#2 野球のトレーニングに決まってんだろ
野球のトレーニングに決まってんだろ、と迷いのない自分にグッと来ていた。
始めは甲子園だった。
夏休みの一番暑い昼間のテレビを独占していた高校球児の背番号一がオレの憧れだった。
父さんが企業チームの野球選手で、オレの生活にはいつも野球が身近にあって、幼かったあの頃のオレはいつか大きくなったら甲子園に出て、父さんのような好きなことで尊敬される大人になることが夢だった。
でも、オレのその夢と憧れはずっと妄想のままゲームの中でのみ具現化されることを楽しむタイプの中学生へと成り下がる。
そんなオレに愛想尽きたのであろう父さんとの会話がなくなったのに相応の危機感を覚えたオレは高校から再び野球を始めて、ギリ最後の夏にエースナンバーをもらえた達成感と後悔から、自分の本気を知るべく大学でも硬式野球を志して父さんのキャリアを見返すことを目標にするに至る。
こうして大分すり減りながらもなんとか社会人になって野球で生きていけたらの可能性のための最後の調整を考えていた。
それがオレの大学野球3年目の2月前の面持ちだった。
そして、その前に立ちはだかっているのが後期の単位試験なはずだが、まさかそのついでにとばかりにラグビーボールのほうからオレに仕掛けてきてくれて、彼女のちょっと意味不明な言動とリアクションが何だったのかに興味がありすぎたからちょうどよかった。
ただ、たまに会うまぁまぁ可愛い同期の女子に困惑しかけてるから程ほどの内容に収めるためにも悪いが塩っぽい感じで対処しようという方針をオレは決めていた。
なのにまた、彼女がこの後の予定云々を口にしながら現れるなりさっきみたいに空間がグンニャアってなる眩暈のようなスローモーションが否応なしにオレの意識をどうにかしようとしてくる。
明らかに眩暈ではない。
眩暈なら少なからず脳の異変として不快感やバランスの危うさのようなものが伴うはずなのに、この鈍くなった時間世界の中でもオレの意識は割かしはっきりすっきりとしていて普段と変わらない感じのまま、ただただ再び現れたラグビーボールが何かを言おうとしている瞬間の意志を彼女の目に、そしてその兆しが口元に現れているのを観察していた。
さて、とりあえずさっきの辱めにも似たくだりについての話だけでも聞かせてもらおうかな。
「飯食って、自主練」
「じゃあ、暇ね、ついてきてほしいところがあるから来て」
「いや、飯食って自主練したいんですけど」
「わかった、わかった、じゃあこうしましょ、ウチがキミの試験や野球で成功するためのアドバイスをしてあげるから一回黙ってついてきて、お願い」
「お前よくもまぁ適当なのか本気なのかお願いなのかもわからん無茶苦茶な提案をスラスラと並べられるねー」
「飯奢るよ」
「お好み焼きの肉玉そば全部入り」
「デラックスでもいいよ」
「神」
「じゃあウチの話をとりあえず聞いてくれるよね、いい?」
「かしこまりました、なんなりとお申し付けください」とお好み焼き効果でオレが下手に出ると、彼女は上機嫌に「よし、行こう、ついてきな」とノリノリの彼女にオレは引きずられるようにして大学構内の駐車場に出た。
そこには青いマツダのロードスターがあった。
あー、懐かし。
彼女は1年の頃からこのスポーツカーを乗り回していることでも有名人だった。
けど、友達もいるだろうになぜかツードアで荷物もさほど詰めないオープンカーを選んでいるのかは未だに謎だが、彼女が車の運転そのものを楽しむタイプなことは確かだった。
ただでさえ車高の低いロードスターの疾走感は相変わらずエグくて何度乗ってもちょっと怖いくらいのドライブを、彼女は自分がまるでレーサーにでもなったかのように活き活きとした顔と慣れた手つきでスムーズにギアを切り替え、スラスラとあたかもルマンでも走っているかのように際どい車線変更による追い越しを繰り返す。
「自分の運転の前には何者も走らせないための軽量化がロードスターがスポーツカーたる本質なのよねー」とロードスターの愉悦についてを語っているはずだった彼女が急に「ねぇ、メガネのウチのこと見て、エッチなビデオに出てくるカテキョのこと考えて言ったでしょ」と彼女は言い放ってきたのだ。
「はーー!?」とか自分で言いながらオレはまた時の流れがおかしくなった世界に入る。
何を言ってるんだこの女はー!と頭の声でオレは叫んでいたから、この時間的なアドバンテージはこの際オレには都合がよくて、運転しながらもこちらを流し目で確認している彼女がエロビデオと家庭教師をセットで考えるオレたち男子すべてが持っているであろうその卑猥な欲望の傾向の秘密をなぜ知っているのかのその真意を探ることとした。
確かにオレは妄想していた。
オレの中ではメガネ=インテリで完結するのではなく、むしろメガネの持つ合理性を歪めた逸脱から禁断の卑猥にまで飛躍的に発展させる自由がアダルトビデオの世界では許されていて、そのことを想像することだけがオレたち一般男子の自由でもあった。
つまり夢だ。
インテリと卑猥と家庭教師が構成する黄金の三角形はオレたち男子の自由の象徴でもあり、ほぼ妄想の領域でのみ許されている解釈ではあるが時折、そのことを現実にしちゃった学校の先生や警察官とかの聖職者的な立場の人たちが大きく報道されたりもするのを目耳にするとやはりやってはいけない想像だけの産物にしなければならないことを再学習する。
