#29 天使の生きた月の世界に響き渡っていたキリストのロゴス
天使の神霊の神聖位階は九位。
九段階存在する神聖位階の序列の中で最も低い神霊となっているが、偉大なる神々の権能においてその序列の高位と低位は小学生と大学生のどちらが大切であるかを議論することと同じくらい意味がない。
月と地球のどちらが偉いかという話をしているようなものだ。
月には生物が存在しないから天体として価値がないのだろうか?
大きな星に対して小さな星にはサイズほどに意味はないのだろうか?
わからないことの多い存在は理解不能ゆえに必要のない存在足りうるのだろうか?
もしも、地球の衛星である月が無くなるとどうなってしまうのかを考えてみよう。
⒈月の潮汐の満ち引きが無くなる
▶海の生態系が連鎖的に変化する
⒉あらゆる生物の繁殖周期が狂う
▶月齢と潮汐を時計としている生物の産卵と繁殖周期が崩れ、生態系全体に影響
⒊夜が猛烈に暗くなる
▶生態系の夜のリズムが変化(夜行性動物が優位になる)
⒋月を利用した文化と暦が消滅
▶月齢による漁業と農業の伝統、宗教、社会的な時間管理の無価値化
⒌地球の自転軸の変化
▶太陽からの日射分布の変化による大規模気候変動の長期持続
このように、もしも月が無くなったからといって即人類滅亡みたいにはならない。
しかし、月が形成してきた地球への秩序の提供が失われることによって、それまで当たり前に土台としてきた文明的な生活の基盤の多くを急遽失うこととなり、その月のない時間の経過と共に地球規模の気候変動を繰り返すことを人類は新たな歴史として刻んでいくこととなる。
それと同じことが天使の神霊にも言える。
もしも、この宇宙に序列最下位の天使が存在しなければ人類はどうなってしまうのか。
⒈人間の転生と転生をつなぐ秩序が乱れる(カルマの連続性の喪失)
※天使は個人の進化の連続性に関与する存在で転生間を生きている
▶転生時に人間のカルマを媒介する天使なしで転生すると前世の意味がなくなる
⒉人間の個人としての時間的連続性が弱くなる
※天使は転生時のみでなく夜毎個人の傍にいることで昨日を明日にしている
▶前世だけでなく昨日と今日と明日を結び付ける働きが著し弱くなる
⒊人間のアストラル体と自我との正常な関係が乱れる
※天使は上位からマナス体を通じて人間の個人を夜毎に自我を導いている
▶幼児期の未熟な自我を眠りのたびに成熟させる導き手の喪失
⒋ルシファー原理の影響が相対的に強くなる
※天使が夜毎自我を調整することによってアストラル体とバランスを取っている
▶個人のアストラル体の制御を失うためルシファーの自己正当化作用が強まる
⒌人間の自由が単なる自己中心化へと傾く
※天使は人間が自由を正常に行使できる宇宙的枠組みを支えている
▶人間の自由意志に基づいた転生への調整が失われるためアストラル衝動が優位化
⒍人間の魂と宇宙のリズムとの同期が失われる
※天使は自由意志を学ぶ魂のカルマにふさわしい選択を全宇宙の霊的視点から提供
▶転生間の霊的自己決定過程を喪失することで自我が宇宙的に孤立する
⒎地球紀の人間進化そのものが正常な上昇方向を失う
※天使は人間自我の導き手として転生間にて未来の進化をも見据えている
▶人間は自分の力だけで進化しなければならない部分が増えて死後宇宙的迷子になる
人間にとっての拠点が地球であるように天使の神霊にとっての活動域は月軌道内にあたる。
かと言って宇宙空間に天使が居住しているのとは違う。
月軌道とは地球の前世としての月の名残を核とした月の生命力の届く範囲のことだ。
彼らは古い月を由来としたエーテルを「体」にしている。
エーテル存在としての天使は確かに存在しているのだが、私たちの物質を基準にした認識にとっては見えないし、感じることはできてもその特定は容易ではないことから確かな存在とは言えないかもしれない。
しかし、厳密に言うと彼ら天使は私たち人類の一人ひとりから片時も離れることなく寄り添ってくれている、家族以上の存在として人間の自我とアストラル体の活動に関与し、見守っている個の神霊、いわゆる守護霊である。
また天使には薄明の神霊という二つ名がある。
薄明とは夜でもなく昼でもない、でもどちらとも言える二つの世界が重なるトワイライトのことで、天使とは霊的世界と人間の意識世界との間に立つ境界領域の存在であることから薄明の霊とも呼ばれている。
ゆえに、人間は天使の神霊的活動を直接意識することができない。
