第8話 ただの、ちょっぴり特別な高校生
観測者が消え去ったあと。
世界は、何事もなかったかのように日常へ戻っていた。
放課後の校舎、グラウンドから聞こえる掛け声、廊下を走る足音。
あまりにも、普通だ。いつもと変わらなさすぎて、逆に落ち着かない気分。
中庭の、少しふるびた木製のベンチに座った圭は、ずっと黙っていた。千聖は、隣に座りながら、何も言えずにただじっと空を見ていた。
(言葉を、選ばなきゃ)
でも、未来視は使わない。そう、決めたから。
最適解から遠ざかっていく選択だとしても。
「……俺さ」
沈黙を破ったのは、圭だった。
「何者なんだろうな」
その声は、冗談めいているようで、けれど、目を離すとすぐに消えてしまいそうで。
「普通の高校生だと思ってた」
圭は、自分の指先を見つめる。
「勉強も運動も平均的で、特別な家柄でもなくて、別に何かすごいことができるわけじゃない」
一度、言葉を切る。
「……ずっと、そう思ってた」
「...でもさ」
胸が、きゅっと締まる。
「神だとか、観測者だとか」
小さく、息を吐く。
「急に、そんな言葉を向けられて」
「......なんだよそれって感じ」
曖昧な笑み。
「正しいのかどうかも、分からないのにさ」
千聖は、何もできなかった。慰めることも、否定することも。
どちらも、彼の中の何かを、決めつけてしまいそうで。
ただ、唇をきゅっと噛んでいることしかできなかった。
「未来を否定できた理由も」
「俺の未来が視えないことも」
「……説明は、ついたんだと思う」
圭は、空を見上げる。
「でも、それが全部かどうかは分からない」
少しだけ、笑う。
「分かった気になるのも、怖いしな」
その笑みは、柔らかくて、同時に、どこか不安定だった。
「……変だよな」
その一言で、千聖は決めた。
ゆっくりと、圭の方を見る。
「ねえ、圭」
「ん?」
「あなた、自分のことを、どう思ってるの?」
圭は、すぐには答えなかった。
「……今は、決められない」
「そう」
千聖は、静かに頷く。
「決めなくていい」
圭が、少し目を見開く。
「え?」
「名前がつかなくても」
「理由が整理できなくても」
言葉を、ゆっくり、はっきりと、一つずつ置いていく。
「それで、あなたが消えるわけじゃない」
圭は、黙ってこちらを見ていた。
「あなたが犬馬場圭以外の何かになるわけでもない」
千聖は、その夕焼けを閉じ込めたかのような紅い瞳で、圭を見つめた。
「あなたは」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「私の前で、怖いって言った」
喉の奥が、少し詰まる。
「一緒に選ぶって、言った」
「私一人に背負わせたくない、って」
どうしてだろう、視界が、にじむ。
「それだけで、私は十分……十分だよ...」
千聖の目から大粒の雫がこぼれ落ち、頬を伝って地面へと落ちる。
「私が”正解”に縛られなくなったのも」
「私が”知らない未来”を見つけられたのも」
「みんな、圭のおかげだから」
圭の喉が、小さく鳴った。
「……じゃあさ」
「うん」
「もし、俺が」
言葉を探す。
「思ってたより、ややこしい存在だったら」
一瞬、黙る。
「……千聖は、俺のこと」
続きを、思わず飲み込んでしまう。
この先を言えば、圭の中の何かが崩れてしまいそうで。
千聖は、少しだけ距離を詰めた。肩が、触れる。
圭の体が、わずかに揺れる。
「それでも」
千聖は、少し考えて、そしてはっきりと言った。
「圭は、圭だよ」
「説明できなくても、」
「少し変わってても。」
風が、二人の間を抜ける。
「今まで選んできた言葉も、」
「どうするか迷って、結局選ばなかったことも。」
圭の目を見て、続ける。
「それは、全部あなたのもの。」
「全部、犬馬場圭のものなんだよ」
しばらく、圭は黙っていた。
やがて。
「……ずるいな、それ」
圭の顔に近寄って、小さく、笑う。
「ずるい?」
上目遣いで、悪戯に言ってみた。
「そんな言い方されたら」
圭が頬を赤くし、視線を逸らす。
「反論できない」
胸の奥が、きゅっと鳴る。
「否定できる能力、持ってるのに?」
「......それとこれとは、別だろ」
圭は、ゆっくり息を吸った。
「でもまあ……」
「ありがとう」
短い言葉が、心に深く落ちる。
千聖は、無意識に、彼の学ランの袖をつまんでいた。
「ねえ、圭」
「何?」
「怖くなったら」
一瞬、迷ってから。
「……隣にいて」
圭は、少し驚いて、それから、柔らかく笑った。
「それ、俺も言おうとしてたところ」
そっと、指が触れる。繋ぐほどではない。でも、確かに、温かい。
「離れない」
圭は、静かに言う。
「名前が何でも」
「答えが出なくても」
「一緒に、選ぶ」
夕焼けが、校舎とさっきまで真っ青だった空を紅色に染めていく。
未来は、まだ輪郭が曖昧で、きっと簡単じゃない。
それでも。
(大丈夫)
千聖は、指先にそっと力を込めた。
「さて、いきましょうか」
二人は明日へと進んでいく。
神でもなく。観測者でもなく。
ただ、ここにいる二人として。
ただの、ちょっぴり特別な少女と少年として。
それで、いい。それだけで、よかった。
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