第十四話 滝の決闘 ― 愛をかけた剣 ―
戸口を開けると、夏絵が振り向いた。
「兄さま……お帰りなさい」
その声を聞いた瞬間、雪ノ丈は胸の奥の何かがほどけるのを感じた。
言葉もなく、夏絵を抱きしめた。
「え……兄さま……?」
夏絵は戸惑いながらも、やがてその腕を回し返した。
雪ノ丈の肩に顔を埋め、小さく頷く。
「なにがあっても……僕と一緒にいてくれるか」
「……はい。どこまでも、一緒ですよ」
その瞬間、世界が静かになったように感じた。
滝の音も、風の音も、すべてが遠くなる。
ただ、二人の鼓動だけが確かにあった。
――
数日後。
雪ノ丈は市原道場に顔を出していた。
いつものように門弟たちと手合わせをし、笑いながら竹刀を交える。
草太郎がいなくなっても、道場は生きていた。
日が沈むころ、雪ノ丈は家路についた。
家の前に、いつもと違う気配を感じた。
戸を開けると、机の上に一通の手紙が置かれていた。
――妹は預かった。
返してほしければ、あの場所に来い。
一人でだぞ。
雪ノ丈は手紙を握りしめた。
心臓が激しく鳴った。
「あの場所」――思い当たるのは、ただひとつ。滝の崖だ。
刀を手に、夜の山道を駆けた。
風が木々を鳴らし、滝の音が次第に大きくなる。
――
滝の前に立つと、白い霧が月光を受けて輝いていた。
崖の上には、一本の木。
その傍らに、夏絵が縄で結ばれていた。
「夏絵!」
声を上げる雪ノ丈の前に、ゆっくりと一人の男が姿を現した。
浅葱の羽織、冷たい瞳。
氷雨霧丸である。
「やあ、雪ノ丈君。よく来たね」
氷雨は微笑み、夏絵の方を一瞥した。
「君の妹は無事だよ。ただ、少し試させてもらった」
「……試す?」
氷雨は滝の音にかき消されるような声で言った。
「君が選んだ“愛”の強さをね」
雪ノ丈の視線が鋭くなる。
「さあ、君の大切な妹をかけて――僕と手合わせ願おうか」
滝の水が崖を打つ。
氷雨の瞳には、戦う者の喜びと、滅びを受け入れた者の静けさが宿っていた。
風が止まる。
時間が止まる。
――そして、決闘が始まろうとしていた。




