第18話 完成された日曜日
日曜日というだけで、時間の質が変わる。
チャイムも、時間割も存在しない朝は、世界の輪郭が少しだけ曖昧になる。
千聖は、その曖昧さを好ましいと思っていた。
未来を視る力を使わずとも、先を急かされない時間。流れが、まだ誰にも決められていない時間。
千聖にとって日曜日とは、腕を伸ばして休める時間だった。
だからこそ――
今、自分が立っている場所の「決められすぎた空気」が、ひどく浮いて感じられた。
撮影スタジオ。
高い天井。規則正しく並ぶ照明。床に引かれた色とりどりのテープ。
すべてが「ここに立て」「ここで動け」と主張している。
まるで、正解を導いているかのように。
「……本当に、別世界だな」
圭の声は低く、どこか居心地の悪さを滲ませていた。
千聖も同じ感覚を抱いている。ここは日常の延長線上にあるはずなのに、日常とは違う。
(舞台、というより)
(完成した模型の中に入ったみたい)
そう思った瞬間、海音がこちらに気づいて手を振った。
今日は女優としての彼女だ。学校で見る海音よりも、輪郭がはっきりしている。存在そのものが、光を受け取るために調整されている。
「来てくれてありがとう、千聖ちゃん、圭くん」
「忙しいのに、ごめんね」
「全然」
千聖は微笑んで答えた。
「見学だけでも面白そうだし」
圭も軽く頭を下げる。
「……すごいな」
率直な感想だった。
撮影が始まる。
カチンコの、開始を知らせる音。「本番」の空気。役者も、音響も、カメラも、監督も。誰もが息を呑む。
海音は一瞬で空気を切り替えた。
走る。振り返る。飲む。笑う。
それは、非の打ち所がない動きだった。感情も、間も、すべてが「正しい」。
スタッフの誰もが満足そうに頷く。
だが。
千聖の胸に、小さなざらつきが残る。
(未来が、薄い)
未来視を使っていないにもかかわらず、そう感じてしまう。可能性の枝分かれが、ほとんど存在しない。
何度撮っても、結果は同じ。同じ笑顔。同じ評価。
――正解しかない世界。
それは、観測者が好む構造そのものだった。
休憩に入ったタイミングで、海音がこちらへ小走りでやってくる。
タオルで汗を拭きながら、彼女は一瞬、言葉を探すように黙った。
「……ね」
視線が、床の白線をなぞる。
「ここ、ちょっと変じゃない?」
圭が首を傾げる。
「変?」
「うん」
海音はペットボトルを握りしめる。
「なんか、上手く息が吸えない感じ」
千聖は、その言葉の意味を、すぐに理解してしまった。
「失敗する余地が、ない、と?」
そう返すと、海音は少し驚いた顔をしてから、小さく頷いた。
「そう、それ」
「ズレる場所がない」
「ズレたら、その時点でやり直し」
圭が静かに言う。
「……評価されるからな」
「求められてる形が、最初から決まってる」
「そう」
海音は笑ったが、その笑みはどこか苦い。
「私、評価されるのは嫌いじゃないよ」
「でも」
一拍置いて。
「評価されるためだけに存在してる感じがすると」
「世界が、止まって見える」
千聖の指先が、わずかに震えた。
(止まっている)
(……やっぱり)
それは、時間停止ではない。流れそのものが、意味を失っている状態。
「舞台ってさ」
海音は続ける。
「ハプニングが起きるから、面白いの」
「スポーツも同じ」
「予定通りに進まないから、熱が生まれる」
視線が、千聖と圭を順番に捉える。
「でも、ここは違う」
「最初から、ゴールが決まってる」
「これが正解なんだって、決めつけられてる」
圭は黙り込んだ。
否定の力が、内側で微かに反応しているのを、千聖は感じ取る。
(圭……)
(分かってる)
彼もまた、「決められた前提」に強い嫌悪を持っている。
そもそも、決められた前提って、何だろうか。
午後の撮影が再開される。
海音は再び、光の中へ入っていく。
だが、今度は違って見えた。
(……見えてる)
(この子)
(世界の“流れ”を、ちゃんと見てる)
演じながら、違和感を抱く。舞台の内側にいながら、外側を感じ取っている。
それは、観測者にとって最も厄介な兆候だった。
撮影が終わる頃、外は夕方の色に染まっていた。
「今日はありがとう」
海音は、少し疲れた笑顔で言った。
「……ね、次は」
一瞬、言葉を探す。
「ちゃんと“ズレる場所”に行こうよ」
千聖は、自然と微笑んでいた。
「うん」
「行こう」
圭も、短く頷く。
その返事に、海音はほっとしたように息を吐いた。
「じゃあ、私は後片付けがあるから、先帰ってていいよ」
そう言い残し、海音は去っていった。
帰り道。
「......ズレる場所、か」
圭が思い詰めたように呟く。
その目はどこか遠くを見つめていた。
空でも、地面でも、ない。
でも、何かを見つめている気がした。
「圭?」
「あ、ごめん。どうかした?」
「何も」
千聖は、大きな空を見上げる。
(この世界は)
(もう、静かに歪み始めている)
だが、今日それを感じ取ったのは、時間を操る者だけではなかった。
舞台に立つ一人の少女が、世界の「流れの欠如」に気づいてしまった。
それは、確実に次へと繋がる予兆だった。
こんにちは。椎野陽葵です。「未来が視える女神様ですが、正解は選びません」を手に取っていただき、ありがとうございました!




