#28 神々の戦争「天上の戦い」によるシナリオと悪の根源として逸脱した神々
月紀の人間段階をアストラル体で過ごしたピトリスたちに自我はなかった。
各宇宙紀における人間の定義はあくまでその宇宙が体現している最高の「体」を自らとして体験することであり、その”自ら”と必ずしも自我ではないことからあらゆる人間段階に霊的な個体性がありながらも自ら考えて自由に選択をする、神々の意図とは違った行動するなどということはしない高次の霊的意志が自己のアストラル的意識として直接経験されるもとに彼らは自分を自覚していた。
”自分で考えない人”というと機械のような感じを抱くかもしれないが”自分と神的意志との間に現在の地球人の自我のような断絶がない人”という違いで月の人間と地球の人間とでは知性と認識の在り方が違っていた。
だから、彼ら月の住人たちは間違えない。
神々の意向に沿った運命を生きることで宇宙秩序の末端に参加することでその神性を高めることができた。
地球紀を生きてきた人間の進化過程にピトリスにデュヤニにヒエラルキーに属する高次元の神霊たちが宇宙空間を通じて、その時代ごとに人間の姿を少しずつ変容させていく中で、同じ人間の間においても進化の方向性を違えていくルートが転生のたびに準備されていくシナリオはもちろん月紀にもあった。
自我の無い月人間のピトリスのカルマの階層を担っていたのは「火の霊」。
アグニッシュヴァッタと呼ばれる太陽紀に人間段階を通過した存在たちである。
彼らは太陽紀の人間段階をエーテル体で過ごすことで人間が宇宙の中で生命活動を営むための「体」であるエーテル体を完成させた太陽の人間たちで、「火の子」と呼ばれた彼らは熱と空気を身体にすることでエーテル体での感覚を自己として生きた。
もちろん彼らにも自我はない。
あるのは遠い未来に物質の土台となる熱体とエーテルの受肉体である空気体だった。
太陽紀当初に、熱でしかなかった彼らにエーテルの創造主である叡智の神霊キュリオテテスが自らの権能である【すべてが太陽であるための叡智の光】を供儀することで、彼ら火の子の熱体に”生命を目覚めさせる力”を付与する。
そのことで太陽の人間「火の子」たちは魂の温かさを周囲に放射する存在へと進化していく。
彼らはキュリオテテスの叡智の光をただ受け取り、跳ね返すだけでなく、火の子自身の持つ魂を介すことで、叡智の光に味や香りといった暖かさ以外の熱のようなものを内部で処理したものを放射し返す。
キュリオテテスが生命を内部化する器である火の子を創造する活動を外から仕掛けた結果、火の子の内部で生じた生命力と熱が外へと放射されることで初めて空間に「内と外」とが生じて、これが原初の自己性の境界であるとされている。
このエーテル体の内と外の方向性に人格霊が働きかけることによってエーテル体の自己化が促進し、その進んだ火の子たちが扱うエーテル体の反射的な拡散による”生命を目覚めさせる力”の成熟の成果が太陽紀の完成された人間である「火の霊」へと押し上げていくこととなる。
彼ら「火の霊」はいわば月の人間にとってのピトリスである
ということは、ルナル・アグニッシュヴァッタとソーラー・アグニッシュヴァッタもいるのである。
そして、不完全なアグニッシュヴァッタも同様である。
それらのルートの分岐は太陽紀が終わり、月紀の始まりの段階にはある程度確定していた。
彼らは太陽紀で卒業できた成果とそれが適わなかったなりの顛末を月紀の宇宙で月の人間存在を介したカルマを担っていく。
そのカルマを自らの認識にしたそれぞれのアグニッシュヴァッタたちは太陽から持ち越している使命を月人間たちの自己的な役割を助けることで果たしていくのである。
繰り返すが自己といっても自我ではない。
自我が太陽と月の宇宙に降臨することはなく地球紀まで待たなければならない。
あるのはその宇宙の最高器官を通じて感じることのできる範疇での自分である。
アストラル世界である月の人間たちの認識が夢想的であったとされるのは、アグニッシュヴァッタが感じていた世界の一部を月の人間はただ受け取るだけで、その感じたことを自分で考えるのとは別の本能にも似た反射によるリアクションを生命活動と認識とすることが月人間の自己世界だった。
