第3話 未来の外側
朝、目を覚ました瞬間から、胸の奥に微かな違和感があった。
理由は分からない。未来視を使えば、今日一日の出来事は大まかに把握できるはずなのに、なぜかその気になれなかった。
(……逃げている?)
自分自身に問いかけて、すぐに否定する。
神に生まれた者が、未来を視ることを恐れるはずがない。それは、千聖たちにとって呼吸と同じ。
視えるからこそ、間違えずに済む。選択を誤らずに済む。
...そう、教えられてきた。
制服に袖を通し、黒いチョーカーを首に巻く。鏡に映る自分は、いつもと変わらない「女神様」だった。
肩まで伸びる銀色の髪をハーフアップにまとめながら、ふと圭の顔が浮かぶ。
(未来が、視えない人)
その事実が、思った以上に心をかき乱していた。
通学路。駅から学校までの道を歩く。
人の流れ、信号の変化、すれ違う自転車。すべてが、いつもと変わらない。
なのに――
(……視線?)
背中に、ひやりとした感覚が走った。
振り返る。誰もいない。
未来視を使う。一秒後、五秒後、十秒後。
何も起きない。
(……違う)
これは「未来」じゃない。今この瞬間を、誰かが見ている。
学校に着いても、その感覚は消えなかった。
廊下を歩くたび、教室に入るたび、まるで透明なレンズ越しに覗かれているような――そんな気配。
(観測者……)
祖父、恒一の言葉が脳裏をよぎる。
『神の一族にとって、未来を読むことのできない存在は、脅威だ』
『未来を ”固定しようとする” 存在がいる』
『彼らは、“観測者”を名乗る』
千聖は、無意識に圭の席を探していた。
――いた。
窓際の席で、友人と何気ない会話をしている。特別な変化はない。
(まだ……気づいていない)
それが、恐ろしかった。
もし彼が、自分が狙われていると知ったら。もし、自分が「世界に不要な存在」だと突きつけられたら。
(私は……どうすればいい?)
昼休み。
千聖は圭を屋上へ呼び出した。
「最近、変わったことはない?」
なるべく、平静を装って。
圭は少し考えてから、肩をすくめた。
「変わったことしかないだろ」
その返答に、少しほっとした。
瞬間。
空気が、凍りついた。
(……私じゃない)
でも。
確かに、時間停止だった。
背後に、気配。
『やっと会えたね』
振り返ると、黒いスーツに怪しげなマント羽織った男に見える”何か”が立っていた。年齢も、存在感も、曖昧。
輪郭すらも、歪んで見える。
観測者……クロノス。それは曖昧な存在だが、確かにそこにいた。
千聖は、圭の前に立った。
「あなたが、未来を固定しようとする存在、観測者ね」
『理解が早い』
観測者は、ほくそ笑んだ。
『女神様は、話が早くて助かるよ』
「彼に、手を出すことは、許さない』
自分でも驚くほど、声は震えていなかった。
「犬馬場圭は、ただ生きているだけ」
『それが問題なんだ』
観測者は、淡々と言う。
『彼は“誤差”だ。本来、世界の計算式。私達の平和の方程式に含まれていない』
千聖は、歯を食いしばった。
「あなたたちは、未来を“正解”に固定したいだけ」
『当然だ』
観測者は、悪びれずに言った。
『不確定要素は、排除するべきだろう?』
圭が、一歩前に出ようとするのを、千聖は手で制した。
「彼は、私の――」
言葉が、詰まる。
(私の、何?)
守る対象?研究対象?友達?
違う。
(……大切な人)
その言葉を、まだ口には出せなかった。
『未来を見せてあげよう』
観測者が、圭に向かって言った瞬間。
視界に、見たくない光景が流れ込んでくる。
学校の崩壊。止まった時計。空白だらけの時間。
(……これが、彼がいる未来)
千聖は、苦しそうな圭の表情を見て、胸が締めつけられた。
「だから、彼は消える必要がある」
千聖は、全力で時間を巻き戻そうとした。
だが――
(……弾かれた!?)
力が、圭の周囲で拒絶される。
彼自身が、無意識に拒んでいる。
「圭……!」
彼は、震えながらも、千聖を見た。
「……逃げない」
その目は、恐怖よりも覚悟を宿していた。
「一人で背負うのは、違うだろ」
その言葉に、胸が熱くなる。
(この人は……)
観測者は、口角を上げて満足そうに頷いた。
『いい選択だ』
『次は…』
言葉が切れると同時に、時間が動き出した。
何事もなかったかのような、放課後。
だが、千聖は分かっていた。
(もう……始まってしまった)
帰り道。
夕焼けの中で、圭が言った。
「俺、世界にいらない存在なのか?」
千聖は、即座に否定した。
「違う」
未来視を使わずに、断言した。
「あなたは、未来を壊す存在じゃない」
一歩、彼に近づく。
「未来を、選べる存在。」
「未来を、救える存在。」
圭は、少し驚いた顔で笑った。
「……難しいこと言うな」
(神としてじゃない)
一人の少女として、圭を守る。
千聖は、心の中でそう誓った。
未来に固定されない少年と、未来を視すぎてしまった少女。
世界の計算式が、砂時計の砂が落ちるように、静かに狂い始めていた。
こんにちは。椎野陽葵です。「未来が視える女神様ですが、正解は選びません」を手に取っていただき、ありがとうございました!




