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天使の声が聴こえてくる ~魂を覗いてみたらあるはずのものがない世界が見えました~  作者: ばんだな
天使の声が聴こえてくる

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#27 ルシファー原理とアラハト原理とが齎した人間の自由と堕罪

堕天使ルシファーを世に知らしめたミルトンの『失楽園(パラダイス・ロスト)』には大きな欠陥がある。


まず古代の神話そのものを再現しようとした霊的文書の試みとしては面白いし、興味深い。

だがしかし、聖書に基づいた口当たりの良い壮大な物語を描くことのできる人並外れた才能だから、この作品の神々の摂理と人間との関係等はきっと正しいに違いない、とはならない。

では、かの芸術作品が何によって書かれたのかといえば、ルシファーと悪魔と神々を信仰する当時のヨーロッパの人たちの思う集合的なイメージのようなものが形となった領域に自己的な意識を踏み入れることのできた、ミルトンやその他の秘儀参入者がその光景を直感し感動したものを芸術的なまるで本当にあったかのような神話的な作品を生み出すに至ったのである。

ゆえに、『パラダイス・ロスト』という著作そのものは一人の人間の空想でもなければ、発想でもないことから単なる娯楽小説でもない確かなイマジネーションに裏付けられた芸術であることには変わりはない。


ただし、かの作品が霊的世界を聖書の本質を読み解いて正しく描かれたものであるかは否である。


そもそもルシファーを悪の化身であるサタンとして神々と対向させたという時点で違うのである。

ルシファーとは原理としてあらゆる階層の神々にもその誘惑の手は伸び、そして神々ですらルシファーの誘惑の光には抗うことができず、根源叡智に仇なす堕天使となることの不義と偏りを余儀なくされたことが人間の宇宙紀の原初からの理となってきた。

その関係を善と悪の二元論で貫こうとしたことに大きな問題がある。

善と悪とが根っこでは同じものだから区別できないからではない。

善と悪とは地上宇宙であっても、たとえ霊的世界であっても、見上げることさえ困難な神界であってさえも善と悪とでは明確に異なる方向性として存在することで宇宙進化全体の中で一定の役割をもって作用している。


例えば、ルシファー原理そのものは「自由の光」を運ぶ方向性という力の作用である。


自由は個体化を促す力としても作用することで各個に固有の自己意識化をもたらす。

その力が最も顕在化して働いているのが地球紀のアーリア紀における人間の魂を生きる私たちの自我的作用の固有の自己意識である「自由意志」なのである。

ただし、ルシファー原理のギフトでもあるこの「自由意志」の作用を自己中心化した力として扱えば、自分以外の対象の自由を阻害することとなり、その愛と配慮を欠いた作用は悪の方向性を持った力として働くこととなる。

その力の原理は人間が火や包丁を扱う際の話と同じである。

私たちは誰でもいつでも人を刺すことも家を焼くこともできるのはそのためだ。


つまり、ルシファー原理の齎す「自由の光」とは悪の方向性への可能性のことでもある。


この作用が霊的ヒエラルキーである宇宙の創造原理にも働く際には善か悪かを超えて、宇宙進化の方向と一致しているか、逆行しているかの中心性が向こうとしている方向性への意志に干渉及び誘惑の光を差し挟むことで神霊たちの活動を逸脱へと導く。

彼ら神霊が本来あるべき道を踏み外した時に堕天使と呼ばれるようになる。

神霊たちはそれぞれに固有の能力を全体である宇宙の調和の一法則となって進化を担う存在であることを役割としている。

しかし、彼らの霊格の中にも進化の速度が速かったり、遅かったり、方向性が正常でなかったりすることによる”偏りが生じる”ことによって、担うべき霊的作用の特定の能力だけが強くなることによる偏りが他の階層の特定の現象として顕れるなどの影響を宇宙に齎してきた。