天使たちは天上の存在として月軌道内より人間の夢想、直感、道徳衝動等を無意識の魂に形成することを活動とし、生まれる前後の魂の連続性より関わり、地上に生まれてからは天使同士で互いが守護する人間のカルマを交換し合うことで必要な出会いを演出していく。
だから、私たち人間には何か特別な関係のための力が働いていることはなんとなくわかっても、それが誰の何によって起こっているのかは意識できない、ゆえに「薄明」なのだ。
完全な暗闇なら何も見えない。
完全な昼間ならはっきりと見える。
しかし、「薄明」という夜でも昼でもない、その両面が重なるトワイライトという境界世界の”見えているがまだその輪郭が完全にはわからない”領域で天使たちは人間と関わっている。
ただ、いづれかといえば天使は昼そのものではなく、霊界の光の届く夜側の魂に寄り添っている。
では、昼間の自我を有した人間の魂に色濃く関与しているのは誰かといえば…
ルシファーである。
天使が人間の死後及び夜毎に自己の経験のカルマ的/宇宙的連続性を失わないよう支える側の存在だとしたら、ルシファー原理は人間の自我と自己を強く目覚めさせる側の立場を人間の内部で担うことによって人間の自由意志をはっきりと照らす光の原理として働く。
ルシファー原理とは”強い自己化”のことであり、身体を通じた人間的な認識を統合する自我の作用をさらに強めて、どんなことでも自分と結びつけて所有しては喜んだり、傷ついたりする自己中心的な思考の傾向を強める作用を、これまでの地球紀の人間の歴史的仕様として搭載させることに成功している。
その働きの媒介者となっているのが不完全なルナル・ピトリスである。
月の人間存在であった彼らは地球紀において人間段階はすでに卒業しているも、その不完全性がために彼らの「体」であるアストラル体がそのまま地球の人間のアストラル体にまで堕ちることで、彼らのカルマが直接人間のカルマという呪いとなったものがルシファー原理として今もなお私たち人間の感情体となって働いている。
そのルシファー原理による権能はつまるところ”上位から離れた自己になる”であり、【天をも切り裂く自由への光】とも呼ばれる高慢にして独善的な神々への反抗への意志を凝縮した権能を重力のように垂直的な作用で、あたかも自らの魂の自由意志こそが太陽であるかのような人間の自我にもたらす逸脱的な力の原理が込められている。
天使たちはそんな同胞たちが齎す悪魔的な支配力に対抗すべく権能を携えてきた。
※同胞たち=不完全なルナル・ピトリス
天使の神霊たちは月紀にて人間段階を通過しながらアリマフィック原理に晒されていた。
アリマフィック原理はルシファー原理の”強い自己化”と並ぶ停滞原理で、外部と自らを同一視する”強い固定化”の認識を原理とした働きかけのことだ。
自我もない彼ら月の人間にアリマフィック原理に抗う術はなかった。
彼ら月の人間の認識の多くに君臨していたのが停滞の根源たる悪神「アーリマン」だった。
アリマフィック原理をまき散らす根源であるアーリマンは太陽の神々から逸脱した高次元の悪神である。
アーリマン存在はルシファー存在同様にあらゆるヒエラルキーに横断することですべての権能の水平的な停滞と遅延を働きかけることで正常であるはずの進化を硬直固定化する。
アーリマンはその硬直と固定化の手続きをエーテル体という生命世界から干渉できる。
太陽の世界から逸脱して月の世界に現れたアーリマン存在は光の化身になることも空気の化身になることも音の化身になることも拒絶し、否定したことから自ら選択的に変化を拒む現状維持の思考を促すことでその在り方を固定化した意志へと導く作用にはアーリマンによる遅延と停滞の原理が働いていた。
すると空気は音ではなく「水(液体の原基)」へとその姿を変容させる。
月紀の水は生命に満ちていて、その水の大元である生命は太陽で光でも空気でもあることを完結することのできなかった遅延存在たちの「体」であり、植物と動物の本質的な要素を組み合わせたような生きた生態系として月紀の地表的な環境として存在するようになる。
この人間段階の停滞と遅延が環境に催す現象のことを「濃縮」という。
しかし、月人間たちの中にはその成す術のない状況とその関係は一定ではない流れとグラデーションが絶えず固定されることなく世界を彩っている変容の連続に溶け込んでいる自分自身の存在を疑うことのできる存在がある種の「葛藤」を催すようになる。
