#3 いや、笑ってもだめです、怖すぎです
いや、笑ってもだめです、怖すぎです…
いくらなんでも人の心がまるわかりなのを告白してにやけてはいけません。
マジでどう接していいのかがわからなくなる。
もう一〇年近く野球をやってるからわかるんですけど、もしも心を読んで自分の結果を出して試合に勝てたとしても、それ以上に追いつめられた選手のプレッシャーや支離滅裂な状況下に置かれたやつとか、激しく相手を憎んだり、仲間さえも罵倒している連中だっているはずだからたぶんメチャクチャつらいと思う。
田口ランディさんの小説『アンテナ』に感受性が異常に鋭い少年が出てくるんだけど、制御不能なままに人のありのままの心の声がまるでノイズのように流れ込んでくることによって、少年が自分と他人との境界が壊れていく描写のシーンをオレは思い出していた。
「助かるわーって、お前…それで大丈夫なのかよ…」
「安心して、ホントにウチはエスパーなんかじゃなくて、このメガネがキミの心を見通しているだけだから」
「メガネがオレの心を見通してるだけって、もうだいぶ大ごとなんで、そのメガネでオレのこと見るのやめてもらっていいですか…」
「あー、それは構わないけど、例えばこうして前だけ見ながら車を運転してても、自動でキミの考えているであろうことがスラスラとこのメガネとのリンクを通じて明け透けになったものが、ウチのイメージに転送されてくるんだよね」
「地獄過ぎる!」とオレはラグビーボールの圧に負けじと冗談交じりの大きなリアクションで叫んどいた。
すると、また音が消えて、耳鳴りが引き延ばされたような感覚と共に辺りが微動する景色となる。
ただ今回は単に時間と空間がゆっくりになるだけとは少し違った感じにあった。
それもそうだ、今オレは彼女のロードスターの助手席から逃れられない自分を見下ろしているのだから…
見下ろしていると言っても、宙に浮いている感じではなく、オレの足元の視界の端にある水たまりのような再生映像を全く違う世界から見守っているとでも言えばいいのか…その現実離れしたオレの知らない空間は金色のすすきみたいな植物が絨毯のように広がっていて、その空はオレのよく知る学生時代の黒歴史や幼い頃のただただ幸せだった頃のあらゆる思い出が無作為に散りばめられた映画のフィルムのようなセル映像で覆いつくされていた。
その圧倒的謎世界を確認すべく周囲をさらに見渡した背後に一人のジジイがいた。
のっぽさんの帽子に刑事コロンボみたいなコートを着た不気味な髭のジジイが音もなく佇んでいたのだ。
「はぁ!ひぃぃぃ!?」と思わず変な声で叫んでしまった。
いきなりの背後にジジイはビビるぞ。
怖すぎだろ…
キレやすいネェちゃんや笑わないババアに匹敵して怖いのが何も言わずにただそこにいるジジイ。
しかも灰色で色がねぇ。
心霊写真に見切れてる霊みたいに色がないままの存在とか居ても良いのか?
ていうか、生きてるのか?
金色の原っぱに似つかわしくない灰色のジジイがいることをオレが少しずつ受け入れ始めた謎のタイミングで「良いこと教えてやろう」とメッセージを発したのをオレは聞き逃さなかった。
「自分の物にしてしまえばええ」と残してジジイはこの世界と共に消えていった。
「あー、わかった、最初からこうすりゃよかったのか」とオレは予備動作なく運転中の彼女のメガネに手を伸ばした。
「ちょっ!急に…なにすんのよ!危ないじゃない!」と彼女はオレの不意打ちをあっさりと躱しやがったのだ。
「おいー!!避けられたんだが!!(なんだったんだ、あのジジイはー)」
「今の危なかった…危なかったーーーーーーーーーーーーー!!!」と叫びながら彼女は目一杯の急ブレーキで信号を止まりやがって、「うおっ」とガックンと不意に大きく首を揺さぶられたオレが”お前なぁ!”と言おうと彼女の方に向きなおすといつもの裸眼に戻ったラグビーボールがそこにはいて、左手でハンドル、右手でメガネをぶら下げながら「これで良いんでしょ?」とオレに凛とした瞳を見せるのだった。
「ああ、絶対に、一二〇%、そっちのほうがいい」とオレは言った。
したら「そっちってどっちのこと?」と赤信号で車を停めたままメガネを外した彼女はオレの方を向いている。
「だからどう考えてもあのメガネの性能はおかしいから絶対他人に言っちゃダメだし、使うのはもっとやめた方がいいからどっちもそっちもなくお前のそのどこから持ってきたのか知らないけど、どうにかした方が良いと…」
「つまんないことベラベラとよくしゃべるねー!キミー」
「は?まだ人が喋ってる途中でしょうがぁ!!」
「その話がつまんないから切断したんですー」
「お前がどっちかって聞くからオレが親切丁寧に感想を述べてやってたんでしょうがぁ!」
「そこはメガネなんてしてない方が良いよって一言添えるだけが正解だったんですー」
「んなこと死んでも言うか、ボケー、てか、お好み焼きまだ?」
「あー、それはまた後でね」
「後だと!?先があるのか?聞いてないぞ」
「言ったら来ないじゃない」