他の階層とは紛れもなく宇宙環境であり、その宇宙を認識として生きる人間段階のことである。


地上の人間への逸脱的働きかけの履歴の顛末はわかりやすい。

現代の人間社会の境界となっている民族性、言語と文化の相違、人種による身体性、思想や哲学の偏りによる宗教等は紛れもない神霊たちの逸脱の反映が人間の魂に反射された現象の歴史そのものなのである。

また、宇宙環境における霊的ヒエラルキーの秩序の逸脱とその階層は惑星と惑星の周回軌道、太陽系と銀河の断絶的散開、銀河の連なりとボイド空間の霊的密度の偏りなどの物理現象が各神霊たちが人間段階を無限にも等しい周回を重ねてきたことの時間的階層となって、私たち人間の手の届かない星座の世界の秩序として描かれている。

それら宇宙全体から見れば偏りに過ぎない出来事が層となって神霊たちのそれぞれの中心と中心とが互いに作用し合いながら、宇宙は膨大な時間をかけてこの多様性を秩序し、その多様性の恩恵を地球紀ではすべて必要な素材であるとした特殊化の末端に進化の途上でひどく不完全な存在としての人類が人間としての進化を「自由意志」の作用のもと遂行している。


ゆえに正常の進化からの偏り、遅れ、特殊化は必ずしも単純な「悪」ではないのである。


かつての地球の前世である月紀で人間段階を通過してきた「不完全なルナル・ピトリス」がそれだ。

未完のルナリスの第3段階でのカルマの停滞は月のアストラル体を自分以外の誰かと共有するか否かでつまづいたことに由来している。

片やピトリの七段階とは別により高次のカルマを自らの進化に課していたピトリスたちが月紀には既に存在していて、彼らもまた高次のクラスで獲得していた成果をもとに地球紀のアストラル体及び霊的自我を提供するという立場で、地球紀の宇宙と人類の進化に関わる権能をその使命として新たな霊的生命状態としていく。


〇ピトリの七段階(再掲) ※月紀終了段階でのルナル・ピトリス

     カルマの状態        地球紀への適応

第1段階 原始的な欲望/衝動     まだ身体を扱えない

第2段階 感覚的/自己保存的カルマ  身体との結合が未成熟

第3段階 他者への欲求・共感/反感  身体との結合可能性が生まれる

第4段階 人間的カルマの成熟    身体を使う準備が整う

第5段階 情熱を高次の対象へ向ける 理想・信念へ情熱を集中できる

第6段階 美への情熱         芸術・調和・形態へ向かう

第7段階 善への情熱         道徳的・利他的方向へ向かう

※より高度なピトリスとソーラー・ピトリスはまた別クラスの7段階を生きた


このカルマの成熟と非成熟を分けていたのが月紀のアストラル体における思考への姿勢だった。

月紀のピトリが器としていたアストラル体には脳がなかったため、彼らピトリスの自我である霊体をそのままアストラル体に反映させることは適わなかったが、器としていたアストラル体の依り代である生命体を介して思考の元となる、その活動因子の声を月紀のデュヤニが担っていた。

月紀のアストラル体を器にして生きていたピトリスの思考はデュヤニが提供していたのだ。

そのことから月紀のピトリスはアストラル体を通じた独立した思考と行動能力を持たなかった。

このことをわかりやすく具体的に翻訳するならば、”月紀の惑星神霊であるディヤニという神が人間の中で考えている”となり、更に別の言い方をするのであれば”ピトリに自分で考えさせない”とも言える関係を進化の段階として月のアストラル体を共有していた宇宙だった。

月のデュヤニも形態の神霊の分神である惑星神霊としての進化の途上にいた。


〇惑星神霊としてのデュヤニ=形態霊の眷属

土星段階:一つの球から多くの球を形成する

太陽段階:多くの球を尺度・数・重量に従って秩序づける

 月段階:諸存在の間に親和性・共感・反感の法則を成立させる

地球段階:誕生・死・カルマを司る


月のデュヤニはピトリスがまだ自分で考えることのできない段階の思考を担当していた。

そして、その思考そのものをそのまま理解することも翻訳することもままならない関係であったとしても、デュヤニは思考の働きかけをピトリスのカルマに本能にも似た形式で働きかけることによって、月のピトリス同士の関係性からデュヤニの思考の意志への共感と反感の度合いがにデュヤニとの親和性であるアストラル体の形態に顕れるようになる。