だから、その世界が夢のように自分がどこにいるのか、何を思っているのかまで何もかも不明瞭で曖昧な思い出はあるも自我という中心点をまだ持たないことから記憶を自己のものとして想起することができない。
ただなんとなく愉快であったり、それとなしに漠然とした不安や明らかな恐怖感や心配事の予感だけがそこかしこに漂う色彩が教えてくれるそのサインを手掛かりにした本能に似た生存戦略だけが彼らの自己であった。
その連続に伴うイベントは彼らアグニッシュヴァッタたちが太陽紀から持ち込んできたカルマだった、とは彼ら月の住人達は自分のことを分析しないし、なぜ色が見えて、どこからか聞こえてくる神霊たちの囁き等も自分のこととしてその瞬間の事実を真実以外には疑わない。
多くの魂にとって当のカルマがなぜ自分に降りかかっているのかわからない。
それは太陽でも月でも地球でも同じ構造を仕様としている。
カルマとは自我が確かな過去を経験してきた前世からの成果の持ち越しである。
そのカルマが運ばれるようになった切っ掛けが「天上の戦い」と呼ばれる神々による闘争にあった。
「天上の戦い」は太陽紀と月紀の間の”閉じた宇宙”での神々の進化過程で生じた葛藤のことだ。
閉じた宇宙とは一つの宇宙紀の終焉から次の宇宙へと転生するまでの宇宙外時空である霊的世界及び神霊界での宇宙進化にまつわる神々の会談が行われる黒幕会議の時間のことである。
月紀を前に話し合われたのは進化の遅延と停滞が発生したことであった。
太陽紀での神々の依り代であった人間たちの進化には速度とその反射性能に個体差があり、それに応じて宇宙に生命状態の差異が生まれたことへの神的要請の不具合を如何にするかの断罪と贖罪と許容と称賛の思考が権能同士の衝突となり、互いに決定力を欠く代わりにその代償と痕跡は宇宙にあるはずだったいくつもの天体の可能性を崩壊させるに至った。
まず太陽紀の宇宙を終えようとしていたキュリオテテスが宇宙全体を現在の木星起動付近まで凝縮させるよう意志する。
しかし、その次の宇宙である月紀を新たに生み出そうとするデュナミスと呼ばれる魂の創造主である運動の神霊のある勢力は現在の火星軌道付近にまで宇宙全体を凝縮させようと意志したことによる摩擦が戦闘に至る。
戦うことになったのは進化段階の異なるデュナミスとヴァーチュテスと呼ばれる力の神霊だった。
彼らは同じ位階の魂の創造主でありながらより進んだ力の霊と進化に遅れた力の霊としての折り合いを見出すことができずに、同一の方向に働くことを拒むことで生まれた神々の葛藤として現代の宇宙にまでその刻印を残している。
その痕跡は月紀においても宇宙をカオス化させる原動力として流動し続けることでなお、月紀から地球紀へと宇宙の状態がまた新たに更新された際に、彼らのはるか次元を超えた葛藤の痕跡が火星と木星の隕石群である。
この未曾有の隕石群は現宇宙ではアステロイドベルトと呼ばれている。
アステロイドベルトは地球紀の太陽系の月分離と共に出現した。
原初の地球紀は最も遠い宇宙であった土星の熱状態からスタートなので物質的な天体は存在しない。
しかし、その天体軌道にはすでに宇宙の特定のエリアに恒星と惑星が配置されるための力の分配がすでに決まった状態で始められる。
なぜなら、現在の地球のための太陽系状態に至るまでの間とは、過去の月紀と太陽紀と土星紀の成果を地球紀の宇宙に結びつけるためのやり直しであることから、同じ繰り返しではないのだけど過去の成果がしっかり反映される程度にはその力が各恒星と惑星の配置を通じて厳密に秩序立てられているのである。
それは星の周期を観測する天文学がすでに語っている。
よって、土星の次に配置されていった木星は未来への梯子としての天体として用意され、その次には火星が月的進化の痕跡として荒々しい力の反映として外宇宙に位置づけられる。
その後、これから現れるであろう地球の位置から太陽が高次存在の中心天体として顕れる。
その太陽の速度に追随するように金星と水星が地球位置から出ていくも、太陽の速度についていけるほどには高次元ではない金星と水星は地球と太陽の内側の宇宙に配置されることとなる。
