森の長と、とろける卵料理
村から戻るころには、空はすっかり夕方の色に変わっていた。
森の端のテントへたどり着いたユウは、肩を回しながら深く息を吐く。いつもなら、鍋や油や調味料の重さで腕がじんわり痺れるところだ。けれど今日は、その疲れがずいぶん軽かった。
「……すごいな、これ」
そう呟いて、ユウは肩から下げたマジックバッグをそっと下ろした。
見た目は地味な革のバッグだ。けれど、中に入っている量を思えば、どう考えても見た目と重さが釣り合わない。村でもらった森鳥の卵、角豚の端肉、香草の束、残ったチーズ、調味料の瓶、ついでに小鍋までまとめて運んできたのに、身体への負担は今までとは比べものにならなかった
「持ち運びが楽って、こんなに違うんだな……」
バッグの口を軽く撫でながら、昼間のやり取りを思い出す。
ーーこのバックには珍しかったり使い道のない食材を入れたの。か、勘違いしないでよね、あくまで領地の発展のためなんだから。
あのときのミリーの、やけに意地っ張りな顔が脳裏に浮かぶ。
ユウは苦笑した。
「素直じゃないよなあ、あの人」
「きゅぅ?」
足もとでシロが首を傾げる。
「いや、なんでもない」
とはいえ、ありがたいのは本当だった。
このバッグがあれば、今まで諦めるしかなかったものも、かなりどうにかなりそうだ。
ユウはさっそくバッグの中へ手を入れ、取り出したい中身を思い出しながら、ひとつずつ取り出していった。
丸い森鳥の卵。少し塩気の強い保存チーズ。角豚の端肉。それから元々カバンに入ってた香草の束。
香草のスーッとした清涼感とさわやかな香りが口いっぱいに広がる。
「ローズマリーに似てるな……。よし」
ユウは袖をまくった。
「さっきは揚げ物食べたし、もう少し腹に優しいもの作るか」
「わふっ」
シロの尻尾がぱたりと揺れる。
異世界にきて、なぜだか分からないが若返ったとはいえ、揚げ物続きだとさすがに胃がもたれる。森へ戻ってきた今は、もう少し軽いものが食べたい。
卵、角豚の端肉、ローズマリー、チーズ。
そこまで並べて、ユウの中で形が決まる。
「オムレツだな」
「くる?」
「卵をふわっとろに包む料理だ」
シロには当然通じていない。
だが、美味しいものと確信してるのか耳がぴんと立った。
まずは具からだ。
フライパンを火にかけ、細かく刻んだ角豚の端肉を落とす。
じゅっ、と小さく音がして、すぐに脂がじわりとにじみ出た。
その匂いが立った瞬間、シロの鼻先がぴくぴく動く。
「まだだぞ」
「きゅぅ……」
そわそわと尻尾を振る姿がなんとも可愛らしい。
端肉は小さいぶん火が通るのが早いため、表面がこんがりしてきたところへ、刻んだ香草を加える。
途端に、青くてさわやかな香りがぶわっと立った。
「お、いいな」
肉の脂っぽさに、草の青い匂いが重なって、ぐっと食欲を引っ張ってくる。そこへさらに、塩を少しとチーズを加える。
まだ火の上なのに、熱で少しやわらいだチーズが端肉にまとわりつき、香草のあいだから濃厚な香りがのぞく。
「これだけで、パンに乗せて食いたいな……」
独り言が漏れる。
ずっと村で体を動かしていたせいか、ぎゅるるるっと腹がなり、ユウは初めて自分がとてもお腹が空いてたことに気づいた。
木箱の上から、ひょこ、と小さな顔がのぞく。
「いいにおい!」
ミツだ。
「お前、いたのか」
「いた!」
相変わらず元気いっぱいに短い手を上にあげ、パタパタさせている。
蜜リス型の小さな魔物は、しっぽをぶわっと膨らませながら、ユウの肩にジャンプすると鍋を覗き込んだ。
「なにこれ」
「角豚とローズマリーとチーズ」
「よくわかんないけど、うまいやつ!」
「そうだな」
具をいったん皿へ取り出し、次は卵だ。
森鳥の卵を数個、深皿へ割り入れる。黄身はやや濃い色で、つやがある。箸で切ると、とろりと重なって流れた。
そこへ塩をひとつまみ。
ふわっと仕上がるように混ぜる。
箸を動かすたび、トットットッと気持ちいい音が響く。
「オムレツは、空気を入れるとすごくふわふわになるんだよ。本当は泡立て器とかハンドミキサーが欲しいところだけど」
「くぅん?」
「ふわっとさせたいんだ」
「ふわ……」
言葉を真似したつもりなのか、ミツが前足を胸の前でふよっと動かす。
シロはそんなミツをじっと見て、またちょっと不満そうにユウの足へ寄ってきた。
「お前ら、喧嘩するなよ」
「してない!」
「わふぅ」
いつもしている側の言い分は信用ならない。
フライパンをさっと拭き、少量の油を引く。
熱が回ったところへ卵液を流し込むと、じゅわっとやわらかい音が立った。
黄色い液体が丸く広がり、端からゆっくり固まり始める。
ユウは箸で外側を少し寄せ、半熟の部分を中央へ流し込む。火加減を見ながら、何度も繰り返す。途中で角豚とチーズの塊を中央へ流し込んだ。
卵は火を入れすぎるとすぐ固くなる。
だからといって焦りすぎると形にならない。
「このへんだな……」
中央が少しチーズも溶けてとろけだした頃、その上から卵をふわりとたたむ。
つやのある黄金色の表面が、包み込んだ具材でぷっくりと膨らんだ。
「おお……」
自分で作っておいてなんだが、ちょっとテンションが上がる。
皿の上へ滑らせるように移すと、ふんわりとした楕円がきれいに収まった。表面はなめらかで、ところどころにほかほかとした熱の名残が光っている。
