#13 私のことを置き去りにした彼女はオレのいた世界でファックする体勢に入っていた
私のことを置き去りにした彼女はオレのいた世界でファックする体勢に入っていた。
再び、私の世界を眩しいくらいに照らし続ける巨大な光源に意識を向けると、どうやらダイニングにいる2人の時間は本当にゆっくりとゆっくりと流れているようだった。
そして、まだ左手をケースの中に入れたままの状態の彼女がとてつもなく不愉快な目をオレに向けていた。
それと、右手の拳を力ませながら勢いよく中指をおったてようとしていた。
彼女はゆっくりと、でも確かに眉間を寄せ口を尖らせながら、昔のスケバンを思わせる怖いお姉さんの完成を目指していた。
彼女のファックはまだ始まったばかりで、私から見た彼女のファックがいつ完全なものになるのかは結構先になるということ以外は皆目見当もつかないことから、彼女の左手がソウルゲイザーの横穴から引き抜かれるのかどうかの本当に大事な先行きもまた私にはよくわからなかった。
それにしても、更によくわからないのは彼女は一体なんのために私をこんな目に遭わせているのか、だった。
何か目的と他ならぬ因果を感じてこんな手の込んだハイテクデバイスにまで私を巻き込んでおいて、ちょっと機嫌が悪くなったくらいでそっぽ向いて私に中指を立てている。
それのどこに彼女にとってのメリットがあるというのか、アルバイトに怒鳴られながら仕事する店長の気持ちくらいわかりたくなかった。
で、なんなんだこの状況は…
アイツ、マジでどういうつもりなんだ?
同時ログインとかって言ってたけど、よく見りゃ、私の知らん内にオレとアイツ、あっちのソウルゲイザーの箱の中で手つないでるみたいになってやがるじゃあねぇか…って別にどうでもいいんだけど、せめてそっちに戻る方法くらい教えてからいなくなってほしかった…
マジでこの空間のすべてが虚無過ぎる。
そして、暇だ。
何も無いのが手に取るようにわかっちゃうのがすぐ辞めた深夜のコンビニバイトくらい暇すぎる。
太陽とそっくりの眩しいだけで全然熱くなくて、現実を知らせるモニター代わりの巨大な光の揺らぎがあるだけで、あとは何の動きも感じられないこの世界で私はいつまでこうして一人で、何かないのかを夜の街のゴミ箱を巡回する乞食みたいに"もしも何もなかったらどうしよう"などという焦燥感だけしか感じられないような自分でいなきゃいけないわけ?
とりあえず、私のしようとしたことはあっちのオレの眼を開けさせることだった。
アイツがああやって自由にこの世界を出て、あっちに戻れるのであれば私もまた同じように自由に行き来出来て、彼女はおそらくこのログインを共有できるエリアで自分の目を開けてあっちに戻ることをしたのだろうが、なぜか私からの瞼をあげようという意志があっちのオレの瞼にまで伝わっていない感じだけがわかって、自分の瞳を開放することができない。
全く眠れないのに瞼だけが下りている。
眠れない夜にやり直しの効かない一日を振り返り続けるくらいなら寝るのをやめるという選択のできない自分の瞼の裏側で巨大な太陽のような終わりを思わせるモニターと何もない虚無空間を見せられている。
なんだ?
ということは、私は開かない瞼そのものだからどこにもいないのか?
つまり、ソウルゲイザーとは裏の瞼で遊ぶゲーム機器のことなのか?
私はもう一度ソウルゲイザーのことが記されたパネルに意識を向けた。
〇ソウルゲイザー
エーテル世界とアストラル世界にアクセスすることのできるプラットホーム
エーテル世界とアストラル世界はそれぞれ階層が複数存在している
各階層への理解である共感と反感と均衡具合に応じた自己像の霊性が視野となる
精神的な視野の解像度を変化させた階層先で遭遇する存在との経験と選択に即した恩恵を持ち帰れる
※なお、ソウルゲイザーでの体験の記憶は無意識に保存されるが肉体の意識に反映させることはできない
正直、このパネルのテキストを読んだとき、最近の若者の言葉をまるで理解できずに会話についていくことのできない年輩のおじさんやおじいちゃんたちの心苦しさを味わっているような気分だった。
興味が無いことに、自分だけの力で興味を持てるようになれというのは、嫌いな先生に勉強をしっかりしなさいと言われてやる気を出すのと同じくらい難しいのを、世のサラリーマンおじさんたちはそれを自分の人生と勘違いしている、というのが私の社会分析だった。
だから、彼らは自分たちで築いてきた社会で育ってきた若者の興味や心がわからないし、本当のところの自分の興味というのが何なのかもわからないから、ゲームという若者で共有されているコンテンツに注ぐ新しい世代の熱量によって用いられている言語の意味の理解にも至らない。
今まさに私のことだった。
私は全く新しいスタイルのゲーム的な世界観への順応に抵抗を感じていたのだ。
まず、ここの最初に記されているソウルもエーテルもアストラルもわからない。
もちろん聞いたことはあるが求められている本質的な理解を持ち合わせていないという意味でわからないのだ。
当たり前だ。
エーテル世界とアストラル世界とやらがどのように展開されていくのかの説明がないのだ。
今がそれなのか否かもわからないのは私のせいだけではない。
また、プラットホームという言葉を駅の中以外で見聞きするのは初めてのことだった。
どうやらソウルゲイザーを駅と見立てて、エーテル世界やらアストラル世界へと出発することのできるプラットホームをいくつか用意している、という意味なのだろう。
その行き先が複数ある階層に渡っているプラットホームであるソウルゲイザーからアクセスできる。
そこからかろうじてわかるのは、各階層への共感と反感と均衡といった私の感受性と思われる自分で感じているものの何かが切符の役割を果たして、その先々で何かと遭遇し、その何かから恩恵を手に入れることができる…で良いのか?
