第11話 重なり始める立ち位置
異変は、音もなく、静かに進んでいた。
それに最初に気づいたのは、やはり千聖だった。
朝の通学路。人の流れ、信号の切り替わり、風の向き。それらがいつも通りであるにもかかわらず、「確定していない」感覚がある。
(……世界が、揺れている)
未来視を使っていないのに、未来の“重み”だけが薄れている。
(安心…していられない)
教室に入ると、圭はすでに席についていた。机に頬杖をつき、窓の外を眺めている。
「おはよう」
「あ、おはよ」
圭はいつも通り、気の抜けた笑顔で返した。
――変わらない。
いつもなら安心するそれが、今は逆に不安だった。
(圭は……何も感じていない)
観測者の干渉は、必ずしも「敵意」として現れるわけではない。
むしろ、気づかせないことこそが、本質だ。
千聖は、机に鞄を置きながら、わずかに指先を震わせた。
(次は、三人で立たなきゃいけない)
根拠はない。未来を視たわけでもない。
そして。海音の顔が、自然と脳裏に浮かんだ。
「海音はどう思うのかな」
その頃、別の場所。
撮影スタジオの片隅で、海音は監督の指示を聞いていた。
「よし、終了!」
「お疲れ様でした!」
スタッフの声が響き、場の緊張が一気に緩む。
海音はタオルで汗を拭きながら、無意識に天井を見上げた。
(……今)
理由は分からない。
けれど、「行かないといけない」気がした。
芸能とスポーツを司る神として、彼女は“本番”の前の空気を知っている。
役者が台詞を噛む直前。選手がスタートラインに立つ直前。
――あの、張り詰めた静けさ。
今の世界は、それに、よく似ていた。
「マネージャーさん」
「ん?」
「このあと、少し時間もらっていいですか?」
「え、まあ今日の予定は夜からだからいいけど...どうかした?」
「......」
理由は、うまく説明できない。だから、説明しない。
それでも、海音は動くべきだと感じていた。
マネージャーはふっと微笑して言った。
「海音ちゃん、いつも頑張ってるし。行っておいで。送って行ったほうがいい?」
「いえ、大丈夫です。すぐそこ、だと思うので」
海音は軽く会釈をしてスタジオを出た。
放課後。
千聖は、校舎裏の人目につかない場所で、短く息を吐いた。
千聖が死ぬ未来を視たあの日、確かに千聖は恐怖を覚えた。
死ぬこと、に対してでもある。しかし。それよりも。
(分岐、していなかった)
今まで視てきた未来は全部、「選択」という様々な種類の花で作られた花束だった。
でもあの時は、選べる未来が存在しなかった。どうやって人生を歩んでも続く結末は変わらないんだと。そう、いっていたような気がする。
もう未来は視ないと決めた。だから、今の千聖の未来がどうなるのかは、千聖自身もわからない。
だからこそ、考えてしまう。
(あの時、欲張らずにどちらかを選んでいたら。)
(あの時、別の道を選んでいたら。)
(......あの時、自分が犠牲になっていたら?)
そう、考えるだけで胸が痛くなる。
「千聖ちゃん」
驚いて、振り向く。
そこに立っていたのは、見慣れた水色の髪。
「……海、音?」
制服ではない。けれど、間違えようがなかった。
「やっぱり、ここにいた」
海音は、小さく息を整えながら言った。
「勘、当たった」
「……どうして」
千聖は、言葉を選ぶ。
「今日は、仕事じゃ……」
「一旦抜けてきたんだよ」
あっさり言う。
「どうしても、来た方がいい気がしたから」
その言葉に、千聖は説明のつかない安堵を覚えた。
(……来てくれた)
理由は分からない。それでも。
「ねえ、千聖ちゃん」
海音は、表情を少し引き締める。
「もう始まってるでしょ」
「“次の幕”」
千聖は、答えられなかった。
否定も、肯定もできない。
「私、未来は視えないけど」
「流れが、変わる瞬間は分かるよ」
「今、台本が書き換えられてる」
その言葉は、観測者の存在を、正確に言い当てていた。
「海音」
千聖は、ためらいながら言う。
「……危険かもしれない」
「知ってるよ」
即答。
「でもさ」
少しだけ笑う。
「危険な舞台ほど、立ち会わないと後悔するでしょ」
それは、神の言葉ではなく、海音という少女の本音だった。
その日の夜。
圭は、家の自室でベッドに寝転びながら、天井を見つめていた。
理由もなく、胸の奥がざわついている。
(……何だ、これ)
嫌な予感、というほどではない。けれど、違和感がある。
無意識に、拳を握る。
(来る……?)
何が、とは分からない。
ただ、自分がまた「否定する」。そんな気がした。
自分でも理由は分からない。
けれど、前に立たなければならない時があることを、体が知っている。
もし誰かが迷うなら、
もし誰かが立てなくなるなら、
その時は、自分が「否定する」。
それだけは、もう決めていた。
――なのに。
胸の奥で、何かが引っかかっている。
いつもの感覚と、少し違う。
妙に息苦しい。
圭は、ゆっくりと手のひらを開いた。
さっきまで握っていた拳が、じんわりと熱を持っている。
(……違う)
これは、ただの危機感じゃない。
戦いの前の緊張でもない。
もっと、個人的な。
もっと、身近な。
顔が浮かぶ。
千聖。
そして、海音。
あの二人が、並んで立っている光景が、頭の奥に焼き付いて離れない。
どちらも、強い。
自分なんかより、ずっと。
未来を視て、選び続けた少女。
世界中の期待を背負って、それでも笑っている少女。
そんな二人が、もし。
ほんの一瞬でも。
ほんの少しでも。
立てなくなる瞬間が来たら?
喉の奥が、きゅっと締まる。
(……ああ)
分かってしまった。
怖いんだ。
敵が来ることじゃない。
戦うことでもない。
二人が、倒れることが。
静かな部屋の中で、圭は天井を見つめたまま、小さく息を吐いた。
胸のざわつきは、まだ消えない。
けれど。
それでも。
もしその時が来るなら。
もし本当に、世界が揺れるなら。
自分はきっと、同じことをする。
理由なんて、後からでいい。
ただ。
あの二人と、一緒に立とう。
そう思った。
こんにちは。椎野陽葵です。「未来が視える女神様ですが、正解は選びません」を手に取っていただき、ありがとうございました!