そして、最後に地球の位置から月が排出されると同時にアステロイドベルトもまた火星と木星間に一気に太陽系を覆うほどの隕石群として、「天上の戦い」の残骸をまき散らすことによって太陽を中心にした太陽系が地球を人間の進化の拠点宇宙として浮かび上がってくる、というのが地球紀前の”閉じた宇宙”で黒幕たちによって行われていたそれまでとこれからの宇宙のシナリオのための土台なっていく。
この「天上の戦い」でカルマを引き裂かれた存在が「アグニッシュヴァッタ」たちだった。
彼らは人間段階を卒業して、いよいよ神霊への道を切り開いていこうとする道半ばにして、彼らの神である魂の創造主デュナミスが「逸脱は悪であり、進化こそ正義である」とする方向の正統な意志に引き寄せられる者もいれば、力の神霊であるヴァーチュテスが「逸脱こそ真理であり、救済こそ善である」とした方向の誘惑的な意志に向かう者たちとがいた。
その結果、進化に沿った権限を示したのが月紀のソーラー・アグニッシュヴァッタであり、進化を受け取ることをせずに遅れた逸脱存在として宇宙に停滞した現象へと自ら堕ちていったのが不完全なアグニッシュヴァッタであった。
不完全なアグニッシュヴァッタたちは月の人間たちの内部で「アリマフィック」原理として働く。
アリマフィック原理とは地球紀のルシファー原理と対を成す停滞原理である。
ルシファー原理が自己化の原理を強くするものだとしたら、アリマフィック原理は自己を存在するものの中に固定する原理となる。
自我という自ら考える権能をまだ持たない存在である月紀の人間存在にとっての自己とは地球紀のピトリスであり、月紀ではアグニッシュヴァッタたちのことにあたる。
月紀の人間たちに不完全なアグニッシュヴァッタによるアリマフィック原理が作用すると、彼らは月の流動するアストラル的生命をそのまま流動させず、固定された形態・規則・境界・反復へ落とし込むようになる。
もしも、月人間にルシファー原理が働いていたとしたら、彼らは月の流動するアストラル的生命を自分自身のものとして絶対化し、自分たちが上位存在を媒介しなくても自分自身でアストラル的生命存在としての月の地質である液体流動足りうる、まるで自らが神でもあるかのように自分を中心にして上との関係を切った「主体の独立と解放」の方向へと逸脱していただろう。
実際は月紀の人間たちに作用したのはルシファー原理ではなくアリマフィック原理だから、彼らは月の液体流動世界を自己化とは切り離して、存在する世界の形態や原則を独立した秩序の中のものとして固体化する方向で逸脱していく。
その逸脱には霊的作用も自己的作用も介入させることなく「機械的に世界を固定化する」方向の力が根源的に働くことによって、自己化そのものを始める原理ではなく、自己化したものを「閉じた個体/固体」にしてしまう原理が月の人間の内部に作用することを意味する。
つまり、硬直化するのだ。
ルシファー原理が自己に向かって硬直していくものだとしたら、アリマフィック原理は外の作用そのものだけで自分も他者も完結していると固定した概念による法則を信仰することで外の固定された法則の中に自分をも水平的に硬直させてしまう逸脱の精神が月の人間たちの間で蔓延したのだ。
本来であれば地球紀のピトリスも月紀のアグニッシュヴァッタたちも「神的な意志を生きて伝える存在」であるはずなのである。
彼らにアリマフィック原理が働くことによって自分たちは「宇宙法則そのものを実行する装置」であるという認識にまで落ち込み、神々との関係を忘れ、自分たちを単なる機械であり、駒であり、役割であるとしか考えない進化を失った認識を自己と見なすようになる。
その顛末を招いたのが月紀の前にあった「天上の戦い」なのである。
そのことから運動の神霊デュナミスと力の神霊ヴァーチュテスによる進化速度のズレが太陽紀から月紀へと進化を進めようとしていた人間段階にいた「火の子」及び「火の霊」に逸脱の機会と可能性をもたらした出来事のことを「悪の根源」とも呼んでいる。
こうして逸脱を余儀なくさせられた不完全なアグニッシュヴァッタも含めた火の霊たちによる導きを月の世界で済ませた月人間たちは地球紀においてピトリスという人間段階を一つ越えた存在としての進化を獲得していったその多くはレムリアという時代の人間への貢献を経ることによってさらなる進化を歩んでいくこととなる。
それが天使の神霊である。




