味噌カツと揺れる心
味噌カツを食べ終えたあとも、ミリーはすぐには口を開かなかった。
甘辛い味噌だれの余韻が、まだ舌の上に残っている。角豚の肉にあれほど濃い味を重ねているのに、不思議と重たさばかりが残るわけではない。むしろ、もう一口、もう一口と手を伸ばしたくなる厄介な味だった。
悔しい、とまず思った。
こんなふうに、たった一皿で人の顔色を変えてしまう料理を、術を自分は持っていない。
今日来たのだって、領主の娘として期待以上であって欲しいと祈る一方で、ミリーとしては大したことない人間であって欲しいと思っていた。
けれど、こうして実際にその場に立たされると、ユウは期待以上の人間であると思い知らされる。
村人たちの顔には、今までの空腹をしのぐ安堵ではなく、もっと別の熱があった。次は何が出てくるのかを待ち、うまいと笑い、また食べたいと口にする顔だ。
そういった生きるための希望を自分で生み出し、この領地で見たかった。
ずっと、見たかったのに。
それを先に形にしたのが、自分ではなく、ぽっと現れたこの男だということが、ひどく胸に刺さる。
認めたくない。
でも、認めないわけにもいかない。
その間で揺れている自分ごと、ミリーは持て余していた。
「……ねえ」
ようやく絞り出した声は、自分で思っていたより低かった。
友好的にしなければと思うのに、それさえうまく行かない。それが何より自分に対して腹立たしくて、気持ちを振り払うようにユウを見つめた。
ユウが「はい」と顔を上げる。
「あなた、毎回こうやって道具も材料も抱えて村まで来ているの?」
ユウは少しだけ目を瞬いた。
「まあ、そうですね」
「鍋も、油も、調味料も?」
「持てる範囲で」
その返事に、ミリーは眉を寄せた。
持てる範囲で。そんな曖昧な言葉で片づけるようなことではない。今日だって、これだけの人数に振る舞うには、どれだけ無理をしているか見れば分かる。
もしこの男が本当に村に必要な料理人なのだとしても、今のままでは続かない。
だが、それを自分が手助けする形にするのは、ひどく癪だった。
力になりたいのではない。
ましてや、褒めたいわけでもない。
ただ、このまま放っておくのは、領地にとって損だ。領主の娘として合理的な判断を。
そう何度も言い聞かせなければ、手が動かなかった。
「今のままでは、せっかく作れるものも広がらないでしょう」
ミリーは、ユウではなく広場のほうへ視線を向けた。
空いた皿を名残惜しそうに見ている子ども。
満足そうに腹をさすっている大人たち。
その全員の顔に、食への熱が残っている。
「村のためひいては領地のためになることが分かっているのに、運ぶ手間や保管の都合で止まるのは非効率だわ」
言葉にすると、少しだけ気持ちが整った。
これは個人的な感情ではない。
領主の娘としての判断だ。
そう思わなければ、悔しさが先に立ってしまう。
ミリーは一度だけエマを見た。エマは何も言わず、ただ静かに頷く。
その頷きに背を押されるように、ミリーは腰のあたりから小ぶりの革のバッグを外した。
見た目は地味だが、質のよい革でできている。ミリーが初めて自ら誕生日にねだったものだ。
これを差し出すには、この男が味方だと確定していない状況で勝手がすぎる行為。
でも、それでも今後のことを考えると、今ここで出さないほうが、よほど無責任な気がした。
「……これは貸しよ」
ミリーはバッグを持ったまま言った。
ユウの視線が、それに落ちる。
「マジックバッグってやつですか?」
「見れば分かるでしょう」
少しきつく言ってから、ミリーは小さく息を吐いた。
「先に言っておくけれど、これはあなたを全面的に信用したから渡すわけじゃないわ」
信用していない。
少なくとも、まだ全部は。
料理人としての腕は認める。
けれど、人間として何を考えているのか、まだ分からない。
村に必要な存在かもしれない。けれど、それと安心して任せられるは別だ。
「あなた個人への褒美でもないし、好意でもない」
「じゃあ何です?」
「発展のためよ」