私の精神的な視野と霊性と呼ばれる能力というのが具体的に何を意味するのかは今のところわからないわけだが、それ以上に一番理解できないのがこのソウルゲイザー内での出来事は現実では覚えてない的なことがはっきりと書かれているにも拘らず、あっちの外でこっちの世界で行われたはずのやり取りを完全に覚えたままあっちのオレに向かってファックしてる奴がいることだった。
アイツ、全然ここでの記憶を反映させてるじゃねぇか!
なんだ、この、妙に苛立つ、たまにある名前のわからない戸惑いへの感情を私は探し始める。
急に仕様が変わって、めっちゃ簡単なことなのにどこ押せばいいのかわかんなくて自分だけ戸惑ってるときの”ああもう!”って湧き上がる苛立ちの最中にいる自分を感じていた。
大抵の場合、近くにいる誰かがやり方を教えてくれて、そのあまりの簡単さに拍子抜けして、一瞬前の自分が恥ずかしくなるくらいに腑に落ちた穏やかさに満ちた自分に戻ることができるはずなのだけど、その誰かがいなくてその苛立ちが終わらないのだ。
理解しようとしてるのに説明してくれる人がいないせいだった。
あるいは誰でもわかるようにできてるのに自分だけができないせいだった。
いずれにせよ、たぶんこのソウルゲイザーの仕様はそんなに難しくはないのだと思っていた。
仮にゲームなのだとしたら、ターン性のロールプレイングゲームくらい簡単にできるように設計されていて、ボタン一つでスタートしてその後どんどん進んでいくスムーズさの皆無とそのあまりの不案内さ加減にその価値を疑い、消費者特有の不快感を解消し切れていないところにその仕様の不備からソウルゲイザーというタイトルに不信感を抱きつつある渦中にあった。
ソフトを差し込んでるのにいつまでも始まらないゲーム、パソコンをセッティングしているのに自分だけマイノリティなエラーに巻き込まれていつまでたっても普通につかうことができない、誰でも組めるようわかりやすい説明書通りにしているのに一生くっつかないパーツがあると思ったらパーツそのものが仕様とも説明書とも別の物、あるいはそうならないような個体が混入されていた、みたいな…
そうだ!
バグってるんだ。
ソフトをセットしているのにゲームが始まらない。
パソコンが上手く立ち上がらない。
プラモや家具がちゃんと作れない。
どれも誰でも簡単にできることなはずなのに自分だけができない。
簡単なことなのに自分だけがどうして…と自分だけが世界の標準仕様にいない疎外感に苛まれたときの最大の救いは、その仕様そのものが微妙に自分からズレていたのではなく、世界そのものが仕様の理からズレていたというマイノリティケースだったと知ることができた瞬間だ。
この場合のソフトはオレの身体である手の平であって、本体に何かあったとするなら…
やっぱりだ、アイツ、私が危惧していた通り、自分の左手をケースの中から抜いてやがる。
それが何を意味するのかの詳細は私にはわからない。
けど、アイツが何かの途中で急にこの世界から抜けるような真似したからバグったのだ。
だから今のこの状況はデバイスの不具合でありバグなんだと思う。
ていうか、バグでなければならない。
今のこの状況が本筋であるくらいならバグでこうなっていないと私が救われん。
何が正常なのかがわからない危惧はある。
何をさせようとしていたのかも不明だ。
何かが始まるのかもわからない。
けど私はひそかにその進行に期待していた。
ソウルゲイザーの説明は依然として理解には至っていないが、どんなことでもやっていればわかるだろうし、どんな遊びでも初めての人には相応の段階から始まることで少しずつ超えられる壁とハードルを用意してあるというのがゲームの基本だ。
そう考えたら私たちが現実と呼んでいた仕組みも似たような段取りを踏んでいると思った。
少なくとも私の国では均一な教育システムが戦後以来整えられることで、子供時代からわかることを段階的に増やしていくラインを経て、その優劣からあらゆる分野の”玉”とそうでない”歩”の役割へと国の社会システムに溶かし込んでいくことで分相応の生き方を見出していくラインを全うしていく、みたいになっている。
その流れの形は各時代ごとに経験を踏まえながら現代では民主的な資本主義というシステムに至っている。
時代を先行く他国を参考にして作られたスタイルだが、その他国もまた多くの血を流しながら国家、宗教、民族、人種等の隔たりを失くすための努力が行われてきた結果の末端に私たちはいるわけで、その国全体を動かしてきた時代のうねりである戦争や内紛の陰謀やきっかけを経て人類が少しずつ良くなっていた、と考えるのだとしたら私たちの先祖が流してきた血の涙は人類を育てるための壁やハードルであった、とも言える…のか?
