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第12話 同じ空

 空が、あまりにも整いすぎていた。

 雲の切れ目も、風の流れも、まるで最初から「配置」されていたみたいに。

(……変)

 千聖(ちせ)は中庭の中央で立ち止まり、空を見上げた。

 未来視は使っていない。それなのに、時間の縁が張りつめているのが分かる。


 ――観られている。

 その感覚が、皮膚の裏側にまとわりつく。

「ち〜せちゃん」

 背後から声がして、千聖は振り返った。

 水色の髪。毛先だけピンクに染めた、目立つ色彩。

 潮谷田(しおやだ)海音(うみね)。従姉妹で、一番の親友。芸能とスポーツを司る神。

 そして――今の千聖にとって、唯一“変化”を指摘してくる存在。


 海音は、特別な存在だと言われている。

 でも、何がどう特別なのかを、神だから〜とか、女優だから〜とか、そんな曖昧な言葉でなく、はっきりと説明することはできなかった。


「やっぱりここにいた」

 海音は軽く息を弾ませて言った。

「勘?」

「勘」


 即答だった。


「最近、千聖ちゃんが“立ち止まる場所”、だいたい似てるから」

 千聖は苦笑した。

「……そんなに分かりやすい?」


「うん」

 海音は笑顔で迷いなく頷く。


「舞台前の新人さんより分かりやすいよ」

「それは言いすぎ」

 そう返しながら、千聖は胸の奥に小さなざわめきを覚えた。


(私、そんな顔してるの?)


 未来のことでも、神の責務でもない。

 ――別の理由で。

「ねえ」

 海音は周囲を見回し、声を少し落とした。


「……今日は、犬馬場(いぬばば)(けい)くんのお話?」

 千聖の心臓が、わずかに跳ねた。


「……なんで、…?」

「クラスメイトから聞いた」

「と言うより、なんか視線でわかっちゃった」


 海音は当然のように言う。


「気づいてないと思うけどね」


 海音は指を一本立てる。

「千聖ちゃん、“彼”の話する時だけ、未来の話しない」

 言葉が、喉に詰まった。

(……そんな、はず)

 反論しようとして、できなかった。


 その時。

 空気が、音を失った。

 風が止まり、木々のざわめきが消える。

「……来る」

 千聖が、低く言う。

 海音は冗談めかして肩をすくめた。

「やっぱり今日、平和じゃない日だ」


 その直後。

 中庭の入り口に、人影が現れた。

「……千聖?」

 圭だった。

 少し息を切らし 周囲を警戒するように視線を走らせている。

「どうしてここに……」

「分からない」

 圭は正直に答えた。


「ただ、来なきゃいけない気がした」


 その言葉を聞いた瞬間、千聖の胸の奥が、きゅっと縮んだ。

(来てくれた)

(……どうして、こんな)

 理由が分からない。でも、安堵だけが確かにある。

 海音は一歩引いて、二人を見る。

「圭くん…か」

 誰にも聞こえないような小さい声でそう呟く。

「……そっか」

 その声は、妙に静かだった。


「――こんにちは、圭くん」

 海音は、少しだけ身を乗り出すようにして、にこっと笑った。テレビで見るような華やかな笑顔ではなく、もっと素朴で、距離の近い笑顔。

「知ってると思うけど、潮谷田海音です。千聖ちゃんの従姉妹だよ。」


 圭は一瞬、言葉を失った。目の前にいるのが、芸能人で、当たり前のように自分に話しかけている存在だという事実にどう反応していいか分からない。

「……あ、えっと」

 喉が乾いたように声がかすれる。無意識に背筋が伸びていた。

「犬馬場圭、です」

 名乗るだけで精一杯だった。


 海音は、そのぎこちなさを見て、くすっと小さく笑う。からかうような笑いではなく、安心させるための、やわらかい笑い。


「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」

 軽く手を振る。

「取材でもオーディションでもないし、面接でもないんだから」


 冗談めかした言い方に、圭の肩の力が、ほんの少しだけ抜ける。

 海音は、その変化を確かめるように、ゆっくり頷いた。

「千聖ちゃんから、よく聞いてるよ」

「困った時に、ちゃんとそばにいてくれる人がいるって」

 千聖の頬がぽっと薄く桃色に染まる。


(名前、出してないのに…)

 圭は、視線をさまよわせた。自分がそんなふうに語られているとは思っていなかった。


「……別に、たいしたことは」

 言いかけて、言葉が弱くなる。

 海音は首を横に振った。


「ううん。たいしたことだよ」

 その声は、はっきりしているのに、どこまでも優しかった。


「千聖ちゃんが一人で抱え込みそうな時、」

「ちゃんと横に立ってくれる人って、すごく貴重だから」


 一歩だけ距離を詰める。けれど、圧をかけない絶妙な歩幅。

「だから――」

 海音は、いたずらっぽく目を細めた。


「これからも、よろしくね」


 その言葉は、確認でも命令でもなく、自然に差し出された手のようだった。

 圭は一瞬、戸惑い、それから小さくうなずく。

「……はい」

 短い返事。けれどそこには、わずかな覚悟と、そして受け入れられたことへの安堵が混ざっていた。


 次の瞬間。

 世界が、完全に止まった。

 時間が凍り、三人だけが、取り残される。

 いや、三人が、省かれる。

 視界の中心で、人の形をしているような、していないような、“歪み”が浮かび上がる。

 言葉はない。ただ、観ている。


「……噂以上」

 海音が、小さく息を吐いた。


「どうりで、千聖ちゃんが警戒するわけだ」

 圭は拳を握り、歯を食いしばる。


「……これが」

「“観てるやつ”か」


「そう」

 千聖は答える。

 未来視は、使わない。


 けれど、この場に三人が揃った意味だけは、分かる。

 観測者(クロノス)は、“関係性”を測っている。


 時を司る神。人。そして、芸能とスポーツの神。

 どれも単独でなら、処理できる。

 ――だが。


「ねえ」


 海音が、二人の間に一歩踏み出した。


「これさ」

「三人で立ってるの、相当イレギュラーだと思うよ」


 千聖は、はっとする。


(そうだ)


 観測者(クロノス)は未来を固定する。だが、感情で結ばれた立ち位置は読めない。

 圭が、低く言った。


「……嫌だ」


「何が?」

「決められてる感じ」


 その瞬間、観測者(クロノス)の輪郭が、わずかに揺れた。

 反応。

 海音は目を細める。

「……効いてる」

 千聖は、一歩前に出た。

 未来は、まだ視えない。


 でも。

 ここにいる理由だけは、もう否定できなかった。

 圭がここに来た理由。海音がここに来た理由。そして――自分が立ち止まった理由。


(分からない)

(でも……)


 この気持ちを、切り捨てたくない。

 三人が、同じ空を見上げる。


 その瞬間。

 観測者(クロノス)は、千聖たちを「排除対象」として認識した。

 静かに。だが確実に。

 次に来るのは、問いではない。

 模範解答でもない。

 ――添削だ。

こんにちは。椎野陽葵です。「未来が視える女神様ですが、正解は選びません」を手に取っていただき、ありがとうございました!

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