
受験明けでオレの体が思ったよりも貧弱だったのとスカッシュの運動量が想定以上だったのに加えて、彼女のスカッシュコートにおけるあまりに圧倒的な支配力の底が見えなくて、そんなどうしようもない戦力差を前にムキになって挑み続けた自分が馬鹿だったとしか言いようがない。
スカッシュのゲームは十一点三セットマッチで行われる。
オレは初めてのスカッシュの割にはかなり上手く熟せていたようで、コートにいたスカッシュの愛好者たちの食い気味に自己主張の強い野球関係者にはないような手放しのチヤホヤに気分良くなっていたオレは、やがて彼女の方から「ゲームしてみない?」のオファーに二つ返事で応じたのだった。
一セット目から全力脳筋スカッシュで野球部男子のパワーでスカッシュボールをこれでもかとぶっ叩きまくるも、全てしなやかに美しいスイングによる弾道でコースへと打ち返され零点に完封される。
二セット目はスカッシュ関係者のアドバイスをもとに、コートの中央のポジションを守りながら、もっと強弱をつけたスイングで体力の管理をしながら、相手を真ん中のポジションから動かすことを意識してラリーを繰り返すも一点も取れず…
本来であれば、二対〇でマッチオーバーなのだけど、何度ラリーを繰り返してもまぐれでの一点も取れないとかが手応え的にあり得なかったことから泣きの三セット目をオレの方からお願いをした結果、オレの太ももはブチブチという耳に聞こえるかのような不気味な亀裂というか断裂音と共に訪れた激しい痛みでもってオレにゲームセットを知らせてきたのだった。
以来スカッシュはオレの中で危険スポーツのリストにアップされることとなる。
それでも、偶の忘れた頃の機会を見計らってなのか彼女はオレにスカッシュ勧誘のスナイプを怠らない。
そのたびに、スカッシュでオレに怪我をさせてしまったことを泣いて謝ってくれたことで過去が洗い流されていると思われるこの女のメンタルはどうなっているのかを思わされることで、呆れるのを通り越した呆気に取られながらも次に何を言い出すのかのゴリ押しの凄さが彼女なのだと思うことにオレは慣れていた。
計り知れないというか、どこか大切なのに大切じゃないとされた合ってもなくても大丈夫なネジが飛んでできた度量みたいなのがたぶん彼女がラグビーボールたる所以の性格や才能に関与しているのだ。
まるで村上春樹の小説に必ず登場してくる賢い少女のような雰囲気にズキューンとくることがあるのだ。
真っすぐなのだ。
でもどこに転がっていこうとしているのかがわからない。
そして、たとえどこへ行ってしまっても良い面白い存在としての期待感だけは変わらない。
どうせまたスカッシュなんだろ、という鉄板だとも思いながらそうとも限らない要素がいつもある。
やってみなければ、つき合ってみなければ、話を聞くまではわからない。
最初から変わらなくて、わからないままの今日という一日も、一貫してこれまで通りの茶番につき合うつもりでオレは彼女の都合に流される可能性に委ねていると、唐突にありきたりにして妙な質問を彼女はしてきたのだった。
「ねぇ、キミ、メガネってかけたことないでしょ?」とハンドルを握りながら運転を再開した彼女はそう語りかけてきたのだった。