「まさか、スカッシュか?」
「さて、どうでしょう?」
彼女はスカッシュのスペシャリストだ。
スカッシュは壁に向かってラケットでボールを打ち合うスポーツのことだ。
彼女は子供のころからスカッシュに携わっていて、どうやら全国有数のトップ選手の一人らしいのだが、大学にはスカッシュ部やサークルのようなものはなくて、彼女は個人でスカッシュコートを利用しながら選手活動をしている。
同時にスカッシュの普及にも積極的で一年の時には良くも悪くもずいぶん世話になったのだった。
「クッ、絶対スカッシュだ、1年の時、散々勧誘されて以来音沙汰なかったから諦めたと思ってたのに、今更オレにスカッシュさせてどうすんだよ」
「まだ誰もスカッシュしに連れていくだなんて言ってないのに何に吠えているの、キミは」
「じゃあ、目的を言え、目的を!」
「言ったついてこないと思って言わなかったけど、まいっか、どうせもう逃げられないんだし」
どうせもう逃げられないんだし…とかまるで犯罪組織の女幹部のセリフにぴったりだった。
ラグビーボールを急停車させた赤信号はとっくに青に変わっていた。
それでも誰も困らないから依然として彼女は車を停めたまま何かを用意していた。
オレたちの車以外には誰も使用していない道の誰のためだかもわからない信号の住所標識をオレは見上げていた。
全く知らない地名だった。
オレたちの大学はまぁまぁの田舎にあって、峠一つ越えればまぁまぁの都会にすぐ行けるんだけど、どうやらこのドライバーはまぁまぁの田舎から都会とは逆方向にハンドルを切っていたらしい。
おまけに反対側の峠を越えて進んでたみたいで、その過程でどこへ向かおうとしているのかもわからないくらいにオレはこのラグビーボール女のメガネが持つとされる読心術に翻弄されていたということになる。
そのメガネは今、彼女の手によってジェラルミンケースのような仰々しい容れ物に収められようとしていた。
「それって札束とか金塊を持ち歩くための箱だよな」
「うーん、似てるけどそれとはだいぶ意味合いが違うかな、でもこのメガネとケースはセットでさっきみたいな特殊な効果を発揮できる仕組みになってるんだ」
「物凄い未来的な内装になってるけどもしかしてどんでもなく高価な代物だったりする?」
「あー、たぶん価格はつけられない類の物だと思う」
「マジか、オレはそんなものに手を掛けようと…」
「だから、ウチが大きな声を出すのもわかるでしょ?」
「わかる、わかるけど、なんでお前がそんな大層な物を使ってるわけ?」
「うん、ほぼ完成形らしいからってウチがモニター使用を任されてるんだー」
「モニター使用って、その会社の製品を販売前にテスト的に試すみたいなことだよな、お前まさかもう企業のインターンの課題をこなしてるってこと?」
「まさか、まだ2月にもなってないのに会社とそんな関係になったらいろいろと誤解を招くでしょ?仮にインターンの課題だとしてもさすがに新製品をまだ入社もしてない人間に任せるわけないじゃない」
「だよな…ってだったらもっとおかしいだろ、そんな人の心を読むようなトンデモ機能を備えたメガネのテストを普通の女子大生のはずであるお前がやってるとか意味不明過ぎる」
「まぁまぁ、落ち着け若者よ」
「これが落ち着いてられるか!それになんでオレがそのテスト使用の実験みたいなのに選ばれてんだよ、心読んでも良いというか、大丈夫なやつはもっと他に身近なのがいるだろうに」
「シャラップ!その話は一回おしまい!でないとウチの手元が狂って大変なことになって無事帰れなくなることになるかもだけどそれで良い?」
「いえ、良くないです、黙ります、デラックスお好み焼きまでどうか安全運転でお願いいたします」
「OK、さすが野球部、とても良く教育が行き届いてる、我が社に採用したくなるわー」
「そりゃどうも…」と良いように言いくるめられて、ただ外を眺めるだけしかすることのなくなったオレはふと思った。
あれ?
このドライブ、思ったより先が見えなくて、どうしようかとも思っていたけどもはやこの彼女の青いロードスターに乗ってしまった段階でオレに主導権のしゅの字もない状態なのであって、どうもこうもしようがないことを改めて悟って出てきたフレーズがこれだった…
拉致じゃん。
まさか同学年の学友だと思って女子に拉致されるとか夢に思わないから自覚しようがなかったけど、車に乗車させられるって案外結構怖いことなのかもしれないとちょっと考えさせられながら眺める車窓の山と畑には雪が積もっていた。
もう二月になることを思えば当然と言えば当然のことなのだけど、さっきからずっと同じような道を真っすぐ進み続けているのに一切対向車とはすれ違わないし、先行者に追いつくこともないこの道はいったいどこへ向かおうとしているのかがわからないと、本当に逃げ場も助けも求めることのできない拉致被害者かのような気持ちになってきて、"あの時以来のスカッシュかぁ"となんとなくドナドナのメロディが相応しいかのようなムードに寒気が止まらなかったのだった。