形態霊の端くれであるデュヤニの思考であり自我には【(自我という)形態を秩序付ける】という能力であり権能があることから、その形態の本質とは自我という自己を中心として統合的に思考する能力であるのと同時に、自我を自分以外の誰かに提供するために必要な視野である霊的自我(マナス)をも見据えた進化をすでに月の人間に見つけていた。


それがソーラー・ピトリスというマナスをも凌駕しブッディにも達した月紀の傑作存在だ。


ソラリスは月紀において地球紀の人間と同じか、あるいはそれ以上であったことから神を自分のうちの隣人のように感じることを自らの思考としていた。

そして、その思考もまたデュヤニの提供する思考を自分以外の、あるいは他の次元の存在にその形態を身体、生命、魂に適したものへと形成しようとする意志の断片が月の人間に反映された最高傑作としてのソラリスで、彼らは月紀にてマナスの境地に至ったピトリとして地球紀ではさらにその一段階上位である「ブッディ体/精神」と呼ばれる金星的権能を携える。

デュヤニとソラリスは互いにその成果を携えて月紀から地球紀へと進化の期を迎える。

地球の惑星神霊としてのデュヤニは地上の自然霊とそれを従える第三ヒエラルキーを手足と身体にした巨大なアストラル体の自我である司令塔へと進化を果たすことで、あらゆる存在の誕生と死のカルマを司ることで地球という天体の運命の形態そのものを自らの時間と認識とした神へと変容する。

ソラリスは神であるデュヤニの使いとして地球の人間の自我の進化的発達段階であるマナスを受容可能な身体の可能性を提供すべく、月が完全に地球から分離したレムリアの人間たちのアストラル体にマナスの種を蒔くという、月のデュヤニに似た提供する側の進化的な関わり方を地球紀に担うのだった。


その最大の成果である思考の器としての脳人間の完成が地球の人間を直立させる。


その直立を開始したレムリアの人間「アダム」を導くべく降臨したのが「アラハト」だった。

アラハトとは、早い話が月のマナスを宿したソラリスの蓋然体としての人間である。

月の分離を果たしたレムリア初期の最も原初的なアダム人間のいわば教師的な存在として、地上に立ち上がったばかりの思考どころかアストラル体の感情表現もままならない、まるでゾンビのように地上を彷徨う人間を指導していたのが人間の姿を借りた神霊であるソラリスの蓋然体アラハトなのである。

その姿は他のレムリアの人間とさして変わらない体型をなしていたが、その外見はいわば「マヤ」という幻影でもあり、その本質は「火霧の息子たち」と呼ばれる金星にその精神を置く高次の人格を有した国家精神や人種精神といったブッディ精神という、大きな人格の力を根源的な作用が個の人間の内に凝縮された存在がアダムとは別の人間であるアラハトとしてレムリア紀の地球に降臨していた。

この人類の夜明けを導くべく現れた降臨者は自らにだけでなく、その対象である人類に対してもある種の幻影(マヤ)を施すことで子供を諭す大人のようにまだ幼い人類に天からの声の代弁者として、人格とは何かの本質を伝えるべくレムリアの世界を共に歩んでいた。

いわゆる「菩薩」の顕現だったのである。

全体的な個という高次の人格をすでに有した状態でレムリアを闊歩した菩薩アラハトはその意志を宇宙的秩序である叡智を知恵に換えて、人類に「こう生きるべき」という意志に生命力に付与していくことで、やがてその幻影が自我として認識されていく可能性の果てに自分たちと同じように、あるいはそれ以上の魂をその自我によって形成していくであろう原理として関わることを自らの使命としてレムリアの人間アダムの傍にいたのであった。

