第19話 まっすぐに進む世界
戦いから、数日が経っていた。
世界は何事もなかったかのように回り続けている。朝は来て、昼が過ぎ、夜になれば眠くなる。ニュースは事件を報じ、天気予報は外れ、誰かが笑って誰かが落ち込む。
――正常だ。
少なくとも、表面上は。
千聖は、窓際の席で頬杖をつきながら、校庭を眺めていた。風に揺れる木々。朝練から帰ってくる生徒。聞き慣れた喧騒。
未来視を使っていないのに、未来が読めてしまいそうなほど、すべてが予測通りに動いている。
(……固定されている)
胸の奥で、小さく違和感が鳴る。
違和感は、危険ではない。差し迫った脅威でもない。ただ。
(流れが、平坦すぎる)
時間割通りの授業。想定した通りの質問。決まった位置で、決まった笑いが起きる教室。
女神様、と囁かれる視線にも、もう慣れてしまった。崇拝は、驚くほど「安全」だ。誰も近づかない。 誰も踏み込まない。
圭は、斜め前の席でノートを取っている。字は相変わらず簡素で、必要最低限。
――だが。
彼の周囲だけ、微妙に空気が違う。
誰も触れないのに、誰も完全には無視できない。存在が、教室の「前提」から半歩だけ外れている。
(圭は……)
(否定を使わなくても、ズレてる)
それが、千聖には少し羨ましく思えた。
対して海音は、休み時間、空前の告白ラッシュに巻き込まれていた。
待機列までできている。もちろん、海音に告白しようとする男子のものである。
(いやいやいや、こういうのって普通、放課後に呼び出してやることじゃないの...⁉︎)
千聖は疑問に思ったが、すぐに解答を導き出した。
(いや、海音は午後いなくなるかもしれないから、いる時に告白しないといけないのか)
半ば呆れながらその光景を見ていると、一人、また一人と涙を流してトボトボと自分のクラスに帰っていく。でもその顔はどこかスッキリしているようにも見えて。
一体海音はどんな魔法を使ったのだろうか。
(この子は常識からズレてる...のかなぁ)
そんなことを考えながら一人、また一人と、砕け散っていく男子を静観する千聖であった。
昼休み。
三人は自然と集まっていた。意図したわけではない。気づいたら、そうなっている。
海音は購買の袋をテーブルに置きながら、少し不満そうに眉を寄せた。
「ねえ、聞いて」
「前のオーディション」
「結果、もう分かってた」
圭がパンをかじりながら言う。
「……すごいな」
「海音が落ちるとは思ってないのね。…まあたぶん落ちてないし、すごいと思うんだけど。」
千聖は、下を向きながら言う。
そして、海音がはにかみながら口を開く。
「受かってたんだけどね」
「違うの」
海音は首を振る。
「すごくない」
「つまらない」
千聖は、ゆっくりと視線を向ける。
「そう?」
「うん」
「空気で分かる」
海音は、ストローを指で弄びながら続ける。
「ここでこう動いたら評価される、って」
「みんな、同じところで息を吸う」
「同じところで笑う」
「……ズレたら、その時点でアウト」
圭がぽつりと言った。
「……それ、正解か?」
「正解だよ」
即答。
「でも」
海音は視線を落とす。
「正解しかない場所ってさ」
「間違えようがないだけで、進んでないんだよ」
「…私は正解を演じるんじゃなくて、演じた”それ”を正解にしたいんだけどな」
千聖の胸が、わずかに熱を帯びる。
(……同じことを、考えてる)
未来を視ない選択をした後、千聖は「進む」と「流される」の違いに、やけに敏感になっていた。
そして、そんな千聖と同じように、海音もまた、能動か、受動かの違いに敏感になっていた。
午後の授業中。
黒板の文字を追いながら、千聖はふと気づく。
(未来が、重ならない)
本来なら、幾つもの分岐が漂う時間。だが今は、一本の線だけが、まっすぐ伸びている感覚。
未来視を使っていないので、正確ではない、ただの千聖の直感である。
安心するが、退屈だった。少し不気味さも覚える。
(観測者が、いないから……?)
否。
いないのではない。動いていないだけだ。
確実に組み替えられている。
観測者に都合がいいように。世界が、正解の一本道を辿るように。
放課後。
三人は校舎裏のベンチに腰を下ろしていた。特別な会話はない。だが、沈黙が苦しくない。
「ねえ」
海音が空を見上げたまま言う。
「空ってさ」
「こんな色だったっけ?」
圭が答える前に、千聖が口を開く。
「整えられてる、感じがする」
「……だよね」
海音は小さく笑った。
「誰かが」
「“ここまで”って線を引いてる」
「越えるな、って」
その言葉に、圭の指が止まる。
「……越えたら?」
「怒られる」
「排除される」
「でも」
海音は、ちらりと二人を見る。
「越えないと、次がない」
風が吹き、木の葉が一斉に揺れた。
その瞬間、千聖ははっきりと感じた。
(……ああ)
(これが、境界)
まだ危険ではない。まだ戦場でもない。
だが――
確実に「こちら側」と「向こう側」を分ける線が、世界に引かれている。
圭が静かに言った。
「……ズレなきゃ、いけないな。世界が」
千聖は、息を呑む。
その言葉は、未来視よりも正確だった。
「評価も」
「正解も」
「前提も、通用しない場所」
海音が、少しだけ楽しそうに笑う。
「いいね」
「そういうの、好き」
「舞台裏の、そのさらに外」
「誰も観てない場所」
千聖は、胸の奥で何かが動くのを感じた。
(そこに行ったら)
(もう、戻れない)
だが、不思議と恐怖はなかった。
未来を視なくても分かる。ここに留まり続ける方が、ずっと危険だ。
夕暮れの校舎。チャイムが鳴り、今日が終わる合図が響く。
けれど三人は、動かなかった。
まだ名前のない違和感を、確かに共有していたから。
次に踏み込む場所は、きっと「ズレる」ことそのものを許す世界だ。
あるいは、もうすでに「ズレている」世界かもしれない。
そしてそれは、観測者が最も嫌う場所でもある。
「さあ、次の幕が始まるよ」
海音はそう言って笑う。
「ああ」
圭の声が乗る。
「行こう、新しい舞台へ」
千聖は小さな手をゆっくりと握りしめた。
こんにちは。椎野陽葵です。「未来が視える女神様ですが、正解は選びません」を手に取っていただき、ありがとうございました!