包丁を入れる。
すると中から、端肉と香草をまとったチーズがとろりと顔を出した。湯気と一緒に立ちのぼる香りがまた強い。
「……ワインが欲しい」
「わいん?」
ミツが意味も分からず真似する。
「わふっ」
シロが尻尾をぱたぱたさせる。
そのときだった。
『また妙な匂いをさせているな』
森の奥から、よく通る低い声が転がってきた。
ユウが振り返ると、木々のあいだから白い巨体が現れる。
「グラードさん。来ると思ってました」
『ほう』
グラードはゆっくり近づきながら、皿の上を見た。
『今度はずいぶん地味な見た目だな』
「地味かもしれませんが、すごく美味しいですよ」
『揚げた肉の山でもなく、どろりとした甘味でもない。柔らかそうな卵の塊だ』
「食べた瞬間口がとろけちゃうくらい美味しいですから」
ユウは笑って、オムレツを少し切り分けた。
シロとミツの分を先に小皿へよそう。
シロは待ちきれない様子で足踏みし、ミツは木箱の上で身を乗り出している。
「熱いから待て」
「きゅぅぅ」
「まてない!」
「待て」
ぴしゃりと言ってから、グラードのほうを見る。
「長のぶんもあります」
『当然だろう』
口調はいつも通りだが、鼻先はしっかり皿の方を向いていた。
ユウは少し大きめに切ったオムレツを、グラードの前の木皿に置く。
グラードは一瞬だけそれを見下ろし、それから静かに口をつけた。
表情は変わらない。
だが、すぐに二口目を口に放り込む。
「どうです?」
グラードはしばらく噛んでから、ゆっくり飲み込む。
『……地味な見た目の割に中々奥深い』
「それはよかった」
『卵はやわらかく、中に肉の旨味がちゃんとある。香草の匂いがさわやかで、妙な料理だ』
「褒めてます?」
『褒めている』
短く言い切ってから、グラードはもう一口食べた。
『それに、柔らかいからたべやすいな』
「今日はその方向で作ってますからね」
『だが、腹は満たされる』
「そうなんですよ」
ユウも自分の分を口へ運ぶ。
外側の卵はふわっとしていて、中は半熟に近いやわらかさがある。そこへ角豚の旨味、香草のさわやかさ、チーズの塩気とこくが重なる。
揚げ物みたいな派手さはない。
けれど、しっかりと味がついていてうまい。
「……うまいなあ」
思わず漏れる。
「村でも出せるけど、これは森で食べるほうが美味しい気がする」
『なぜだ』
「なんとなくですけど」
ユウは肩をすくめた。
「こういった自然豊かなところで、ゆっくり食べるの憧れてたんですよね。前は忙しくてキャンプや遠出すら出来なかったから」
グラードはしばらく黙っていた。
皿の上のオムレツを見て、それから焚き火の向こうを見た。
『……森の者どもも、最近はお前の料理を待つようになってきた』
「それはうれしいですね」
『以前なら、腹が減ればそのへんのものを噛みちぎって終わりだった』
グラードの声音は静かだった。
『うまい、だの、また食いたい、だの、そういうことを言うやつはほとんどおらんかった』
ミツがそこで元気よく前足を上げる。
「ミツは食べたい!」
『お前は相変わらず元気だな』
むふっ!とミツが威張るように両手を腰にあてる。
ユウは笑いをこらえながら、グラードのほうを見た。
「グラードさんも、前より食べるのが楽しみになったんじゃないですか?」
『……そうか?』
「そうですよ」
グラードは少しだけ目を細めた。
否定しきれない顔だ。
『腹を満たすだけなら、もっと早くて雑なやり方はいくらでもある』
「はい」
そこで言葉を切る。
大きな獣の横顔が、火の明かりを受けてやわらかく見えた。
『ユウの飯は食ったあと、しばらくその場に留まりたくなる』
ユウは一瞬だけ黙った。
「……それだけリラックスしてもらえるのは嬉しいです」
『そうか』
グラードは鼻を鳴らした。
シロは自分の小皿をきれいになめ終えて、満足そうにユウの足へ寄りかかる。ミツは頬をふくらませながら、まだ少し名残惜しそうに皿をつついていた。
「もうないぞ」
「もっとたべたい」
「んー、じゃあもうちょい作るか」
「ほんと!?はやく!」
「はいはい」
そう言いながら、ユウはちらりとマジックバッグを見た。
ミリーから預かったばかりのそれは、調理台の端にひっそり置いてある。
今日こうして卵も端肉もチーズも香草も、まとめて運んでこれたのは、あれのおかげだ。
ミリーの複雑そうな顔も一緒に思い出して、また少しだけ苦笑が漏れる。
『どうした』
「いや」
ユウは首を振った。
「次は何作ろうかなって考えてただけです」
『もう次か』
「料理人なんで」
グラードは呆れたように見えたが、口元はほんの少しだけ緩んでいた。
『飽きぬな、お前は』
「飽きませんね」
ユウは答えて、最後の一口を食べた。
森の夜は相変わらず冷たい。
けれど、テントのまわりだけは少しあたたかい。
卵のやさしい余韻と、肉とチーズのこく。
食べ終えたあとも、身体の真ん中に小さな火が残っているみたいだった。
その火を囲むように、シロがいて、ミツがいて、グラードがいる。
こんな光景を前の自分が見たら、たぶん信じないだろう。
「……悪くないな」
ぽつりと呟くと、シロが「わふ」と短く鳴いた。
たぶん賛成のつもりなのだろう。
ユウは笑って、その頭をひとつ撫でた。