これを「アラハト原理」という。


そして、このアラハト原理と対照的な働きをしたのが「ルシファー原理」だった。


その対照的な存在として「アダム」人間の内部で生きていたのが不完全なルナル・ピトリスである。

アラハトがレムリアの人間の外部及び上から働きかけたのに対して、ルシファー原理の影響を受けた不完全なルナリスは地球の人間に魂を提供することを自らの使命とするのではなく、月紀と同様に人間のアストラル体にまで自らを存在させた体験を地球の人間の肉体と共に過ごすという”人間段階のやり直し”を地球という新しい宇宙での運命として生きる。

不完のルナリスはこうしてアダム人間の深くに入り込むことでそのアストラル性を強く反映させる。

すると、アダム人間は”私はアレが欲しい、選ぶ、判断する”という不完のルナリスのカルマが人格としての知恵とは別の方向の知性をアストラル体だけでなく自我にまで及ぼすようになり、レムリアの人間が次第に”自分で考えるようになる”というアラハト原理を退けるに至るまで強い影響を受けるようになる。


これが聖書的な意味での「堕罪」の発生だった。


以来、アラハト原理は堕罪以前の人類の教師となる。

原初のアラハトたちは直立歩行を始めた人類にマナスの可能性を導くべくアダム人間に手を差し伸べるも、やがてルシファー原理をその存在に宿した不完のルナリスのカルマを通じて神々に導かれる人間から”自分で選択をする人間”への転換が起こることで、人間は善悪を自分で選択できるようになった。

こうして人間は上から与えられた秩序をそのまま受け取らないことからその代償として間違い、誤り、誤謬する可能性をまだ霊的に成熟していない段階にて獲得することとなる。


それが「自由」だった。


創世記の記述には「地の塵からアダムを造った」とある。

アダムにはヘブライ語で”地の子、地から来た者”という意味があり、その意味は物質を神が加工して創造したというより、”地球の内部に存在していた人間形成力が個体的人間として分離した”という解釈が必要になる。

そもそもアダムは地球から作られたのではなく、地球そのものがすでにアダム的構造を持っており、その地球的人間が個体化していった

人間が地球上に現れる以前から地球はすでに人間の諸力を内包していた、という理解が求められている。

この「アダム」人間の総合的理解のためには少なくとも三つ層から見る必要がある。


アダム・カドモン=レムリア初期の巨大な人間原像・地球そのものとしての人間

最初の物質的人間アダム=月分離後の柔らかくなった地球物質を取り込んで可視的身体になった人間

聖書のアダムとエヴァ=レムリア中期以降、男女分化と地上的生殖が成立する段階の原初的人間


アダム・カドモンとはレムリア以前、地球紀以前、土星紀以前から存在しているとされる地球紀で人間段階をすることができるようなった、遥か遠い宇宙が宇宙として形を成す以前より宇宙と人間の最終形態までを刻印されている神の模造である人間の原型のことである。

その原型的存在が熱宇宙、太陽宇宙、月宇宙というまだ物質が生成される以前から準備され、レムリア初期の月のアストラル世界の顕現と共にデュヤニとピトリスの力を借りて、火の霧だった地球の血管と神経を人間のアストラル体という生命の鋳型に流入させていくことで初めて地上の人間として可視化することのできる存在である「アダム人間」が出現する。

このアダム人間がやがてアストラル的衝動とエーテル的本能の作用を統合させた生殖器官を発達させたことを契機に、地球の人間は月紀のピトリスがデュヤニの思考を与えられた形式と似た器を形成していく。

それにつれて、人間は地上での性別の分離だけでなく個体化を加速させることによって次第に神からも独立していく進化へと導かれるアダム人間であることを根源は原初の段階から「善」としていたのだった。


そして、この「自由」という人間的権能に力を尽くせという根源の意志にルシファーは反旗を翻したのだ。

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