その妄想の独占こそがオレたちに許された唯一の愉悦だったはずなのに、どういうわけかそのトップシークレットがうら若き女子大生に共有されているというあってはならない事態にオレは遭遇しているわけで、まるでオカンに自慰の類が見つかってしまったかのような緊張と焦燥と絶望と恥辱感を伴った気まずさを享受しながらオレは思った。
オレたち男子の変態的な妄想を喚起させているのは他でもない女子側だろ、と…
言わばオレたちは変態を呼び起こさせられている側の立場なのだ。
オレはたぶんこの後コイツになんだかんだで「変態」扱いされるのだろうが、変態を喚起させてくる変態そのものが服を着て歩いているようなムチムチプニプニの女子どもに変態と呼ばれても、人間に「おい人間」と呼ばれているくらいに考えるようにしようという考えに至ったのだった。
するとどうだろう…男子にとって女子のパーツのどれもに変態性見出されてしまうくらいに発情する要素があるのだとすれば、男子並みに発情要素を搭載している女子にもまた、男子の男子たる女子にはない筋骨隆々に屹立するゴツゴツ肉体の躍動そのものに変態的な妄想を掻き立てられているのだとしら、それってオレたち男子にも変態の発信源たる可能性を含んでいるのであって、そこにオレは女子にとってのアダルトビデオの需要と価値についてを生まれて初めて感じ取ったのだった。
カテキョとかいう年上大人女子との邂逅に卑猥な妄想を抱くこと不可避であるオレたち男子の変態性の延長線上に、女子もまたカテキョ男子に教わりたい及び襲われたいみたいな入り口を場合によって所持していることも有り得るのだという、もしかしたら男子以上のフェチ的シチュエーション、フェチエーションがあるのかもしれないという気づきに至らせる作用というか影響というか喚起のようなものがメガネを掛けたラグビーボールの”エッチなビデオとカテキョ”を結び付けた謎の因果から導き出されるのであった。
またオレは今”メガネ女子大生がロードスターを運転している”という状況だけで、脳のどこかを危険走行させられているのかもしれないーっていや待て、そんなことよりもまず、なんでコイツ、オレが今考えてたことを先回りしてんだ?
「おいおいおいおい、まてまてまてまて、お前はいったい何の話をしてるんだ?今オレの頭の中が何だって言った?インテリと卑猥とカテキョの三位一体形式は今オレが即興で考えてたことで、なんでおまえがそれをオレよりも先に言葉にしてるかな?」
「気づいてしまったか…」
「気づいちゃうよねー、そりゃそっちがオレにそう仕向けてるんだから…で?どういうことなの?てか、おま…エッチなビデオとか見てるの?」と、とりま自分の発言の責任を取ってもらうことからオレは冷静に会話をビルドすることとした。
「見るわけないじゃない!この変態!」と想定通りのセリフは女の子ハンター冥利に尽きるものだった。
「いや、お前から言い出したんだろうが!」
「そうなんだけど、キミのなに?インテリと卑猥と家庭教師の三段階活用的な発想みたいなのの大元にエッチなビデオが関係してて、女子はキミみたいな男子のような見方はしてなくて…ああ、ウチは何を言ってるんだ、とにかくキミの頭の中は割と変態の部類だということが分かったから”変態”って言ったんだよ、テヘ」とチャケやがった。
クソッ、ロードスターとエロビデオと変態のワードによるテーマがスリリング過ぎて、つい、こいつのチャケりに癒されちまったぜ…って場合じゃない。
「いまチャケったウチにちょっとだけ癒されたでしょ?」
「なにー!?やはりエスパーなのか!」
「エスパーってあんた、そんな言葉、久しぶりに聞いたわ」と彼女にちょっとうけたっぽくて嬉しかった。
「だってエスパーでしょ、オレの頭の中のことわかっちゃうとか怖いよ、ヤバすぎでしょ」
「だよね、ヤバいのはウチもわかってる、でもそういうシナリオらしいから大人しくウチのことを助けると思ってまず話を聞いて」
「いや、助けるっつっても、そういうシナリオってなんだよ!」
「お好み焼き!」
「全部盛り!」
「そうそう、それでいいの、絶対悪いようにはしないからとりあえず話を聞いてからウチとの関係考えてくれていいから」
「え?オレら付き合うん?」
「バカ、そういうんじゃなくて、もっと深淵で真面目な感じの話だからって意味ね」
オレは深淵で真面目な感じとかいうあまり聞きなじみのない関係についてを考えていた。
でもそれって結局のところ布団と枕とティッシュペーパーの関係なのでは?としか思い浮かばなかった。
だがしかし、もはやこんな風に心を読めるような恐ろしい女と深淵で真面目な関係になって、あんなことやこんなことまでしている最中にオレだって何考えてるのかなんてわかんないことをあの精度であからさまに「ねぇ、キミ今こんなこと考えてたでしょ」なんてことを、枕もとでつけこまれた日には、オレは死ぬ。
ていうか、なに?
こいつ、もしホントに人間の心を読み切れるのだとしたら、相手のお好み焼きを自在に利用して世界征服だってこいつならやりかねないんだけど…って見解に至ると唐突にオレは自分が崖っぷちに立たされているかのようなプレッシャーに苛まれたのだった。
てか実際ロードスターっていうこいつのテリトリーに居ちゃってるからもはや逃げるに逃げられねーし、ちくしょうコイツめ、オレがどう思うかわかっててとりあえず極めてスムーズにここに誘導しやがったな…
「とりあえず、あんたが健全な変態で、適度に賢いバカでウチも助かるわ」と彼女は不敵に笑うのだった。