疑い、葛藤したところでアストラルの世界が色彩と音階が心地の良い感じで自分自身に流れ込んでくる関係性そのものは何一つ変わることはないまでも、そこに現れているものが絶えず変化し続けていて、その変化に終わりはなく、なぜ存在するすべてがそのままあり続けることをしないのかの、世界の在り方を思考する声の導きを聴くことのできる人間が現れる。
それまで見ることと反応することで完結していた魂に見ているものとは別の声が響き始める。
一人の月の人間たちの内部で見える魂と聞こえる魂とが同居するようになった彼らの一つの生命の内部で二つの魂が別の方向性の認識を示すことによって生じたのが「葛藤」だった。
色彩をただ存在するものとして認識していた脳の原基にあたる知覚器官が固定的な力の働きによる産物であるとしたら、後発的にごく限られた人間にだけ聴こえてきた声を知覚する器官は耳の原基であり、その声に従うものと色彩に従う者との間にもまた「葛藤」が生じることによって月の人間たちに認識の格差による発達の段階が生まれる。
月という液体流動環境(月の人間段階の「体」状態)そのものをエーテルとアストラル素材の間を漂う存在でありながら、自らを単なる天体のアストラル世界の形態を形成する装置の一部ではなく、「月のアストラル世界を感じている存在」の一人であるという個我に似た感覚を自らのアストラル体の中に見出すことができるようになる。
ここに「キリスト原理」なる現象が月紀の段階で介入している。
この「キリスト原理」とジーザス・クライストとキリスト教のキリストはそれぞれ意味合いが違う。
ジーザス・クライストはキリストが地上で活動するために求められた人間イエスのことだ。
そして、キリスト教のキリストとはイエスのことであり、神的称号としてのキリストとイエスの間に違いはない。
最後に「キリスト原理」とはキリスト的な働きの本質を捉えるための言語である。
言語といっても”キリスト的な働きの本質”とはロゴスのことであり、ロゴスとは宇宙を構造化するための思考がそれぞれの神霊の権能に結びついて結実させる概念そのものであることから、早い話がキリストという神が発するロゴスによる宇宙的現象を体現していたのがジーザス・クライストの中の人として活動していた「メシア」である。
そもそもキリストとはヘブライ語の”油を注ぐもの”という意味の「メシア」のことである。
古代イスラエルの伝統には”油を注ぐ”ことは王や祭祀などを特別な役割を任命する儀礼と結び付けていて、この特別な役割というのが人類の役職などという垣根を超越した宇宙的な役割を担う神霊に命じる力を根源にも似た称号と権威のロゴスを彷彿させることから、メシアが世界の「救世主」と呼ばれる由縁なのである。
だから、月紀にもそれ以前にも「キリスト原理」によるロゴスは宇宙的な役割を果たしてきた。
そして、その宇宙的な役割とは人間が人間として進化を続けられるよう働きかけることである。
またキリストが目を掛けている人間とは他ならぬ地球紀の私たちのことだ。
他の宇宙紀における人間段階を通過している神霊たちはそれぞれの神聖位階に属する神々の眷属であり、人間段階という進化の最高の「体」を体験しているだけで彼らが私たちのように個我を有して、肉体でもって互いの魂を関わらせるような地上的な人間活動を同じように行うことで神霊へと進化したのではない。
彼ら神霊はあくまで自分たちの権能に見合った宇宙秩序に参加するための階段を駆け上がる中で、私たち地球の人間がこれから獲得するであろう宇宙で体現することのできる可能性を、常に私たち人間よりも先行的に行ってきた宇宙段階のことを「人間段階」としている。
月紀はアストラル体という人間段階を完成させるための宇宙だった。
その宇宙の中心にいたのが現在の地球紀で天使の神霊への進化の階段を昇っているピトリスである。
月紀で人間段階を通過していたピトリスの中に進化への導きを聴きとることができるよう囁いていたのがキリストのロゴスだった。
その囁くように聴こえてくる声に導かれたピトリスはアーリマンによる固定概念を振り払い、自らの使命であるアストラル体の完成を通じて薄明霊という人間の魂を守護することのできる権能【根源たる自由を守る継承の魂】の獲得を目指した上昇がキリストのロゴスによって導かれる。
その成果によって地球紀を生きる私たち人間は昼と夜をまたいでも自分でいられるのだ。
たとえ肉体が死して滅びても私たちの魂の成果は天使の神霊によって次の転性の才能と能力のために失われることなく継承される。
そして、天使たちに保存されたカルマをもとに私たち人間の自我は自らの転生を自分自身でプロデュースしていくことの使命へと目覚めていくのである。