ユウが少しだけ首を傾げた。
ミリーは続ける。
「このままでは、あなたの作れるものも、運べる量も限界がある。だから、私の目が届く形で、もっと働いてもらうの」
そこまで言ってから、自分の言い方が少し強すぎると気づく。
けれど、今さら引っ込めるのも違う。
「……村のために必要だと判断したから、使わせるだけ」
言い換えたが、本質は同じだった。
悔しいけれど、この男の料理は村に必要だ。
だからこそ、感情は堪えて領地のためになる判断を。
それがミリーなりの折り合いのつけ方だった。
ユウはしばらく何も言わず、そのバッグを見ていた。
「本当は、勝手にこんなものを私の一存で渡すべきでないの」
ミリーは少しだけ視線を伏せる。
「でも、何もしないまま見ているのも違うでしょう」
何もしなかった自分への苛立ち。
もっと早くこの村を見ていれば、もっと早く動けていれば、という後悔。
その全部が、胸の奥でまだくすぶっている。
「無駄にしたと判断したら、返してもらうわ」
ミリーはもう一度、顔を上げた。
「変なことに使ったら即回収する。位置情報が分かるから。いいわよね?」
ユウはようやくバッグを受け取った。
その手つきは意外なくらい慎重で、そこでミリーは少しだけ肩の力を抜いた。
「……ありがとうございます。位置情報というのは引っかかりますが……正直食材の確保に限界を感じてたんです。助かります」
素直に礼を言われて、ミリーは一瞬だけ言葉に詰まった。
礼を言われる筋合いではない、と思う。
これは判断だ。投資だ。
それに監視するためでもある。
決して、ユウのためではないのに真正面からそう言われると、居心地が悪い。
「だから、お礼はいらないわ」
声が少しだけ硬くなる。
「これは村のためのもの。あなたのためじゃない」
「分かってます」
ユウはそう言って、ほんの少し笑った。
その笑い方に、なぜかむっとする。
全部分かったような顔をされるのが気に入らないのか。
それとも、こちらの意地を見透かされた気がしたのか。
自分でもよく分からない。
「……何よ、その顔」
「いえ。ミリー様らしいなと」
「どういう意味よ」
「説明すると怒られそうなんでやめときます」
「余計に腹が立つわね」
言い返しながらも、ミリーは視線をそらした。
これは正しい判断だと思う。
けれど、それを自分の手で認めた瞬間、ユウという存在をひとつ現実のものにしてしまった気がする。
村を変え始めている男。
悔しいほど腕のいい料理人。
まだ信用しきれない相手。
その全部を抱えたまま、ミリーは腕を組み直した。
「勘違いしないで」
もう一度、念を押すように言う。
「あなたが本当に村のためになるのか、ちゃんと見極めるためなんだからね」
「はい」
「返事が軽い」
「じゃあ、真面目に。どうぞご自由に見極めてください。といっても俺は今まで通り料理を作るだけですが」
ユウのその答えに、ミリーは少しだけ目を細めた。
まっすぐすぎて、調子が狂う。
こういうところも、まだ好きにはなれない。
それでも。
「マジックバックを無駄にはしないで」
最後にそう言うと、ユウは今度こそ真面目な顔で頷いた。
「しません」
その返事だけは、不思議と嘘に聞こえなかった。
「ミリー様、マジックバックをあげたのかい?太っ腹だ」
村人の1人がユウの手元を見て、気付いたように声をあげる。
シロはユウの足に体を寄せ、ミツは木箱の上から「みりー、やさしい!」と大声で言った。
「やさしくなんかないわ!」
即座に言い返す。
けれど、広場に残る揚げ物の匂いのせいか、食べ終えたあとの熱のせいか、その声は最初よりずっと柔らかかった。
ユウは手の中のマジックバッグをそっと撫で、それから顔を上げた。
「これで次はもっと色々作りますね」
「……そうね」
ミリーは腕を組んだまま頷く。
「だから、その」
「はい?」
「つ、次来るまでに料理増やしときなさいよ」
「分かってます」
ユウがまた笑う。
今度はさっきほど腹が立たなかった。
少しだけ、そのことが癪だった。
次から日常回に戻ります!