生まれた瞬間から戦火の中だったとかもありえることを考えると少しずつ超えられる壁とハードルが用意されてるはず、という仮説は成り立たなくなるのだけど、そう言った絶望設定さえもゲームや物語の主人公の背景としては前提であったりもするわけで…
つまり、今私はゲームに設定があるように私たちの現実にも設定がある、ということを考えずにはいられなくなっていた。
私たち人間に親がいるようにゲームの設定や描写にも製作者という生みの親がいる。
同じように、この地球を存在させている宇宙にも創造主という神がいるとされているが、私たちはその神がどんな姿でどんな存在なのかを見ることができないがゆえに、万物の創造主という圧倒的なまでの権威への畏怖とは裏腹にその信仰と信憑性については甚だしく懐疑的にして反神的ですらあるのがもはや一般的であるような現実を生きている。
だからこそ、この現実には設定があるのか、などという議論が起こるのだろう。
神という存在を前提にしていれば起こりようのない議論を有耶無耶にすることで設定なき現実を人類は創造することに成功し続けているとは考えられないだろうか?
現代ではその設定のことを自然法則及び化学反応と呼ぶことで神を排除することに成功しているのが良い例だと思う。
神を崇拝し続けてきたことで起こってきた歴史的な凡例を顧みる必要性の裏返りから、目視することのできない根拠のない言論は虚言、妄想、夢、幻と厳しく批判誹謗されることで社会を惑わせた罪の重さを痛感するべく民意が設定として出来上がっている時代に私たちは生きている。
そういう設定の宇宙を地球から私たちは見上げていたのかもしれない世界観を私は今ここで感じていた。
なぜなら、今私は自分のことをオレと自称していた現実を生きている男の外にいることができているからだ。
私は今巨大な光源の中にオレが目を閉じて銀色のケースの中に手を差し込んでいるのを客観的に眺めている。
自分という存在の身体及びその中心が本当のところどこにあるのかは未だにわからない。
けど、私が眺めていると思っている認識の視点が自分の眼ではないことは改める必要もないくらいに明らかだった。
その眼の代わりとなっている役割は依然として、光源の輝きが及ぶ範囲すべての意識が視野となって、ソウルゲイザーのデバイスに閉じ込められていると思われる現実のオレをまるでアイツんちのダイニングの空気にでもなったかのように満遍なく意識的に知覚し、視覚的に存在しているのを感じている。
そう感じている更に外側の視点というか視野がこの光源が支配する何もない空間なのだ。
私はここのことをアイツが物的なものを取っ払ったダイニングなのだと言っていたのを思い出していた。
もしもここがダイニングだとして”あるはずのものがない世界”であっても在るものは在るはずだと思った。
その在るべきものを無いことにしているカラクリは見当もつかない。
でもこの世界にいる私が単に瞼の裏側を徘徊しているだけの存在ではないということだ。
むしろ、私が夢だと思っていた星の終わり的な光景がダイニングの別の何かとして展開されていることに意味があることにしてみよう。
そのとき、不思議とつながったのはやはりその視点だった。
ダイニングの眼を閉じた自分を監視しているその視点が空気というかその空間全体となっているのと、星が爆発したかのように光があふれ続けている様子を外から見ている様子と、自分が夜に見る夢の視点とが総じて同じような視点で進行していることに気がついた。
布団の中で見る夢の中の自分を思い返してみると夢を追う視点だけがあって、その視点を備えているはずの自分の姿というか、自分の行動の制御みたいなのは現実とはかけ離れていて、でもまるで現実のように夢の影響を受けるあまり夢とは思えないままにどんどん都合が悪くなって、もうどうしようもないところまで行って「終わった」になる寸前でちゃんと目が覚めるまでが私たちの良く知る夢だ。
私たちは夜に見る夢から目を開けて初めて眼を感覚化して朝を迎えるのだ。




